〇ティルダ〇
タイタスさんが見つけた天井画には、黒い炎を纏う狐顔の女神と、それを支える四人の巫女の姿が描かれていました。
巫女たちは勾玉と呼ばれるアイテムを使い、神の御力を授かり、少しずつ人々のために使用していたと天井画の脇に書き記されていたようです。
「その勾玉の力を悪用して、神様から根こそぎ力を奪い取ってたってわけか。とんでもねぇ巫女どもだな」
芥都様が憤慨し、おぼろげな影――いえ、この神社に祀られている神の依り代『黒炎天御代之狐毬』の頭を撫でようとして、「みゃふー!」っと威嚇されました。
まだ根に持っているようです、酸っぱい梅干し。
「黒炎天というのが、この神社に祀られている神の名で、その依り代であるこの娘が狐毬ちゃんなんですね」
ゆいなさんが天井画の文字を見上げながら確認するように言います。
「かの巫女たちは、依り代を経由して神の力を奪い取っていたのでしょうねぇ。なので、依り代そのものを取り込んで完全体になろうと目論んだ……というわけですか。愚かですねぇ。神の力を人間の体に取り入れたところで、扱いきれるわけはありませんのにね☆」
タイタスさんが、毒のある笑みを浮かべて小さく肩を揺らします。
確かに、神の力を得たからといって、神に取って代われるわけではありません。
でなければ、神の力の一部を借り受けている転移者はみんな神であるということになってしまいます。
「結局扱いきれず、黒炎が瘴気になっていたしな」
神の力を穢れた器に取り込んだ結果、その力も穢れてしまったのでしょう。
狐毬ちゃんを「穢れ」と呼んだあの者たちこそが、穢れだったという、なんとも皮肉な話です。
「のぅ、芥都よ! こっちに来ておじゃれ。変な箱と鈴がおじゃるのじゃ!」
本殿の外からシャル様が手招きをされています。
我々は一緒にそちらへ向かい、シャル様のおっしゃるとおりの一風変わった箱と鈴を目撃しました。
「それは賽銭箱だな」
芥都様はご存じだったようで、私たちに説明をしてくださいました。
なんでも、賽銭箱というところにお金を入れて願い事をすると、神がその願いを叶えてくださるのだとか。
芥都様の世界の神は、なんと慈悲深く寛大な存在だったのでしょう。
「して、芥都よ。あの鈴はなんと申すのじゃ?」
「あれは…………『ガランガラン』だ」
自信なさげに芥都様がおっしゃいました。
ゆいなさんとシャル様が「えぇ~……」と不服そうに声を漏らしますが、私は可愛いと思います、『ガランガラン』。素敵な名前です。
「じゃあ、折角だし、みんなで願い事でもしていくか」
「芥都さん。いくらくらいお金を入れればいいんですか?」
「日本だと五円だから……5Nzくらいでいいだろう」
「そんなはした金でどんな願いも思いのままなんですか!?」
「思いのままじゃねぇし、はした金って言うな!」
「価格破壊もいいところですね!?」
「だから、そういうもんじゃないの! 気持ちなの!」
芥都さんに礼儀作法を教わり、私たちは一列に並んで『お参り』を行いました。
お賽銭を入れ、二礼、二拍手。
そして、手を合わせてまぶたを閉じ、願い事を頭の中で思い浮かべる。
終わったら、最後にもう一度礼をするのだそうですが、その前に――
何をお願いしましょうか。
やはり、真っ先に心に思い浮かんだことをお願いしましょう。
叶うかどうかは分からないと、芥都様もおっしゃっていましたし、叶えばいいなと思うことをお願いします。
……どうか。
キース様がみなさんと打ち解け、心穏やかに過ごせますように――
頭の中でそう願った時、私の髪を何かがさらりと撫でました。
そして、包み込むような温かさを感じ――
『君がくれたおやつは美味しかったよ――その願い、叶えてあげよう』
そんな声が聞こえました。
思わずまぶたを開き、辺りを見渡しましたが、私たち以外誰もいませんでした。
今の声は、一体……
そんなことを考えていると、隣に並ぶ芥都様は大きな声でこんなお願いをされました。
「どうか、キースの拗らせ病が治りますように」
「ついでに、負け犬根性ものぅなることを望むでおじゃる」
「あと、ほのかにむっつりなところも垣間見られますんで、そこら辺を重点的に直してください。芥都さんに悪影響が出ないように!」
「ワタシとしましては、キースさんが幼女に目覚めて同志が増えることを望みます★」
「やかましいぞ貴様ら!」
「「「どうか、こいつを真人間にしてください」」」
「うるさいと言っている!」
「では、堕人間に★」
「貴様が一番うるせぇよ、チビ姫のナビゲーター!」
……くすっ!
すごいです。
芥都様のおっしゃったことは本当でした。
私の願い事は、こんなにも早く叶ってしまいました。
お参りを済ませた私は、一足先に賽銭箱の前を辞し、境内へと降り立ちます。
敷き詰められた砂利の感触を足に感じ、空を見上げます。
先ほど、私に話しかけてくれたのは、きっと狐毬ちゃんですね。
包み込むような温かさに、覚えがありました。
気が付いた時には姿を消していた狐毬ちゃん。
きっと、自分の力を取り戻して神の居場所へと帰っていったのでしょう。
もし、願い事をもう一つ追加できるのなら……
「あなたも、幸せに暮らしてくださいね」
届くかどうか分からない願いを、私は空へと向かって呟きました。
☆キース☆
阿呆どもが阿呆なことをほざきやがるせいで、願い事とやらを言う機会を失した。
まぁ、5Nzなどというはした金で願いが叶うなんざ、信じちゃいないけれど。
結局、誰も信じていないから、あんなふざけた願いを口にしやがったのだ。
ふん、バカバカしい。
「…………」
賽銭箱の前に立って、本殿を眺める。
朱色をした立派な建物は、荘厳でありながら静謐で、神聖な面持ちでどしりと構えていた。
ここがお前の居場所なんだな……
いつの間にか姿を消した不気味な影――狐毬は、きっと自分のいるべき場所へ帰ったのだろう。
突然現れ、突然消える。
神ってのは、つくづく自分勝手な存在だ。
「……せいぜい、達者でな」
誰にも聞かれぬように呟き、それでも狐毬には聞こえているであろうという変な確信を抱いて、俺は本殿に背を向けた。
「はぁ~、叶いますかねぇ、わたしの願い」
「乳の発育か? どうだろなぁ」
「勝手に人の願いを決めつけないでください!」
「じゃあ、何を願ったんだよ?」
「…………企業秘密です」
……図星だろ、どうせ。
芥都がナビゲーターとアホな会話をしているのはいつものことだ。
あいつらは、二人一つでここまで来ている。
【特技】がなかろうと、【神器】がなかろうと、前に進み続けて、今では相応の力を手に入れている。
……俺は、ちゃんと前に進めているのか?
他人から奪った力を振りかざして、いい気になっていただけ……それじゃ、あの巫女どもとおんなじだ。
「ゆいなの願いはともかく、俺の願いは叶うと思うんだよなぁ、日頃の行いがいいから」
「どこから湧いてくるんですか、芥都さんのその根拠のない自信は?」
日頃の行いに左右されるなら、俺の願いなど叶うはずもない。
なら……
多少無謀な願いでもしておくか。
もし、願いが叶うなら――
俺が奪った神器を、元の持ち主に返してやってくれ。
壊してしまった神器も含めて。
俺が奪ったものは、すべて持ち主に返したい。
それでようやく、俺はスタートラインに立てる気がする。
芥都のヤツが、とうの昔に通り過ぎたスタートラインに。
「……なんて。何をマジになってんだ。バカバカしい」
『そんなことないよ』
ふわっと、温かい空気が頬を撫でた。
「狐毬!?」
振り返っても誰もいない。
ただ、あの雨の日に俺の腕の中で眠っていたあいつの匂いだけが微かに鼻腔をくすぐった。
『守ってくれてありがとう。あなたの願い、全力で叶えるね』
そんな声を聞いたような気がした。
次の瞬間――
「えっ? え? ぅにゃぁぁああああああ!?」
ティルダの胸から、幾百もの【神器】が溢れ出し、空へと昇っていった。
「な、なんです!? 何事ですかティルダさん!?」
「わ、分かりません!? 【神器】が勝手に……!?」
「お、お……おっぱいの、玉手箱やー!」
「なんじゃ、芥都の願いが叶ぅたでおじゃるか?」
「おっぱいの谷間から溢れ出す【神器】を見たいとは……マニアックな願いですね★」
「いや、俺じゃねぇよ!」
「『俺じゃない』人が『おっぱいの玉手箱やー』なんて言わないですよ! もう、思春期もいい加減にしてください!」
「だから、俺じゃねぇって!」
芥都が周りの連中から責められて目を白黒させている。
「……くくっ。みっともねぇ顏しやがって。……ふふふ、ははっ」
「あっ! 見ろ見ろ! キースが笑ってやがる! きっとあいつが願ったんだぜ! 『ティルダのおっぱい玉手箱が見たい~!』って!」
「そもそも『おっぱい玉手箱』なんてワード、芥都さん以外思いつきませんから! いい加減観念して白状してください!」
「だから違うってのにー!」
真実を話すことは簡単だが……
残念ながら俺はそんなお人好しではないんでな。このことは、しばらく黙っているとしよう。
……あいつの情けない顔を見て、溜飲も下がったしな。
「あ、あのっ、これは、一体いつ終わるのでしょうかぁぁああぁ~!?」
ティルダの泣き声は、すべての【神器】が空の彼方に消えるまで、神社の境内にこだましていた。
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