「ここは本当にキミの「家」なのか…?」
「…もう黙ってくれる?あんたの行動にはほとほと呆れたよ」
「なんという美しい場所なんだ。この古風な作り。日本建築特有の漆喰壁。明かりの位置も、光の大きさも素晴らしい」
「あんたにこの「良さ」がわかんの?」
「もちろんだ。日本の建築や文化に詳しいわけではないが、美しいものが「何」かはわかっているつもりだ。さきほどの女性も、言葉では言い表せない独特の“品性”を感じた」
ふーん。
少しは見る目があるんじゃない…?
この場所が大正時代から続いているのには理由がある。
単なる温泉宿としてなら、他の場所にも似たようなところはたくさんある。
でもここは、「特別」だった。
杉木立に囲まれた静かな佇まいと、老舗旅館としての風格。
皇居新宮殿の基本設計も手がけた、日本芸術院会員の故・吉村健蔵先生による設計。
その情緒豊かな設計にふさわしいきめ細やかな気配りが、空間の隅々にまで行き届いている。
子供の頃に感じたんだ。
この「場所」は、自分が生まれるよりもずっと前から、“存在していたんだ”って。
当たり前のことだけど、“そうじゃない”っていうかさ?
「これから仕事だから、邪魔しないでよね」
「仕事?…仕事というのは」
「私はね、ここで働いてんの。ただの居候しているわけじゃないんだよ。ようは住み込みのバイト生ってやつ」
「…なるほど。では、できるだけ目の届くところにいるとしよう。邪魔はしない」
「したらぶっ殺すから」
学校ならまだしも、この場所で迷惑をかけようってんならタダじゃおかない。
着物に着替えて、夕食の準備に入る。
県外や海外からやってきたお客さんへのおもてなし。
それが、学校を終えた後の私の日課だった。
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