大分衰弱していたが、猫は一命を取り留める事が出来た。気を失っている間に必要な治療も終えて、経過観察は必要になるが、命に別状はないとの保証を受けられた。
入院と言う話も出たが、それは穹達の方で断った。野良猫なので心配もされたが、アヤメが守崎だと知ると納得してくれて、連れて帰れた。
アヤメの家は、裏手に山のある、武家屋敷のような広い豪邸。元々この地域の地主みたいなもので、その名残だと言うのを、知り合った時に穹は聞いていた。今は特に利権を持っている訳ではないが、守崎の家は市内でも有名だ。
特に人柄には問題ないのだが、こういう背後があるために、アヤメは学校でも浮き気味だった。今にしても、穹がこうして仲良くできているのは、随分運が良かったなと思っている。
アヤメの両親は多忙らしく、ほとんど家に居ない。友達として何回か遊びに来ては居るが、穹は未だに一度も会っていなかった。悪い想像をしてしまうが、両親が健在であるのは、アヤメが保証している。
基本はこの広い屋敷にアヤメの一人暮らし。管理が難しいため、週末の限定でお手伝いさんが来ている。車の運転手を務めていた女性は、放課後限定のボディーガードみたいなものだ。離れていても、娘を心配している両親の心遣いだろう。
アヤメが穹に構いたがるのは、そういった寂しさの反動なのかもしれない。特にそういった素振りを見せてはいないが、思春期の女の子が一人暮らしなのだ。そういった感情があってもおかしくないし、分からない穹ではない。
普段の行動に特に注意すると言う訳でもなく、甘んじて受け入れているのは、そういった思いがあるからだった。
むしろそうして甘えてもらった方が、穹としても悪きはしないし、逆に気兼ねなく甘えられているのだ。
連れてきた猫を、アヤメは普段は使われていない一室に通した。広さは八畳程。隣はアヤメの私室だ。
普段は使わない道具が置かれているのか、少し雑多だ。おもちゃ等も置かれているから、ほとんど物置のような部屋なのだろう。ベビーベッドまである。
アヤメは抱えていた猫を、そのベビーベッドに寝かせた。タンスから毛布を取り出すと、猫に負担にならない程度に上からかけてやる。
普段から使われていないがために、この部屋は少し寒かった。電気ストーブや加湿器もセットして、充分に部屋を暖め終わったところで一息付けた。
静かに眠る猫をのぞき込んで、穹も安堵する。アヤメと頷きあうと、静かに部屋を後にした。
連れてきた猫を気遣って、二人の誕生会は粛々と進められた。お昼での宣言通り料理はとても豪華で、二人では食べきれない量だった。明日の朝食にすればいいというので、デザートにケーキも用意してあるので、程ほどにして切り上げる。
声量は抑え気味だが、終始、二人は楽しそうに話していた。
「そういえば、あの猫はどうする? うちで預かろうか?」
団欒も落ち着いた所で、アヤメは思い出したように穹に尋ねる。
病院から連れて帰るにあたって、その後の扱いは、穹とアヤメに任されている。
アヤメが守崎であると分かってくれたので治療してもらえたのだが、だからこそ、どうするのかまで託されているのだ。
さてでは、猫はどうするかとなった時、アヤメは自分で預かるのに抵抗はなかった。屋敷は大きくて、一人暮らしでは持て余してしまっている。部屋は余っているし、猫一匹を置いた所で困らない。
起きた時に知らないアヤメを見たら驚くかもしれないが、穹を初めて見た時の反応を見るに、人に警戒はしても逃げ出したりはしなかった。ある程度、人に慣れている証拠だろう。
怪我をして気性が荒くなっただけで、少し落ち着けば初めての場所でもすぐに慣れると思われる。そう思えば、アヤメの家に預けるのが猫のためでもあるだろう。
しばらく返事を待ってみたが、穹はすぐには答えないで、ぼんやりと、猫のいる部屋の方をじっと見ていた。
すぐに返事をしなかったのは、きちんと考えているからだった。
あの時は必至だったし、目の前で一つの命が消えるのを良しとしなかったから、咄嗟の行動だった。
けれどこれからは違う。あの猫がどうなるかを、真剣に考えないといけない。
常識的に考えるなら、アヤメに預ける方が確実だろう。いざとなれば助けが多いのはアヤメの方だし、経済面で見ても不安はない。きっと病院側も、それを分かって二人に預けたのだから。
「……ううん、あの子は、私が預かるよ」
考えた末、穹はこぼすようにそう答えた。
結局、あの猫を助けようと思ったのは穹の意思なのだ。
助けてから、自分では手に負えないからお願いしますでは、余りにも無責任ではないだろうか?
不安もあるし、世話ができるかは分からない。でも無責任に放り出せるはずもないので、穹は自分で責任を持つ決心をしたのだ。
「大丈夫?」
意思は伝わったのか、アヤメは否定するのではなく、気遣うように尋ねてくる。
生き物を飼うと言うのは大変だ。やってみて、色々と気を遣う事が増えてくる。理想と現実との差に驚く方が多い物だ。
中途半端な思いで穹が答えたわけではないのは分かっているが、それでもアヤメは聞かずにはいられなかった。
思わず、穹はまた苦笑いを浮かべる。
「大丈夫かどうかは、まだ分からないけど。でも、アヤメちゃんには色々相談することになるかも」
「ふふ、分かった。遠慮なく聞いてね」
「うん」
「それから、三柴のご両親にも相談しないとね」
「ああ、うん。それは、もちろん」
それも一つの懸念だった。
どうあっても、穹は世話になっている身だ。穹への配慮と、高丘家の管理の為に、三柴家は態々今の家に越してきてくれている。これは本当にありがたい話だ。
ある程度自由にさせてもらっているが、生き物を飼うとなればまた違う話になってくる。
今の穹は中学二年生。小学生ならばいざ知らず、そんな勝手は許されるはずもない。互いに距離が出来ているとはいえ、飼うにしても相談するのは当たり前だ。
アヤメの注意に少し躊躇ったが、今度ばかりは、穹もきちんと話をするつもりだ。
正直海人の方はどうでもいいと思っているが、三柴の両親は分からない。命を預かる責任を追及されて、反対される恐れもある。少なからず、三柴家に迷惑をかけるのも必然。
そんな迷惑を被ってくれるかは分からない。断られてしまったら、穹は反発出来ない。大人しく、アヤメの方にお願いするしかないだろう。
でも、まずは話をしてからだ。遠慮があるとか、思う所がある等、今回ばかりは二の次だ。見つけてしまった以上、穹は自分で責任を取りたいと思っている。半端な覚悟での決断ではない。
あいまいな返事ながらも、穹の決意を読み取ったアヤメは、安心したように頷いだ。
「なら、大丈夫だね」
二度三度と頷いてから、アヤメはお茶を飲みほして、時計を確認する。
大分のんびりしていたようで、大分遅い時間になっていた。
「お腹も落ち着いたし、そろそろお風呂に入ろうか」
「あ、うん、そうだね。じゃあ、お先にどうぞ」
アヤメの提案に、穹も頷いてから、お風呂の順番をアヤメに譲った。さすがに、友達の家に泊まりに来てから先に入ろう等と無遠慮な行いをするつもりはなかった。
が、次のアヤメの言葉に、穹の思考は一瞬止まる。
「え、一緒に入るよ?」
今のアヤメの言葉が理解できず、穹は返事も忘れて呆けたようにアヤメを見つめた。
アヤメは気分の良さそうな笑顔のまま、いつの間に用意したのか、着替えを抱えている。ご丁寧に、穹の分まで用意しているようだった。
これには流石の穹も困った。
「い、いや、流石に一緒に入るのは」
守崎家の風呂は、その規模に負けないくらいに広い。温泉宿並とはいかないでも、大人三人くらいは余裕で入れるくらいには広い。つまり、女子中学生二人が入るのには充分以上の広さはある。
しかし、しかしである。
思春期真っ盛りであるからして、穹にももちろん恥じらいはある。いくら同性であり、一番の仲良しであるアヤメが相手だとしても、裸を見られるのには抵抗があった。
さらに言えば、アヤメはやたらと穹に構いたがる。一緒にお風呂に入った暁には、何をされるか想像できない。
ここはなんとしても回避したかった。
「せっかくのお泊りなんだもの。裸のお付き合いだってしたいじゃない?」
だがアヤメも譲るつもりはないのか、穹が言葉を続けるより先に、一緒に入るように押してくる。
逃がすつもりもないのか、テーブルを回って穹ににじり寄ってくる。
「で、でも」
獲物を狙うハンターのようなアヤメの行動に、穹の言葉も次第に弱くなってくる。
ここで抵抗しないといけないのは分かっているが、悲しきかな、その性分ゆえに強く押し返せないでいる。
そこをついて、アヤメは最後の攻撃に出る。
「それとも、穹は、私と一緒は、いや?」
先ほどまでの勢いはどこへやら。急に目尻を下げたアヤメは、上目遣いに穹に改めて尋ねてくる。
その姿はとても弱弱しく、思わず、庇護欲を駆り立ててくる。
こうなると、穹はどうにも弱い。ここで断るのも出来なくはない。恥じらいはあるし、やはり見せたくないと言う思いはある。
ある、のだが。
ここでまた断ってしまうと、どんな反応するか分からない。策略なのも分かっている。弱みに付け込まれているのも理解している。
ただ残念ながら、それを理解していながら断れるほど、穹は強くなかった。
「……分かった。入る」
我ながら意思が弱いのを自覚しつつも、穹はアヤメの攻勢に抗い切れずに、一緒に入るのを了承してしまうのだった。
途端、アヤメは表情を一変させて、嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「えへへ、だから穹の事大好きだよ」
「分かった、分かったから。早く行こう、か」
「うん。洗いっこしようね」
「はいはい」
「あ、それから。寝る時も一緒だからね」
「え?」
「さ、行こう行こう」
「え、ちょ」
とても自然な流れで一緒に寝る約束も追加され、穹は大いに慌てた。
布団まで一緒になっては、穹への好感度が振り切れているアヤメが何をしれくるか、分かったモノではない。
友人として一線を越えてくるとは思っていないが、身の危険を感じるのには充分だった。
結局その後、風呂では体のあちこちを触られて、布団でもスキンシップを図るアヤメに、穹は余計に疲れる誕生日を過ごすはめになった。
もちろん、穹が本当に嫌がるような行為はしてこないので、恥ずかしさをある程度我慢すれば楽しい時間だった。
だから気が付けなかった。
お風呂から上がって寝る頃には、隣の部屋から猫がいなくなっているのに。
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