風使いー穹-

風に愛された少女
村上ユキ
村上ユキ

028 少女の孤独

公開日時: 2023年3月12日(日) 20:25
文字数:3,833

 冬が近づいてきたこの時期、早い時間であっても外は薄暗くなってくる。


 少女が歩いているのは、外灯の少ない商店街の裏の通りだった。


 一軒家の多い住宅街と違って、商店街裏の通りはアパート等が多くなっている。年期の入ったアパートが立ち並び、合間を埋めるように平屋が立てられていた。


 帰宅途中だろう、疲れた表情のサラリーマン達がとぼとぼと歩いていた。


 そんなサラリーマン達も、美しい少女が横を通れば思わず振り返って見てしまっている。


 そしてその少し珍妙な格好に首を傾げた。


 白金の糸を編み込んだかのような美しい髪。少し愁いを帯びた表情をしているが、テレビや映画の中ででしか見たことのないような美しい顔。


 誰が見ても、美しいと、声を揃えて言うような少女だ。


 しかし、寒くなって来たと言え、まだ秋と言えるようなこの時期にもかかわらず、彼女の格好はかなり着込んでいる。


 首には厚手のマフラーを隙間なく巻き、着ているコートは高級そうではあるがこちらも厚手。ほっそりとした足は、これまた生地が厚そうなタイツに包まれている。


 まるで雪国から帰ってきたばかりのような出で立ちで、少女の美しさに見惚れた後に、その格好に首をかしげるのだった。


 好機と奇怪さの交じりあったかのような視線を向けられているが、少女は全く気が付いていなかった。


 そんな視線が気にならないほどに、少女のこの格好は致し方ないのだったのだ。


 各地に赴く機会は多く、その度に気候には悩まされていた。


 特段、食べ物に困ったことはない。食が細いというのもあるが、長い期間留まる訳ではないので食べられる物を食べればよかった。


 どうしようもないと思ったのは、気候の方だった。


 暑いのは我慢できた。ある程度薄着をすれば耐えられたし、室内に居ればそれほどでもなかった。


 しかしこの世界は寒い。いくつもの場所を訪れたが、ここまで寒いのは初めてだった。


 自分が寒いのが得意ではないのを、少女はこの時に知った。現地を歩き回って防寒対策をして、今の格好になってようやく落ち着いた。


 これで耐えられるだろうと思っていたのだが、まさか、この寒さがまだ序の口だと聞いて驚いた。


 冬と呼ばれる時期があり、そうなると雪と言う物が降り積もるらしい。


 どうやら水が凍結して結晶となって空から振って来るそうだ。聞いただけでも、体の芯から寒気が襲ってくる。


 早く目的を果たして、自分の元居た世界に帰りたくなる。


 狭い街とは言え、小さな宝石一つ。そしてそれを持っているのは世界的な犯罪者と来ている。もうこの街には居ないかもしれない。捜索は絶望的かに思っていた。


 しかし街の人に話を聞いている内に、ここ最近で、妙な事件が多発していると言う話を聞けた。


 時期狂いの桜が咲いた。公園で幽霊が出た。つい先日では、河川敷の方で大きな音が立て続けに響いた等だ。


 その話のすべては、ここ一か月ばかりの出来事であるらしい。


 噂が派手に広まっているのには驚いたが、それらの事件はすべて、少女側からのアクションによって起きたのには間違いはない。


 すべては、調査の為に送り出した人形が引き起こした事件だ。


 自然の力が乏しいこの世界に送り込んだために、人形達が妙な挙動を起こしてしまったのだろう。


 表立って介入できない為に、話が広まったのは仕方がない。対向組織が動き出す前に回収するしかないだろう。


 だが朗報でもある。こうして人形の起こした事件が発生しているのであれば、風の結晶はまだこの街にある。


 派手になったのは仕方がないが、人形達が反応を起こしたのであれば、まだここに風の結晶があるという証明に他ならない。


 上手くいけば、予定より早く回収できるかもしれない。そうなれば、大切な人に良い報告が出来る。


 それを思うだけで、少女の足取りは軽くなった。


 薄暗くなった路地を何度か曲がり、少女は今の仮住まいとしている小さなアパートにたどり着いた。


 合計八部屋しかないような、二階建ての古ぼけたアパート。外壁は所々が剥がれていて、申し訳程度の庭には手入れされていない草が生え放題になっていた。


 幼い少女が一人で住まうには少々不安な物件だが、少女は全く気にせずに、建物の敷地に入る。


 少女が借りているのは、建物の二階の奥から二部屋目。コートのポケットから鍵を取り出すと、そこだけ妙に新しい鍵穴に鍵を差し込んで解錠する。


 人の気配が少ない通路の解錠の音が響き、少し軋むような音を立てて扉が開く。


 人が一人通るのがやっとの玄関と廊下。入り口すぐには調理場があり、少し視線を奥に向ければ唯一のリビングが見える。どこにでもあるような、一人暮らし向けの一般的な間取りだ。


 少々の贅沢と言えば、風呂とトイレが別になっている所だろうか。


 科学が発達した世界に来たのだ。特にこの国は衛生面にはかなり力を入れていると聞いていたので、折角だからと、そのスタイルを満喫したかったのだ。


 事件発生の多い地域に住むという都合上、防犯の面では少々不安な面の残る物件にしか入れなかったが、少女は気にしなかった。


 最悪、もし自分に何かしらの欲望を向けてくる何某が現れた時には、遠慮なく防衛させてもらうつもりだった。


 壁のスイッチを押せば、古くなった蛍光灯が何度か瞬いて、部屋を照らし出した。部屋の中は、最低限の家具しか揃えられていない。


 服を入れる小さなクローゼットが一つ。食事をするためのローテーブルが一つ。安物のベッドが一つ。それだけだ。


 どうせすぐに引き払うつもりなので、家具は揃えていない。第一、これだけあれば充分に生活できた。


 玄関に入って鍵を閉めると、服を脱ぎながら少女は部屋に入る。


 備え付けの暖房をすぐにつけて、脱いだ服はクローゼットに無造作に入れていく。


 少々時間はかかったが部屋が充分に温まると、少女はシャツ一枚だけの格好となる。


 ローテーブルに買ってきた総菜と、途中で買い足したコンビニの水を添える。


 食事にこだわりのない少女は、最低限食べられればそれでよかった。幸いこの街では、出来合いを売っている店が多い。短期であれば、それらを買ってしのげは事足りたのは便利だった。


 ローテーブルの前に座り、手を胸の前で組んで祈りを捧げる。元の世界に居た時からの習慣は、変わらず続けていた。


 祈りが終わり、少女はもそもそと総菜を食べ始める。


 元の世界の食事が恋しいわけではないが、食事の風景は変わらないように思えた。


 総菜の一品だけなのもあって、少女の食事はすぐに終わってしまう。食事を終えてまた祈りを捧げ始めた少女だったが、すぐに顔を上げた。


「え? あなたを認識した子が居たの?」


 驚いた顔で、少女は虚空に向かって問いかける。


 あたかも、そこに誰かが居るのかのような問いかけだったが、はた目には誰かが居るようには見えなかった。


「そう。いつ? 私が帰り際に、すれ違った女の子……ああ、私を熱心に見ていた女の子が二人、確かに居たわね」


 記憶を思い出すかのように、少女は頷いた。


 この世界に来てからと言う物、自分が周囲から向けられる視線が多いのには気が付いていた。


 恐らく、この世界の基準で見ても、自分の容姿が整っているからだろうと少女は察していた。


 どうにもならないので、少女は無視していた。不愉快ではあるのだが、周りにいちいち反応していては切りがない。そう言うものだと割り切っていた。


 その中に、確かに今日、自分を熱心に見る二人組の少女が居たのは記憶に合った。


 どうせいつもの視線だろうと思っていたのだが、どうやら、その内の一人は違ったらしい。


 自分を見ていたのもそうなのかもしれないが、更に別に、自分の力の意思にも目を向けていたのだという。


「まさか、この世界に自然の意思と契約できる人が居るとは、思えないのだけれど」


 科学の発展した世界は得てして、使役者が生まれにくい環境になっている。


 片鱗として特異体質や能力者が生まれる時はあるけれど、一定の力を持った使役者が生まれる可能性は低い。


 結晶が発生したとしても、それを扱える知識も無ければ、扱うのに必要な道具すらないのだ。


 大抵は宝石に加工されて、普通の装飾として扱われてしまう。こちらの世界では貴重な結晶が、安物の装飾具に取り付けられていたのを見た時は驚いたものだった。


 それを思えば、使役者が生まれるとは考えにくい。しかもこちらを認識できるほどの強力な使役者なら尚更だ。


 もし、可能性があるとすれば。


「その子はもしかして、あの泥棒の関係者?」


 一つの可能性を思い浮かべて、少女は眉を潜めた。


 あり得ないとは思わないが、現地の子供が選ばれるとは思えなかったのだ。


 少女からすれば、コソ泥としか言いようのないカッツェ=ローキンスではあるが、世界的見れば大犯罪者である。有象無象では近づくのもかなわない程の存在である。


 いわく、並の精神の持ち主では、近づいただけでも気を失ってしまうとも言われてしまう。


 猫のように気まぐれで、獅子のように全てを統べる存在。悪の道に走るなら、あいつの前に立って見せろ。


 多くから語れるそんな存在に、果たして、この世界の子供が真っ向から対峙して正気で居られるのだろうか。少女はそこを危惧したのだ。


「でも教えてくれてありがとう。まだローキンスもこの辺りに居るみたいだし、その子にも接触して見て、情報を集めてみるよ」


 虚空に向かって、少女は優し気な笑みを浮かべる。


 その顔は慈愛に満ちていて、話しかけるその存在が、とても大切な者であるのが伺える。


 その存在が、苦しんでいるのには、欠片も気が付いていなかった。

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