カッツェ=ローキンス。
裏も表も関係なく、知らない者はいないと言われる程の犯罪者である。
主な犯歴は窃盗。狙われるものは様々。世界屈指の防犯設備に入れられた稀少な書物、古代遺跡の財宝、極悪な犯罪組織の機密情報、保安を司る組織の汚職情報。果ては公共施設のシンボルに至るまで、把握されているだけでも統一性のない物が盗まれている。
目的はたった一つ、自分の欲求を満たすのみ。願望は果てしなく、無限に広がる宇宙を知っても満たされないと言わんがばかりだった。
年齢は不明。見た目は二十歳そこそこなのだが、把握されている犯歴で一番古い物では、二世紀前の物まである程だった。本人も忘れているようで、実年齢を把握している者はいない程、長い時を生きる筋金入りの犯罪者。
被害額も相当なものであるが、いかんせん、盗まれている中には重要情報も多数含まれているために、下手に手出しが出せなくなっている。むしろ、情報を欲しがって、数多の組織がカッツェを無傷で捕えようと躍起になっている程だ。
カッツェを味方に出来れば、世界が変わる。そんな常套句も出来ている程。
数えるのも馬鹿らしくなるほどの組織に狙われながらも、カッツェは孤高の泥棒を続けている。
組織に属しては、自分の快楽を満たすなんて出来ない。それを証明するかのように、狙ってきた組織をカッツェは翻弄し、逆に壊滅に追い込んだこともある。
仲間に引き込みたいが、誰も手を出せない存在へとカッツェは行き着き、奔放に生きてきたのである。未だに狙っている輩も居るが、大した脅威でもなく、ただの暇つぶし程度に相手しているだけだ。
地球でいえば、いわゆるブラックリストに載るような世界規模の大犯罪者である。
そんなカッツェの略歴を語られ、穹が発した第一声が、
「うっさんくさ」
全く信用していない表情での、辛辣な返事だった。
カッツェの言葉を理解はしているが、規模が大きすぎて把握しきれていない。表情から伝わってくるその心情に、カッツェはまたしても肩を落としてうなだれてしまった。
「穹さぁ」
「なに?」
「今の話聞いてたよね。ここは怯えるところだぞ?」
カッツェとすれば、見た目の威厳の無さは理解しているので、やや勿体ぶった言い方をして持ち直すつもりだった。
事実、カッツェの名前を出すだけで怯える組織も少なくはない。一種のなまはげのような扱いである。
なので、ただの女子中学生相手ならば、充分怯えさせるほどのネームバリューを持っているのだ。
さもありなん。穹には全く信じてもらえず、胡散臭いとまで言われてしまう始末だった。
「だって、猫の姿で凄まれても全く怖くないし。しかも今の話、本当だとしても私が怖がる所ないでしょ?」
「なるほど、これがジェネレーションギャップか」
「いや、多分違うと思うけど」
にべもない穹の言葉に、カッツェは自信を取り戻せないまま、再び肩を落としたのだった。
これを、カッツェをよく知る何某かが聞けば、目を見開いて驚いただろう。カッツェに対してこれ程物を言えるのはそうはいない。かつ、カッツェがここまで意気消沈とするのも珍しい。
最も、穹からしたらそんなのは知らない。どう見た所で、カッツェの見た目は猫でしかない。
話が嘘だとは思ってないし、事実だとも思っている。
ただ、見た目がそんな為に実感が持てないので、どうしたってそんな感想しか出てこないのだ。
それに凄いのは分かったけれど、今穹が言った通り、穹自身も含めてカッツェに盗まれたりするような物は持っていない。かつ、聞いた限りでは殺人は犯していないようなので、事実を知った所でカッツェに消されたりはしないだろう。
従って、対岸の火事を見ているような感じがして、素直に驚けないのもある。
むしろ穹としては、カッツェが猫の姿で喋られる理由が分かっただけでも十分だった。
異世界の証明。昔のSF映画から昨今のネット小説まで、異世界をテーマにした作品は複数存在する。
信じていたわけではないが、あったら良いな程度には思っていたのだ。そんな異世界の住人が目の前に居て、自分と話をしている。これ程心躍る物はないだろう。
相手は猫の姿になっているが。
犯罪者だと言うのがややマイナスだが、異世界の住人と言うだけでも、琴線に触れる何かがあった。
「ねぇ、そんな事よりさ」
「そんな事っておい」
「カッツェも使っていたみたいだけど、この力についても教えてよ」
カッツェに更に追加攻撃を仕掛けながら、穹は首から下げていた指輪を取り出した。
腕輪に変わったので戻らないかもと思ったが、力を解除したとたんにまた元の指輪に戻り、こうして首から下げている。
この力、と言うのは、昨夜穹が使った風を操った力だ。
度々、声のような物は聴いていたが、あそこまではっきりと聞いたのはあの時が初めてだ。かつ、自分の意思で風を操ったのもあの時が初めてだ。
なら、あの時に変化があったのはこの指輪と宝石。これに、秘められた何かがあるのだろうと、穹は思っていた。
質問されて気を取りのしたのか、カッツェは顔を上げて指輪へと視線を向ける。説明するのはやぶさかではないが、どこか面倒くさそうにため息をついた。
「まずは一つ訂正。あの力そのものは、穹、君自身の力だ」
ただ、返された予想外の回答に、穹は瞬間キョトンとしてしまう。
「え、でも。私今まで、風を操ったことなんてないよ?」
「そこは少し、穹に特殊な部分があるから省くが。穹は普段、声を聴くことがなかったかい? はっきりとしなくていい。ぼんやりと聞いたことがあっただろ?」
「そういえば」
「まず前提として、その声が聴こえるかどうかが、力を扱えるかどうかの判断基準になる」
「え、じゃあ、この指輪ってなんなの?」
「ボクが持っていた宝石と、穹の持っていた金色の指輪。これは二つで一つの補助道具である『リング』だ。もっとも、形状は指輪以外にもあるし、研究が進んだ今では、そもそも輪っか以外もあるけどね」
ボクも持っているし。そう言って、カッツェは顔を上に向けると、前足で器用に首元の毛を除けて見せた。
長い毛の中に、首にぶら下がるようにして首輪が飾られていた。どうやら、毛が長すぎて埋もれて見えなかったらしい。
金属質な首輪で、締め付けないように蛇腹になっている。中央には、カッツェの瞳と同じ色合いの琥珀色の宝石が埋め込まれていた。これが、カッツェのリングなのだろう。
なるほど、リングではあるが、穹のとは違って指輪でも腕輪でもないようだ。
「補助道具と言う名前のとおり、これらリングは、使い手の補助しかしない。ボクらが使う力は総じて負担が掛かるから、その負担を軽減するためにある」
腕を下ろしてから、カッツェは説明を続ける。
「では、この力とは何なのか。簡単に言えば、それは『魔法』だ」
「え、これ魔法なの」
魔法。男女ともに心響くファンタジーな単語の登場に、穹は思わず感動した。
昨今、このような単語を聞く機会は多い。サブカルチャーに疎くても、日曜の朝には魔法で戦う女の子も出てくるし、男子なら言わずもがなだろう。
さほど詳しくない穹だが、その手の知識がないわけでもない。ファンタジー系のマンガも読むし、ゲームもかじる程度はするので、そちらの感覚の方が強い。自分が使えるとなると、感慨深いものがある。
ただ、感動すると同時に疑問もあった。
「なんか、私のイメージと違うような」
「ん?」
穹が疑問を口にすると、カッツェは首を捻った。
しかし、穹が何を疑問に思っているのを理解すると、内容はすぐに察することができた。
穹達の世界の魔法と言うのは、大抵が、超常現象を発生させるものだ。魔力と言うよく分からないエネルギーを消費して、空を飛んだり、物を動かしたり、時には攻撃をする。
ゲームと言う電脳世界のファンタジーでは、何もない所から火や水を出して戦うものもあったろうか。それもMPと言う、魔力エネルギーとはまた違う語句を用いている。
それを思えば、穹の疑問も最もだった。穹の使った魔法では、そんなエネルギーは消費していないし、超常現象を起こしたわけではない。
傍から見ればそれほど大きな違いは分からないが、使った本人からすれば、現代世界でのイメージと相違があるように思えたのだ。
「ま、仕方がないね。穹も使った魔法は、自然を操る術の総称だからね」
「自然を、操る?」
「穹は風を使って攻撃したり、移動速度を上げたりしてただろ? あれだよ」
「え、じゃあ、魔法を使ったら、凄く視野が広がったと言うか、全能感が凄かったんだけど、あれも?」
「わお。風を使えるとそんなことも出来るようになるのか。凄いな」
穹が感じていた感覚を伝えると、カッツェは本当に驚いたと言った反応を見せた。
どうやら、あの全能感はカッツェにも分からない感覚の様だった。口ぶりからしても、他の属性を使う魔法の使い手には、あの感覚はないようだ。
つまり、魔法とは言っているが、やっているのは自然を操っているだけ。もちろん、そこに人の意思が介入している以上、完全な自然現象を起こしている訳ではないようだ。
風が人に集まるわけがないし、ましてや、腕にまとわりついて削岩機のように攻撃できる訳がない。穹が思い浮かべた風と言う力が、魔法によって再現されたのだろう。
属性が変われば、起こる現象も変わってくる。カッツェが土の壁を発生させていたように。
属性、それをふと思って穹に更に疑問が湧いて出た。
「魔法ってさ、私の風や、カッツェの土以外にもあるの?」
「ああ、もちろん。ちょっと待って」
穹が尋ねると、カッツェはテーブルを降りると、軽やかな身のこなしで勉強机の上に飛び乗った。そんな所は猫っぽいと思ったのは内緒だ。
勉強机に移動したカッツェは、待機状態にしていたノートPCを起動し始める。そうしてお絵かきソフトを立ち上げるのだが、その間、一度もキーボードに触れていない。触っていたのは、キーボード周りの縁に片足を乗せていただけだ。
それだけで独りでにノートPCが動き始めるのだから、はたから見たらちょっとしたホラーである。特別な何かはあるのだろうが、やはり穹には分からなかった。
何となく凄いと言う感想を抱いている間に、お絵かきソフトの中では図形が出来上がっていく。そこには、五行思想に似た五芒星が掛かれていて、各頂点には字が書かれていた。
木を頂点して、時計周りに、火、土、金、水。矢印も書かれていて、その強弱具合が掛かれている。
おおよそ、お絵かきソフトで書かれたとは思えない出来栄えに、穹はそっちに驚いていた。
「まず、この世界にもある、五行思想を思ってくれて構わないよ。今書いたこの五つが基本属性である、第一循環。ボクが使えるのも、この第一循環の土だね」
「へぇ。その矢印は?」
「単純な強弱。ボクの土でいえば、火と水には強いけど、金と木には弱いって感じだね」
正確に言えば、火が燃えれば後には土が残り、土はいずれ金を生み出す。そういう相関図が出来上がるため、土は火に強いが、より硬い金属には負けると言った具合だ。
単純に勝ち負けの話ではないのだが、カッツェはその辺りを詳しく話すつもりがないのか、そう話していた。実際、火の使役者に後れを取る時だったあるし、逆に金の使役者を打ち負かす時もある。
勝ち負けと言う話に持って行ったのは、まず穹に詳しく話したところで理解できないから。そして、人間の意思が介入しているために、単純にこの相関図が当てはめられないからだ。
戦略の次第で、相性というのは簡単に覆せる。故に、金と木に対して土が絶対に勝てないと言う訳ではない。
ただ、勝てる勝てないと言う話であれば、木の属性にはどうしても勝てない。あるいは、勝ちにくいと言うのがあるため説明が難しい所だ。
もっとも、カッツェが詳しく話すのが面倒だったと言うのもあるわけだが。故に、強い弱いと言う言い方をして、勝てる勝てないと言う言い方はしていなかった。
その詳しい話を理解できなかった穹は、そんなものか、程度で納得していた。
「あれ、でもそれだと私の風って?」
「そこは近年知られてきた、新たな属性だね。ボク達は名義上、第二循環と呼んでいる。相性と属性方向を加味して、こういう図で表しているよ」
そこで穹の新たな疑問。穹が使う、風の属性がどこにあるのかが分からなかった。
その疑問に答える為、カッツェは更に、ソフトを使って相関図に新たな円を書き足して、字を加えていく。
第一循環の字の周りに書き足された新たな文字が、風、光、氷、雷、闇。ここで、穹の使う属性が出てきた。
木の上には風、火の上には光、土の上には氷、金の上には雷、水の上には闇。同じように矢印で強弱が掛かれている。
「わ。なんだか、急にファンタジー感が増してきた」
「ボク達からしても、この属性が発見された時は驚いたものさ。これも簡単に言えば、第一循環の上位属性と考えられている。ほぼ間違いなく、第一循環では第二循環には勝てないからね」
「それも、相性とか色々あるの?」
「完全に上位と言う話ではあるけど、第一と第二に、相性云々の繋がりはないよ。むしろ相性以前の話と言って良い。別に、風が木を生やすわけじゃないからね」
「まあ、それもそっか」
ただ、完全に上位互換と言う話の通り、繋がりはない。ただ、この第二循環の属性は圧倒的な力を持っていると言って良い。
風が種子を飛ばして生命を運ぶように、風は木にとってなくてはならない存在であるとも言える。
土もまた、氷で完全に閉ざされてしまえは、何も生み出せない。
そういった関係があるために、相性以上に、第一循環の魔法が、第二循環の魔法に勝てる要素がない。これだけは、ほぼ絶対と言えるだろう。
もちろん、戦闘ばかりがこの魔法の特色ではないので、戦闘の相性以上に使い勝手の問題もある。
その使い勝手で言えば、第二循環は確かに幅広い応用が可能だ。穹の使う風が、その最たるものと言えるだろう。
しかし近年まで発見されなかったという言葉通り、第二循環の使役者は極端に発現者が少ないのが現状だ。
合計十ある属性だが、最近までは、第一循環の五つしかないと考えられていた程。
この五つを基準にして色々考えられていたために、第二循環の発見は、正しく青天の霹靂と言った具合だろう。
「この十ある属性をそれぞれ使うのが、使役者と呼ばれる、この世界でいう所の魔法使いなのさ」
使役者。
魔法使いと言う言葉区切りにも出来るが、実際に魔法を使う者たちは、魔法を自分自身で発現させている訳ではない。
言葉を介して、自分の体を媒体に自然を使っている。つまり、使役していると言う訳だ。この流れを知ると、自然を使役しているのか、それとも自然に使役されているのか微妙なところだが、おおむね使役者と呼ばれてまとめられている。
自然を操るとはいえ、魔法は魔法だ。妄想だけだと思っていたファンタジーな力に、穹は心が躍るのを感じた。
「じゃあさ、じゃあさ。私にも、カッツェが使っていた呪文みたいのはあるの?」
「じゅもん?」
「ほら、カッツェも色々言ってたじゃない。大地よ、盾に成れ! みたいな」
魔法とは何か。これをおおよそ理解したつもりになった穹が、次に興味を持ったのはそこだった。
昨夜は無我夢中だった。戦う恐怖を押し込めるために、よく分からない声に身を任せて全力で動くしかなかったのだ。
冷静になって考えれば、もっと何かあったはずだ。何か定例分のようなものがあれば、うまく戦えたのではないか。また戦いたいとは思っていないが、もしもの時を考えて知っておきたかったのだ。
なのに、カッツェの反応は芳しくない。穹が身振りも交えて昨日の言葉を伝えると、ようやく合点がいったようだった。
「ああ、起動文言のこと?」
「ええと、そう、なんかそんなの。無いの?」
「ないよ」
「ないの!?」
「自分のやりたいことが明確に伝われば大丈夫なんだから、そんな教科書の例題文みたいな言葉はないよ」
「ぐぬぬ」
最もな言い方に、穹は押し黙るしかなかった。
言葉を使って自然を操る魔法。人の意思が介入する時点で、確かに、そこに定例文は存在しないだろう。
むしろそういった物があれば、誰でも操りやすくなる半面、第三者に対策をされやすくなる。
現にカッツェが力を行使するときなどは、大地よ、の頭部分さえ唱えられれば問題ないと言った具合だ。
頭文以上の言葉を必要としているのは、ここが慣れない土地であるがため。本来であれば、そもそも、言葉を必要としないで動作一つで力を使える程なのだから。
ゆえに、穹の昨夜行った魔法行使は、悪くないと言える。下手に自分のあれこれを押し付けないで、風の力に任せて戦った。
結果、負担の大きな魔法行使になったとは言え、自分の思った事象と異なる事象が発現して慌てる事無く戦えたのだ。
同じ使役者から見ても、及第点と言った所だろう。
だがそれはそれ。現代っ子でサブカルチャーにも触れている穹からすれば、何とも物足りないのだ。
「でも、何かあるでしょ」
「何かってなにさ」
「レリーズとか」
「何を?」
「リ、リ〇カルマジカル」
「どこが?」
「二人はプ〇キュア!」
「もはや意味が分からん」
全否定っすか!
思いつく言葉を並べてみたが、カッツェは取りつく島も無く切り捨てた。
自分の世界魔法云々が否定された気分となり、穹はその場でバッタリと倒れた。
恰好は衝撃を受けた風ではあるが、考え自体はやめていなかった。ぼんやりと、テーブルに乗ったマグカップを見つめながら今の説明を噛みしめている。
想像の中の魔法とは、おおよそ違うと言うのは分かった。どうやらお決まりの台詞などはないようだが、昨夜のやり方が間違いではないのは安心できる。
特別自分を害する力でもないようだし、大丈夫だろう。使役後の疲労は辛いが、いずれそれも慣れるだろう。
「そうだ。声が聞こえるのが、資質として必要なんだよね」
「そうだね」
「ならさ、その声ってなんなの?」
今までの説明は、魔法とは何なのかと言う内容だった。
では、声が聞こえるのがどうして必要なのか。その説明がそもそも抜けていたようにも思える。
「簡単に言うとね、その声は『自然の意思』だよ」
「自然の意思?」
簡単と口に言うが、その単語も何となく想像しにくいものだった。
「そう、自然の意思。個人と言い換えていいかも知れないね」
「個人?」
「そうだよ。そもそも、穹たちは、人間だよね?」
「うん」
「でもさ、穹のことを、遠回しに人間と呼ぶ人はいないよね。逆に、自己紹介で自分は人間ですなんて態々言う人も居ないだろ?」
「まぁ、当たり前のことだもんね。じゃあ、自然の意思っていうのは」
「そう。自然と言う名前の大枠の中にある、十の属性。その一つ一つの属性の中にも、個別の意思と言うのが存在している。人間と言う大きな枠の中で、穹が自分を認識しているように、自然にも個の意思と言うのがあるんだよ」
人間の立場からしたら、これは動物に例えた方が分かりやすいかもしれない。
一口に動物と言っても、その種類は様々だ。猫だったり、犬だったり、鳥だったり、一口に動物と言っても様々な生き物を想像する。
そしてその猫にしろ、犬にしろ、鳥にしろ、見た目だけならそれぞれ同じように見えるだろう。
自然と言うのも、こういった大別に当てはめられる。大雑把に自然と言ってしまえば、それは動物と言っているのと同じ。風や土と言うのは、猫や犬と言っているのと同じなのだ。
同じように見えるが、人間も動物も同じ存在はない。
人間にしろ、動物にしろ、そこには個が存在している。よくよく見れば見た目の違いもあるし、同じ思考をしている訳ではない。ネットワークのように、大本が共有している存在ではない。
自然も同じだ。目に見えない為に分かりにくいが、そこには明確な個が存在している。
「穹が聞いているのは、風の個別意思だ。他の人には聞こえない、穹にだけ答える風の意思なんだよ」
「じゃあ、私が聞いていた声は、風そのものと言うよりは、その風の意思なんだ」
「そういう事。そして、穹が持っている結晶体の特性でもある」
その自然の意思が宿っているのが、カッツェが持っていた翡翠の結晶体だ。これはカッツェの首輪についている琥珀の水晶体も同義。
あれは、自然の力が結晶化したものであり、受信機のようなものでもある。
自然の力は強大だ。かつ、漠然としている。いくら素質があると言っても、人間一人を自然の中に放り出して声を聞けと言うのは無理がある。
砂漠で自分に合った一粒の砂を探せと言われているのと同じだ。そんな莫大な情報の中から、自分が聞き取れる声を探せる訳がない。逆に、自然に自分の声を届けられない。
故に、魔法を使うには、自分に合った結晶体に出会う必要がある。
カッツェの持つ土の結晶体だって、カッツェが生きている間はカッツェしか扱えないのだ。別な土の使役者に持たせたところで、そこから別の人間は声が聞こえないのである。
穹の持つ風の結晶体もそう。声を交わしてしまった以上、ここにある風の結晶体は穹の物だ。もう、他の誰にも扱えなくなっている。
いわばそれは契約。使役者が自然の力を必要としているように、自然もまた、使役者を必要としているのだ。
どうして力を貸してくれるのか。それ自体は分からない。自然の気まぐれかもしれないし、何か意味があるのかもしれない。用として分からないその部分は、未だ解明されていない謎の部分だ。
自然は多くを語らない。あくまでも、自然側での利益があって動いてくれているのだとしか推測できていない。使役者たちは、自然の力を扱えて助かっているだけでしかないのだ。
「なんだか難しいね」
「そんなことないさ。魔法が使えてラッキー、くらいの気持ちで考えとけばいいんだよ」
「軽」
一通りの考察を聞いて感想を述べる穹だったが、カッツェの言葉に、何とも言えない表情を浮かべる。
実際、穹の実感などそんな程度の話だ。今まで漠然と聞いていた声が自然の意思だと言うのなら、確かに穹はたくさん助けられていた。
風の力がある程度使えたために、自分の想像通りの動きが出来ていた。それを思えば、難しくあれこれ考えるよりも、魔法が使えてお得だったと考えればわかりやすかった。
ぼんやりと、穹は首から下げる指輪を眺めてそう思った。答えるように、小さな翡翠の結晶体がキラリと光った。
そんな姿を見て、だからこそ、とカッツェは思う。
人間と言う大枠の中に、高丘穹と言う個が存在するように、自然の中にも個が存在する。
つまり、個が存在するのならば、その個を示す名前が存在するはずなのだ。
なのに、穹は力を行使するときには名前を口にしていない。風、と言う大別を口にしているだけだった。
本来、自然の力を行使する時には名前を言う必要がある。そもそも、契約するには互いの名前を名乗らなければ始まらない。もちろん、カッツェの使う土にも個を示す名前がある。
だが、穹はその過程を飛ばして力を使役してしまっている。話を聞けば、そもそも自然の結晶体を持っていないのに、自然の意思の声を聞いていたと言うではないか。
生い立ちや自然との相性を調べれば、どんな属性を扱えるかはわかる。だが、自然の結晶体を持っていないのに、声を聞く事がそもそも出来ないのだ。声を聞くのが必要な資質なのだが、その資質を調べるのに必要になるのが、この自然の結晶体なのだ。
なのに、穹はすでに声を聞いていた。本来出来ないと言われるこれを、彼女は成し遂げしまっている。
更にもう一つ。魔法を使えるようになるには、自然の結晶体が不可欠だ。そして、リングの土台となるための補助具であるこの『循環器』も不可欠なのである。
補助具と言う説明をしたが、それはこのリングの機能のほんの一部でしかない。
自然の意思の受信機である『自然の結晶体』と、その結晶体と使役者を繋げる役割を持つ『循環器』
この二つがない限り、使役者は自然を使役出来ない。なくとも、声くらいは聞こえるかもしれないが、結局はそれだけだ。
この二つはそうやすやすと手に入る物でもないので、片方手に入れるのも奇跡と言ってもいいだろう。一応、循環器は人の手で作られているが、話はそう簡単ではない。
これ自体の製法が特殊であるため、循環器単体も滅多に出回らないのだ。この世界のように、科学の進んだ世界なら尚更。まず存在すらしないだろう。
なのに、穹は事前にその循環器を所持していた。この世界に存在しない道具を。
彼女には、何かある。ある程度の説明で納得している為、穹自身は疑問に思っていないようだが、これは普通あり得ない。
カッツェ自身は、魔法とは違う力を使っているために必要としていないだけであり、穹にその力が備わっている訳ではない。それは、昨夜の戦いぶりを見ても分かる。
あくまでも、穹は魔法を使って戦っただけ。しかも、及第点と言うだけで、戦いぶりは素人のそれだった。
興味深いねぇ。
この世界は退屈で窮屈だが、彼女は面白い。これはしばらく付き合ってもいいだろうと、カッツェは思っていた。
どうにしろ、カッツェ単独で出来るのは限られている。精々、追手が来るのを待つだけだ。
指輪を弄ぶ穹を見て、カッツェは内心ではそう思うのだった。
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