この満ち足りた匣庭の中で 二章―Moon of miniature garden― 【ゴーストサーガ】

匣庭は繰り返す。連続殺人ホラーミステリ、出題篇二章。
至堂文斗
至堂文斗

家族を守ること

公開日時: 2021年2月17日(水) 22:21
文字数:4,013

 さっきは見かけなかった住民たちを、ちらほらと見かけるようになった。

 その人たちは皆、私と同じ場所を目指している。

 ばれないように遠くを歩いているのだが、離れたところからでも目の色は分かる。

 半ば生気を失ったように歩く彼らの目は、赤く充血していた。

 集会場に辿り着いたときには、ちょうど二人ほどお年寄りが中へ入っていくところだった。

 後続がいないことを確認し、私はひっそりと侵入する。

 真ん中にある広いホールへ繋がる扉は複数あるので、とりあえずトイレかどこかへ隠れ、会が始まったところで様子を見れば危険は少ないはずだ。

 壁に掛けられた時計をちらと見たが、時刻は一時。会が始まるのは一時半だったか。定刻になったとき、果たしてどうなるのやら。ただ穏やかに話し合うだけならいいのだけれど……。

 端の方に荷物置き場のようなスペースがあったので、身を隠しつつ人の行き来を注視する。精神の削られる時間ではあったが、ニ十分ほどで新しい人は来なくなった。

 もうそろそろ、始まる頃か。


 ――よし。


 正面からなるべく離れた扉を少し開け、中の様子を伺うことに決めた私は、荷物置き場から移動を始めようとした。

 しかし、そのタイミングでふらりと、一人の人物が集会場に入ってくるのが見えた。

 隠れないと、と一瞬慌てたのだが、その人物は私のよく知る女性であり、他のお年寄りたちとは明らかに違う存在だった。


「羊子さん……?」


 やって来たのは、満雀ちゃんのお母さんだったのだ。

 羊子さんは私に気付かず、ふらふらと進んで会場の中へ入っていく。少しの間だけ開いた扉の向こうからは、どよめきが聞こえてきた。

 私は混乱しつつも、とにかく事態がどう進むのかと別の扉を細く開き、中を覗く。

 羊子さんは沢山の人々に囲まれる中、何かを話していた。


「……この集会の目的を教えてください。どうして貴方たちは、そこまで病院を目の敵にするんですか?」


 病院への不信感から、入院していた人たちが自宅療養に切り替え始め、遂には病院が閉鎖に追い込まれたというのは聞いている。羊子さんはその抗議、というか真意を聞きたくて乗り込んできたのか。

 ただ、それだけでは動機として弱い気がするけれど。

 住民たちも、集会の場にいきなり病院側の人間が来たものだから、困惑しながらも至極全うな受け答えをしていた。電波塔計画は当初より反対であり、その計画を病院が引き継いだことが許せないのだと。そもそも病院の運営自体にも、牛牧さんから貴獅さんへ権限の委譲が進んでいって、怪しさが増していったのだと。

 彼らの言い分は理解できる。そして彼らが感じる怪しさは、事実無根ではないのだ。

 羊子さんも正直なところ、自らの夫に対して不信感は抱いているのではないだろうか。

 その不信が日に日に増してきて、とうとう耐え切れなくなり、このような行動に至ったのかもしれない。


「皆さんは、祟りを畏れているんでしょう。私もそのことは分かります、科学的に根拠がなくても、そういう話は地方のいろんな場所でありますから」

「祟りも怖いしのう、瓶井さんが話してたように、電波が体に悪影響ってのも気になっとるんじゃよ」


 今更ながら、瓶井さんはこの集会に参加していないんだな、と気付く。あの人は、こういう集まりに参加するのには否定的なタイプに思えるし、やるなら勝手にどうぞと今は一人、家で過ごしていそうだ。


「貴方がたの中で、先日夫に暴言を浴びせた人がいるんじゃないですか。そのとき、家族の命が大事だろうというような、脅しともとれる言葉を言いませんでしたか」

「良く分からんが、それは言葉の捉え方じゃないのかね。その人は祟りや電波の問題が自分の身にも降ってくることになるかもしれんぞと言いたかったんだろう」

「では……貴方がたの中で私たち家族に危害を加えようなどと思っている人は?」

「そんなもん、おりゃしませんよ」


 目は赤く、声はどことなく荒立っている。けれども洋子さんの危惧しているようなことはないと、住民たちは頷き合う。

 そこで羊子さんは、耳を疑うようなことを口にした。


「じゃあ……満雀に何かをしようと企んでいる者は」

「……お前さん、何を言っとるのかね?」


 流石のご老人たちも、今の発言には首を傾げるしかないようだった。

 私も同じだ。なぜ、満雀ちゃんに特定してそんなことを言うのだろう……?


「じゃあ……満雀は……」


 羊子さんは、消え入りそうな声でそこまで言うと、力なくくずおれてしまう。

 お年寄りたちは苛立ちながらも、大丈夫かと声を掛け近づいていった。


「近づかないでくださいッ!」


 まるで悲鳴のように叫び、羊子さんは後退る。彼女自身は、住民たちが危害を加えると本気で怯えている様子だ。

 私も初めは心配していたが……今はむしろ、羊子さんの精神状態の方が気にかかった。

 彼女は赤目ではないのだけれど。

 何にせよ、このままではいけない。私は諦めをつけて、ホールの中へ滑るように入っていった。


「……おや、誰かね」

「あんた、もしかして……」


 ご老人方にはすぐ姿を見られてしまったが、構わず羊子さんの元へ駆けつける。そして彼女に肩を貸し――というかほとんど担ぐようにして、一緒にホールを出ていった。


「ま、待ちなさい!」


 そんな声も飛んできたが、律儀に待つわけもない。今はとにかく、この状態の羊子さんを放ってはおけなかった。

 正面扉から集会場を出て、落ち着けそうな場所を探す。ここから離れて、羊子さんを落ち着けなければ。

 ……候補があるとすれば、それは永射邸跡だ。一応あそこなら、まだ骨組みや外壁の一部は残っているし、身を隠せるだけの遮蔽物は存在していた。

 歩くこともままならない羊子さんを支え、私は永射邸跡まで何とかやってくる。早乙女さんの事件の痕跡があるため、出来る限りそれが見えない位置で羊子さんを座らせた。


「……大丈夫ですか?」

「……ええ。ごめんなさい、龍美ちゃん」


 俯いたままながら、羊子さんは私に謝罪をくれる。


「でも、どうして龍美ちゃんが……」

「それは私の台詞です。どうして羊子さん、揉めると分かっててあんな所に乗り込んだんですか」


 私が逆に訊ねると、羊子さんは更に顔を下向けて、


「……最近、何もかもがおかしいの。夫もそうだし、街の人たちも皆。私、それが本当に怖くて」

「分かりますよ。電波塔問題に、殺人事件まで起きて、街全体がピリピリしてる。貴獅さんが計画を引き継いだせいで、お年寄りたちは病院に怒りの矛先を変えてますしね」

「その怒りの言葉が、私には脅迫としか思えなかったのよ」


 羊子さんの目には、薄っすらと涙すら浮かんでいた。


「でも、本当に怖いのは家族のこと。こんなに色々ある中で、一番分からないのは夫のことなの」

「貴獅さんの……」


 恐らく、羊子さんは何も聞かされていないのだろう。電波塔計画の詳細も、その裏にある狂気の実験も。

 夫である貴獅さんを、彼女は信頼できなくなったのだ。パートナーとして信じたいのに、何一つ語ってはくれないのだから。


「夫は、私たちの未来の為でもあるのだと言い続けながら、永射さんと一緒になって良く分からない計画を進めていたわ。電波塔に関するものだったのかもしれないけれど、不可解なこともあって……本当に大丈夫なのかって、ずっと心配していたの」

「その永射さんは、水死体で発見されましたもんね」

「ええ……。私は我慢ならなくなって、夫に強く問い詰めたわ。でも、家族の為だとその一点張りだった。それからなのよ。私は……満雀に会えなくなった」

「……満雀ちゃんに?」


 私は、逃亡生活を始めてからというもの満雀ちゃんには会っていない。せめて彼女や玄人だけでも安全に過ごせていたらと思っていたのだが、母親である羊子さんが満雀ちゃんに会えないとはどういうことだろう。しかも、羊子さんの口振りからすれば、そこには貴獅さんの思惑があるように感じられる。


「夫は、満雀を守るためだとあの子をどこかへやってしまった。少し前から私は、あの子と話をすることもできなくなってしまったのよ」

「え? じゃあ、家に満雀ちゃんがいないんですか?」

「いない……のだと思うわ。どこを探しても見つからないんだもの。せめて話をさせてと言っても、取り合ってくれなくて。私もう、どうしたらいいのか……」


 満雀ちゃんが、貴獅さんによって隔離された。……いや、最早連れ去られたと言った方がいいのか?

 守るためという言葉が真実であればいいものの、WAWプログラムなどという恐ろしい実験を進める彼を信じることは、私にも難しい。

 彼はどうして満雀ちゃんを連れ去ったのだろう。もしかすると、彼には何らかの予感、予測があるのだろうか。次に命を狙われるのが満雀ちゃんだという、何かが。


「羊子さんは、あの場であえて家族の話を出すことで、満雀ちゃんの行方を知ってる人がいないかを確認しようとしたんですね」

「……そう。でも、誰も知らないみたいだった。もしかしたら、誰かに誘拐されたことを隠すために夫は嘘を吐いてるんじゃとも考えたけど、多分そうじゃないんでしょう」

「或いは、これから何かをしようとしてる人はいたかもしれませんけどね……」


 ただ、それらしい反応はなかったとして。


「満雀ちゃん、か」


 話を聞いてしまうと、その安否が気掛かりになる。

 全てを知悉しているのは、貴獅さんだけ、ということなのか。

 もどかしさに耐え切れず、拳をぐっと握り込む。

 そのとき、音が聞こえた。


「あッ――」


 音は一瞬で拡大され、とてつもない轟音となる。

 大地がうねる。立っていられないほどの大きな震動。

 昨日起きた地震と同じクラスの揺れが、私たちを襲って。

 遠くの方からは山肌が崩れ落ちる、ガラガラという別の音まで聞こえてきた。


「羊子さん……!」


 私は青褪めた顔の羊子さんに、手を差し伸べようとして。

 ぐらりと一際大きな揺れに、足を滑らせる。

 そのまま仰いだ天井に、致命的な亀裂が走り。


 ――ゴオオォン……。


 最後に聞こえたのは、そんな無機質の音だった。

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