人を殺した。
そんな感覚がなんとも言えない重苦しさで心にのしかかってくる。
けれど、悪人だったし。
それに、改変されてなかったことになったけれど、デーゼルトの町でも何人も殺しているし……
そんな言い訳をしても、やっぱり慣れない。
ここは日本ではなく、やらなければ逆にやられていたと分かっていても、やはり気分のいいものではない。
この重苦しさを抱えていくことが、俺への罰なのだろう――なんてこと考えていると、目の前の景色が突然歪んだ。
「芥都さん! ナヤの騎士が消えました!」
「えっ!?」
歪む世界に気を取られている間に、足下に転がっていたはずの亡骸が一人残らず消え去っていた。
レイピアに付着していた血もなくなっている。
……なんだ?
「なるほど、興味深いね」
歪んだ世界の中で、聞き覚えのない声が響く。
「敵対している帝国の将軍は助けて、元同盟国の将軍は殺しちゃうんだ」
からかうような口調がどこから聞こえてくるのか、視線を巡らせる。
「こっちだよ」
今度ははっきりと声の方向が分かった。
俺の背後。
その場にいた全員が声のした方へ視線を向ける。
そこには、豪華なマントを羽織った年若い青年がいた。
黒い髪に、赤い瞳。
整った顔立ちなのに、なぜだか不気味さを覚える。見ていると鳥肌が立ってくる。
「初めまして諸君。私がユーロルア帝国皇帝、エンリ・ブロア・ユーロルアだ」
皇帝……
皇帝!?
「ふふふ……驚いているようだね」
「幻影か?」
「ヒビヤ・カイト……だったか?」
皇帝が俺を見る。
人間のものとは思えない、怪しく揺らめく赤い瞳。
「君には感謝している。君のおかげで、私は神に出会えた。そして、神の力の一部を譲り受けられたのだからね」
どういうことだ、それは?
あの神が、皇帝に力を貸していたってのか。
「神は、君に夢中なようでね、君の観察に協力する約束で、私に様々なものをくれた。おかげで、想像よりも早く悲願が達成できそうだよ」
俺たちへの試練の場所として、このユーロルア帝国が選ばれた。
試練を遂行するためには『敵役』が必要となり、それに選ばれたのが皇帝だ。
試練に付き合う見返りとして、皇帝は神からいくつかの力を授かった。
それが、今俺たちが目の当たりにしているこれ……か。
「『これは幻影か』という質問だったか」
気を取り直し、皇帝が言う。
「これも幻影に違いないが、正確に言うのであれば先ほどまでが幻影であったと言うべきだろうね」
「……どういうことだ?」
「安心したまえ、君は人を殺してはいない」
見透かしたような笑みを浮かべ、皇帝が俺を指さす。
「君たちを襲った帝国騎士団とナヤ王国騎士団は幻影だ。神からもらった『ちぇす』というゲームの駒に命を吹き込んで人間のようにして操っていただけだ。もっとも、その駒を使い果たしたせいで、もう新たに幻影を見せることは出来ないけれどね」
神が創造した敵キャラとは異なり、血を流し消失しなかったあの連中は、神が与えたアイテムを使って皇帝が作ったものだったのか……
「君たちが救った帝国騎士団も、君たちが殺したナヤ王国騎士団も本物の人間じゃない。だって、彼らはすでに――私が殺したからね」
「なっ!?」
「仕方ないじゃないか。駒をよりリアルにするためには、本人の脳みそを取り込むのが手っ取り早かったんだから」
「なんちゅうアイテムを渡してんだ、神……」
「待ちたまえ、ヒビヤ・カイト。それは違う。これは我が暗黒魔法の功績だ。神の手柄ではない」
つまり、人の命を弄んだのはお前の勝手だったと?
「何が手柄だ、クソヤロウ」
「気に入らないかい?」
「当然だ!」
「けれど、君たちも殺したじゃないか」
皇帝は薄く笑みを浮かべる。
「強い者は、弱い者を殺しても構わない。それが、私の信じる唯一の真理だ」
だとすれば、俺とはとことん気が合わないだろうよ、お前は。
「強い者は、弱い者を守ってやるからこそカッコいいってのが、俺の信条だ」
「それはおかしいな」
楽しそうに肩を揺らす皇帝。
そして、俺を指さす。
「敵国であれ、気に入った者は生かす。同盟国であれ、気に入らない者は殺す――さっき君が選んだ選択肢はそういうものだっただろう?」
神に付き合ううちに、皇帝は俺の観察にハマったらしい。
一人の神に気に入られた男が、果たしてどのような人物なのか、それを見極めようと今回のようなことを企てたらしい。
「結果、君は私と一緒だ。気に入らない者は殺す。ただ一つ違うのは――私は君よりも『気に入らない者』があまりに多過ぎる、という点だけだ」
皇帝は、自分以外のすべての生物が気に入らないのだという。
「私の望みは、皆殺し――そのためになら、死んだって構わない」
こいつは、狂ってやがる。
背筋に寒いものが走る。
その時、皇帝の腕の皮が弾け血が噴き出した。
「おっと、もう限界か、つまらない」
何事もなかったかのように言って、指を鳴らす。
すると、歪んでいた景色が元通りになる。
ただし、足下に転がっていたのはナヤの騎士ではなく、チェスの駒。
これが、さっきの騎士たちの正体か……
「神の力は体への負担が多過ぎるのが問題だね」
なんてことないように言って、裂けたおのれの腕を舐める。
こいつ、本当に人間か? 感性がどうかしてやがる。
「本来であれば、我が婚約者候補様を帝都にお招きして、素敵な晩餐会にでもご招待するべきなのだろうが、今はそれが出来ないのだ。どうか無礼を許してほしい」
皇帝は紳士らしくヒルマ姫へと礼をする。
軽く伏せたまぶたが再び持ち上がると、にぃっと歯を見せて笑う。
「帝都にはもう人間が生き残っていないものでね」
言って「あはははっ」と大声で笑い出す皇帝。
皇帝の笑い声に呼ばれるように、地面が盛り上がり二匹の地龍が姿を現す。
上空から炎龍と氷龍が一頭ずつ舞い降りてくる。
そして、皇帝の影からずるりと暗黒龍が這い出してくる。
「暗黒龍!?」
ヒルマ姫が叫び、瞬時にサクラたちがその周りを固める。
だが――
「『魔封』」
「ぐっ!」
サクラ、シャクヤク、エビフライの動きが封じられる。
「させないわ! 神聖魔法『月に変わって――』」
「それこそ、させはしない」
皇帝が指を鳴らすと、地龍が二頭、アイリーンに襲いかかる。
「全員、戦闘開始!」
俺は声を張り上げ、皇帝に向かってレイピアを突き出す。
おそらくかわされるだろうが、一瞬でも隙が出来ればシャルとキースがなんとかしてくれる。
そう信じて、反撃上等で突きを放つ。
俺の後ろにはヒルマ姫がいる。
ヒルマ姫を守る三人は『魔封』で動けない。
なら、俺が今、一秒でも皇帝を止めなければいけない。
レイピアの切っ先が皇帝の顔に、左目めがけて突き出される。
だが、皇帝は歩みを止めることも、身をかがめてレイピアを回避することもなく、まっすぐに前進した。
レイピアが皇帝の目に突き刺さり、貫通して後頭部から突き出る。
その光景に、俺自身が身を固くしてしまい、結果、レイピアを奪われた。
「ぐぁっ!」
腹部に鈍い痛みが走る。
見ればザックリと切り裂かれている。
皇帝の背後に寄り添う暗黒龍の一撃だ。
「欲しいもの以外は、どうでもいいんだよ、私は」
頭を貫くレイピアを意に介さず、皇帝はヒルマ姫へ向かって手を伸ばす。
「させぬ!」
「くそがっ!」
シャルとキースが飛びかかるが、暗黒龍の尾に二人は弾き飛ばされる。
『ほな、ウチが相手――くそっ、邪魔しんといてんか!』
クリュティアには氷龍が、タイタスとゆいなには炎龍が襲いかかる。
アイリーンに襲いかかっていた地龍の一頭がジラルドたちの方へと向かう。
ヒルマを助けられるのは、俺だけだ!
「させねぇ!」
「努力は買おう」
こちらを向きもせず、皇帝はヒルマ姫に短刀を突き刺す。
白いドレスの胸元にじわりと赤いシミが広がり、ヒルマ姫が短い悲鳴を漏らす。
「テメェ!」
「もう、遅い」
皇帝は、自身の頭から抜き放ったレイピアをこちらへ投げつけてくる。
本当に人間なのかというくらい的確なコントロールで、レイピアは俺の右肩に突き刺さり、勢いに押されて吹き飛ばされる。
まるで縫い付けられるように、レイピアによって地面に貼り付けられる。
痛い。
こんなもんが顔に刺さって、なんで平然としてんだよ!?
あいつは本当に人間か!?
顔を上げると、皇帝がヒルマ姫の胸に顔を埋め――生き血を啜っていた。
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