気が付くと、俺は薄暗い場所にいた。
先ほどまでいた場所とは異なり、不気味に静まり返った薄暗い空間。
ここが、使者の国なのか?
「うぅっ、寒っ!」
辺りにはひやりとした空気が充満していて、かなり肌寒い。冷凍庫の中に閉じ込められたような気分だ。
お気に入りの深紅のジャケットを掴み、前を合わせる。
この深紅のジャケットは、俺がこの生涯で最もハマった格闘ゲーム、『ドラゴンファイター武闘伝2』の主人公、スメラギ・火龍が着用していたジャケットなのだ。……かっこいいっ、ふふん。
小学生のころ「火龍みたいに強くなりたい!」と、お小遣いをはたいて購入したのが始まりだった。
世界的人気ソフトになっていた『ドラゴンファイター武闘伝』シリーズはグッズ展開も大々的に行われ、各キャラの身に着けていたアイテムは当時飛ぶように売れていた。
ブームが去り、いつしかグッズは市場から消えたが、そのころには俺はいくつもの世界大会で優勝するプロゲーマーになっており、オーダーメイドでスメラギ・火龍の深紅のジャケットを誂えたのだ。
賞金の使い道なんか、他にほとんどなかったしな。
おかげで、かなりいい生地で頑丈に出来ているし、俺の体にぴったりフィットしている。
お気に入りの逸品だ。……かっこいいっ、むふふん。
……防寒具としては、ちょっと役者が不足しているけどな。
「本当に、こんなところにナビゲーターがいるのか?」
声を発すると、ぐゎんぐゎんと反響する。
あたりは妙にじめじめしていて、カビ臭い。
俺を取り囲むのはむき出しの岩肌。
振り返っても、妖精たちがいた空間へつながる扉は見当たらなかった。
「とにかく、進むか」
足音がやたらと響く。まるで洞窟のように静かで残響が耳にうるさい。
しばらく歩いて、ここが牢獄だと悟る。
並ぶ鉄格子。牢屋の中は真っ暗で何も見えない。
中に誰かがいる気配もない。空の牢獄。
こんな場所に、本当に人がいるのだろうか。
それよりも――
「こんなところに閉じ込められているナビゲーターなんて、碌なヤツじゃないんじゃねぇのか?」
人の気配もせず、空気も重く、陰鬱な感情がじわりじわりと広がっていく。
ここが牢屋なら、ここにいるのは犯罪者なのではないだろうか。
……そんなヤツと協力なんかできるのか?
これは、早々に引き返してやり直した方がよさそうだ。
そんなことを考えていると、通路の奥、おそらくこの牢獄の最奥に一際堅牢な牢屋が見えてきた。
禍々しいまでに鋭い茨が巻き付き、見たこともないような文字がびっしりと書き込まれた鈍く光る鉄格子。……鉄かどうかは分からないけれど、頑丈そうであることは確かだ。
「これ、入れないだろ?」
どうせカギがかかっているに違いない――と、鉄格子に手を伸ばすと、指が触れる前に鉄格子が消えた。
絡みついていた茨ともども、牢屋を塞いでいた一切が消えてなくなった。
思わず目を瞬く。
「……入って、いいのか?」
恐る恐る足を踏み入れると、牢屋の中に一人の少女がいた。
「こいつは……」
牢屋の中心で、厳重に拘束されている一人の少女。
心配になるくらいに華奢な体は真っ白で、まるで美しい彫刻のようだった。生きている気配がまるでしないその少女は鎖で両腕を繋がれ、下半身は鈍く光る赤い宝石のような鉱物に飲み込まれていた。
「生きてる……よな?」
一歩近付いて、思わず顔を逸らした。
……こいつ、服、着てないっ!?
ちょっと暗がりで分からなかったけれど、少女は何も衣服を身に纏っていなかった。
年齢の割には小ぶりな胸があられもなく晒されている。
「神よ…………ありがとうっ!」
……はっ!?
いかんいかん!
【神器】を授かった時よりも熱く感謝しちゃった。
いや、でもまぁ、あれだ。
こう、意識のないうら若い乙女の、な、その、こーゆー姿は、あんまり見ちゃダメだ。
彼女とかいたためしはないけれど、それくらいのことは分かる。
あんまり見ちゃダメだ。あんまりな。…………ちらっ。
「ありがとうっ!!」
一生分の感謝を捧げて、ようやく落ち着いた。
こんなことのためにここに来たんじゃない。ナビゲーターを探しに来たんだ。だから、まずはこいつに話を聞かなければいけない。
なるべく首から下は見ないようにして、少女の顔に手を近付ける。
……呼吸はしているようだ。
「とりあえず生きているみた……い……だ…………んんっ!?」
少女の顔を見て、今さら気が付いた。
耳が……
少女の頭に犬のような耳が生えている。
「えっ!?」
驚いて少女の横顔を覗き込んでみる。
髪の毛で隠れてよく見えないけれど、人間と同じ位置に人間のような耳は見受けられない。
この犬耳は、本物の耳か?
獣人?
わぉ、それなんてファンタジー?
「本物、か?」
少女の頭に生えている犬耳をじっくりと観察する。
ついさっきまで、とあるやんごとなき諸事情のせいで顔にまで意識が向いていなかったが、今は視線が釘付けだ。
「……これは確認です」
誰もいないのに、誰か分からない相手に言い訳をしてから、俺はそっと少女の背後へ視線を向けた。
絹のような滑らかな背中のその先、お尻の少し上から尻尾が生えていた。ふっさふさの、ゴールデンレトリバーのような尻尾が。
獣人だ、間違いない。
もう一度、少女の犬耳を観察する。
肉厚でふわふわ、本物っぽい。
触ってみたい衝動に抗えず、俺はそっと手を伸ばす。
少女の犬耳に指先が触れた瞬間、目の前が暗転した。
眩暈がしたような感覚に続いて、目の前の景色がぐるぐると変わり続ける。
つなぎ合わせた映像を早回しで見せられているように、目まぐるしく目に映る景色が変わっていく。
脳に直接映像を流し込まれているような不快感に思いっきりまぶたを閉じる。
眩暈が収まると、俺の目には薄暗い神殿のような場所が映し出されていた。
自分の目で見ているような光景なのに、これは自分が見ている景色ではないとはっきり分かる。
誰かが見ていた景色を見せられているのだ。
神殿には何人かの人がいるらしく、気配を感じる。
だが、神殿の中央に眼球が潰れそうなくらいに眩しい光の塊があって、それ以外の何も見えなくなる。
今すぐ顔を逸らして逃げ出したいような恐怖が沸き上がってくる。
おそらく、この光景を見た者の感情だろう。
だが、『コイツ』はその恐怖を押し殺してその眩い光に向かって走り出した。
全速力で走り、光の前に立つ二つの人影に声をかける。声は聞こえないが、悲痛な思いだけは伝わってきた。
二つの影の内の一人、犬耳の女性が振り返る。
先ほどの犬耳少女とは違う、もっと大人っぽい女性。逆光になっていて顔は見えないが、それでも、『コイツ』は確信を持ってその人影――犬耳の女性へと近付いていく。
視界の端から『コイツ』の腕が伸びる。細く白い、女性の腕。
『コイツ』が、目の前の犬耳女性の手を取ろうとした、まさにその時、脳みそを鷲掴みにするような大音響が頭の中に響いた。
『招かれざる者よ、神を冒涜せし者よ、去れ!』
そして、世界が明滅し――そこで映像は途切れる。
気が付くと、俺は元の牢獄の中にいた。
目の前には、幽閉され、意識を失っている先ほどの犬耳少女。
「……なんだ、今のは?」
いまだに軽くしびれる頭を振って、考える。
今の映像は、この犬耳少女の記憶なのかもしれない。ここへ幽閉される原因となった瞬間の。
なんとなく、そんな気がした。
ダメだ。分からないことが多過ぎる。
俺とこいつ以外に人がいない以上、この少女に話を聞くしかない。
「おい、起きろ」
少女に声をかける。
しかし、反応はない。
「起きろって」
頬を軽くぺしぺし叩いても、少女は一向に目を覚まさない。
……このやろう。
「さっさと起きろ、犬っころ!」
思いっ切り鼻をつまんで声を荒らげる。
と、犬娘は「ふへぇいっ!?」と奇妙な声を上げてまぶたを開いた。
「え? えっ!?」
何が起こったのかを確認するように、大きく見開かれた瞳があちらこちらに向けられて、最終的に俺を見つけて固定される。
長いまつげに縁どられた大きな赤い瞳が、じっと俺を見つめる。
「お前、話は出来るか?」
俺の問いに、犬耳少女は驚いたように口を開き、そして身を乗り出すように顔を近付けてきた。
「あなた、転移者ですか!?」
拘束された腕と下半身を置き去りにするかのような勢いで、動かせる上半身のすべてで俺に迫ってくる。すがるような鬼気迫る勢いで問いかけてくる。
プレーヤー?
【神々の遊技台】に招待されたわけだから……まぁ、プレーヤーなのだろう。
そこで行われるゲームに参加できるはずだ。
「おそらくな」
俺の返答に少女の瞳に輝きが満ちる。
そして、少女は渾身の力を込めて大きな声で訴えかけてきた。
「お願いです! わたしを、あなたのナビゲーターにしてください!」
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ゆいな
17歳 A 犬族
芥都のナビゲーター
(年齢と種族の間のアルファベットが何を意味しているのかは、神のみぞ知る)
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