風使いー穹-

風に愛された少女
村上ユキ
村上ユキ

050話 失恋

公開日時: 2023年8月27日(日) 22:16
文字数:8,586

 幸いと言って良いのか、学校から桜の木がある公園までは特に誰とも会わなかった。


 イゾルダも人目を忍んだのか、商店街を通り抜けるような真似はせずに、通りを外れるように歩いたせいもあるだろう。


 商店街も外れを通り、住宅街とも少し離れているここには街灯も少なくなる。個人宅の明かりも見えるが、光源としては心もとなかった。


 遠くに見える外灯の他には、信号機から発せられる微かな明かりしかない。


 それさえも、ある時間を過ぎれば役目を終えて眠りに就くだろう。


 住人だけでなく、機械でさえも寝静まりそうな時間になって、穹は外を歩いていた。


 一人でという訳でなく、傍にはイゾルダとフリードリフも控えている。


 肌寒くなって来る時間になると、腕に抱えたカッツェの温もりが有り難かった。


 街に降りてからカッツェは下ろすように訴えかけていたが、穹はほんのりと交わしながら抱えたままでいた。


 猫扱いされるのを嫌うカッツェの心情は分かるが、今はカッツェの温もりを感じていたかったのだ。


 それは不安からだった。これから自分の扱いがどうなるか分からないし、自然の意思とも話せなくなるかもしれない。


 カッツェとも、今後どうなるか分からない。


 今は少しでも、カッツェを感じていたいと思ったのだった。


 そんな穹の思いを知ってか知らずが、少し問答を繰り返した後はカッツェは大人しく抱えられたままでいてくれた。


 言われたまま抱えられるカッツェを見てイゾルダがまたからかえば、先ほどと同じような言い争うが始まった。


 どうやらこの二人、何かと言い争わないと気が済まない間柄らしい。


 二人の関係に何となく嫉妬染みた感情を抱きながら、穹はカッツェを抱えながら公園に入った。


 先を歩くイゾルダとフリードリフは、真っすぐに桜の木に向かっている。


 先の事件で桜の木はすっかり枝葉を落としている。


 時間が過ぎて、地面に敷き詰められていた桜の花びらも葉っぱも、すっかり疎らに散らかっていた。


 今は公園のあちらこちらに、あの事件の面影を残している程度だ。


 すでに事件は解決していて、桜の木も元の元気を取り戻している。


 けれど、はた目には寂しげに見えるその情景に、穹は何と無しに寂しさを覚えるのだった。


「んで? ここのどこにゲートがあるってのさ」


 桜の木を前に、イゾルダが足を止める。それを見計らったのように、カッツェは腕に抱えられたままの態勢で尋ねた。


 何とも言えないカッツェの態度にイゾルダは口元に笑みを浮かべたが、特に何も言わなかった。


 からかいとも取れるイゾルダの態度にカッツェは顔を引き攣らせたが、話がこじれるのを嫌がったのか特に何も言わなかった。


 話の流れからして、ここに『ゲート』と言われる何かがあるようだと穹は察した。


 ゲートと言うからには、門や何かしらの出入り口を指すのだろうが、この公園にはそれらしいものはない。


 強いて言えば、先ほど入って来た入り口がそうなのだが、イゾルダが何も言わないのならあそこは違うのだろう。


 ならゲートとは何なのだろうか。カッツェとは違う意味で穹は首をかしげるのだった。


「うむ。とても潤沢な調律を受けたのだろうな。葉は落ちてしまったようだが、とても生き生きとしておる。少々荒っぽいがな」


 言いながらイゾルダが触れたのは、公園の中央にそびえる桜の木だった。


 まさか。


 触れたその姿を見た時、穹はその考えに至った。


 カッツェも同じなのか、イゾルダの示す意味を理解すると、信じられないと言った顔で穹の腕から身を乗り出していた。


 二人の反応に不思議そうな顔をしつつも、イゾルダは答えを口にする。


「この桜が、ワシらが来た世界とを繋げておる『ゲート』となっておる」


 イゾルダが言うゲートとは、言葉の通りの門と言う訳ではないようだった。


 穹には、いつも通りの桜の木にしか見えない。


 繋がる、というからには、この桜の木はイゾルダ達の世界に繋がっているのだろうか?


 不思議に思っている穹を面白そうに見ながら、イゾルダは優しい目つきになると、桜の木を仰ぎ見た。


「すまぬ。また、通して貰っても良かろうか?」


 厳かに、イゾルダは桜の木に語り掛けた。


 公園は静かなまま、微かに風の流れる音が聞こえてくるばかりだった。


 ーーー大丈夫。


「え?」


 不意に聞こえた声に、穹は驚いて声を漏らした。


 今聞こえたのは、かつてこの公園で事件が発生した時に聞こえてきた声だった。


 再び聞こえてきた声に驚いている間に、目の前の桜に変化が生じる。


 微かに、桜が光り始めたのだ。


 イゾルダの触れた辺りを起点として、ほんのりと桜が色づき始める。


 柔らかな、桜の花びらにも似た、薄い桃色の光だった。


 目にも優しい光が木の全体を包むと、イゾルダはそっと離れる。


 光りはそのまま桜の木を包んでいて、何か準備でも出来たかのようだった。


「では、ゆくぞ」


「行くって、はい?」


 何やら促してくるイゾルダに聞き返そうとした穹だったが、その後の行動に目を瞠った。


 イゾルダが再び木の幹に触れたかと思うと、その手首までが埋もれたのである。


「どぅえ」


 理解の追いつかない穹の目の前で、イゾルダは更に歩みを進める。


 沈み込むように肘までが埋まり、足もまた幹の向こうに消え、全身が木の幹に包まれてしまう。


 サラリと流れる黒髪が、後を追うようにして完全に木の幹の中へと消えてしまった。


 驚きで何も言えなくなっている穹を見て、フリードリフは微笑ましく表情を和らげると、イゾルダの後を追う。


 フリードリフもまた、イゾルダと同じように木の幹に触れると、何の抵抗もなく木の幹の中へと消えてしまった。


 ポツリとその場に残された穹は、ただただ茫然と桜の木を見るしか出来なかった。


「色々納得できない話ではあるが。さ、穹。ボク達も行こう」


 茫然とする穹に、カッツェが後に続くように促した。


 抱えた腕を叩かれた感触に意識を取り戻した穹は、恐る恐ると言った具合に桜の木に近づいた。


 はた目には微かに光っているくらいで、何の変哲もないような桜の木だ。


 触れていいものかと桜の木を見上げれば、そんな不安に答えるかのように微かに輝きを増した。


 何だが子供扱いを受けたかのような気になって、少々意固地になった穹は、怯えながらも桜の木に手を伸ばす。


 一瞬桜の木の幹の感触がしたが、その直後には、先ほどのイゾルダのように穹の手は飲み込まれた。


「ぬお!」


 未知の感触に、穹は伸ばした手を即座に戻す。


 何の抵抗もなく、穹の手は幹から引き抜かれた。


 見た目からの感覚と、手に伝わる感触に驚きながらも、一度触れてしまうとどうしても好奇心が勝ってしまう。


 何とも言えない奇妙な感触に味を占めた穹は、水面と戯れる猫のように、木の幹に手を入れたり引き戻したりを繰り返した。


 カッツェからは呆れたようなため息が聞こえ、桜の木からは微笑ましそうな笑い声が聞こえてきたのだが、穹の耳には入らなかった。


「全く、何をしておるか」


 試しに、手首の先まで腕を入れた所だった。


 桜の木の中からイゾルダの声が聞こえたかと思えば、不意に、その向こう側から手首を掴まれた。


「いや、ちょっと!」


 思ったよりも力強く腕を引かれて、穹は悲鳴を上げる。


 いくら触れていてぶつからないのは分かっていても、眼前に迫るのは木の幹だ。


 視覚で見る限りは当たったら痛いのが簡単に想像できる。驚かないのが無理だろう。


 眼前に迫り、いざぶつかると言った瞬間に、穹は思わず目を瞑る。


 その時に穹が感じたのは、まるで水に飛び込んだかのような感覚だった。


 自分が何かを飛び越えたかのような感覚が過ぎると、今度は水面から飛び出たかのような感覚がした。


 ついで、鼻に感じる匂いもまた、変わったような気がした。


 普段と違う、濃くて安らぎを感じる匂い。まるで、滝つぼ近くの森林に入ったかのようだ。


 足元の感覚も違う。公園のさらさらとした土の感覚ではなく、ふわふわとした芝のような感覚だった。


 引っ張られた勢いで前のめりに倒れこんだ穹が思わず手を付けば、掌に伝わってきたのは芝のような細かな草の感触だった。


 態勢が落ち着いたの感じて、恐る恐る目を開けば、そこにあったのは青々とした芝生だった。


 いや。葉の形が少し違うから、芝生とはまた違う草なのかもしれない。


 手を着いた姿勢を辺りを見渡せば、一面はそんな芝生に覆われている。そばには、倒れた拍子に放り出されたカッツェがいて、無事に着地したが恨めし気な目を穹に向けていた。


 苦笑いを浮かべる穹に、そんなカッツェの反応に返す余裕はなかった。


 先ほどまでいた公園とは違う光景に、穹はまだ頭が追いついていない。


 へたり込むように姿勢を起こせば、そこは、全く違う光景が広がっていた。


 どこか、背の高い建物の上に居るようだった。


 見渡した穹の眼前に広がるのは、絶景とも言える光景だ。


 テレビでしか見ないような、多種多様な建物が並び立っている。なのに、その建物に絡むように、あるいは自己の存在の主張するかのように巨木が合間合間にそびえていた。


 時刻は、もうすぐ夕方と言う頃合いだろうか。傾いた太陽が街並みを黄金色に染め、雄大な光景を神秘的に色づけている。


 明かりが灯されているが、それは電気で灯されているのではなく、一つ一つに火が灯されているものだった。


 その火も、穹の世界で見る物よりも一段と濃い灯りを発しているかのように見えた。そのせいか、数はそれ程無いはずなのに、街並みを明るく照らしているようだ。


 自然と人工物が慄然と並んでいる。自分の居た世界ではまるで見慣れない街並みに、穹は感動を覚えるのだった。


「使役者のリングを繋げると、自然の声を伝える原理を応用した通信が出来るのは穹も試したことがあろう? この『ゲート』とはつまり、その原理の元となった移動手段でのう。自然は元より意思によって繋がっておる。同じ世界は元より、違う世界ともの。ワシらは、その繋がりに乗せてもらうようにして、移動手段に使わせてもらっておる」


「まさか穹さんの居た世界に、その繋がりを作れる程の調律された自然があるとは思いませんでしたが」


 茫然とする穹に向かって、イゾルダとフリードリフが、今回の移動手段について説明する。


 二人を振り向いた先には、建物の屋根上にあるとは思えない程の立派な木が聳えていた。


 幹は大人数人が抱えても足り無さそうなほど太く、多くの枝を広げ、青々とした葉を広げている。


 これが、穹の世界とを繋げていた、こちら側の木なのだろう。


『ゲート』とは、繋がった自然を移動するための入り口の様だ。


 その繋がりは、穹が体感した通り、世界さえも飛び越える。


 これが本来の移動手段であり、互いの世界から認められて取れる移動手段でもあった。


 同じ世界であればそれ程制約がある訳でもないが、違う世界ともなれば話が違ってくる。


 異なる世界の渡航ともなれば、それなりに力を持った自然でなければ成り立たない。


 自然の力が満ち溢れている場所でさえも、限られた場所でしか繋がりが持てないのだ。


 フリードリフが驚いたと言っていたが、実の所、そんな個人の感想程度で表される程度ではない。


 世界を維持するのに精いっぱいのような世界だったのだ。他所から繋がりを許諾し、人を渡り合わせる程の力を保持しているなど考えもしなかった。


 カッツェの後を追いながらも、中々穹の世界にたどり着けなかったのもこれが原因だ。場所は分かっていても、向かうための出口が無かったのだ。


 半ばあきらめていた所に、再度の接続を試みてみた結果、受け入れられる場所があったのは奇跡にも近い。


 もし仮にそれがあるとすれば、使役者による大規模な調律が行われたとしか思えなかった。


 この数日の合間に何があったのか。イゾルダとフリードリフにしても、これは気になる事態だ。


 なのだが、話を聞きたいと思っている穹は、未だ茫然としたままだった。


「てことは、ここは」


 ほとんど聞き流すように聞いていた穹だったが、ようやく理解した単語を確かめるようにイゾルダ達を振り返った。


 驚きに固まる穹に、イゾルダは心得たとばかりに頷いた。


「そう。ここはワシらの世界。自然と共に生き、自然と共にある世界。穹にしてみれば、ここは異世界と言う奴だの」


 肯定するように頷くイゾルダに、穹は愕然とした顔になる。


 創作の中でしかないような体験に、考えがまるで追いついていなかった。


 何と無しに憧れていた異世界渡航に、まさか自分が体験するとは思ってもみなかったのだ。


 感動すればいいのか、驚けばいいのか、穹は自分の整理がつかずに愕然とするかしかなかった。


 何とも返答に窮している穹を見て、時間が必要となると判断したイゾルダは、傍に居るカッツェに目を向ける。


 四面楚歌する穹を見て楽しんでいるのか、カッツェはどこか面白そうに穹を見ている。


「しかしカッツェ。お主はいつまでその姿でおるつもりだ?」


「あん?」


 話の矛先を向けられたカッツェは、そう言えばと自分の姿を改める。


 その姿は相変わらず猫の姿のままだった。妙に毛は長く、元の髪色と同じように、全体は赤茶色ながら先端は黒く染まっている。


 それ程長い時間この姿で居たわけではないが、普段の適応力からすっかり違和感が無くなっていた。未だこの姿のままだったのに、今更ながら気が付いたのだ。


 カッツェが猫の姿であったのは、伊達や酔狂ではなく、戻る手段がなかったからだ。


 穹の世界ではカッツェは異物として扱われ、その存在を定義づけるために猫の姿であるのを強要されていた。


 なら、穹の世界から解放され、自然の満ちる世界に戻ったのならば、元の姿に勝手に戻れると思っていたが。


 自分の姿を改め、そして逃避するかのようにその場でくるくる回って確認して見ても、何も変化が現れない。


「……どうやったら、元の姿に戻れるんだ?」


「なんだカッツェよ、戻り方を知らんのか?」


「何せ初めての経験だったからな。勝手に戻れないなら、戻り方なんて知らん」


「なぜ偉そうなのだ」


 水を向けられ自信満々に答えるカッツェに、イゾルダは呆れたような目を向ける。


 しかし、カッツェの言い分ももっともだった。


 確かにカッツェは自己中心的で快楽主義者だが、無謀な試みはしない。


 自然の力が満ちる世界では恐れられるカッツェだが、その力が発揮されずに不要な干渉が意味を成さない科学の発展した世界では、その力がどうなるか分からない。


 むしろ、全く力が発揮されないのが目に見えていた。


 ゆえに興味はありつつも、移動手段が確立できるまでは手を出さなかった世界なのだ。


 まさか猫の姿になるとまでは思わず、この姿になったのは新たな発見で面白かったが、元の姿に戻れる手段までは持っていない。


 なんなら、穹の世界から脱出できれば勝手に戻れると思っていたのに宛てが外れたくらいだ。


 悲観はしていないが、すぐに答えられないくらいには困っていた。


 そうだというのに自信ありげに答えるのだが、イゾルダの反応も分かるというものだ。


 睨みつけるイゾルダに、フリードリフは苦笑いを浮かべながら懐に手を入れる。


 そこから取り出したのは、穹の世界でも見るようなスマートフォンに似た何かだった。


 画面に触れて何やら操作を始めると、カッツェの前に跪いた。


「カッツェは魔術師ですから、その力を使って元の姿に構築し直されてはいかがでしょうか」


「へえ、面白い事を言うじゃないか。その挑戦受けて立つが、あいにくと元の姿なんて覚えちゃいないぞ」


「では、こちらをご覧ください」


「ボクの姿見……なんでそんなのあるんだよ」


「当たり前です。あなたの犯罪履歴の写真なのですから」


「嫌味か。用意周到だなこの野郎」


「お褒めいただき光栄です」


 どうやら画面を操作して表示させたのは、カッツェの人間としての姿だったようだ。


 気になって穹も見てみるが、角度的に見られない。


 正面から見るカッツェは、自分の本来の姿を確認すると、覚えたとでも言うように頷いて見せる。


 すると、カッツェは憎らし気な笑みを浮かべて穹を振り返る。


「じゃあ、穹。お待ちかね、ボクの本来の姿を見せてやるよ」


 その言葉を聞いて、穹は胸が高鳴るのを感じた。


 話を聞いていた限り、カッツェはこちらの世界に来ても自然に元の姿に戻れなかったようだが、自力で元の姿に戻るようだった。


 初の試みのはずなのに、自信満々に答えるカッツェは、どうやら元の姿に戻れる確信を得ているらしい。


 カッツェなら当然と思うと共に、急に元の姿を見られるとなれば微かに緊張を覚える。


 元の姿がどのような容姿なのか分からないが、好意すら抱いていたカッツェの姿となれば俄然興味があった。


 何となく胸の鼓動が高くなるのを感じている目の前で、カッツェは動き出した。


 フリードリフから少し距離を取ると、静かに目を瞑る。


「ああ、やはり少し力を使うか。なら、仕方ない。おい、獅子王。そして大地よ。ボクの姿を取り戻すために、ちょっと力を貸せ」


 自然の力が見る場所とはいえ、やはり元の姿に戻るのに必要なのか、カッツェは自然の意思と、その根源となる大地に向かって声をかける。


 その背後に、穹とカッツェにしか見えない、獅子王が姿を見せた。


 カッツェの足元にも、同時に、黄金色に輝く魔術の陣が展開される。


 巨大な陣が構築されると、カッツェも夕日にも負けない黄金色の光りに包まれる。


 カッツェが完全に光りに包まれると、変化はすぐに表れた。


 光りが一回り大きくなり、光りの鼓動と共に大きさを変えていく。


 小さな猫のサイズは、徐々に人に近いサイズとなる。小さな足はスラリと伸びて、人の腕や足になる。


 胴は伸び、全身の長かった毛先は縮小され、代わりに頭部の毛はより長くなる。


 光りの形は、やばて人の姿を象っていった。


 しなやかな手足。臀部や胸部は大きく丸く膨らみ、なのに腰は恐ろしい程に細い。


 光りは足元から消えていく。まず見えたのは纏っている服だった。脹脛まで覆うレザーのブーツ。袖の無い真っ赤なライダースーツのような服は、その見事な肢体を艶めかしく主張していた。


 最後に残った光の残滓を振り払うようにして、その人は首を振った。


 艶やかな長髪は燃えるように赤く、その毛先に向けてほんのりと黒く色づいている。


 露になった顔は、目を瞠る程に美しかった。細く整った鼻梁と唇。恐ろしい程に整った顔のパーツは、女神が直接しつらえたと言われても納得しただろう。


 伏せられた目が、ゆっくりと開かれる。黄金色に輝く瞳は猫の目の様でもあったし、大粒の宝石の様でもあった。


 光りから解放されたその人は、自分の手足を改めて姿を確認すると、自由を確認するかのように背を伸ばした。


「くああ、無事に戻れた。どうよ、穹。ボクの元の姿は」


 自信満々に振り返るその人物を仰ぎ見て、穹は口をぱくぱくと開きながら、何とか言葉を振り絞る。


「カ、カッツェ?」


「ん? 見てただろ、正真正銘、カッツェ=ローキンス様だよ」


 驚きで震える穹を見て、元の姿に戻ったカッツェは、その整った眉根を不思議そうに歪めた。


 振り絞るように名前を問うしか出来なかった穹だったが、目の前の人物の態度を見て、徐々にカッツェ本人なのだと理解する。


 理解すると同時に、信じられない、という思いが湧き出てきた。


 そんな、バカなと。


「カッツェ、カッツェって……」


「ん?」


「女の人だったの!?」


 穹が驚いたのは、目の前で元に戻った事実よりも、カッツェの性別だった。


 元に戻った姿でさえも、カッツェの声質は中性的だった。端々に見えるその雰囲気も、猫だった頃のカッツェを思い起こさせるのには充分だ。


 ただ目の前にいるその人は、紛れもなく女性である。


 同性である穹でさえ、思わず見惚れてしまいそうになる美貌。


 もはや遺伝子レベルで違うとしか思えないような、羨むよりも尊敬してしまうそのスタイル。


 燃えるような赤い髪に、スタイルを隠すどころか主張するかのような袖なしのライダースーツは、この女性にはよく似合っていた。


 訝しむその表情は、紛れもなくカッツェの物だ。


 この数か月一緒に居たからこそ、間違える訳もない。


 だからこそ、カッツェが実は女性だったのだと、穹には信じられなかった。


「何を驚いてる。ボクが女性だって、言ったろ?」


「言ってない!」


「は? ……ああ」


 驚きで叫ぶ穹にカッツェは答えるが、そう言えば、性別については話していなかったのを今になって思い出した。


「いや、でも。声で分かるだろ」


「だって、カッツェの声ってどっちにも聞こえるし、一人称だって」


「声質は何ともなんないけど、ボクがボクって呼ぶのは、昔からだ」


「だけど、だけど」


 混乱して頭を抱える穹に、カッツェは困ったように頭を掻いた。


 そんなカッツェに気が付く余裕はなく、穹は改めて知るのだった。


 自分は勘違いしていて、カッツェは本当は女性だったのだと。


 そして自分が微かに抱いていたらしい、その気持ちが恋だったのだと。ここしばらく一緒に居た結果、カッツェを慕っていたのだ。


 初恋だったそれが、まさか相手が女性で、あっさりと終わりを告げた瞬間だった。



 拝啓、天国のお父様とお母様へ。


 私は気が付けば、私の知らない違う世界に来てしまったようです。


 そして、初めての恋の相手は女性でした。


 敬具。



 頭を抱えながら、穹はひっそりと、自分の父と母に向かって手紙を綴るのだった。


「のああああああああああ!」


 そうして耐えきれなくなり、穹は天に向かって叫び声をあげる。


 そんな穹の奇行に、カッツェやイゾルダ、フリードリフは揃って首をかしげるのだった。

タイトルでネタバレしていくスタイル

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