風使いー穹-

風に愛された少女
村上ユキ
村上ユキ

011 秋に咲く桜

公開日時: 2022年10月15日(土) 17:13
文字数:5,659

 思ったより長居をして、穹は店を出た。


 昼を過ぎ、気持ち日差しが悲しくなってきた外を歩いて、穹は商店街に向かう。カッツェも、付かず離れずの距離を自由に歩いている。


 本人は猫を否定しているくせに、塀の上や狭い道をこれ見よがしに歩くのは、なんやかんやと言いながら楽しんでいるからではないだろうか。


 なんて邪推をしている内に、商店街へと戻ってきた。夕方になってきたのもあって、商店街にあるデザート関連の小売店に人が集まっていた。ほのかに、商店街は甘い香りに包まれている。


 時々、穹に挨拶をする人もちらほらある。ノワールの常連さんもそうだが、よくここには買い物に出ているので、顔見知りも多いのだ。


 ただ、やはり目立つのはカッツェだった。珍しい毛色をしているので、遠目からでもすぐに見つけられる。老人だけでなく、はしゃぐ小さな子供も指をさしてカッツェを呼んでいる。


 野良猫以上に愛想のないカッツェだ。声をかけられようとも、手を差し出して気を惹かれにかかっても、全く反応しなかった。唸りはしなかったが、顔を向けないまま穹の周りに落ち着ている。


 そんな周囲の人の努力に穹は苦笑いしながら、商店街を巡っていく。商店街にはペットショップが二か所あり、犬や猫などの一般的な飼育動物用の道具を扱っている方へ向かう。もう片方は爬虫類や猛禽類など、飼育の難しい珍しい動物用なので、今回は寄る予定はない。


 徒歩圏内では唯一とも言えるペットショップなので、品ぞろえは充実していた。狭い商店街なので規模は小さいが、必要な物は一通り揃っている。と言っても、カッツェに必要な物はたかが知れているのだが。


 ペットショップに到着すると、カッツェには店の周りに待機してもらって、穹一人で店内に入る。中にはすでに何人かの客がいて、思い思いに商品を見回っている。


 こういう買い物は初めてだったので、穹は店員に話を聞きながら、必要な物を選んでいく。


 猫用のトイレ、トイレ用の砂、餌などを選んでいく。餌は悩んだが、明らかな猫用のカリカリだと怒るだろうから、缶詰などの人が食べるのに似た物を選んだ。


 店員には、猫と遊ぶ用のおもちゃも勧められたが辞退した。そんな物を使おうものならそれこそ怒られてしまう。


 猫用の飼育道具の必要最低限しか買わない穹に、店員は終始不思議そうに首をかしげていた。猫を飼うにあたっては向こうの方が分かっている。疑われて仕方がないのは分かっているので、言葉を濁しながら穹は誤魔化すのに終始した。


 とりあえず、今後必要になる物があれば買いに来ると言って、今回は本当に必要最低限の買い物だけに留めておく。それから会計の時にも、排せつ物の処理方法についても助言をもらった。


 荷物はかさばるが意外と軽いのに驚いて、これで買い物は完了である。店を出てカッツェを探してみると、人だかりができていた。皆が中腰になって、何かの気を引こうと必死になっていた。


 輪の中心にいたのはカッツェだ。石垣に寝そべって、集まっている人だかりに辟易しているようだ。


 カッツェが穹に気づいて、視線で訴えてくる。助けろと、如実に語っていた。


『よ、人気者』


『不名誉だ』


 穹がからかうと、とても不機嫌な言葉が返ってきた。注目されるのが苦手と言うよりも、興味が無くて迷惑していると言った感じだ。


 なんともカッツェらしい返しに穹は小さく笑ってから、穹は人垣に近づいた。事情を話して避けて貰ってカッツェを抱き上げると、みんな一様に驚いていた。余程避けられていたらしい。


 品種なども聞かれたが、穹は素直に分からないとだけ答えた。妙に長い毛や、赤みが強い茶色で毛先だけが黒いのだ。気になるのは仕方がないが、きっと世界中を探しても同じような猫は居ないだろう。元人間なのだから、詳しく調べたら猫なのかも怪しいけれど。


 撫でさせてほしいと言った人も居たが、カッツェも嫌がっていたので丁重にお断りさせてもらった。抱きかかえられるのも嫌がっていたが、そこは我慢してもらう。


 色々声を掛けられつつも、穹は早足にその場を後にする。来た道とは違う道を帰る羽目になるが、夕飯までは大分時間があるので、散歩だと思って切り替える。


 商店街から離れた所で、穹はカッツェを下ろしてやった。


 解放されて嬉しいのか、大きく伸びをしてからカッツェは先を歩き始めた。まだこの辺りの地理には疎いはずなのに、家の方角だけで向かっているようだ。


 そこは流石泥棒と言った所だろうか。妙に感心しながら、穹は荷物を抱え直してカッツェの後に続いた。


 秋の涼しい風を受けながら、穹は自分の気持ちがようやく落ち着いたのを実感する。


 実際に戦うと言うのは、思っていたよりも精神的に追い込まれるものだった。


 戦っている最中は必死だったために、考える余裕が無くて体が動くままに動いていた。それ自体は悪いわけではないし、委縮して全く動けないよりはいいだろう。


 しかし、一晩明けて思い返してみれば、命をやり取りをしていたのである。しかも、魔法なんて全くの未知の力を使ってだ。


 そんな事をして、まともで居られるはずがない。


 穹は普通の女の子だし、精神的にも肉体的にもまだ幼い。平和な日本の片田舎に住まう穹にすれば、本来なら、一生縁がない出来事だった。


 ゲームや漫画とは違う。物語の主人公みたいに、戦いの後すぐに気持ちを持ち直すなんて芸当は、今の穹にはなかった。


 休息の為に家に戻り、カッツェの話を終わらせた後だ。その時になって初めて戦闘の恐怖を自覚し、体が震え始めたのだ。


 体はどうしようもなく震え、扉の前でうずくまって、しばらく動けなかった。ホットミルクを出したのも、本当はカッツェの為ではなく、少しでも自分を落ち着かせたかったのだ。


 いつも話をしている人と話をして、好きな物を食べる。涼しい風を受けて、ようやくいつもの自分に戻れた気がした。


 たぶん、あの時を思い出せば恐怖はまたぶり返してくるだろう。でも、また恐怖で体が震えてくる程ではない。


 もう、戦いたいとは思っていない。あんな戦いはもうやりたくない。そもそも、あの戦闘だって成り行きだったのだ。


 カッツェ曰く、風の結晶体を取り返すために追手が来るらしい。口振りからしてその誰かを信頼しているようだし、その人が先に来るかもしれない。


 そうすれば、真っ先に風の結晶体を渡せる。これ以上の戦いをしないで済むのだ。


 あ、でも。この指輪部分だけは置いて行ってもらえないかな。


 風の結晶体を返すのは、穹は躊躇いはなかった。ただ、この指輪だけは手元に残したいと思っている。


 両親の物ではないかもしれないが、これは両親の仏壇で見つけた物だ。もしかしたら、何か関連があるかもしれない。


 最後の誕生日プレゼントは、事故の際に焼失してしまっている。それ以前では幼いゆえに物を貰っていないので、思い出として写真しか残っていないのだ。


 ゆえに、かも知れない程度の物とは言え、この指輪は、両親と何か繋がりがある形ある物だ。手元に持っておきたいと思うのは、当然の思いだろう。


 話の分かる人が来てほしい。まだ来ぬ人を夢想して、穹は遠くを見つめた。


 時間もいつの間にか進み、日差しが少し寂しくなってきた。風も冷たくなってきて少し肌寒い。自分の誕生日が過ぎれば一気に寒くなっていくような気がするのは、毎年思っている。


 休日と言うのもあって、子供の声が遠くから聞こえてくる。ここは車通りが少ないから、より聞こえやすいようだった。


 今穹が居るのは、住宅街と商店街の間。大きな通りではなくて、乱立する建物の間に出来た道と言った感じだ。車道と歩道の境はなく、車も人も通れる道だ。


 カッツェは先頭を歩き、景色を覚える為か、せわしなく顔を動かしている。頭の動きに合わせて尻尾も動いているので、そこは何とも可愛らしかった。


 そういえば、カッツェは男性なのだろうか? それとも、女性なのだろうか?


 猫の声は判断が付きにくく、カッツェの口調もあってなお分かりにくい。今更、性別を聞くのは失礼だろう。本人は気にしないだろうが。


 でも、一人称が『ボク』と言っているので、恐らくは男性なのだろう。あんな口調で、年齢だって忘れるくらいに生きているに一人称がボクなのは不思議だが。


 ゆらゆらと揺れる尻尾を眺めながら穹は後ろをついて歩く。すると、不意にカッツェが止まった。何かを見つめている。


 遅れて穹も止まり、カッツェが見る先を見る。


 そこは公園だった。裏道をつらつらと歩いている内に、穹が商店街に向かう時に通った道に戻ってきていたのだ。泥棒の方向感覚は恐ろしい。


 通学路にある公園で、穹もここは良く知っている。確か自治体が管理している場所だ。昨今の事情で遊具類は撤去されてしまっているが、穹が小学生だった頃には沢山の遊具があってよく遊んでいた。


 今は、公園の中央に生える大きな桜の木が一本あるのみだ。これは昔からあるらしく、年配の人たちが子供の頃にはすでにあったらしい。今でも元気に花を咲かせて、ちょっとした名所みたいになっている。


 今は紅葉が進み、木の枝や地面が赤く染まっている。


 公園内には子供が何組が居て、思い思いに遊んでいる。知り合いなのか、保護者と思われる女性たちがベンチに腰掛けて談笑しているのが見えた。


「何かあった?」


 これと言って、穹には目新しい光景ではなかった。ただ、何かカッツェが気に掛ける物があったのだろう。


 しばらく間を空けてから、カッツェは頷いた。


「いるな、あれが」


「あれ?」


「昨日の『影』だよ」


「っ」


 思わず、穹は体を強張らせた。


 目の前に広がるのは、何気ない日常だ。戦いとは無縁で、ここが危険であるとは微塵も思えない。


 なのに、カッツェはここにいると言う。穹は信じたくはなかったが、疑うつもりもない。


 カッツェは昨夜、裏山に現れた『影』をいち早く察知していた。おそらくは、土の力を応用したなにかで察知しているのだろう。


 ならば今やるべきなのは、あの人たちの避難だろうか。しかしどうやって説明すればいい。


 ここは危険な可能性があるから、逃げた方が良い。そういうのは簡単だ。


 ただ話したところで信じては貰えないだろう。むしろ、妙な事を言う変な子に見られて終わるだけだ。具体的な話をできないのだから説得するのも難しい。


 穹は一度呼吸を落ち着けると、改めてカッツェに尋ねる。


「カッツェ、どうするの?」


「どうするもこうするもないよ。何もしない」


 カッツェからの返答は、とんでもない物だった。驚いて、穹はカッツェを見た。


 あの『影』がどれだけ恐ろしい存在なのか、穹は身を持って感じている。あれは決して、こんな街中で放置していていい存在ではないはずだ。


 ましてや、ここには無関係な人たちがいる。下手すれば、今にも巻き込まれるかもしれないのだ。


 アヤメや穹を助けてくれたというのに、無感情に公園を見つめるカッツェを、穹は信じられないと言った面持ちで見つめる。


 困惑する穹に見られているのを分かっていても、カッツェは構わず続けた。


「あの『影』は日中は動けない。仮に動けたとしても、日差しのある今の時間じゃ派手な動きはしないだろう。しかも都合がいい事に、まだこっちには気が付いていない。なら、下手に刺激して戦うよりも、何食わぬ顔で放置するのが一番だ」


「あんな危ないのを放置なんて」


「危ないからこそ、穹は近づかない方がいいだろ。あの時は察知されて仕方なく迎撃したにすぎないし、戦えるのが穹しかいなかったから戦って貰ったにすぎない。戦わないで済むのなら、それが良いだろ」


「でも」


「それともなにか? 誰とも知れない赤の他人を助けるために、穹は命を懸ける気概でもあるのか?」


 鋭い言葉で指摘されて、今度こそ穹は黙ってしまう。


 カッツェの言い分はもっともだった。穹は戦うのが怖い。今ようやく、戦いの衝撃からある程度持ち直せたと自覚したばかりだ。


 戦いたいわけじゃない。命を懸ける覚悟があるわけではない。戦わなくていいのなら、そうしたいと思っている。


 こうしている間にも、戦いになる可能性を思うと体が震えてくる。あの人たちに向かって叫んで避難を促したくても、声が出せなかった。


 言われて、気が付いたのだ。今の穹には戦う覚悟がないのだと。カッツェにはすべて見透かされて、厳しく注意されたのだ。


 戦う覚悟がないのなら、戦うなと。


 成し遂げる勇気がないのなら、何もするなと。


 何か言い返したい気持ちはあったが、結局穹は何も言えないまま、口を紡ぐしかなかった。


 納得できない部分はあるにしても、今の穹には何も出来ないのだ。事態をややこしくしたとして、それを解決できる手段も方法も、思い浮かばなかった。


 なら、カッツェの言う通りに、今は何もしない方がまだいい。気が付いたというだけで、何かが起きている訳でもないのだから。


 カッツェと公園を視線を往復させるものの、それきり穹は何も言えなくなり、ゆっくりと首肯した。


「……分かった。帰ろう」


「それが良い」


 帰ると決めた穹にそれ以上カッツェは何も言わないまま、また先を歩き出した。


 茫然と穹は公園を見つめていたが、これ以上は何も言え無し、何もできないのだと自分に言い聞かせてカッツェに続いて歩き始めた。


 願わくば、あそこに居ると言う『影』が何もしないのを祈るばかりだ。


 穹は不安を抱えたまま、その場を後にするのだった。


 だが、穹の思いとは裏腹に、事態は予想外の方向へと進んでいった。




 ☆



 穹が公園を後にした、翌日のことだった。


 その日の夜。公園に一本だけ生えた桜の木。


 風もないのに、木の葉がざわざわと揺れると、次々と落下していったのだ。


 次第に勢いを増して、数分と経たないうちに木の葉はすべて落ちてしまった。


 残ったのは、枝だけとなった木の枝のみ。


 それもすぐに事態は変化してく。


 なんと、枝に次々と蕾が芽生え始めたのである。


 生育は進んでいき、蕾が伸びると、薄い桃色の花を咲かせ始めた。


 まるで早送りのような速度で、また数分もしない内に、桜は満開に咲き誇った。


 誰もいない静かな公園で咲き誇る桜は、美しくもあり、とても寂しい光景だった。


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