風使いー穹-

風に愛された少女
村上ユキ
村上ユキ

003 日常

公開日時: 2022年8月28日(日) 20:13
文字数:8,830

 時間ギリギリではあったが、今朝も遅刻は回避し、平穏に過ごす事ができた。


 時刻は進んで、もう少しで昼休憩に差し掛かると言った頃。この日の昼休憩前の授業は体育で、体育館は生徒たちの熱狂に包まれている。


 穹が住む地域の特色、と言う程ではないが、この学校は市内で一番大きな学校だ。その為、通っている生徒のほとんどは幼い頃からの付き合いが多く、団結力が高い。


 悪乗りで悪口や軽いいじりをすることはあったとしても、特段険悪な雰囲気になったり、誰かが爪弾きに合ったりはしていない。程よい距離感を保ちながら、全体的な友人関係は良好と言える。


 他クラスに仲が良い友人がいるとなれば話は別だが、クラス内での男女仲もこれと言って問題はない。恋愛関連はお察しだが。


 思春期真っ盛りと言えるこの頃の学生としては珍しい兆候だが、女子が積極的に動き、男子も協力的と言うのも大きい。お陰で、クラスの雰囲気はとても明るい。


 そして、そういったまとまりがあるのは、穹と言う少女の存在がいるからだった。


 クラスのムードメーカーと言う程ではないのだが、彼女は何かと注目を集める。


 男女分け隔てなく接し、笑顔が絶えない明るい少女。容姿が整いすぎていて女子から少しのやっかみと、男子から少し距離を置かれているが、基本的には話しやすい。勉強は平均的だが、運動神経は無駄に良い。


 そんなクラスに一人は欲しい、話題の中心になれるような女の子。それが穹だった。本人としては、普通の学生をしているつもりだろうが。


 ただ本人も認めているが、穹は運動神経が良い。体を動かすのが好きなので、スポーツ関係の行事には積極的に参加している。


 残念ながら、家庭の事情があるので部活動には参加していないが、そのスポーツセンスは本格的に部活動に参加している生徒たちから注目されていて、日に何度かは軽く勧誘を受けているほどだ。


 本人も悪いと思っているのか、入部はしていないが、練習試合の補充要員程度には手伝いをしていたりする。


 今回の体育はバスケットボール。総当たりの試合形式で進められていて、ちょうど、穹が所属するチームが最後の試合を行っている所だった。


 穹が相手をするチームは、ここまでの試合全戦全勝しているチームだ。


 連勝の理由は単純。クラスメイト全員参戦するこの体育、チームは男女混合。ハンディとして、男子の得点は一点、女子の得点は三点、という縛りが設けられている。少し厳しいが、許容できる範囲だ。


 このチームは男子二人と女子三人。動き回る男子が少ないので、本来であれば善戦できればいい方と言う構成。所が、メンバーが問題だった。男子の一人と女子二人が現役バスケ部員、他二人も小学生まではバスケ経験者と言う、パワーバランスが最悪の組み合わせだったのだ。


 苦情が殺到するも、後の祭り。試合は始まってしまい、このチームは悪い笑顔を浮かべながら連勝を重ねていった。このチームだけは、最高の気分で昼休憩を迎えていたに違いない。


 そう、最後の試合で、空の所属するチームと当たるまでは。


「っくそ」


 ほぼリーダー格となっていたバスケ部の男子生徒は、思わず悪態をついていた。


 最終試合、彼の所属するチームはダブルスコアで負け越していた。


 彼らの初の苦戦に、悔しい思いをしていた他のクラスメイト達は声が枯れんばかりに穹のチームを応援している。


 その声援に答えるかの如く、悪態をついた彼の脇を穹は駆け抜け、鮮やかに得点して見せた。


 穹の動きに彼らのチームは全員が悔しそうに顔を歪め、コート外の生徒たちは更に声援の音量を上げる。


 更に得点した穹を、チームメイトは喜んで迎え入れる。自陣コートに戻った穹も、笑顔で喜びを分かち合った。


 穹のチームは男子三人と女子二人。男子三人はこれと言って経験者と言う訳ではないが、運動系の部活に所属していてそれなりに動ける。穹以外のもう一人の女子は目立たない子ではあるが、邪魔にならない程度にパスを繋げてくれていた。


 そこそこバランスの取れたチームバランスで、勝率はここまで五分と言った所。本来なら、穹達のチームが彼らのチームに勝ち越せるはずはないのだ。


「さぁ、もう一本」


 敗因の原因は、ここに来て穹のテンションが上がったからだ。


 バスケ部員として、三人とも穹の実力はよく知っている。


 男子と女子とでは、基本的にある程度の差がでる。技術的な力はもちろん、体力差が圧倒的だ。肉体的にその差は埋めがたく、こればかりは仕方がない。


 だが、この穹と言う少女はその差を埋めている。体力的には男子側が勝っているものの、技術的な面では遜色がない。寧ろ上回っていると言っても過言ではない。正直、この男子生徒は勝てる気がしていないのだ。


 曰く、穹がなぜここまで技術を上げられたのかと言えば、ただ負けるのが悔しかったから。他の運動系競技では男子には勝てないが、バスケに限って言えば負けられない。


 それは、穹の従兄である海人がバスケ部員だからだ。たまに個人戦で相手をさせられては負かされて、向こうにはいい顔をされる。


 生粋の負けず嫌いの穹は、それが我慢ならなかった。悔しさも相まって、技術向上の為に海外バスケ選手の動きを見て、独自で学習し、出来そうな技術を再現までしているのだ。


 結果、従兄の海人とは善戦を出来るようになり、同年代のクラスメイトには、ほぼ負けなしと言う実力をつけている。お陰で余計に体力がついて、他の運動系競技にも生かされている訳だ。


 そんな穹と対するのだから、クラスメイト彼らは堪ったものではない。しかもバスケ部員と言うのもあって、穹が本気で動き出し、得点も多いに離された。女子だからと言う点ではハンディも納得できるが、正直、穹に対しては適用しないでもらいたいと切に思っている。


 けれど困難になると言うのなら、望むところだ。クラスの雰囲気はすでにアウェーだが、勝てないからと言って諦める理由にはならない。例え残り時間を頑張った所で逆転できないとしても、一矢報いてやる。


 決意した男子バスケ部員は、後ろを振り返った。ちょうどボールを受け取った女子バスケ部員が振り返った所であり、彼の表情を見て察したのか、肩を軽く竦めて仕方がないと納得している。決意は同じようで、不敵な笑みを浮かべていた。


 戦意は充分。その雰囲気が伝わってくる。


 穹はそんな相手チームを見て、更に笑みを強くする。そうでなくては面白くない。


「さぁ、ここからが勝負だ」


 ぐっと腰を下ろし、相手を待ち受ける態勢を作る。


 ーーーザッ


 瞬間、微かにだが、穹の耳だけ声が聞こえてくる。優しくて、でもどこか必死に訴えかけてくる幼い声だった。


 この声が何なのかを、穹はよく分かっていない。単語としても聞こえてこない、囁きにも満たない何かの声。普通なら不気味に思って嫌悪するところだろうが、不思議と、そんな風には思えなかった。むしろ、もっと聞いていたいとさえ思える、優しく心に響く声だ。ただ、どうして悲しい雰囲気があるのか謎だった。


 声が終わると、室内であるのにも関わらず、穹の短い髪をそよ風が撫でた。どうやら開け放たれた入り口から吹いてきたようだが、余りにも不自然なタイミングのようにも思う。まるで穹の声に答えるかのように、風が自分の意識で穹にまとわりついたかのようだ。


 瞬間、穹は自分の体が軽くなるのを感じた。思考も、目の前のチームだけに集中する。


 こうなったら、穹は止まらない。止められない。自分の体が普段以上に動くようになり、イメージしたように動くからだ。


 この高揚感に包まれた今、負ける気がしなかった。


 それが合図だったかのように、ボールを受け取ったリーダー格のバスケ部員男子は、勢いよく向かってくる。


 右か、左か。流石に彼の癖まで覚えていない穹は、その時の一瞬を見逃さないために深く集中して彼を見つめる。


 徐々に距離がつまり、一歩を踏み出して手を伸ばせばボールに届きそうな距離。それでも彼は速度を落とさずに、ドリブルの勢いをつけたまま、彼は穹の右側を通り抜けようとする。だがその一瞬前、彼の視線は穹の左側を一瞬だけ向いたのを、穹は見逃さなかった。


 今の視線はフェイクか? もしくは、このまま素直に右側を抜けてくるのか。


 判断は一瞬だった。穹は大きく一歩を踏み出すと、彼の進行方向を塞ぎにかかる。


 彼は何かを確信したのか、瞬間笑みを浮かべると、穹が動き出した途端に体をロールさせて逆側に体を反転させる。中学生とは思えない動きに、稚拙な技術ではあるが、素人のクラスメイト達は思わず歓声を上げる。


 だが、その歓声も直後には驚愕に代わる。それは彼も同じだった。


「なっ!」


 確かに彼は確信した。不意を付けたと思ったとっておきの技。視線の動きは意識して変えていたし、今のロールも不完全とはいえ、タイミングは完璧だと思った。まず、同じ同年代の部員達相手だったら抜ける自信があった。


 なのに、ロールした先には、穹が待ち構えていたのだ。


 単純な話、穹は読み勝ったのだ。視線の動きも悪くなかったし、今のロールも動きも良かった。


 しかし、穹はそれをもっと完璧にこなす従兄を相手取っていた。なんなら、ここから更にスライドで抜かしてくるような相手なのだ。比べてしまうのも可愛そうな話ではあるのだが、どうしても、まだ足らないと思ってしまう。


 きっと、右と見せかけて左を抜いてくるだろう。そこを止めてしまえば先はない。そう思えてしまう位には。


 不意を突いたつもりが、穹が居てつい硬直してしまう。その瞬間を、穹は逃しはしない。即座にボールを奪い取ると、お返しとばかりに彼の右側を走り抜けた。 


「しっ」


「こっの」


 背後からまた声が聞こえたが、穹は聞いてやらない。ゴールの近くにはまだ、警戒しなければならない相手がいるのだ。


 彼が抜かれるのを覚悟していたのか、バスケ部員の女子二人は、即座に態勢を整えると待ち構える構えを見せた。下手に近づいて抜かれるよりも、密集して守備力を上げようと言うのだろう。


 それでも穹は止まらない。寧ろさらに速度を上げて、バスケ部員の女子一人と肉薄する。


 本当ならば、彼女たちだけでは穹を止める事は出来ない。彼女たちも部活練習の一環で穹と対戦しているので、その実力差は知っている。どうやっても太刀打ちできないと分かっている彼女たちが出来るのは、彼が戻る時間を稼ぐくらいだった。


 なのだが、穹が速度を上げて迫ってくるので、冷静な対応が出来なくなってしまう。プレッシャーを与えるべきこの場面で、穹のプレッシャーに負けてしまったのだ。


 思わず、バスケ部員の女子の一人が前に出てしまう。そのミスに気がづいた時にはもう遅く、距離は更に詰まってしまい、もう彼女がボールを奪うしかなくなってしまう。局所的なワンツーマンとなってしまった。


 勝てない。心のどこかで彼女はそう思ってしまうが、バスケ部員としての矜持か、せめてもと穹の持つのボールに手を伸ばした。


 だがその手は、ボールにかすりもしなかった


「え?」


 その戸惑いの声は誰のものだったのか。彼女が驚いてみた先には、少し離れた所でシュート態勢に入っている穹の姿だった。


 穹は別に、態々相手の思惑に乗ってやるつもりなどなかった。いくら勝てるかもしれないと思った所で、あんな密集地帯に飛び込むリスクを負う必要はない。


 多少の無理をすれば、今の感覚なら抜けただろう。勝てる自信もあった。


 ただそうすると、余計な時間を取られてしまい、後ろから迫ってくる彼に追いつかれてしまうかもしれない。そうなれば、得点は難しくなる。


 ゆえに、穹は一番手前に居たバスケ部の女子を誘いだそうとしたのだ。反応しなければそれでよし。釣られて前に出るようなら御の字、と言った程度の駆け引きだが、結果は一番穹が有利な方向に動いた。


 ならば、後はやりたいようにやるだけだ。俄然、テンションが上がる。


 面白い位ポカンとした顔をする彼女をしり目に、穹はシュート態勢に入る。勢いよく突っ込みながらも、彼女が反応した瞬間に急停止して、踏み出した足を即座に引き戻したのだ。


 少々無理があるが、これも、今の集中力がなせる業だ。


 下投げや両手投げではない、女子中学生にしては妙に様になっているシュート姿勢で、穹はボールを打ち上げる。見事な放物線を描き、ゴールボードにぶつかってから、ボールはゴールの中に飲み込まれた。


 場所はスリーポイントから。見事なまでの、止めの一投だった。


 ボールがバウンドする音が、やけに体育館に響いた。一連の動きに、クラスメイト達が応援するのも忘れて見入っていた。


「うし、時間だから、今ので終わり。Dチームの勝ちだな」


 その静寂の中で、監督していた教師が気の抜けた終わりを告げる。


 途端、体育館に割れんばかりの歓声が響き渡る。


 熱を思い出したように、クラスメイト達は穹達に声援を送る。男女関係なく、顔真っ赤にして叫んでいた。


 コート内で声援を受ける穹達のチームは、どこか得意げに笑みを浮かべている。男子達は集まって健闘を称えあい、もう一人の女子は興奮した様子で穹に声をかけている。


 対して、対戦した相手チームは悔し気だ。それも当然か。全勝までもう少しだったのもあるが、穹に雪辱を果たせなかったのだ。バスケ部三人掛かりにもかかわらず、穹一人に負けたのだから面子も丸つぶれだ。ただ、そこに陰鬱な空気はなく、次に向けて意気込んでいるように見える。事実、一様に笑みを浮かべていた。


 必死に声をかけてくるチームメイトの女子をなだめながら、穹は横目でそんな相手チームを見ていた。これなら、次もきっといい試合ができる。それが楽しみで、穹は楽し気に笑みを浮かべる。


 未だに興奮しているクラスメイトたちを落ち着かせながら、教師が語気を強めながら片づけを指示する。確かに、汗を拭いたり着替えたりを考えると、貴重な休み時間がが減ってしまう。


 慌てたクラスメイト達は、我先にと用具入れに飛び込んでいき、モップを出して体育館の床を拭き始める。手の空いたクラスメイトも、得点ボードやボールを片付け始める。


 今まで試合をしていた穹達は、クラスメイト達からの進言もあって、片づけには参加しないで汗を拭いたりなどの後始末を始める。


 穹も汗を拭こうと体育館の端に避けた所で、穹に近づいてくる人がいる。


 その子は、まるで絵にかいたような大和撫子と言った少女だった。腰に届くほどに伸ばされた黒髪は艶やかで、天使の輪が光っている。均等のとれた肢体は、穹の体つきとは別な意味で中学生離れしている。


 名前を守崎アヤメ。


 友達と言うのにはやや献身的に穹に構う、クラスでも特に仲のいいクラスメイトだ。


「お疲れ様、穹。はい、タオル」


「ありがとう、アヤメちゃん」


 本来ならアヤメも体育館の清掃を行わなければならないが、穹も他のクラスメイトもそれを指摘しなかった。


 と言うよりも、誰も指摘できないと言った方が正しい。


 彼女は、何かと穹と一緒に居たがるのだ。隙を見ては傍について来ようとするし、このチーム分けも大層不機嫌だった。


 余りにもべったりついて歩くものだから、クラスメイトがやんわりと注意したら、般若も逃げ出しそうな程に静かに怒ったものだ。逆に穹が注意すると、まるでこの世の終わりのように悲しむのだから手に負えない。


 次第に教師からの注意も減り、クラスメイトもあきらめの境地に達して、こうやって穹に対しては好きさせるようになったのだ。


 何とも言えない話なのだが、普段ならばとても頼りになる女の子ではある。


 ただ、穹への好感度が変な方向に振り切れているだけなのだ。


「えっと、今日のお昼は、アヤメちゃんが用意してくれているでいいんだよね?」


 軽く屈伸運動をしてから汗を拭き、穹はアヤメに尋ねる。


 普段の穹は、学校の食堂で昼食を済ませている。


 学費と別料金であるが、料金はとても低く設定されていて、量もバランスもちょうどいい。味もいいので、学生達からかなりの人気を誇っている。


 ちょっとしたお小遣い稼ぎをしている穹にしても、これは嬉しい。三柴家に余計な迷惑を掛けたくないと思っているのもあって、とても助かっていた。


 しかし今日はアヤメの方から頼まれていて、手ずから弁当を作ってきてくれていると言う。


「もちろん、気合を入れて作ってきたから楽しみにしててね!」


 約束を覚えていた事が嬉しかったのか、アヤメはとても輝かしい笑みを浮かべた。


 穹と違って、アヤメは料理が得意だ。出来栄えは趣味の範疇を超えていて、まるでプロの料理人のようなのだ。


 そんなアヤメが気合を入れて作ったのとなれば、期待も高まると言うものだ。


 空腹も相まって、今からが楽しみな穹は、つられて笑顔を浮かべた。会話を盗み聞ぎしていたらしい、そんな豪勢な弁当が気になる男子高校生たちの視線は無視である。


 掃除が落ち着いて、クラスメイト達が教室に移動し始めるのに合わせて、穹達も教室に戻った。


 アヤメは穹以外に弁当を譲る気も見せるつもりもないのであろう。教室や食堂ではなく、芝生の生える中庭へ誘ってきた。穹は別に食べられればそれでいいので、特に反対することなく連れ立って中庭へと移動する。


 清掃員が定期的に整備しているため、中庭はとても綺麗だった。芝や植木は綺麗に整えられていて、所々に設置されたベンチは、座るのを躊躇わない程度に掃除されている。


 既に生徒が何人かおり、思い思いの時間を過ごしている。


 他の生徒たちから離れた所に陣取った穹とアヤメは、間に弁当を挟んでベンチに腰掛けた。


「さて、穹さん」


「はい、アヤメさん」


 弁当箱を丁寧に置いたアヤメは、どこか改まった雰囲気で姿勢を正した。おもわず、穹もつられて姿勢を正した。


「今日は、私にとって大切な日です。でも、穹にしたらもっと大事な日でしょう」


「は、はい」


 いつになく真剣な表情を浮かべるアヤメに、穹は詰まりながらも返事をする。


「思う事はたくさんあるけれど、私は忘れてはいけない事は忘れてはいけないし、祝う事はしっかり祝わないといけないと思います」


 なので、と続けてから、アヤメは弁当箱を包んでいた包みを開いた。


 中から表れたのは、一学生が持っているとは思えないような、立派な重箱だった。二段重ねのそれは、二人分の昼食を入れるのには十分な大きさで、雰囲気もあってとても期待させられる。


「穹、お誕生日おめでとう。ちょっと早いけど、お昼のお祝いだよ」


 笑顔を浮かべながら、アヤメは重箱の蓋を開いた。


「わぁ」


 中身が見えた瞬間、穹は思わず感嘆の声を上げた。


 一段目は定番のおにぎりが、手ごろなサイズで並べられている。普通の見た目の物から、ゴマが振りかけられているものまで数種類あり、おにぎりだけでも見た目が楽し気だ。


 二段目にはおかずが入っている。からあげ、卵焼き、煮物、野菜類がバランスよく並べられていて、ちょっとしたオートブルだ。煮物系も色が薄めなので、さっぱりした味わいが期待出来て、量もそうだが、カロリー等も心配ないように考えられている。


 見た目だけでも分かる。冷凍食品などは使われていない、純粋な手作り品の数々。アヤメが気合を入れたと言うのが分かるお弁当だった。


「ありがとう、アヤメちゃん!」


 穹はやや興奮気味に、飛び切りの笑顔を浮かべてアヤメにお礼を述べた。


 朝からやや鬱屈とした気分だった。けれど、今日のこれで全てが吹き飛んだ気分だ。


 素直な穹の賛辞に、アヤメは少々の照れを表しながら、皿や箸、飲み物の準備を始めた。


 渡された皿や箸を受け取ると、さっそくとばかりに穹は弁当に手を付け始めた。


 からあげは冷めてもおいしいように味付けがさっぱりしていて、油気も少なく口当たりがとても優しかった。卵焼きも穹の好みに合わせて、ややしょっぱく作られている。煮物も見た目通りさっぱりしていて、野菜もシャキリと歯ごたえがあってソースの酸味が口の中をさっぱりとしてくれる。


 どれもこれも穹の好みで、嬉しそうな笑顔で、次々とお弁当の料理を口に運んでいく。


 そんな穹の様子を見ながら、アヤメは同じように笑みを浮かべて料理を口にしてく。もちろん、合間居間に穹の世話を忘れていない。


 穹にとって誕生日は、祝って貰うと同時に、どうしても両親の死を思い出させる日だ。


 気持ちの整理をきちんとできておらず、三柴家とはどうしても、距離を離してしまっている。


 今の穹の事情や三柴家との関係については、もちろん、アヤメは十分に理解している。


 ならば、ただの友達と言う関係である以上、余り深く関わっていいはずがない。


 ただアヤメは、ただの友達と言う以上に、穹を知っているつもりだ。彼女がどんな思いをして、どんな気持ちでいるのかを、身をもって知っている。


 だから、他人から見たら不謹慎に思えるかもしれないが、アヤメは穹の誕生日は全力で祝うようにしているのだ。


 そういう気持ちを汲んでくれるから、穹は純粋に、誕生日のお祝いだと言われてお弁当の料理に舌鼓を打つ。


 打算や哀れみがあれば、穹は敏感に察するだろう。不幸な身の上であるのは間違いないのだが、だからと言って他人からとやかく言われたくないし、思ってほしくない。


 違う所があるからと言って、別と扱ってほしくないのだ。普通に遊びたいし、普通に笑っていたい。それが、今の穹にとって欲しいものなのだ。


 どうしても、三柴の両親はそれを意識してしまっている。自分達があの時何かしてあげられたのではないかと、今の穹に何ができるのかと思い悩んでしまっている。


 結局穹が欲しいと思うのはそこなのに、踏み込めていない。だから穹も、素直に踏み込んで欲しいとは言えない。互いに何も言えなくなってしまっている。


 もどかしいし、何か言えればいいと思うのだが、やはりきっかけは作れないまま、時間だけが過ぎてしまっている。


 故に、こうやって素直に祝ってくれるアヤメは、穹にとっては大事な友達だった。これからも大切にするし、大事にしたいと思っている。


 そんな事を心の奥で思いながら、穹は卵焼きを口に入れたのだった。


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