風使いー穹-

風に愛された少女
村上ユキ
村上ユキ

019 放課後の商店街巡り

公開日時: 2022年12月18日(日) 22:04
文字数:9,446

 大丈夫じゃなかった。


 放課後、一日何事もなく過ごせたのまではよかった。


 倒れる程では無かったものの、精神疲労から来る眠気に抗うのは大変だった。授業中に先生から注意を受けたのは初めての経験だ。


 困ったと言えばその程度で、学校生活の上では問題なかったと言えるだろう。


 大丈夫ではなかったのは、アヤメだった。


 朝の登校から即座に穹の不調を見抜き、事あるごとに、何度も声をかけてきたのだ。


 その度に大丈夫と言って濁していたのだが、視線が痛かった。穹に何かあればすぐに何かを言ってきそうで怖かった。


 そんな恐怖を抱えながら一日を終えて、朝に決めていた通りに、穹は商店街を練り歩いていた。


 当然のようにアヤメも同伴していて、やや不機嫌そうに隣を歩いている。


 そして珍しく、今回は朱音も一緒だった。なんでも顧問が不在で部活は自主練らしく、それならばと、穹と同じく消耗品を買いに連れ立ってきたのだ。


「まったく、穹はもう。まったくもう」


 まるでここが定位置と言わんばかりに、穹の横に陣取りながら、アヤメは不機嫌さを表しながら不満を口にしている。


 途中立ち寄った文房具店で、アヤメは終始こんな感じであった。


 外であるのもあって、アヤメは強く言ってこないのだが、時間があれば説教をしてきそうな勢いだった。


「本当にごめんて、アヤメちゃん。今はもうなんともないから、ね?」


「ね、じゃないの。具合が悪くないとはいえ、あんなに疲れ切っているなら、せめて保健室で休ませてもらうなりすればよかったのに」


「いや、そうするとほら。授業にもついていけなくなりそうだし、もうそのまま終業まで寝ちゃいそうでさ」


「むしろそうしてくれた方が、私だって穹を独り占めして添い遂げられたかも」


「ダメでしょ」


「アヤメっち、ワンチャンそれ、穹っちが別の意味で身が持たなくならないん?」


 本気とも冗談とも取れる発言をするアヤメに、穹はその通りに身の危険を感じて指摘を入れ、朱音は呵々と笑いながら茶々を入れる。


 放課後になって、穹の精神的疲労は大分落ち着いていた。今は、はた目には無理をしているようには見えない。


 今朝のような倦怠感はなく、会話も笑みを浮かべながらしていて、本人が言うようにいつも通りになっていた。


 分かっているからこそ、アヤメはそれほど真剣に穹を注意するつもりはないが、今日の不満の発散を求めて機嫌は悪いのをアピールしているようだった。


 三柴家にあれこそれ心配された時とは違う真っ向からの不満に、穹は気を悪くするでもなく、アヤメなりの気遣いだと分かっているから嫌な気持ちならない。


 傍から見れば喧嘩しているとも思えるような空気を出しているが、この程度のやり取りは日常茶飯事。朱音もそこはわきまえていて、二人のやり取りに愉快に混ざっていた。


 気を取り直しながら、穹は文房具を選んでいく。


 普段使いしている文房具に関しては、穹は特にこだわっている訳ではなかった。どこにでも置いているシャーペンの芯やノートを手に取る。


 変わって朱音は、穹とは違って妙なこだわりがあるのだろうか。普段使いしている消耗品の他にも、何やら変わった小道具なんかも吟味している。


 学校にも購買はあり、ちょっとしたコンビニ程度の品ぞろえはある。


 ただ、そう言う所にある文房具と言うのは、学校側に安く提供しているのもあって質が余りよろしくない。本当に、緊急で困った時に買うものとして置かれている。


 いくらこだわりがないと言え、有名メーカーの物と比べてしまうと使い勝手が悪いために、穹は態々商店街で買っていた。


 朱音のように、どこで使うか分からないような文房具を買うのなら尚更だろう。


 気を取りの直して穹は必要分を手に取り始めると、アヤメも、物を買う訳ではないが文房具の品を吟味し始めた。


「そういや穹っち」


「ん?」


「かなり怠そうにしていたけど、休みの日に何かあったのん?」


「あーーー」


 何気ない朱音の質問に、穹は一瞬答えに迷った。


 もちろん、三柴家に話していないのだ。友達との何でもない会話に、公園の件を話すわけにはいかない。これはアヤメにも話してないのだ。


 咄嗟なので答えに迷ったが、事前に考えていた答えを穹は口にする。


「何となくもやもやしちゃってさ。日曜に走り込みしたんだけど、思ったよりも疲れちゃって」


「それで今日まで引きずるものなん?」


「これが意外と楽しくなっちゃって。結構長いこと走りこんじゃったんだよね」


「あはは、穹っちらしいや」


 穹が運動好きであるのは周知の事実だ。実際、今回の疲れはフルマラソンでもしたかのような疲労感に近い。


 感覚としては似ていたため、ちょうどいいと思っての考えだった。


 特に疑問に思わなかったのか。穹の答えに、なるほど言った風に朱音は笑いながら納得していた。


 疑われなかったのに安心して、穹は不意に視線を感じた。


 振り向くと、なにやら難しい顔をしてアヤメが穹をじっと見ていた。


 鋭いアヤメだ。同じような話をアヤメにもしているのだが、もしかしたら穹の嘘に感づいているのかもしれない。


 流石だなと思いつつも、事実を話すわけにはいかない穹は、アヤメに疑いの目を向けられているのを気づきながらも、誤魔化すように苦笑いを浮かべる。


「なに、アヤメちゃん。どうかした?」


「ううん、何でもない」


 何か言われるかもと思いつつもあえて聞いてみるが、アヤメは特に何も言わずに商品棚に目を戻した。


 やはり何か感づいているようだが、態々聞き返さなかった。いずれ深堀されるかと思うが、今は見逃されたのだろう。


 何と無しのアヤメの気遣いに穹は安堵して、必要な品を持つとレジに向かう。


 穹を見て朱音も買う物を決めたのか、商品棚から買う物を持って後に続いた。


「ねぇ」


「ん?」


「それ、学校で使の?」


 朱音の持ってきたものを見て、穹は首を傾げた。


 なにやらキャラ物のグッズの様だが、穹には必要性を感じられなかった。


 辛うじて、それはペン置きなのだなと言うのは分かった。文房具屋であるのを考えれば、そうとしか思えなかったからだ。


 疑問に思ったのは、果たしてそれは必要なのかということ。部屋を飾る小道具と言う意味は必要かと思うのだが、学校で使うかと言えば首をかしげるしかない。


 仮に使っていたとしても、不要物と言う区切りで学校側に没収されかねない。


 家で使う分にはいいかもしれないのだが。実用重視の穹としては、邪魔ではないかと思えて仕方なかった。


 当然とも言える穹の指摘に、しかし朱音はニヒルに笑って答える。


「甘いね穹っち。こういうのは、実際に使ってその有用性を確かめるものなんだよん」


 余りにも前向きな朱音の答えに、穹は答えに窮してしまった。


 最もな答えではあると思えたからだ。


 物が作られたのならば、確かに、何かしら製作者の意図があったのは間違いない。


 それを見てすぐに用途が分かればいいが、このペン置きのように、見た目はペン置きなのかもしれないが、実際にはもっと有用な使い道があるのかもしれない。


 そう言うものは、実際に使ってみないと分からない。だから朱音は実際に使って確かめようと言うのだ。


 言っている事は間違いなし、穹だってそれは理解できる。


 のだが。


「でもそれって、有用性が見つからなかったら、ただのインテリアにしかならないよね」


 一転、そう言うものは使ってみても、結局それ以上の使い道はないという話になりがちだ。


 そうなれば、学生にはそれなりのお値段になるそれは、値段以上の価値は見つけにくい。


「それもまた、衝動買いの醍醐味なんだよん」


「さいですか」


 めげずに答える朱音を見て、穹はそれ以上を言うのを止めた。


 本人がそれが良いというのなら、それでいいのだろう。穹がとやかく言う意味はない。


 結局、その後会計を済ませたのだが。レシートに記載された商品ジャンルは、穹の印象通りペン置きとなっていたため、使うでもなく使い道を知らされた朱音は意気消沈していた。


 アヤメは特に何かを買う訳でもなく、穹達と一緒に文房具屋を出る。


 時間が早いのもあって、外はまだまだ明るい。目的は達成したので解散でも良かったが、それでは味気ない。


 そんな空気を察して、三人は互いに目配せする。


「この後どうしようか。どこかに寄っていく?」


「そうだねぇ」


 真っ先に聞いてきたのはアヤメだった。答えたのは穹だが、すぐにどこに行くというのは思い浮かばない。


 商店街はあるが、こちら側にはあまり娯楽施設が少ない。大きな商業施設やチェーン店などは隣街の方に集中している。あるのはせいぜい、パチンコ店などの大人向けの施設ばかり。


 その隣街に行くにしても、学生の取れる移動手段は電車かバスになるわけだが。どちらを選んだにしろ、今から向かったとして、帰るのが遅くなってしまう。


 門限があるわけではないが、穹と朱音は、突発的に家に連絡して夕飯を辞退してまで遊ぼうとは思っていなかった。


 であれば近場なのだが、それほどいい場所はない。図書館くらいはある物の、それを提案する程野暮ではなかった。


「はいはい。それなら、穹っちがお手伝いで通ってる、例の喫茶店に行きたいんね」


 行先を悩む穹を見て、好奇心を隠さずに朱音が提案する。


 言われて、穹は悪くないなと思った。


 お手伝いとしても通っている喫茶店『ノワール』は、お店の雰囲気もあって客の年齢層が高い。その分、コーヒー一杯でも中々のお値段となっている。


 土曜や日曜の忙しい時間であっても、学生姿はほとんどみない。穹のような中学生なら尚更だ。


 その為敷居が高くなり、立地も相まって学生は遠慮しがちだ。


 となれば、人目を気にせずに落ち着いて話をするのにはもってこいだ。高くなった敷居も、穹がいればそれほど気にならない。


 そんな目論みからの提案だとすぐに察した穹は、だからこそ悪くはないなと思えた。


「アヤメちゃんもそれでいい?」


「ええ、大丈夫」


 アヤメの同意も得られたので、穹が先導する形でノワールのある路地に向かう。


 学生達の喧噪や、学生を狙った飲食店の香りの混ざった独特の空気。それも一本道を外れれば途端に無くなる。


 民家から伸びる草木が視界を多い、まだ明るかった空間が一段暗くなったように思える。少し湿り気のある空気が、より雰囲気を作っているかのようだ。


「へっへっへ、犯罪の臭いがするねん」


「ないから。半裸のおじさんが玄関先でタバコ吸ってるくらいだから」


「あれを見ていると、なんとなく淫靡な空気があるのよね」


「肩身の狭い喫煙者をどんな目で見てるのさ、アヤメちゃんは」


「世の理かしら?」


「田舎の日常風景に深読みしすぎじゃない?」


「裏でいけない仕事してるかもよん?」


「遠慮して外で吸っているだけの人達が可哀そうになる疑い方だね、それ」


 どうしてこう、あっちでもこっちでも、この路地を歩く人たちはそんな発想しかできないのだろうか。


 前にカッツェと歩いた時も似たような話をしたなと思いながら、穹はため息交じりに案内する。


 商店街の真ん中あたりから入ったので、ノワールにはそれほど時間を掛けないでたどり着いた。


 ほとんど民家と言っても差しさわり無い店構えは、玄関先に置かれた古めかしい電光板と、簡単にメニューの描かれた看板が置かれてなければ、一目では喫茶店と分からなかったろう。


 昨今の人気店とは違う時代錯誤の入り口に朱音は感心しつつ、穹は二人を連れ立って中に入った。


 時間としては半端なため、店内には御客は一人しかいなかった。カウンターで一人、のんびりとコーヒーを啜っている。物珍しい学生三人組が入って来ても目もくれずに、一人の時間を楽しんでいた。


「あれ、穹ちゃん。こんな時間に珍しい」


「こんにちは、健さん。いつも言ってますけど、ちゃん付けはやめてください」


 カウンターの中に居たのは、店長の郷座ではなく、若い一人の青年だった。


 丁寧に切りそろえられた短髪。それなりの長身は適度に引き締まっていて、服装もお洒落なのもあって、まるでモデルのようだった。


 茶野川健。店長である郷座の孫であり、穹達の通う学校の付属大学の二年生。講義の少ない日や時間の取れる時などは、こうしてノワールの仕事をしている。


 珍しい、という言葉の通り、土日以外で穹が健と顔を合わる機会と言うのは余りない。穹が平日にはほとんど来ないし、健も学校があるからだ。


 そしてあいさつ代わりのように、今の会話がされる。歳の差もあって、健も穹を妹のように思っているのだろう。ちゃん付けは恥ずかしいから、ぜひ止めて貰いたかった。


「健さん、クラスメイトのアヤメちゃんと朱音ちゃんです」


「こんにちわ」


「どもです」


「初めまして、茶野川健です。こんなに可愛らしい子達が店に来てくれて、俺は嬉しいよ」


 なんとも歯の浮きそうな台詞を述べて、健は爽やかに笑う。


 特に軟派な性格と言う訳ではないのだが、健はこういった言動を当たり前にする。基本物腰は柔らかく、女性を褒めるような言葉使いをするために、ノワールを訪れる女性客にはとても好評だ。


 穹を含めて二人にはいまいちだったようで、一応お礼の言葉は返すも、反応は芳しくなかった。


 二人を伴って、穹は一番奥の日当たりのいいテーブル席に案内する。


 ここは入り口からも目立たないのもあって、穹がよく勉強に使っている場所だ。もちろん込み合っている時間には遠慮しているが、今日は使うには問題なかった。


 サービスの水を持ってきてくれた健にお礼を言いつつ、穹はすぐにケーキセット三つを注文する。


 健との雑談に花を咲かせても良かったのだが、今は二人がいる。折角来たのだから、二人との話を優先させたかった。


「凄くイケメンだったねん。あの人目当ても多いと違うのん?」


 注文を受けた健が奥に消えると、さっそく朱音が探りを入れてくる。


 所謂看板娘的な扱いなのか気になったのだろう。


「まぁ、そうだね。日曜日とか良く手伝ってるから、その日はやっぱりお客さんは多いかな」


 水を飲みながら、穹は健が手伝っている日の店の客入りを思い出す。


 部の活動にももちろん力を入れている健だが、店の手伝いをおろそかにしている訳ではない。比較的手の空いている日曜日などには、午後から店にいる時がある。


 そう言う事情が分かっているからか、日曜の午後は客入りが多くなる。もちろん主に女性客。分かりやすいなと、穹はよく思っていた。


 うんうんと頷いてから、にやりと笑って、朱音は穹に身を寄せてくる。


「そんでそんで、密かに穹っちは狙ってたりするん?」


 何やら面白い話を見つけたとばかりに、朱音はそんなことを聞いてくる。


 色々と目立つ穹だが、学校で浮いた話と言うのはほとんどない。


 容姿も整っていて、何かと目立つ穹だ。告白されるイベントが多いと思われがちなのだが、実はあまりそういうイベントが発生したためしはかった。


 男女関係の距離の取り方を心得ているというのもあるが、一番の原因はアヤメだろう。


 学校ではほとんど穹の傍にいるし、浮足立った男子の噂を聞くと真っ先に圧力をかけているとか。


 そんなこんなで四六時中睨みを効かせているのもあって、穹に告白してくる男子はまずいない。


 その為に女子から逆恨みを買わず、むしろ同情的だ。


 そんな穹に、健のような男性が傍にいると分かれば、もしかしたらと思うのも仕方ないだろう。


「ないない。向こうは私を妹みたいな扱いするし、同じ大学に彼女もいるしね、健さんには」


 脈が無いのをはっきりとしつつ、可能性も無いのを穹はしっかりと答える。


 大学の同級生に、健は付き合っている女性がいる。


 穹にも紹介されたこともあり、嘘ではない。とても綺麗な人で、美術専攻しているとか。キャンバスに向かう姿が容易に想像できる、とてもお淑やかな人だ。


 嫉妬が湧くほど執着している訳でもないので、ぜひともその人とは円満に付き合っていてもらいたい。


 まぁ、それに。ぶっちゃけ好みではないし。


 と、朱音に答えつつ、穹は内心で付け加えた。


 見た目は確かに格好いいとは思うが、好きになりそうという感じは穹にはなかった。


 別にああいう人が嫌いと言う訳ではないのだが、常に一緒に居る姿が想像できないのだ。


 自分の好みの具体性はないが、違うなと思う気持ちが大きい。


 たまに店で顔を会わせて、適度に話をする。それくらいが、今の穹にはちょうどいい。健への印象はそんな程度だ。


「だからアヤメちゃん、そんなに睨まないでよ」


「あら? 私は特に何もしないわよ?」


 朱音の言葉に答えてから、穹は隣に座るアヤメに目を向ける。


 健との関係の話をしてからと言うもの、アヤメは警戒心が強まっているように見えた。


 コップから水を飲みながら、まるで射殺さんばかりに健の入って行ったカウンター奥の出入り口を睨みつけている。


 そんなアヤメをやんわりと注意するも、睨むのは止めたがはぐらかされてしまう。


 相変わらずと言えば相変わらずなのだが、年上相手にも物怖じしない辺り筋金入りである。


 アヤメの態度に、穹と朱音は思わず苦笑いを浮かべるのだった。


「そうだ。桜の木公園の桜、聞いた話によると、日曜の朝にはすっかり散っていたみたいね」


 コップの水を飲みほしたところで、不意にアヤメがこぼした。


 降ってわいた話題に、思わず穹はドキリとする。


「あ、そうなん?」


「ええ。私もまだ見たわけではないのだけれど、なんでも、突風に吹き飛ばされたみたいに公園中に散らばっていたらしいわ」


「不思議なこともあるんね。やっぱり狂い咲きだったんかな」


「それにしてはズレすぎてる気もするけどね。穹は今朝見てた?」


 通学路の異なる二人は、今朝方には桜が完全に散っているのを見ていない。


 当然、この中で唯一、公園の傍を通る穹に話を振るのは当然なのだが、本人としては堪ったものではなかった。


 桜が散ったのを穹はもちろん当事者なのだから知っていた。


 直接の原因はあの『影』なのだが、桜の花びらをその突風で全部吹き飛ばしたのは穹だ。


 桜の木を復活させてから、穹は体調を崩している。風の力を起動していても辛かったために、後の惨状を知らなかった。


 派手に散っているだろうなと思ってはいたが、割と具体的に話が広まっているようで気が気ではなかった。


「ど、どうだったかな。今朝はまだぼんやりしてたから」


「はは、だから無理はダメなんね」


「もう、仕方がないんだから」


「え、えへへ」


 穹の今朝の不調を知っている二人は、そんな風に窘めてくる。


 なんとも答えにくい穹は、愛想笑いを浮かべるしかなかった。


「でも折角なら、もうちょっと見ておきたかったかな。こんなこと、頻繁にあるわけでもないし」


「警察も動いてたし、もう無理だったのと違うん?」


「遠目からなら大丈夫じゃない?」


「アヤメちゃん、流石にそれはアグレッシブすぎるよ」


「そうかしら?」


 物怖じしないアヤメの発言に笑いながら、穹はふと疑問に思っていた。


 秋まっさかりの今の時期に桜が咲いたにしては、二人はそれほど疑問に思っていないようだ。唐突に散ってしまったのにも、仕方がない程度で済ませている。


 咲いていた期間もそう。不思議と言う感覚はあったにしても、それ以上に大きく話を広がらなかった気がする。


 これも何か、『影』の影響なのだろうか。


 何気ない会話の中からの疑問だったが、今はそれ以上の答えは見つけられない。


 しこりのような思いをしながらも、今は二人との会話を穹は楽しむことにした。


 しばらくしてケーキセットも運ばれてくる。


 専門のパティシエがいるわけではないので、ここで出てくるケーキは一般家庭でも無理せず作られるものが出てくる。


 今日はシフォンケーキのようだ。あらかじめ作り置きしていたものか、ややしっとりとしているが、これはこれで美味しかった。


「ああ、やっぱり苦い」


 コーヒーを一口飲み、穹はいつものように感想を漏らす。


 今日は郷座は休んでいるようで、コーヒーを淹れたのは健だ。学生が来るとは思っていなかった為か、一般向けの苦みの強いコーヒーだ。


 味の違いは変わらず分からないが、普段から郷座が出してくれるコーヒーより苦みが強いのは分かった。


 しみじみと漏らす穹に、朱音は同意するように頷き、アヤメは可愛く首をかしげていた。


「チェーンの店と違うのは何となくわかるんけど、味が濃くて苦みも強く感じるんね」


「そうかしら。とても美味しいコーヒーだと思うのだけど」


「アヤメちゃん、コーヒーの味が分かるとか凄いね」


「だったら穹、砂糖とか入れたら?」


「いや、何となく負けたような気がして」


「なんの張り合いしとるん」


 口に残るコーヒーの苦みをシフォンケーキで緩和しつつ、二人との会話を穹は楽しんでいた。


 味の感想を交えつつ、学校から出された課題も話題に混ざる。数学教師の課題が相変わらずやらしい等と、時折不満も零していた。


「そういやさ」


 ケーキセットを一通り堪能し、談話も落ち着いた所で朱音が切り出した。


「お二人さん、今度の土曜はお暇?」


「ん?」


「何かあるの?」


 答えつつ、穹は自分の予定を思い出す。


 普段ならここ、ノワールのお手伝いをしている所だが、その予定は強制ではない。自分の用事があれば、そちらを優先して良くなっている。


 なので、取り急ぎ予定があるわけではないが、そこは内容次第だろうか。


「いやね。今度の土曜に、運動公園の方で合同練習があるんけど、見学に来ないかなって」


「見学?」


「それって私が見学じゃなくなるやつじゃない?」


 朱音の言わんとすることを察して、穹は呆れた表情を見せる。


 見学と称して穹が部活動に呼ばれるのは多々ある。


 そういった場合、練習でテンションが上がっているのもあって参加を促される時がある。穹も負けん気が強いため参加してしまうのだ。


 穹が心配しているのはそこだった。


 察しの良い穹を見て、朱音はにこりと笑う。


「いやいや、今回は本当に見学。だけどね、他校の人が噂の高丘穹を見たいんのよ。それに、うちの部員達にも葉っぱを掛けられるしね」


「私って、どんな噂が流れてるんだか」


 朱音の話を聞いて呆れながら、穹は一考する。


 彼女の所属するのは陸上部だ。穹は単純に走るのもそれなりに早い。本格的な競技や長距離は無理だが、短距離などでは時々声を掛けられる時がある。


 それだけのはずなのだが、それで他校にまで話が広まるとは驚きだ。


 悪い方に話が広まっていないのを祈るばかりだが、流石に専攻している人達が集まる場で練習に混ざるまではないだろう。


 今回声を掛けられたのは、本当に顔を見ておきたいだけかもしれない。朱音以外の部員に挨拶する程度ならいいかと思っていた。


「私は特に予定もないし、穹が大丈夫ならいいんじゃないかしら?」


 予定を考えている所で、アヤメの方が先に同意する。


 残ったコーヒーを飲みほして、アヤメが朱音を見る。


「穹を見世物にするつもりは、本当にないのよね?」


「もちろん。だからアヤメっちにも声をかけてるんよ」


 なるほど、アヤメはストッパー代わりに呼んだらしい。


 アヤメが過保護なのは周知されている。一緒に来たとなれば、ある程度の抑制になるだろう。


 合同練習は朝かららしいが、見学だけならそれほど時間は取られないだろう。


 ノワールのお手伝いは午後からだし、挨拶が終われば運動公園を散策するのもいいかもしれない。


 アヤメも居るなら大丈夫かと、穹は見学に行くのを了承する。


「本当に見学だけなら、まぁ、大丈夫だよ」


「お、それは良かった。練習に参加はもちろんないから、お二人はゆっくり来るといいよん」


「じゃあ、準備が出来たら私が迎えに行くわね」


「よろしく、アヤメちゃん」


 土曜の予定を話し合ってから、三人は会計を済ませて解散するのだった。


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