『氷山クライマー』の影響なのか、俺の体はいつの間にかかなり上空に移動していたようだ。
眼下に広がる光景から、四妖精が出てくる直前に時間が戻っていると思われる。
というか、あの空間にいる間は、こっちの時間は進まないと考えるべきか。
なんにせよ、俺はついさっきの大ピンチの瞬間に居合わせ、現在真っ逆さまに落下中なのである。
恐ろしく巨大なティラノサウルスの上に。
いや、死ぬだろ!?
ティラノサウルスに襲われても、このまま地面に激突しても死ぬから!
どっちにせよ死ぬから!?
神様のお助けってなにかね!?
こういう時にこそ救いの手プリーズ!
念じても何も起こらない。
四妖精は現れない。
……もしかして、六階層付近でゲームオーバーになっていたら頃合いの高さになってた?
俺、頑張り過ぎた!?
「ちきしょぉぉぉおおう!」
このまま落下して無駄死にだけは避けたい。
どうせなら、ゆいなたちに襲い掛かるこの恐竜に一矢報いてやる!
真正面からやり合って勝てる見込みなんかゼロだけど、それでも、ゆいなたちが逃げ出せるほんのわずかな時間だけでも稼げればめっけもんだ!
「こっちを見やがれ、恐竜ぅぅうう!」
こっちを見上げたら、落下の勢いに任せてその鼻っ面をぶん殴ってやる!
「ガァァア!」
……と、思ってたら、ティラノサウルスの顔が思ってた以上に長かった!?
こちらを見上げたティラノサウルスの鼻先は、俺のすぐ目の前にまで迫り、振りかぶる暇も、渾身の右ストレートを放つ暇もなかった。
「どうふっ!」
何もできないまま、俺はティラノサウルスの鼻頭に着地する。……着鼻?
ティラノサウルスの鼻が俺の腹にあたり、俺の体はくの字に曲がってティラノサウルスの顔面にベチャっと音を立てて張りつく。
……べちゃ?
あ、そうか。
俺の体、毒塗れでべっちゃべちゃだったんだ。
「ギャァァァァァアアアアアアアアア!」
途端にティラノサウルスが暴れ出し、俺を放り出して、横倒しになる。
「痛って!」
放り出された俺は、幹がごつごつした太い樹に激突し、転がるように地面へと落ちた。
痛い……痛いが、死んでない。骨も大丈夫そうだ。
だけど、涙が出ちゃう。だって痛いんだもん。
「芥都さん!」
よろよろと立ち上がる俺のもとへ、ゆいなが駆け寄ってくる。
「触るなよ、ゆいな」
今にも飛びついてきそうな勢いのゆいなを制止する。
今の俺に飛びついたら……
「あぁなるぞ」
俺が指さす先では、ティラノサウルスが弱々しく痙攣していた。
……とんでもない猛毒だな。あの巨体をこんな短時間で。
あの銀髪……なんて恐ろしいヤツなんだ。
「けど、あの、芥都さん、どうして?」
頭がこんがらがっているのか、ゆいながオロオロぱたぱたウロウロしている。
「芥都さんが毒に倒れて、そうしたら急に消えて、と思ったら空から降ってきて……あれ? え?」
まぁ、客観的に見たら訳分かんないだろうな。
俺でもパニくると思う。
ただ、四妖精は口外するなと言った。あの空間でのことを。
神様のお助けのことを。
現状、俺には使える武器が少な過ぎる。
不利になるようなことは避けるべきだ。
いずれ、その時が来ればゆいなにも説明してやるつもりだ。だが、今じゃない。
「ちょっと説明しがたい事態に巻き込まれてな、なんだかんだで無事だった」
もやっとした説明だが、今はこれで納得してもらうしかない。
「……また、バグ、ですか?」
だから、バグ扱いやめろってのに。
まぁ、バグでもいいか、この際。
実際、ゆいなの言う『正式な手順』でルードシアに来たわけじゃないし、その過程であの四妖精に出会い手助けをしてもらっているわけだし。
「なんにしても、無事……なんです、よね?」
俺に向けられるのは、本心から心配していたと分かる優し気な眼差し。
今のゆいなに嘘は吐けない。
本当のことを話して、ゆいなの中の不安を払拭してやらなければ。
「おう。怪我もないし、毒も効いてないみたいだ」
ちらりと銀髪臭ゲル男のキースを見やれば、驚愕の表情で固まっている。
ふふん。お前の毒、臭いだけで俺にダメージは与えられてねぇんだぜ?
……なので、ちょこっとビビって尻尾巻いて逃げてくれると嬉しいぞ。
「アレが効かないなら今度はコレだ!」みたいな展開やめてね? お願いね? そう何度も神回避できないからね? マジで、ね?
「毒、効かなかったんですか?」
「あぁ。……たぶん、『無病息災』の影響でな」
キースに聞かれないように、小声でゆいなに教える。
「あっ……」と息を呑み、ゆいなが俺を見る。
「持っててよかった、ですね」
にこりと笑ったゆいなの目尻から一粒の雫が零れ落ちていく。
今の一粒と一緒に、ゆいなの不安は流れていっただろう。
ゆいなの笑顔にほっと安堵の息を吐く。
だが、次の瞬間。
「ということは……平気だったのに、ティルダさんの人工呼吸を期待してやられたふりしてたんですね!?」
「どどどどど、どきぃ!? そ、そそそ、そんなことはなきにしもあらず!」
「その焦り方は自供しているようなものですよ!? もう、こんな時に思春期発症しないでください!」
ひとしきり叫んだ後で、ゆいなはぐいっと目尻を拭う。
「……心配したんですからね」
真っ赤な瞳で俺を睨み上げてくる。
本当に心配をかけてしまったらしい。
「……悪かった。ごめんな、ゆいな?」
「…………無事だったんなら、それでいいです」
元気なく垂れる耳を見て、頭でも撫でてやりたい衝動に駆られたが、全身毒まみれでは触れることもできない。今はやめておこう。
「芥都様!」
名を呼ばれ振り返ると、ティルダが大きな純白の翼を広げてこちらへ飛んでくるところだった。
翼に合わせて大きなお胸がばるんばるん~♪
「……芥都さん、反省してませんよね?」
「いや……さっきまではちゃんとしてた、よ?」
なんだろうね、あれ。
心の中のモヤモヤしたものを一瞬で吹き飛ばしてくれるよね、あれ。
ゆいなからのじとっとした視線を笑顔で躱していると、ティルダが俺たちの目の前に降り立つ。
ゆっさり。
「芥都さん……!」
……ごめんて。
「芥都様、ご無事で何よりです。今すぐ解毒薬を!」
こちらも泣きそうな顔で……というか、完全な泣き顔だ。
敵相手にそんな顏しなくてもと思うのだが、顔からも全身からも言葉からも優しさが滲み出しているティルダは、きっと本当に心配してくれていたのだろう。
大きな胸をまさぐり解毒するという。
……まさか、その大きなおっぱいには浄化の効果まであるのか?
確かに、触れればすべての穢れが浄化されそうではあるけども!
……あ、そういえばキースが投げた解毒薬が谷間に挟まってたんだっけ?
「あっ……!?」
胸元を触っていたティルダが声を上げる。
みるみる顔色が悪くなっていく。
なんだ? どうした?
「さっきの襲撃の時に、身をかがめてしまって…………」
言い訳めいた発言の後に、俺たちの視線を促すように胸元を見下ろす。
誘導に従い視線を世界遺産に指定されそうな深い深い谷間へと向けると、胸元の衣服がしっとりと濡れていた。
「……瓶が、割れてしまったようです……」
「乳圧で!?」
「きゅむぅっ!?」
「余計なこと言わなくていいですよ、芥都さん!?」
「すごいな、乳圧!」
「それが余計なことだという認識を持ってください! 可及的速やかに!」
ちらっと見ただけだが、結構な分厚さの瓶だったぞ?
少なくとも胸の高さから落とした程度では割れないくらいの強度はあっただろう。だからこそ、キースはあの瓶を投げて渡したのだろうし。
それを、割るかねぇ。
「エキセントリック乳圧……っ!」
「エキセントリックなのは芥都さんの根深い思春期です!」
解毒薬がなくなったのは痛ましいことだ。
だが、いい物が見られたので全然苦ではない。そもそも、毒効いてないし。
そこらの川ででも体を洗えばいいか。と、思っていたのだが――
「び、瓶は割れてしまいましたが、解毒薬はこの服に染み込んで残っています!」
ほわぃ!?
「ふ、服を、殿方の前で脱ぐわけにはまいりませんから……し、失礼かとは存じますが、このまま、直接投薬させていただきますっ!」
言うや否や、ティルダは両腕を広げて俺に向かってくる。
薬が染み込んだ布地を俺の顔に押しつけようと――
瓶を割った雄大な双丘を俺の顔に――
国宝級の大きなおっぱいが、今、俺の顔にっ!
「アザーッス!」
「くそがっ!」
今まさに人体のグランドキャニオンが俺の顔を挟み込まんとした瞬間、物凄い勢いの水流に俺の体が飲み込まれ、そのまま押し流された。
横殴りの雨というより、水で横から殴られたような衝撃だ。
「……解毒薬だ。これでいいだろう」
「お前……キース…………」
量の調節は出来ないのかとか、これ人助けか暴力かどっちなんだよとか、そもそもお前が仕出かしたことの後始末だから偉そうな顔すんなよとか、いろいろ言いたいとこはあるけれど……
「貴様を一生許さない……」
「黙れ、この腐れ外道が」
いきなり人に猛毒を浴びせかける方が外道だと思いますけども!?
どうですかみなさん!?
「毒とラッキーおっぱいと、どっちが酷いと思ってんだ!?」
「どっちも最低ですよ、芥都さん」
くぅ……ゆいなまで向こう側か。味方がいない。
「……キース、様?」
この中で、俺がラッキーおっぱいを狙っていたことを唯一気付いていないティルダがきょとんとした顔でキースを見ている。
「さっきも言ったはずだ。その毒に触れれば貴様もただでは済まない。……俺を脱落者にするような真似は慎め」
「……私のために…………ですか?」
「そんなつもりはない。……ちっ。興がそがれた、行くぞティルダ」
俺を一睨みした後、キースは背中を向けて歩き出した。
ほっほ~ぅ?
なんだなんだ?
「お前は、つれない態度を見せつつもティルダのことが大切で大切で堪らないツンデレさんなんだな」
「そ、そうなのですか、キース様……!?」
「チッ! ふざけたことを抜かすな、ゴミが!」
唾を吐き、人を射殺しそうな鋭い目つきで俺を睨む。けど、もう怖くない。やーい、ツンデレ男……ぷぷっ。
そういえば、その舌打ちも俺に向けるのとティルダに向けるのでなんとなく柔らかさがちがうよねぇ? ねぇ、ねぇ?
「ナビゲーターが死ねば、転移者は脱落者になる。それを避けるためだ」
『脱落者』か、ちょいちょい会話に出てくるが何か意味がありそうだな。
あとでゆいなに聞いてみよう。
「うむ。勉強になるな、情報ありがとよ」
「チッ! 貴様といるとこちらが不利益を被る! さっさと行くぞ、ティルダ!」
「は、はい!」
キースがバキバキと枯れ木を踏み散らかして森の奥へと消えていく。
まぁ、とりあえず。
これで俺が死ぬフラグは全部へし折ったかな。……スタート直後に死亡フラグ多過ぎだっつーの。
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