事前の予測通り、お昼も間近に迫った頃、穹達見回り組の仕事は一段と忙しくなった。
十一時ごろまでは、イベントを楽しむ余裕があった。
商店街のお店の人に、ご褒美だと言われてお菓子をもらえたり。ご褒美だと言いながら、お店で販売している料理なんかを交わされそうになったり。
イベントの雰囲気に呑まれて普段よりもテンションの上がったお店の人に翻弄されながら、普段は見ないお店独自のお菓子やらを堪能していた。
もちろん仕事が一切なかったかと言われればそうでもなく、早めに訪れていた小等部の子。あるいは、隣町からやってきた子。もしくは市外から物見雄山で訪れた観光客など。
本格的な訪れはまだにしても、早めに来ていた参加者は一定数いたのだ。
そうなれば、穹達の仕事も少なからず発生してくる。
基本は、大学部や高等部に任せてはいた。
その間というのだろうか。両親がイベントについて話を聞いている間、その子供の話し相手をしたり。
参加したは良いが、勝手がわからず、かといって大人に尋ねるのに怯えてしまっている子供達のフォローをしたりと。
その件数は散発的だったが、お昼に近づいたちょうどその辺りだ。その件数が次第に多くなった。
加えて、今年は話題に上がったからか、口コミで広がったかしたのだろうか。例年に比べて、市外から訪れる人が多かった。
なので本来の仕事ではなかったが、観光客で訪れる人に道を聞かれる等の接待が予想よりも多く発生していた。
「すみません」
「はい」
今も、穹は市外から訪れたと思しき親子連れに声をかけられていた。
私服であるというのもあるだろうが、容姿が整っているというのも相まって、穹に話しかけてくる人も多い。
基本的に笑みを絶やさず、物腰の柔らかさからにじみ出ているのだろうか。見た目の幼さも相まって、穹は話しかけやすい部類に見られるのだろう。
悪い気はしていないのだが、本来の業務と違う、こうやって道を尋ねられてばかりで辟易するしかなった。
そんな雰囲気はおくびにも出さずに、穹は親子連れに向き直る。
話を聞いてみると、どうやら折角こういう場所に来たのだからと、チェーン店ではないお店でご飯を済ませたかったようだ。
そう言う人も多かったので、穹は嫌な顔一つせずに、観光客の好みを聞いてから、おススメの店を紹介していく。
「ありがとうございます」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「はい。イベント、楽しんでください」
穹が丁寧に場所を説明すると、親子からお礼を言われる。
何度目かも分からない返事をしながら、歩いていく親子を穹は見送ったのだった。
「いやぁ、穹っちは外でもモテモテなんね」
ちょうど見送りの終わったタイミングで、穹を労うように、朱音が後ろから声を掛けてくる。
軽く肩を叩かれてから振り返ると、朱音と同じように、穹が声をかけられる様子を見えていたクラスメイト達も同意するように頷いていた。
励ましてくれているらしいクラスメイト達を見ながら、しかし穹が向けたのはジト目だった。
「そんな言ってさ。みんなして、私が声かけられる時全力で視線逸らしているでしょ」
恨めし気に穹が意を唱えれば、全員が笑いながら視線を逸らしていた。
実の所、穹を含む中等部組はやや暇を持て余していた。
確かにお昼近くになって人が増えたので、人を見張る機会は増えてはいる。
けれど、大抵が高等部や大学部の人達が対応しきれる範囲であるので、穹達中等部の出番と言うのはあまりなかった。
もちろん怠けても居られないので、先輩達が話をしている最中には、穹達は辺りを見回したりと、それっぽい動きはしていたのだ。
ただ、迷子になるような子がそうそう表れる訳も無く、ただ周りをうろうろしているだけのような状態だった。
それでも先輩達にすれば、警戒する範囲が狭まるだけも助かるのだと、感謝はされているが。
そんな暇を持て余し気味の中等部は、迷子を見つける代わりに、道の案内やイベントの説明が主な仕事になりつつあった。
変な参加者がそうそう表れる訳でもないので、生徒の大半はそつなく対応はしていた。
しかし、やはり声をかけられる人は偏りが出るようで、中でも穹が声をかけられるのが大半になっていた。
その結果、街の人達以外の、市外から来たらしい観光客の相手のほとんどを穹が受け持つようになってしまったのだった。
半ば押し付けられるようにされたために穹は恨みをぶつけるのだが、これはクラスメイト達にはどうしようもなく、声をかけてくるのは向こうが選んでるのだがら対応のしようがない。
故に何を言った所で無意味ではあるのだけれど、それでも一言言わずにはいられないのだった。
押し付けた自覚はあるものの、かと言って身代わりになるのは何となく避けたがっていたクラスメイト達は、乾いた笑うをあげるに留めていた。
示し合わせたわけでもないだろうに、全員が同じようなリアクションをするので、穹は呆れてため息しかでなかった。
そんな様子を見ていた高等部以上の生徒達は、仲の良さそうな穹達を笑って見ているのだった。
「そういや穹っちは、そろそろお店の方に行くん?」
合間を見て穹をからかいにきたのだとばかり思っていた朱音だったが、話が落ち着いた頃合いを見て確認してくる。
露骨に話を逸らしに来たなと思いつつも、穹は時間を確認する。
道を尋ねる人が妙に食事処を聞いてくるなと思っていたが、案の上だった。
昼食をするにはまだ少し早いが、店が混み始める前に入って、食事を待っている時間を考えるとむしろちょうどいい時間だったのかもしれない。
それでいて、確かに穹がお店に向かうのにもちょうどいい時間でもあった。
先輩達の動きをフォローしつつ、市外から訪れた参加者に受け答えしていたら、それなりに時間が過ぎていたらしい。
慌てるような時間でもないのは幸いだが、そろそろ向かった方が良いだろうか。
「そうだね。アヤメちゃんに言って、お店に向かおうかな」
「はいよ」
「ごめんね、忙しくなってきた時に」
「いいよいいよ。その代わりに、私達にお菓子、期待してるねん」
持ち場を離れるのを申し訳なくなって謝る穹だったが、気にしていないとばかりに朱音は笑う。
それどころか、お菓子を要求してくるくらいである。
どうせお菓子を配る為に再び通りには出てくるので、それを寄越せと言われても穹は別に問題はないのだが。
なんとも欲に忠実だなと思いつつ、他のクラスメイトや先輩達に声を掛けて、アヤメに合流するべく穹は持ち場を離れた。
アヤメは穹達とは別に行動している。
穹と同じように見回りをするというよりは、穹達を含め、高等部や大学部の生徒から送られてくる情報をまとめて問題が無いかを確認するのが主な仕事になっている。
これは高等部、大学部の生徒からもそれぞれ選ばれていて、商店街の正面広場の脇に設置された簡易本部に集まっていた。
穹が目指すのもそこであり、目的地は特に問題なく到着出来た。
ここはイベントの案内所も兼ねていて、訪れた人は必ずここに来る。
軽い案内と、各店の配置と説明の書かれたパンフレットが渡される。
主な対応は商店街の人や大学部の人がしていて、高等部や中等部、教員の人はその補佐に回っているようだ。
イベント案内所の奥で、教員と思しき人と話しているアヤメを見つけると、穹は近寄った。
話しかけていいか迷っていると、先にアヤメの方が気が付いたようだ。
穹に少し視線を向けてから、教員に何か断りを入れてから離れて、穹の方へと近寄ってくる。
気を使わせてしまって申し訳ないと思いつつ、穹も歩み寄った。
「お疲れ様、アヤメちゃん。順調そう?」
「穹もお疲れ様。そうね。今の所は大きなトラブルも無くて、一安心といった所かしら」
本部が暇なのはいい事ね。そう笑いながらも、少し疲れた様子を滲ませながら、アヤメは肩を竦めて見せる。
暇とは言いつつも、定時連絡はあるので何もないという訳ではないだろう。
加えて言えば、もし何かあれば即座に動かなければならないので、暇な時でも気は抜けない。
それが長時間続いているのだから、少し気疲れしてしまっているのだろう。
言葉にしないながらも、何となくそれが伝わってきた。
「そっか。何もないなら良い事だな」
「そうね。それで、穹はどうしてここに? 何かトラブルでもあったかしら?」
「あっと。そろそろお昼も近いから、お店の方に行くからその連絡に」
「あら、もうそんな時間?」
穹が用向きを答えれば、アヤメは驚いたように時間を確認していた。
何もないとは言いつつも、時間を確認している余裕まではなかったらしかった。
改めて時間を確認して、そろそろお昼を目の前にした時間であるのを見ると、アヤメは驚いた様子を見せた。
「結構経っていたのね。ごめんね、態々来てくれたのね」
「いいよ。アヤメちゃんの様子も気になったしね」
携帯電話でも済ませられただろうに、穹が直接アヤメに会いに来たのは、様子見も兼ねている。
アヤメとは商店街に来るまでの間は一緒だった。
けれど、やはり運営に関わる所が多いアヤメは、早々に本部に詰めてしまっていた。
穹がこうして会いに来るまでの間、アヤメとは話が出来ていなかった。
携帯からの連絡だと気が付かない可能性もあったので、折角ならばとこうして出向いたのだった。
直接会えたのはアヤメも嬉しかったのか、穹の顔を見て笑みを浮かべていた。
釣られて穹も笑みを浮かべる。やはりこうして直接会いに来たのは正解だっただろう。
「私の方も、処理が落ち着いたら喫茶店の方に行かせてもらうわね」
「お昼はこっちなの?」
「ええ。商店街の人が、お弁当を作ってくれてるの」
「そっか。じゃあ、アヤメちゃんが来るの楽しみにしてる」
「ええ」
ある程度話をして満足すると、穹はアヤメと別れた。
本部に詰めている人達にも挨拶をして、穹はノワールに向かうべく、来た道とは違う道を進んでいく。
商店街の中を歩いて向かってもいいのだが、腕章を付けたままであるので誰かに捕まる可能性もある。
また。まだ巡回している他の人に会っても気まずいというのもあって、穹は少し回り道をしてから裏の通りに入った。
道も一本外れると、途端に喧噪は遠くに聞こえるようになる。
こちらの道には、食事処となるような店もほとんどない。主にアパートが詰めてある。
その為に、こちらの道を利用しているイベント参加者はほとんど居なかった。
時折、興味本位で道に入ってみたと思しき人とすれ違う位で、イベント期間中とは思えない程いつもの光景だった。
大通りと繋がる道を通り過ぎれば、また喧噪が聞こえてくる。
そんな強弱を楽しみながら、穹はゆっくりとした足取りで向かうのだった。
吹き抜ける風はやや冷たいが、日照りも良く、日中はとても過ごしやすい。
仕事の手伝いとイベントに中てられて、自然と熱くなっていた体にはちょうど良い涼みとなる。
遠くに聞こえる喧噪が落ち着いた頃に、目的地であるノワールが見えてきた。
お昼時間ではるが、ノワールの方もいつも通りの様だ。
店の外まで人が並んでいる訳でもなく、目の前で人が入っていく訳でもない。
一見するとお店のようには見えない一軒家。古びた看板がある程度のこじんまりとした風貌に、穹はどこか安心感を覚えた。
扉を開ければ、いつものように古い鐘が入店を告げる。
店の中は、いつもの土日の昼程度の込み具合だった。
カウンターもテーブル席もまだ空きはあり、食事途中のお客さんが数名居る程度だった。
顔ぶれも、穹がお手伝いで店に居る時に見るような人ばかりだ。思い思いに、この静かな時間を楽しんでいるように見える。
「おう、おう。穹さん、いらっしゃい」
いつもの店内を見ている所に、カウンターから郷座が来店を歓迎してくれる。
ちょうどコーヒーを淹れ始めた所だったのか、置き型のミルで豆を挽いている所だった。
「はい。郷座さん、こんにちは」
「あいあい」
カウンターに近寄りながら、穹は郷座に挨拶をする。
穹が挨拶をすれば、郷座は嬉しそうに相好を崩した。
店の人にも挨拶を交わしながら、穹はいつものテーブル席ではなく、カウンター席の奥に座る。
お昼を食べるというのもあるが、これから配布と見回りを兼ねてまたでなくはならない。
のんびりも出来ないので、すぐに食器を片付けられるようにここと決めたのだ。
「あれ。穹ちゃん。こんにちわ」
席に座ってすぐだった。厨房から女性が出てきて穹に挨拶する。
出てきたのは、何と皐月だった。何か調理中だったのか、お店のエプロンを付けている。
「こんにちわ、皐月さん。それから、ちゃん付けは止めてください」
「相変わらずね、穹さんは。お昼休憩?」
「それもありますけど、お店の手伝いに。皐月さんは?」
「私も同じよ。美術班は準備期間が終われば暇になるから、タケちゃんの代わりにお店の手伝い」
ちなみに今は調理中。と笑いながら、エプロンを見せびらかしてくる。
今年は健の方が店の手伝いが出来ないと話していたが、どうやら、代わりに皐月が店の手伝いをしてくれているらしい。
何だが、もう将来が決まっているかのような関係の二人に、穹は甘酸っぱい思いがこみ上げてくる。
ただその代わりに、折角のイベントであるのに二人で一緒に居られないのは少し不憫に思えた。
極力その件には触れないように注意して、穹は早速とばかりに注文する。
「それじゃあ、オムライス、お願いしても良いですか?」
「いいわよ。飲み物は何にする?」
「オレンジでお願いします」
「分かったわ。ちょっと待っててね」
穹が注文すると、皐月は笑顔で頷いて厨房に戻っていった。
と思ったらすぐにまた出てきて、穹の前に水を置いてくれる。
お礼を言うとすぐにまた厨房に戻った皐月を見送って、一口水を飲んで口の中を潤した。
コーヒーを注文しないので、郷座は少し残念そうな顔をしていたが、ここでコーヒーを飲んでしまうと完璧に居座ってしまいそうで我慢してもらいたい。
その代わり、イベントが終わればゆっくりさせてもらおうと、今後の予定を頭の中に入れておく。
注文が来るまで手持無沙汰になった穹は、ゆっくりと水を飲みながら時間が過ぎるのを待つ。
店内のジャスが心地よく、他のお客さんの話声が微かに聞こえてきたりして、ただ待っているのも退屈しない。
朝から動き回っていたのもあって、ほんのりと眠気を感じてきた頃。
厨房から、皐月が顔を出した。手にはオムライスが盛られた皿とオレンジジュースの入れられたグラスが乗せてあるトレイを持っている。
「はい、お待たせ。出来栄えは気にしないでね」
「ありがとうございます」
皐月はある程度の料理は出来るので、こうしてお店で出す料理を作る時がある。
流石に調理師免許まで持っている訳ではないので、実際の所は大丈夫なのかは不安だが。
そこは片田舎の小さな喫茶店だ。
何も食事をメインに訪れるお客は少ないし、本格的に料理を作って提供するとなれば郷座が対応する。
こうして料理を作って出しているのは、一重に、ほとんど身内と言ってもいい穹だからこそだろう。
皐月が作ったのは、卵が半熟タイプのふわとろオムライスだった。
好き嫌いがあるわけでもこだわりがあるわけでもないので、郷座の作る固めのオムライスも、皐月の作るふわトロのオムライスも、穹は好きだった。
もっとも。卵の固さは変えられても、味付けはそうそう変えられない。
一口よそって口に含めば、それはいつもの慣れ親しんだ味だった。
具材も調味料も同じなのだから、見た目は違ってもこれはノワールのオムライスであるのには変わらない。
口に広がる仄かな酸味を感じて、穹は自然と笑みを浮かべた。
「ほんと、穹さんはここのオムライスを美味しそうに食べてくれるわね」
注文が落ち着いたのか、穹にオムライスを届けてから皐月はカウンターの向こうに待機していた。
備え付けのサラダを飲み込んでから、穹はうんと頷いた。
「やっぱり、ここのオムライスは大好きですから」
「穹さんに認めて貰えたのなら、私もまずまずって所ね」
穹の感想に嬉しそうに答えながら、皐月は棚の一つからグラスを一つ取り出すと、水差しから水を補給して飲み始める。
皐月との雑談を話しながら、穹も自分の食事を楽しんだ。
「ここでお菓子を作ってから配りに行くみたいな話だったけど、穹さんは今はのんびりしていていいの?」
「はい。本当は今日作っていくつもりだったんですけど、友達から進められて、準備期間中に作り置きしていたんです。なので、今日は配るだけですね」
以前に話していた時と状況が違うのに皐月は疑問を浮かべたようだったが、穹はその経緯を簡単に話す。
ここ一週間は準備の手伝いくらいしかしていなかったので、比較的、ノワールに来てお菓子を作り置きする機会が多かった。
本当なら、今日の午前中から作っていくつもりだったのが、お陰で朝から作っていく必要もなくなった。
準備もゆっくりできたので、ある程度配る分に関しては問題ない。ラッピングも丁寧に出来た。
なので今日は、見回りついでのお菓子配布に集中できる。
「そっか。そう言えば、私がまだ制服着て通ってた時なんかも、見回り組の子達は準備期間は暇にしてたっけ」
空の説明と、穹の腕に付けられた腕章を見て、皐月はしみじみと納得する。
皐月も穹と同じ学校であるので、当時の準備期間についても熟知している。
見回り組が準備期間中は比較的暇にしているのは、いつの時も同じだったのだろう。
中等部や高等部の負担を減らす措置だったとはいえ、手が空いて少し暇になるのも伝統の様だ。
その伝統のお陰で穹は助かったのだから、感謝しなくては。
オレンジジュースを飲みほして、穹は一つ頷くと立ち上がった。
「ごちそうさまでした。じゃあ、お菓子配りに向かいますね」
「うん、よろしく。ごめんね、私店の方に居るから手伝えなくて」
「大丈夫ですよ。好きでやっている事ですから。お会計を」
「いんや、今日はええよ」
立ち上がって会計をしようとする穹だったが、それを郷座が止めた。
どうしてだろうと穹が見れば、カウンターの下から郷座は挽き終わったコーヒーの豆を入れた袋を取り出している所だった。
「お菓子を配ってくれるんだ、一食くらい、給金として受けとっときな」
「でも」
「郷座さんが良いって言ってるんだから、穹さんは甘えときなって」
郷座が理由を話してくれたが、穹は少し心苦しく思えた。
そんな穹に、遠慮はするなと皐月が笑顔で答える。
まだ少し納得しきれてない穹だったが、二人にこう言われてしまえば何も言えない。
ここは素直に好意に甘えておくべきだろう。
言葉を飲み込んだ穹は、二人に向かって頭を下げた。
「分かりました。その代わりに、今日配る分、全部きちんと捌けてきますね」
「あいあい、そうしてくれ」
「穹さんが張り切ったら、店が忙しくなりそうだけどね」
「そうはならないと思いますけど」
「穹さんは、もう少し自分の素材の良さに自身を持った方が良いわよ」
容姿の良し悪しに自身がないというより、言われるのが恥ずかしいんですけど。
皐月の言葉にそう言いたい穹だったが、藪蛇になりそうだったので止めておいた。
もう一度郷座にお礼を言ってから、穹はカウンターを回って厨房に入る。その時に、空になった皿とグラスを持っていくのも忘れない。
皿とグラスを洗い場に置いてから、穹は棚の一つを開けると中からお菓子を詰めた袋を取り出した。
用意していた分があるのを確認すると、持っていたバッグから袋を取り出す。やや大きめの紙袋それぞれに、クッキーとカップケーキを詰めていく。
クッキーを多めに作っているので、半分より少ない紙袋の方には、上からカップケーキを入れておいた。
入れ忘れが無いのを改めて確認してから、穹は厨房を後にした。
店の方に出ると、郷座の方もコーヒーの準備が終わっていたようで、厨房から出てきた穹に紙袋を渡してくる。
「ほい、これを頼んだよ」
「はい、確かに受け取りました」
それほど数は用意していなかったのか、穹が用意していた紙袋よりもやや小ぶりだった。
中を確認して、その個数を改める。二十人程に配れば無くなりそうな数だった。
これなら、余り時間をかけずに配り終えられそうだ。
親子連れの市外の人に、それとなく聞きながら配れば十分だろうか。
「じゃあ、穹さん。よろしくね」
「はい。それじゃあ、行ってきます」
「あいあい、気ぃ付けてな」
郷座と皐月に挨拶をして、穹は店を出た。
古い鐘の音を扉越しに聞きながら、穹は商店街の大通りに向かう。
時間帯的にも、そろそろ穹達のグループも昼休憩から終わる頃だろうか。
店の手伝いとしてお菓子を配るのに、少しの緊張を覚えながら、穹は良しと気合を入れて大通りに足を踏み入れた。
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