一晩明けて、イベントは予定通り開催されると、学校側から連絡があった。
連絡を受けて早速、アヤメにも確認して詳しい話を尋ねてみた。
昨夜少し騒ぎがあったらしいが、以前のように装飾品が壊された被害はなかったそうだ。
イベントに差し障るような異常は見受けられなかったので、流石に見回りの効果があったと判断されて、商店街のイベントをそのまま開催するという流れになったのだ。
話を聞いて、穹は無事に開催れるのを素直に喜びつつも、申し訳ない気持ちもあった。
少しの騒ぎと言うのは、間違いなく穹が起こした『影』との騒動で間違いない。
カッツェが上手く誤魔化してくれたお陰で、不審には思われても、大事にはならなかったようだ。
監視の人達やイベントに関わる人達に余計な心配をかけてしまったのに、穹は罪悪感を覚えるのだった。
そうは思ってもイベントは開催されるのだ。休みにも関わらず早くに起きた穹は、少し気落ちしつつも、三柴家の朝食に顔を出した。
今日の穹は、制服ではなく私服である。
今回のイベントに参加する生徒の内、見回り業務を請け負っている生徒は制服での参加を義務付けられている。
今回のイベントに参加するのは、課外授業の一環としてみなされるからだ。
本来であれば穹も制服で参加する予定だった。見回りとして参加する以上は制服なのだが、今日の穹は、喫茶店『ノワール』のお菓子配りがメインとなる。
なので、店側での参加するにあたっては制服だと不便だろうからと、アヤメや学校側とも相談して、私服で参加するのを許されていた。
一応、派手になり過ぎないようには配慮した服装にはしている。白いシャツにパーカーを羽織り、下はぴったりとしたジーンズ。無難にまとめていた。
リビングに降りると、朝食はすでに準備されていた。
休日は三柴家の両親二人だけで取るのがほとんどなのだが、事前に連絡をしていたので、食卓には穹と海人の分も用意されている。
「おはようございます、穹さん」
「ああ、穹さん。おはよう」
穹が姿を現すと、ちょうど席に着いた紅葉がにこやかに挨拶をして、それに続いて昭雄も挨拶してくる。
海人の姿は見えないが、朝食がまだあるのを見るに、まだ起きてきていないのだろう。
「おはよう、ございます」
ややぎこちなく挨拶をしながら、穹は昭雄の向かいに座る。
挨拶がおぼつかないのは、まだ穹の気持ちが整理しきれていないという表れだった。
穹の挨拶に気にした風も無く、紅葉と昭雄は挨拶をしてくれただけでも嬉しいのか、にこやかに笑ったままだ。
そんな二人に気後れしながらも、穹は大人しく、全員が揃うのを待つのだった。
「今日は晴れてよかったですね。確か、商店街の祭りは喫茶店の方のお手伝いをするんでしたよね、穹さんは」
穹の器にご飯をよそいながら、紅葉は気軽に話しかけてくる。
「えっと、はい」
何でもないような会話の振りなのだが、穹はつい身構えてしまい、返事が遅れてしまう。
紅葉が話した内容は特別な何かがあるわけでもない、ただの確認めいた話題だ。別に、穹がノワールの手伝いをするのを咎めたわけではない。
それが分かっていながらも、つい、悪い行いをしているのではないかと言われているかのように思えてしまう。
分かっていても身構えてしまう自分に悪態をつきながら、穹は茶碗を受け取りながら紅葉に頷いて見せた。
「お店にも、喜んで貰えてます。学校にも、許可は、とったので」
「そう。仕事でイベントには参加できなくて残念です。とても美味しいから楽しみにしてたのに、穹さんの作るお菓子」
穹に茶碗を渡して席に座り直してから、紅葉はとても残念そうに肩を落とす。
気持ちは同じなのか、隣の昭雄も紅葉の言葉に頷きながら同意していた。
じゃあ、カップケーキとクッキー、少し残しておくね。
そんな簡単な返事をしてしまえば楽なのだが、穹は曖昧に笑うしか出来なかった。
気遣いは出来るのに、それを言葉に出来ない程に、穹は二人に距離をとってしまっていた。
「おっす、おはよう」
ついため息がこぼれそうになった時だ。二階から海人が下りてくる。
海人の方は、イベントには参加するが、見回りではないので制服は着ていない。トレーナーにジーンズと、かなりラフな格好だ
。
課外授業と言うのもあって、学校にはイベントに参加する旨を伝えなければならない。
その時服装のチェックも入る。もし派手だと学校側に判断されてしまうと、家に帰されて着替えてから出直す羽目になる。
そういった点で見れば、ラフな格好とは言え、海人の格好もまた派手ではない。
その辺りは、何回か参加している海人の慣れなのだろう。穹から見ても、問題ないような恰好だった。
「ああ、おはよう」
「おはよう。早く食べないと遅れるわよ、海人」
「はいはい」
ゆっくりとした時間に置きだしてきた海人に、昭雄は苦笑いを浮かべながら挨拶を返し、紅葉は挨拶を返しながらもほんのりと注意する。
遅れるとは言っても、参加時間に決まりはない。ただ、早めに行かないと点呼に集まる生徒でごった返して、イベントに参加できる時間が短くなってしまうだろう。
それでもこの時間に起き出してきたのは、海人の友人と待ち合わせか何かをしていたのだろうか。
穹の方は見回りの仕事もある為に、早めに集合しなければならないのでこの時間ではあるのだが。
空返事をしながら、海人は穹の隣へと座った。
「おはよう」
「おう。穹は今日、イベントを手伝う側だったか。がんばれよ」
穹も返事をすれば、海人は軽く返事をして、紅葉に茶碗を渡してご飯をよそって貰っていた。
この辺り、軽く話して貰えたのに穹は感謝した。
今しがた紅葉と話したばかりなのもあって、余り深く広げてほしくなかったのだ。
さして興味も無いために、励ます程度にしたのだろうが。穹には有り難かった。
ご飯をよそった茶碗を海人が受け取った所で、四人が挨拶をして朝食を食べ始める。
いつもの三柴家の団欒が始まるのだが、今日は少しだけ、穹も混ざっていた。
先ほどまでの心苦しさもあり、せめてもの償いであるとでも言うように、三柴家の会話に返事をする。それは以前よりも積極的である。
とは言え、穹の言葉数は少ない。今日の予定でもある、喫茶店の手伝いで何をするのかを伝えてからは、三柴家の質問に頷いて答える程度になってしまう。
そんな穹を察して三柴家はそれぞれ会話を楽しみ始める。
いたたまれなくなった穹は、食事を早めに済ませると、早々に席を立った。
「ごちそう、様でした」
「はい、お粗末様です。穹さん」
小さく食べ終わりの挨拶をすれば、紅葉が笑みを浮かべながら答えてくれる。
軽く会釈すると、穹は自分の食器を洗い場に置くと、自分の部屋に向かった。
早くこの場を去りたいと思ったのもあるが、カッツェの様子が気になったのも大きい。
いつもの時間に起きた穹だったが、カッツェはその時まだ目が覚めていなかった。
まだ体調がすぐれないのだろう。朝食が終わって時間が経ったのもあって、起きたのかどうか確認したかった。
まだ寝ているのを考慮して、穹はゆっくりと自室の扉を開ける。
カッツェはまだ自分の寝床であるクッションに横になっていたが、起きてはいたようだった。
穹が扉を開けたのに気が付くと、耳をピクリと動かして頭を上げた。
まだ気だるそうにはしているものの、穹を真っすぐに見返してくる。
「ああ、おはよう穹」
気だるげな態度に漏れず、カッツェの挨拶もどこか気だるげだ。
倒れてから一晩たったが、やはりまだ体調は芳しくないらしい。
挨拶だけ済ませると、再びクッションに倒れこんでしまった。
起き上がれるまで回復したのは喜ばしかったが、まだ元気のないカッツェを心配して、穹は近寄った。
「やっぱり、まだ辛いの?」
「まあ、穹が初めて魔法を全力で使ったくらいには」
穹が具合を尋ねると、カッツェは苦笑いを浮かべながら答える。
その一言だけでどれだけ辛いのかを察して、穹も苦笑いを浮かべた。
「それは辛いね。カッツェも使役者なはずだけど、どうして、いつもと違って今回はこうなったの?」
会話をするのも大変だろうと思いながらも、穹は昨日感じた違和感を聞かずには居られなかった。
カッツェは魔法を使う時には、いつも魔法陣の様な物を展開していた。
しかし昨夜自然を使役した時には、それはなかった。
穹には無言で力を使っているようにも見えたし、ここまで疲れた様子を見た覚えもない。
普段とは何か違ったのだろうと察せたのだが、それ以上は分からないのだ。
不思議に思って尋ねる穹だったが、やはりというか、カッツェの答えは緩慢だった。
「それはまあ、ボクには変わった事情があってね。説明は、また今度にしといてくれ」
説明するのも億劫だとでも言うように、穹の質問に対して答えを濁しながら、カッツェはそれきり黙ってしまう。
無理に答えてもらおうと思っていなかったが、どうやら今は答えて貰えないらしい。
仕方が無いかと思いつつ、穹は出かける準備を始める。
机の上に置いておいた鞄を肩に掛けて、充電しておいて置いた携帯をポケットにしまう。
「ご飯はどうする? 食べられそう?」
「今日は遠慮しておく。怠い」
「そっか」
予想通りと言えば予想通りの答えに、穹は頷いた。
今日予定通りにイベントが進めば、夕方くらいには帰って来られるだろう。
食事をするのも辛いと言っても、何も食べないのではそれはそれで体に悪い。
朝と昼を抜いてしまえば、流石にお腹もすくだろうし、その頃までには何か食べられるくらいには回復しているだろう。
いつもは猫の餌で我慢してもらっているが、今日くらいは、何か人らしい食べ物を買って帰るのもいいかもしれない。
コーヒーやオムライスだって食べられたのだ。普通なら猫の体的に悪い物を買って帰っても、たまになら大丈夫だろう。
「じゃあ、帰りに何か買って帰るね。何かあれば、遠慮なく連絡ちょうだい」
「あいよ。肉がいい」
「はいはい」
遠慮なしに肉を要求してくるカッツェに笑いを噛みしめながら、穹は部屋を後にする。
三柴家の両親はまだ家に居るようだった。
リビングを通る傍ら、食後にのんびりしている二人に軽く挨拶をして、穹は家を後にする。
穹もまた、イベントに参加するに当たって、学校に報告する必要があるからだ。
日曜日は流石に自由参加であるために報告義務はないが、これも振替として月曜日に休むのに必要なのだと諦めている。
イベントの開始までにはまだ早いが、学校への報告に向かう生徒がちらちらと目に入る。
ほとんどの生徒が私服の中で、制服に身を包んでいる生徒も見受けられる。
穹の学校の制服は目立つために、その姿は少ないながらも目についた。
中には穹のクラスメイトの姿も見られて、遠目に目が合うと軽く手を振りながら朝の挨拶をしていった。
少し遠回りをして商店街の傍を歩いて見れば、既に店の人達が開店準備を始めている。
イベントの開催と言っても、店の営業時間が早まるわけではない。
けれど先に準備をしているためか、商店街からは、普段と違う甘い香りが漂ってくる。
これからイベントが始まるのだと思わせる匂いに心を躍らせながら、穹は学校へと向かう足を早めたのだった。
緩やかな坂道を歩いていくと、学校の校門が見えてくる。
大勢の生徒が押し寄せるために、態々中に入る手間を惜しんで、各担任が校門の近くに待機している。
早めに来たがすでに結構な人数が集まっていて、担任が居るであろう場所に当たりを付けて、穹も集合場所へと足を向ける。
「穹」
担任を探している時だった。不意に、穹は後ろから声をかけられる。
振り返れば、制服を着たアヤメが立っていた。
すでに仕事モードなのか、彼女の手はプリントの束を抱えている。
朝早くから大変だなと思いつつ、穹はアヤメの姿を見ると笑みを浮かべた。
「おはよ、アヤメちゃん。晴れて良かったね」
「おはよう、穹。本当、天気が崩れなくて安心したわ」
穹が挨拶をすると、アヤメも笑みを浮かべて挨拶を返す。
アヤメと合流した穹は、並んで歩き出す。
アヤメは担任がどこにいるのかを把握しているのか、誘導するように生徒の間を歩いていく。穹も素直に後ろを着いて歩いた。
「アヤメちゃんは、まだ学校で用事?」
「ううん、ちょうど終わった所なの。他のみんなと合流してから、実際に見回りに行く感じかしら」
「そっか。じゃあ、商店街に行くのはみんなと一緒かな」
「そうしてちょうだい」
ざっくりと動きの確認をしていると、穹のクラスの担任が目に入った。
担任の前にはすでに何人か生徒がいるが、私服組はいくつか話をするとすぐに離れていく。
傍に残っているのは、見回りを担当する制服の生徒ばかりだ。
そんな中で私服でいるのに申し訳ないと思いつつ、穹も集団の中に混ざって点呼が終わるのを待った。
生徒はまだ全員集まっていないが、見回りを担当する生徒は全員集まっていた。
担任は点呼がある為に説明は出来ないからと、この後の説明をアヤメに任せていた。
アヤメも今日の概要は把握しているので特に問題ないようで、説明を任されても素直に頷いていた。
折を見て、今日の見回りの説明は受けていたので、今になっての説明と言っても最終確認くらいだ。
この後に高等部と大学部の生徒とも合流して、商店街へと向かう。その後は適度なグループに分かれて、イベントを楽しみつつ、先輩達をフォローを行うと言った流れだ。
ピークとすれば、お昼ごろがそうだろうと予想されている。これも例年通りらしく、お昼ごろは人が増えるので、それに比例して仕事が増えるのだ。
なので今の時間からお昼ごろまでは、生徒達の負担はそれほどでもないだろう。
お昼から、イベントが終了するまでの時間が忙しくなるので、それまでは息抜きの時間だ。
「穹は、お昼くらいからお店の方かしら」
ある程度の説明を終えて、先輩達と合流しようという流れになった頃。
歩きながら穹に近寄ったアヤメが確認してくる。
勝手の違う穹は、程ほどに生徒との見回りが終われば、お店に向かう。
時間帯的には、お昼手前の、ある程度作業に慣れてきた頃合いに向かうだろうと穹は考えていた。
アヤメの確認に、穹は頷いた。
「そうだね。皆でイベントを少し見回ってから、お店に向かうかな。お昼までは、お店も暇だろうし」
イベントが開催されると言っても、ノワールの方はほとんど平常運転だ。
早めにお店を開けても誰も来ないし、立地的に目立たない場所にあるので客引きをしない限りお客は増えないだろう。
お昼時に店を開けるために、朝早くから行っても穹は店にすら入れないのだ。
あくまで穹はお手伝い。それに今日は半分ボランティアだ。
開店作業のお手伝いなど、尚更穹の仕事ではない。
なら、今からお昼まではみんなと回って、イベントを楽しみつつ見回りをしようと思っていた。
お菓子の方は事前に準備を終えてお店に預けている。ゆっくり向かっても問題なかった。
穹が頷いたのを見て、アヤメも頷いて返した。
「分かった。お店に向かう時には私に言ってね。先輩や担当の先生にも伝えるから」
「ありがとうアヤメちゃん」
そうして話ながら歩いていくと、高等部の制服を着た生徒が集まっている場所に到着する。
大学部には制服は無いため、見回りを担当している証明として、腕に腕章をつけていた。
人数は、各学部で十名ずつ。これをそれぞれ割り振って、適度に見回っていく予定だ。
とは言え学生の集まりである。見回りと言っても堅苦しい雰囲気はなく、仕事とは思えない程に緩やかな空気が流れていた。
「あ、君が穹さんかな?」
到着してそうそう、穹は声をかけられる。
見れば、腕章を付けた大学部の女生徒が近寄ってくる所だった。
どうして分かったのかと少し訝しんだ穹だったが、中等部の見回りで制服を着ていないのは穹だけだ。
明らかに中等部なのに私服姿を見れば、すぐに分かるのだろう。
「はい。私がそうです」
「良かった。じゃあ、これ。制服じゃないから、代わりにこれを付けて貰っても大丈夫かな?」
穹が返事をすると、その人は安堵しながら腕章を渡してくる。
渡された腕章は、大学生が付けているものと同じものだった。
なるほど。中等部や高等部は制服姿であるのが見回り担当である証明になるが、穹は私服だ。
見回り担当であるのを示すために、大学部の生徒と同じように腕章をつけるのだろう。
「分かりました」
「穹、付けてあげる」
特に反論はないので、穹は素直に受け取ろうとした。
そこですかさず、アヤメが代わりに腕章を受け取って付けようとしてくる。
どうしても構いたいのだと思い、穹は苦笑いを浮かべながら任せることにした。
「仲が良いのね」
そんな二人を見て、女学生は微笑ましそうに笑う。
「もちろんです」
女学生の言葉に、アヤメは笑顔で即答する。
平常運転のアヤメに穹は再び苦笑いを浮かべ、女学生はますます笑みを強くしていた。
アヤメがかいがいしく腕章をつけるのに任せながら、用事が済んだ女学生は穹達から離れていく。
腕章は安全ピンで止めるタイプだったが、今はパーカーなため特に気にはならなかった。
付けられた腕章の位置を確かめてアヤメにお礼を言うと、ちょうど、点呼が終わって移動が開始される所だった。
大学生と高等部に続いて、穹達も移動する。
ぞろぞろと歩く姿は、何だか集団登校みたいで面白かった。
余計に広がって迷惑をかけないように気を付けながら、穹達は商店街を目指す。
土曜と言うのもあって、時間はそれなりに過ぎているが人通りは少なかった。
それでも、商店街の方は賑やかな雰囲気が漂っている。
イベントの盛り上がりを期待しながら、穹は商店街へと踏み込むのだった。
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