人の入りは、お昼時間を過ぎてまた増えたようだった。
この時間になると、午前中にお菓子を配り切った店が多くなってくる。なのでお菓子を追加したり、お菓子以外を配り始めるようにった。
配られるお菓子は減ってしまうものの、普段置かない変わり種が試食できたりして、これもこれで面白い。
なのでお菓子の甘い匂いに混じって、仄かに香ばしい香りも混ざっていた。
こうなれば、お菓子を食べる子供の他にも、思い思いの試食品を食べ歩いている大人も見かけるようになっていた。
微妙な変化を穹は楽しみつつ、皆と合流するべく、大通りを歩き始める。
流石に、穹一人で見回りをするつもりはなかった。
一人で対応しても困るだけなので、今は合流を目指しながら、話しかけても大丈夫な子供や保護者を見つけて声をかけようと思っていた。
「少しいいですか?」
しばらく歩いていた時だった。穹は不意に声を掛けられる。
驚いて振り向けば、少し申し訳なさそうな表情をした女性がいた。傍には、同じように困っている雰囲気の男性と、手を繋いでいる子供がいる。
「はい、何でしょう?」
何となく事情を察した穹は、体ごと振り返ると笑顔を向けた。
穹が答えてくれたのに安心したのか、母親と思われる女性は少しだけ表情を柔らかくした。
「あの、このお祭りについてお聞きしたかったのですけど」
どうやら、穹が腕章をつけていたの見て関係者だと思ったようだ。
イベントの概要を尋ねる母親を見て、仕方ないかと内心で苦笑いを浮かべる。
今日の穹は、午後からはお店の手伝いをメインとするとは言え、あくまでも学校から駆り出されている見回り組。これも仕事の内だ。
自分の声のかけられ率に驚きを覚えながらも、これも仕事の内だと、午前から既に覚悟していた。
「はい、分かりました」
快く返事をして、穹はイベントの概要を説明する。
と言っても、それほど難しいイベントでもないので、説明に淀みはない。
ただただ、店の前に居る人に声をかけられるという、少し勇気がいるだけなのだから。
穹の説明に理解をしたのか、後ろで見ていた父親の方も、説明を終えた頃には安心していたようだった。
「もし、きちんと中の配置等を知りたかったら、向こうの入り口にイベント管理の本部がありますので。そちらに行けば、パンフレットとか、もう少し詳しい説明も聞けますよ」
最後に、穹はそう付け加える。
穹に態々尋ねたとなれば、この親子は正面からではなく、別の入り口から歩いてきたのだろう。
午後のこの時間であれば、人の入りは多くなり、目ぼしい駐車場は埋まってしまう。
有料駐車場に止めたのか、さあに別の遠い場所に止めたのかは分からないが、概要を尋ねたというのならそういう事なのだろう。
余りそこには触れないようにしつつ、穹は本部のある方を指しながら説明を終えた。
「分かりました。ありがとうございます」
「いえいえ。イベント楽しんでください。そうだ」
お礼を言う母親に返事をしつつ、穹は紙袋の中からお菓子を取り出した。
「私、裏の通りにある喫茶店でお手伝いをしていまして、お菓子も配っているんです。良かったらどうぞ」
「お菓子!」
差し出したカップケーキを見て、先に目を光らせたのは子供の方だった。
保護者二人は少し慌てた様子を見せたが、穹は気にしないとばかりに子供に近寄ると、視線を合わせるようにしてその場にしゃがんだ。
「はい、お菓子をどうぞ」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
イベントに来てさっそくお菓子を貰えたのが嬉しかったのか、子供は無邪気に笑ってお礼を言う。
良かった。人見知りするような子じゃなくて。
イベントには参加しつつも、引っ込み気味な子供も多くいる。こうして無邪気な反応を示してくれた方が、穹としてはやりやすかった。
立ち上がる穹に父親の方は恐縮した様子を見せていたが、これがイベントなのだから気にしないで欲しいと、穹も笑顔で答える。
「それから、お二人はコーヒーは飲まれますか?」
「ええ、まあ」
「でしたら、こちらもぜひ」
ついでとばかりに、穹は郷座から預かった袋の中から、小分けにされたコーヒーの袋を取り出した。
掌に納まる程度の袋を渡されて、父親の方は首をかしげていた。
「こちら、喫茶店ノワールで出しているコーヒーです。ドリップ式ですので、簡単に自宅で飲めますよ」
「自分達も、貰って良いのかい?」
「はい。うちは喫茶店ですのでコーヒーを出していますので、こういった物も配っているんです」
「そういうことなら」
まさか自分達に向けた何かがあると思わなかったのか、保護者二人は驚いた様子だった。
全ての店舗が大人向けにお菓子を用意している訳ではないが、ノワールはどちらかと言えば大人向けの店だ。
コーヒー好きの子供がいない訳でもないだろうが、缶コーヒーとかパック入りではないコーヒーを渡されても困るだけだろう。
二つの袋を渡されて驚いていたが、良い記念品が出来たのに素直に喜んだのだろう。
保護者二人は笑顔を見せると、穹にお礼を言う。
「ありがとう。後で、そのノワールと言う店にも寄らせてもらうよ」
「はい、ぜひ。それでは、イベント楽しんでください」
「ありがとうございます」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
丁寧に頭を下げる母親と笑顔で手を振る子供に見送られながら、穹は再び歩き出した。
幸先の良いスタートに満足して歩きながら、穹は商店街を進む。
お菓子を貰ってはしゃぐ子供に混ざって、軽食を食べながら歩く学生も多く見られて、イベントの午後は方向性が摩訶不思議になっていた。
そんな様相は見ていても楽しくて、穹は自然と笑顔になる。
合流に向けて歩いているはずなのだが、たまに声をかけられたりしつつ、穹はノルマを着実にこなしていた。
気が付けば片方の袋はすでに空になっている。優先で渡していたのですでにカップケーキはなくなっていて、手荷物もずいぶん楽になった。
後はクッキーとコーヒーを配り終えるだけとなった頃に、穹は合流場所にたどり着いた。
本部に程近い広場で、先ほどアヤメに挨拶に赴いた場所だ。
遠目に見てみたが今はアヤメの姿は見えず、恐らく休憩中なのだろう。
少しばかり残念に思いながら、クラスメイト達に近づいていく。
「お、穹っち。おかえりぃ」
「ただいま。って言っても、お昼休憩に離れたみたいなものだけどね」
「私達は午後からが楽しみだから、それでよし」
早速とばかりに出迎えてくれた朱音に挨拶をする。
課外授業の一環とは言え、折角のイベントなのに学生を拘束するほど学校は厳しくはない。
一応見回りのルートは決められているが、正直、午後からの穹達の仕事はないにも等しかった。
午前は大学生や高等部と一緒に回っていたが、午後からは別グループになる。
制服の着用は義務だし、何か困っている人を見かければフォローしなければならないのは変わらない。
けれどそれも極力と言う話であり、見回りの主体は変わらず、先生や大学部の仕事になる。
午後からの穹達は、見回りと言う名前のイベントを楽しむばかりとなる。
お堅い感じに言われてはいるが、軽い見回りでしかない為に難しい話でもない。
クラスメイトと一緒という括りに入れられているだけで、詰まる所午後はイベントを楽しめという訳だった。
幸い、穹達のグループの仲は良好であるので、一人で回るよりもイベントを楽しめるだろう。
現に集まった他のクラスメイトも、イベントをどうやって回るかを話し合っている。
もちろん、本来の仕事である見回りの件も忘れていないので、迷惑にならない程度に楽しむつもりだった。
「穹、それが例のお菓子?」
朱音が話したので穹に気が付いたのだろう。どこのお店に行くか話し合っていた他のクラスメイトが、穹の手元を見ながら話しかけてくる。
目ざとく見つけたクラスメイトに苦笑いしつつも、都合がいいかと思い直して手に持った袋を掲げて見せる。
「そうだよ。こっちの袋が私の手作り。ノルマ達成のためにも貰って貰って良い?」
「やった!」
あくまで自分都合で貰って欲しかった穹だったが、早速お菓子を貰えるのが嬉しいのか、その女生徒は笑顔を浮かべる。
それに追従するように、他のクラスメイトも穹にお菓子をねだってくる。
穹はもちろん快諾して、お菓子をそれぞれ配っていく。ちょっと遠慮がちな男子生徒達にも、穹は進んでお菓子を配った。
貰ったクラスメイトは一概に笑みを浮かべて喜んでくれて、穹としても満足だった。
「あ、朱音ちゃん。はい」
「なん?」
「ラングトシャ、折角だから上げる」
「おう、穹っち。喧嘩なら買うんよ?」
手すきの時間を見て用意していたラングトシャを、穹は早速朱音に渡した。
それがどういうものか分かっている朱音は、しっかり受け取りつつも穹に少し目に力を入れながら見つめ返す。
普段やられっぱなしである穹は、睨みつける朱音の視線から目を逸らしながら何を言いたいのか分からないと言うように惚けて見せる。
ますます顔を引きつらせる朱音をしり目に、他のクラスメイトが、新たに現れたお菓子に興味を示した。
これ幸いにと、穹は碌な説明も無しにラングトシャを配り始める。主に女生徒。
このイベントはお菓子がメインで配られるために、満足感は満たされるものの、体重が少し気になるようなイベントだ。
だが、それを気にしてはイベントを楽しめないと、体重を増やす覚悟で若さを言い訳に参加している生徒もいる。
そんな生徒に止めを刺さんとも言えるお菓子の提供に、穹の悪戯心は大いに満たされていた。
後で、お菓子の材料やそのカロリー量を知ったクラスメイトからは批判殺到だろうけれど。
今は、その満足感に酔いしれて誤魔化しておく。朱音も、同じ犠牲者を増やそうと、そんな穹の所業を黙って見過ごしていた。
お菓子を配り終えた所で、穹達は再び商店街へと入る。
午前よりも確実に増えている人ごみに、見回り組のクラスメイトは一様に苦笑いを浮かべていた。穹も、改めて見るとその数に驚いてしまう。
商店街そのものは、大きいのは今穹達が居る通りだ。
けれど店があるという意味では、ここ以外にもいくつか通りがあるので、人ごみを嫌った人などはそちらにも流れているだろう。
穹達も、これでは回るのも大変だと判断して、商店街からは外れて別の通りを目指した。
商店街には、軽食や洋菓子店。後は、日用品を取り扱っている店が多い。後は、一本外れれば飲食店がある。
対して別の通りを入れば、こちらは昔ながらの和菓子店や呉服店等、なおのこと学生達には縁遠い店が並んでいた。
一応こちらの通りもイベントには参加している。
和菓子店などは、その昔ながらの技法を生かした見た目は洋菓子風に整えられた和菓子が並んでいる。
飲食に関係ない店などは、その店で扱っている布地等の端材を使ったお土産などを置いている。
商店街とは違う趣のある品ぞろえに、穹達は多いに楽しんでいた。
外から来た人も同様で、お年寄り等を中心に、商店街に参加している人よりも年齢層が高くなっているようだ。
そんな中に穹達が居るものだから目立つのもあって、開放的な雰囲気もあるのか、話しかけてくる人も多かった。
中には、イベントを開催する側ではないはずのお年寄り達からお菓子を貰ったりもして、穹達は大いに困惑したものだった。
これもイベントの醍醐味の一つだと割り切って、穹達はお礼を言いつつお菓子を受け取った。
もちろんそうして受け取りつつも、本来の仕事は忘れていない。
迷子になる程人は多くないが、会場が分からないというような観光客もそれなりに居た。
商店街近くの駐車場は大体が埋まってしまっているようで、少し離れた場所に車を停めてきてくれた人達だ。
そんな人達は、一目で地元の人と分かる制服を着ている穹達学生を見つけると、遠慮がちに道を尋ねてくる。
中でも、グループの外側で、それなりに会話に参加していた穹はよく声をかけられた。
ここでもか。と、自分に役割を押し付けてくるクラスメイトを恨めし気に見つつも、あくまでにこやかに対応していた穹。
イベントの概要と、込み合っているのに注意を促しつつ、道を案内する。
もちろん。その時にお菓子を配るのも忘れない。中には、ドリップコーヒーを受け取って、喜んでくれる人も居たのが嬉しかった。
そうやって仕事もこなしつつ、まったりと道を歩いていれば、時間もあっという間に過ぎてしまう。
人も集まれば会話も続き、気が付けば、おやつ時と言う時分になっていた。
歩き疲れもあったので、折角だからと、穹達はお店に入って一休みしようかという話になった。
この時に女子と男子は別れる事になった。女子は良いが、男子チームは流石に気後れしてしまったらしく、商店街に戻りつつも解散するつもりのようだ。
イベントは夕方頃には終わるので、そろそろ解散しても問題はない。
女子もあまり強くは引き止めず男子達を見送ると、余り来ないお店に足を運んだ。
イベントの為に店先にも席が用意されているので、穹達はそこに腰かけた。
お店はぜんざい等の、和のお菓子をメインに扱っている喫茶店だった。
それぞれ緑茶とぜんざいを頼みつつ、朱音達は穹から貰ったお菓子も摘まみ始める。
本来は持ち込みのお菓子を食べるのは良くないのだろうが、こんな日ぐらいはと、お店側もそこは許可してくれていた。
許可を取る前に店員から許しを貰えたので、注文が届くまでの間にそれぞれが摘まみ始める。
クッキーもラングトシャも好評で、甘くて美味しいと喜ばれた。
「ちなみにそのラングトシャ。砂糖もバターも多めだから、結構カロリー高めなんよ」
皆が食べ始めたのを見てから、朱音がニヤニヤと笑いながら種明かしをする。
嬉しそうにお菓子を食べていたクラスメイトだったが、途端に穹に向かって鋭い視線を向けてきた。
悪戯が成功して嬉しそうに笑いつつも、惚けたように皆からの視線を逃れる穹。
そんな穹の態度に皆は憤りつつも、お菓子は美味しいし、元々そう言うのは度外視していたのであまり強くは言ってこない。
それでもぶつぶつと文句を言いつつも、皆はお菓子を食べ進めるのだった。
そうこうして、注文したセットがみんなに配られる。
餡子のねっとりした甘さを堪能しつつ、渋めの緑茶で口の中を洗い流す。
こうした組み合わせは、延々と食べ進められそうで困ったものだ。
「これから、ちょっと運動量増やさないとなあ」
「穹はいいじゃない。しっかり運動してるんだし」
「家に帰って自主練とか、私達には無理だぁ」
「家の手伝いもあるし、部活外の練習とか辛いんよ」
ぜんざいを堪能しつつも穹がぼんやりと呟けば、他のクラスメイトから文句が飛んでくる。
朱音はまだしも、他のクラスメイト達は部活で激しく動き回っている訳ではない。確か文化部だったはずだ。
穹は帰宅部だが、部活の応援に出向く機会が多いのもあって、自主練習は欠かしていない。
体を動かすのが好きならばともかく、主に勉強面に力を入れている彼女達には確かに苦行だろう。
ここでお菓子を食べていたり、高カロリーなお菓子を食べさせておいてあれだが、無理ダイエットはしないで貰いたい所だ。
そう思いつつも、なんだかんだと穹も食べ過ぎている自覚はあるので、日々の食事にも気を付けながらも、しっかりと運動しようと決意していた。
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