「そう言えば、噂の外国の子。この前初めて見たけど、すっごく細かったよね」
ぜんざいも食べ終わって、緑茶で口の中を落ち着かせていた時だった。
不意に、クラスメイトの子がそんな話を切り出した。
急な話に、穹はつい固まってしまう。
そんな穹の様子に気が付かないまま、彼女は話を続ける。
「もう、足とか腰とかすっごく細くて。羨ましかったなぁ」
「わかるわかる。心配になるくらい細いとかじゃなくて、普通に羨ましいって思える細さだった」
羨望の眼差しを虚空に向けながら思い出すように呟けば、もう一人もまた追従する。
正しく日本人離れしている噂の子は、同世代と言うのもあって、一目見たらあのスタイルは忘れられないのだろう。
穹から見ても、彼女はとても細身だった。不健康と言う訳でもなく、あれは自己管理がしっかりできた結果の細さなのを伺えた。
適度に肉もついていて、スラリとした肢体は背も高く見えた。
羨ましい、という彼女達の意見にも納得できる。
しかし手放しに賛同できるほど、今の穹はエレノアに対して良い感情を抱いていなかった。
今の今まで考えないようにしていたが、エレノアは昨夜会った時に、明日が楽しみだと言っていた。
どう動くは分からないが、少なくとも、今日のどこかのタイミングで穹と接触してくるのは間違いない。
たまたまだったのか、商店街を歩いていも出くわすことはなかった。
ゆったりしていたのもあって、外はもう日が傾き始めていた。
『影』達の動きが活発になってくるのが夜というのを考えれば、もしかしたら、エレノアもそろそろ動き出しているかもしれない。
クラスメイトとの会話でそれを思い出した穹は、自然と表情が硬くなっていた。
「分かるけど、私としては、やっぱり穹のスタイルの方が羨ましくもうんよね」
クラスメイトの言葉に賛同しつつも、朱音が羨むのは穹の方らしかった。
そのスタイルには勝てないわ。そう言いながら、じっとりと穹の体に目を向ける。
視線を向けられた穹は、はっとして顔を上げる。
「まあ、言いたいのは分かるけどね」
「ほんとほんと。なんで腰は括れるくらい細いくせして、しっかり胸とかお尻とかに適度な肉付けられるのさ」
「いや、まあ、なんでなんだろうね?」
秘密を教えろと言わんばかりに他のクラスメイトから睨まれるものの、穹としてはどう答えたものか分からない。
特別何かをしている訳ではない。と言えば嘘に思えるかもしれないが、本人としてはその認識だった。
三柴家の食卓はバランスよく考えられているし、穹は自主練習を欠かしていない。
なんなら、運動量としては、使役者として目覚めてからは増やしている方だった。
持つ物の贅沢な悩みかも知れないが、最近は胸がまた大きくなり始めているようで、運動するとやや痛くなっている。
平均的な中学生女子よりは運動しているが、肉は減らない。それどころか大きくなっている。なんて、今目の前に居るクラスメイトには、口が裂けても言えないだろう。
「おのれ。私も同じくらい運動しているはずなのに、必要な所は落ちにくいくせして、欲しい所が先に無くなるのはなんとも理不尽なんよ」
困ったような穹の答えに、悔しそうにしているのは朱音だった。
陸上部なのもあって、朱音の運動量は穹よりも上だろう。単純な走り込みの量なんて、想像も尽かない差があるに違いない。
なので朱音も見た目の心配をする程太っている訳ではないのだが、ややスレンダーな体型をしている。
同じ女性として、起伏のはっきりした穹のスタイルは羨ましいのだろう。
他のクラスメイトも、朱音の感想に同意するように頷いている。
やはりこの手の悩みは、中等部とは言え、考えしまうのだろう。
成熟の早かった穹は、そんな皆からの羨望の眼差しを受けて、何とも言えない表情になるのだった。
そうして噂のエレノアの話をしつつ、皆で穹をからかっている内に時間となったので、それぞれ会計を済ませて店を出た。
日差しはすっかり傾いて、通りは赤く染まっている。
イベントの喧噪も落ち着いていて、会場から帰るのであろう家族連れがちらほらと見える。
ただお菓子を配るだけのイベントにもかかわらず、こうして多くの人にも訪れて貰えて、手伝った身としてはとても満足のいく風景だった。
「あちゃあ、のんびりしすぎたんかね。イベントももう終わりかぁ」
最後に店から出てきた朱音が、そんな様子を見ながらぼやいた。
男子チームも解散してるから分かる通り、この時間帯になると学生達の役割はほとんど終わっている。
学校からの指示として参加はしているが、その実態のほとんどはイベントを楽しむことにある。
特に穹達は中等部と言うのもあって、仕事の負担はほぼない。今回の参加も、高等部になってから本格的に参加するであろう、予行練習みたいなものだ。
来年にでもなれば、穹達にグループも別の班となって新しい作業を手伝うのだろう。
朱音のそんな言葉も、仕事を怠けた罪悪感と言うよりも、イベントに本格的に参加しなかった無念から出た言葉だ。
もちろん、こうして皆とおやつをして、時間を忘れて話すのが嫌という訳でもないのだが。
「ま、イベントのお菓子配りは明日の午前まではあるんだし、そこでまた巡ればいいんじゃないかな?」
イベントの概要を思い出しながら、穹はそんな朱音に答える。
イベントそのものは、明日も行われる。
しかし実態としては、今日余ったお菓子を捌くというのがほとんどの目的であり、店によっては通常営業に戻っていたりもする。
なので明日のイベントに参加するのは、時間を持て余している地元民がほとんどだ。余り物を狙ってあえて明日参加する人も居るくらいだ。
お菓子巡りをするという意味では、今日で余り参加できなったとしても、明日にすればいい。
そんな風に言えば、もちろん分かっていると、朱音は頷いて見せた。
「そうなんよね。なら、今日は私達もここで解散かな?」
時間もちょうどいいので、朱音はそう皆に提案する。
出席に関しては学校に報告する必要はあるが、解散するのは生徒達の自由に任されている。
教師達も一日学校に待機させておくわけにもいかないし、全校生徒を把握するのも大変だからだ。
貧乏くじを引かされて常駐している教師もいるにはいるが、だからって点呼をその少ない人数でさばききれるはずもない。
午前はみっちり仕事がある生徒が大半なので、ほとんどの生徒はお昼を過ぎた辺りから各自解散しているだろう。
イベントの最後まで居座っているのは、穹達のような見回り組だけだ。
イベントも終わりを迎えているとなれば、今から商店街に戻っても仕方がないので、朱音の提案に皆頷いた。
「じゃあ、また学校で」
「明日会うような時は、その時はよろしく」
「穹っちの所にも顔出すね」
「うん」
「じゃあねえ」
お店の前でそれぞれが挨拶を交わすと、各自帰路に就いた。
偶然にも家が近いのでその方向へ行くもの、道が同じなので連れ立って歩いてく人それぞれだ。
穹だけは、ノワールの方へお菓子を配り終わった旨を報告に行くので、まだ帰路に就くわけではない。
皆を見送ってから、穹は一人商店街に向かった。
自分の仕事は終わったというのもあるので、また話しかけられてはたまらないと、腕章は歩きながら外して置く。
これも学校の備品なのだろうが、いつ返せばいいのだろうかと、穹はふと考える。
大学部の人は、多分イベント後に集まるからその時に返すのだろうが、自分はどうすればいいのだろうか。
しばし考えた穹だったが、悩んでも仕方ないかと、鞄にしまっておく。
休み明けにでも担任に聞いて、その時に渡せばいいだろう。
腕章を外せば、何となく体が軽くなったような気がした。
イベントへの参加は気楽に出来ていたと思っていたが、どうやら、知らず知らずの内に気を張っていたらしい。
知らない人と話す機会もこの腕章を付けていたので多かったので、その気疲れもあったのだろう。
体に染みる疲労感を吐き出すように、穹は深くため息を吐いた。
茜色に染まる街は、それだけでノスタルジックな雰囲気がある。
今日という日を楽しんだ家族の団欒が、微かに耳朶を討つ。
街に漂う仄かに甘い香りも相まって、イベントは成功したのだと、穹はゆっくりと感じ取れた。
そんな情緒漂う雰囲気を感じていれば、不安に思う気持ちを少しは慰めてくれているような気がした。
商店街を避けるようにして、穹はすぐに、ノアールのある通りに入った。
空になった袋を無為に震わせながら、穹は携帯電話を取り出した。
連絡用のアプリを立ち上げてみれば、アヤメから連絡が入っていた。
どうやら本部の仕事も落ち着いたようで、アヤメも早々に解放してもらえたようだ。
今は、お菓子の余り等を物色しながら、ノワールの方へと向かっているらしい。
ちょっと前の連絡だったので、恐らくは、すでにお店の方に到着しているのではないだろうか。
お店にたどり着けばアヤメが出迎えてくれて、そこでゆっくりとイベントの感想を話せると思えば自然と足が軽くなる。
夕暮れも深まってきた頃、穹はノワールへと戻ってきた。
忙しい時間帯はとうに過ぎていて、店は開いているのか不安になるくらい静かに佇んでいた。
店の窓から零れる微かな光だけが、未だ営業しているのを教えてくれる。
ゆっくりと穹が扉を開けば、古びた鐘が入店を告げる音を奏でる。
「あら、穹さん。おかえりなさい」
まず店に入って出迎えてくれたのは、明るい皐月の声だった。
今はカウンターに一人、食器を拭きながらお客の対応をしているようだ。
郷座は夕方頃になると、厨房に入り切りになる時があるので、特別驚くような光景ではなかった。
朝からずっと店の手伝いをしてくれていたのだとすれば、皐月には感謝するしかないだろう。
「はい、皐月さん。ただいま、戻り、ました」
笑顔で出迎えてくれた皐月に笑顔で挨拶を返した穹だったが、その言葉尻は次第に弱くなっていった。
店の中に居たのはたったの二人。
一人は、元々待ち合わせをしていたアヤメだった。カウンター席に座って、商店街から貰って来たのであろうお菓子の類を広げながら、紅茶をのんびりを楽しんでいる。
穹の入店にすぐに気が付くと、皐月との挨拶が終わった穹に向かって笑顔で手を振ってくれる。
そんなアヤメに手を振り返しながらも、穹の視線は、そんなアヤメの隣に座るもう一人の少女に釘付けになってしまった。
もう一人のお客として店に居たのは、なんとエレノアだった。
入店してきた穹に興味がないのか、アヤメの隣に座って、目の前に広がるお菓子を眺めながら紅茶を飲んでいた。
「穹、どうかした?」
反応の乏しい穹に、アヤメが不思議そうに首をかしげた。
アヤメの言葉に意識を取り戻した穹は、なんでもないと言ったように首を振ると、エレノアとは反対のアヤメの隣へと腰かけた。
どこか気もそぞろな穹にやはり不思議そうな顔をするアヤメだったが、疲れもあるのだろうと一人納得していた。
穹も穹で、なるべくエレノアを意識しないようにしながらも、成果を報告するべく皐月へと顔を向ける。
「皐月さん、袋お返しします」
「はいよ、後で郷座さんに渡しとくね。いやあ、すっかり渡し終えてくれたようで、嬉しいやら何やら」
「何かありましたか?」
「何かって訳でもないんだけど、一四時くらいからお客さんが増えちゃって、そりゃあもう、普段にはない忙しさだったよ」
嬉しい悲鳴ってやつだね。疲労を滲ませるように笑いながら、皐月は細長いグラスに氷を入れながら、カウンター下に配置された冷蔵庫からオレンジジュースを取り出していた。
どうやら穹が練り歩いた成果はあったようで、イベントが落ち着いてきた頃合いから、ノワールにお客さんが増えていたようだ。
家族連れはもちろんのこと、学生の集団までと、幅広く訪れたのだとか。
中には、穹は居ないのかと尋ねてくるお客もいたようで、その対応にも追われていたらしい。
外回りに出ていた穹はもちろん居ないので、丁寧に対応していれば迷惑をかけるような人もおらず、ここの昔ながらの喫茶店の雰囲気を楽しんで帰ってくれたようだ。
ほとんど穹と入れ替わるようにしてお客は捌けてしまったので、穹が感じたいつも通りの雰囲気というのも、ついさっき戻ったばかりなのだ。
お昼に皐月が言った通りになって、穹は自分の宣伝効果があったのに素直に驚いた。
郷座も忙しくしていたようで、すっかり疲れてしまって、今は休憩をとっているらしい。
もう間もなく健も戻って来るそうなので、皐月も店をすっかり任されていても苦にはしていないようだ。
無論ただという訳ではなく、きっちりと健に埋め合わせを指せると意気込んでいたから、流石と言った所か。
「私もちょっと前に来たけれど、お店が結構込んでいて驚いちゃったわ」
ため息を吐くように愚痴る皐月に笑いながら、アヤメもいつもと違うお店の雰囲気の感想を漏らした。
以前は閑散とした雰囲気だったために、イベント中とは言え驚いたのだろう。
ノワールが人で込み合う状況というのは穹も経験がないので、少し見てみたかったなと思ってしまう。
渡されたオレンジジュースを飲みながら、自分のイメージ出来ない状況に穹は笑みをこぼした。
口の中に広がるオレンジの酸味を楽しみながらも、いい加減触れなければならないと思いながら、穹は視線をアヤメの向こうにいるエレノアへと向ける。
話を聞いているのかは分からないが、エレノアはカウンターに並べられたお菓子を興味深そうに眺めたままだった。
色とりどりのお菓子は、それだけ今日、商店街の人が準備をしてきた証だ。
先日まで、そんな準備を台無しにしようとしていた彼女は、いったい何を思うのだろうか。
嫌な感情だとは思いつつも、穹はそう思わずには居られない。
視線に気が付いたエレノアが、ふと顔を上げて穹を見返した。
何の感情も抱いていないはずなのに、深い藍色の瞳に見つめられて、まるで心の内を見透かされているような気がして、つい気追ってしまった。
強張った穹の表情から何かを察したのか、薄っすらとだが笑みを浮かべる。
艶めかしくもどこか怪しい雰囲気の笑みに、穹は背筋が寒くなるのを感じ取った。
ごくりと息を呑むと、それでも穹は意を決して尋ねた。
「えっと、それで。エレノアさんは、どうしてアヤメちゃんと?」
昨日、また会おうと言ってきたのは今でも覚えている。
穹の詳しい居場所を知らない為に、ここのノワールに来たのはまだ分かる。
それがどうして、アヤメと隣同士で座り合ってお茶をしているのか。穹には到底理解しがたい状況だ。
出来るなら、今すぐにアヤメの手を引いて店を飛び出してしまいたい。
そんな恐怖からくる衝動を抑えながら、穹はその理由を尋ねた。
やや強張っている穹の問いかけに、笑いながら答えたのは皐月だった。
「その子も忙しい時間に来たんだけど、周りに知り合いらしい知り合いも居ないみたいだったし、知らない人に囲まれるくらいなら、アヤメさんに話し相手になって貰えないか私から頼んだのよ」
「私も話し相手は欲しかったから、お受けしたの」
エレノアとの会話は有意義だったのか、アヤメは嬉しそうに笑いながらエレノアに同意を求める。
エレノアも悪い気はしていなかったのか、皐月とアヤメに聞かれると、戸惑いながらも頷いていた。
「はい。二人はとてもよくしてもらった。穹さんの周りには、良い人が多いね」
言いながら朗らかに笑うエレノアに、先ほどまでの怪しい雰囲気はない。
快く答えてくれたエレノアに、皐月もアヤメも嬉しそうに笑っている。
そうして二人から笑みを向けられるエレノアを見て、穹はまた、じくりと胸が痛むのを感じた。
またも整理の付かないこの感覚に、穹は戸惑いを覚えるのだった。
「それにしても、穹も水臭いわね。エレノアさんと知り合いになったのなら、私にも話してくれても良かったのに」
エレノアと話をしている内に聞いたのか、どうやらアヤメは穹とエレノアが顔見知りになったのを知ったらしい。
確かに、話す機会はなかったが、知らせておいても良かったかもしれないと今更に思う。
「ごめん。準備期間中、アヤメちゃんと中々ゆっくり話す機会も無くって」
「まあ、仕方ないかしら。私も、先生方と話している機会の方が多かったもの」
「アヤメさんは凄いなぁ。穹さんと同い年なのに、主催側に関わっているんだもの」
「と言っても、私はほんのお手伝い程度でしたよ」
皐月の手放しの称賛に、アヤメは遠慮がちに答える。
中等部というのもあって、確かにアヤメは本格的な運営の仕事には携わっていなかったであろう。
それでも、遊びたい盛りの歳にイベントへの参加ではなく、主催側に回っていたのは褒められてしかるべきだ。
遠慮するアヤメに、皐月は笑いながら改めて労いの言葉をかける。
「それに、エレノアさんはどうやら、穹と話をしたかったみたいよ?」
照れが勝ったのか、皐月の労いの言葉にお礼を言いながら、誤魔化すようにアヤメは穹に話を振った。
自分に用向きがあると言われて、穹は無意識に手に力が入る。
態々ここに来たのだから、それは当然だ。長い時間待っていたのだから、この場での誤魔化しは難しいだろう。
「そうなんだ」
「ええ。出来れば、二人でゆっくり話をしたいの」
その方が、あなたにも都合はいいでしょう?
言葉にはしなかったが、エレノアはその表情からそう訴えているのが分かる。
答えに窮していると、エレノアは席を立ってから穹に近寄ってきた。
身構える穹に、エレノアは口元に軽い笑みを浮かべると、顔を近づけてきた。
「逃げてもいいけれど、私は今この場であなたから奪ってもいいの。素敵なお店の一つくらい、潰しても私は困らないもの」
「っ」
それは、明確な穹への脅しだった。
引きつりそうになる顔を懸命に抑える穹を見て、脅しが充分に効果があるのを見るや、エレノアは満足そうな笑みを浮かべる。
二人を巻き込まないように、態々場所を変えてくれるという。
そう言われてしまっては、今の穹に拒否権はない。二人を巻き込まない為にも、どうやら、エレノアの言葉に従うしかないようだった。
「……分かった」
手にしたオレンジジュースを一息で飲み干すと、穹は答えながら席を立った。
覚悟を決めたような顔をする穹に、エレノアは一つ頷くと、手にした鞄から財布を取り出して皐月に支払い分を渡す。
「ありがとう」
「はい、お粗末様。今おつりを」
「いえ、大丈夫。穹の分と、素敵な時間のお礼もあるので」
「そう? それじゃあ、次に来た時にはもっとサービスして上げるからね」
おつりはチップと言う扱いなのだと察した皐月は、余り固執しても失礼なのだと察して、余分も受け取る。
日本に馴染みのない文化であるが、代わりに次に色も付けて帳尻を合わせつもりのようだ。
皐月にお辞儀をしてから、穹に一瞬目配せをしてからエレノアは先を歩き出した。
ついてこいという無言の圧力に、穹もまた、改めて決意して追従する。
「穹、彼女と何かあった?」
エレノアが先に店を出た所で、アヤメが穹を呼び止める。
扉が完全にしまって、穹は歩みを止めた。
本当は逃げ出したいし、アヤメにはすべて話してしまいたい。
そんな思いが穹に湧いてくるが、だからと言って話して巻き込むわけにもいかない。
自分の気持ちをぐっと飲み込むと、穹は精いっぱいの笑みを浮かべながらアヤメを振り返った。
「ううん。何もないよ」
「……そう」
きっと答えてくれないと分かったのだろう。何かあると察しながらも、アヤメは穹の言葉に一つ頷いた。
何やら妙な雰囲気になったと察したのか、皐月も不思議そうに穹とアヤメを見つめている。
「でも穹。何かあれば、ちゃんと私にも相談してね?」
「うん、ありがとう」
事情は聞かないまでも、優しい言葉をかけてくれるアヤメに、穹は込みあげてくるものがあった。
目頭が熱くなるのを感じながらも、穹はアヤメから視線を引きはがしてエレノアの後を追った。
長い、夜の始まりだった。
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