墨汁をぶちまけたような、黒一色の森の中を駆け抜ける。
ゆいなと手をつなぎ、どこに向かっているのかも分からずに、ただひたすらに――
『♪か~くれんぼするも~の、こ~のゆ~びと~まれ~♪ ……でないと、目玉をほじくるぞぉぉぉおおおおお!』
――追いかけて来る『鬼』の歌声から逃れるために。
「芥都さん、はぁっ、はぁっ……どこかに、身を、隠した方が……いいのでは……はぁはぁっ!」
「いや……あいつには俺たちの居場所が分かっていた気がするんだ」
ヤツは、的確に俺たちを見つけ出した。
こっちは、匂いも音も、視覚さえも頼りにならないってのに。
息を潜めたところで逃げ切れる気がしない。
「けど、このままじゃ……いつまで、体力が持つか……」
「……確かに」
全速力で走り続けられる時間なんて限られている。
実際、心臓が痛み始めている。
ゆいなに合わせて速度を落としてはいるが、俺もそろそろ限界だろう。
「芥都さん、あれ……なんでしょうか?」
ゆいなが指差す先に、四角いシルエットが見えた。
それなりの大きさで、明らかに自然の物ではなく人工物だ。
何かの罠か……いや、迷っている暇はないな。
「行ってみよう」
このまま走り続けるのは無理だ。
とにかく、あそこで身を隠して今後の方向性を考える。
俺たちはしっかりと手をつないで人工物が密集している場所へと足を踏み入れた。
そこに広がっていたのは、森に飲み込まれた村の風景だった。
「これは……村、ですかね?」
「だろうな。民家に牛舎……あれはたぶん牧場の柵だったんだろうな」
蔦が絡まり、一部が朽ち果てた木製の建物が無残な姿を晒していた。
見渡せば、畑らしき跡も見受けられる。
植物に侵食された古い井戸。
大木かと見間違える火の見櫓。
そこは、確かに人が生活をしていた場所だった。
ただし、人がいなくなってかなりの年月が経ってしまっているが。
十年や二十年ではないだろう。
「芥都さん」
森の中を見て回っていると、ゆいなが潜めた声で言う。
「聞こえなくなりましたね、歌」
「……だな」
この村に入った直後から、『鬼』の歌は聞こえなくなっていた。
あいつはこの場所に俺たちを誘い込みたかったのか?
「どうしますか? 最悪の場合は……」
そう言って、首輪に着いたコントローラー型のチャームを摘まむ。
『最悪の場合は戦いますか?』と、ゆいなは聞いているのだ。
戦う。
あの『鬼』を倒す。
それはきっと、可能なのだろうが……
なんだ?
なんだか、妙な胸騒ぎがする。
「なんとなくなんだが……」
俺は、素直な気持ちをゆいなに告げる。
「あの『鬼』とは戦っちゃいけないような気がするんだ」
「それほど、強力な敵だということですか?」
「いや、そうじゃないんだが……悪い。感覚でしかないんで説明は難しいんだ」
「構いませんよ。わたしは、芥都さんが信じた行動を信じます。ナビゲーターですから!」
その言葉は、責任逃れのためではなく、俺を後押しするために発せられたのだとはっきり分かった。
胸の真ん中付近がちょっと温かくなった。
「少し、村を見て回ろう」
「はい」
俺たちは手をつないで村を回った。
一応、警戒は解いていない。
けれど、すぐにどうこうなるとは、この時はもう思っていなかった。
「小さな子供たちが多かったんでしょうかね?」
何軒かの家を回ったところでゆいながそんなことを言い出した。
朽ち果てた民間の端っこにしゃがみこんで何かを見ている。
覗き込めば、そこにはボロボロになった女の子の人形が転がっていた。
手製のぬいぐるみのようで、黒ずみ、かろうじて形を整えているようなありさまだ。
「さっきの家には、木彫りの動物がたくさん転がっていたんです。きっと男の子がいたんでしょうね」
「……かもな」
そこには、確かに生活の跡があった。
ここに生きていた人たちがいる。
今はもう、すっかり忘れ去られているのだろうが……
「芥都さん、ちょっと!」
いつの間にか、家の外に出ていたゆいなが俺を呼ぶ。
「お前なぁ、離れるなって言っただろ……」
「あれを見てください」
俺の小言を遮って、ゆいなが家の裏手を指差す。
そこには朽ちた木の枠が立っていて、かろうじてどこかにつながる門だと分かった。
ところどころ欠けた塀に囲まれたそこは、墓地だった。
かなりの大きさがあり、この村の住人全員がこの墓地で眠っていると言われても納得しそうだ。
とはいえ、小さな村だから見渡せる程度の広さではあるが。
「ここだけ、他の場所より少し綺麗だと思いませんか?」
「確かに……」
墓地へと足を踏み入れる。
雑草が生えてはいるが、村の中の他の場所とは違い手入れをした跡が残っている。
ただ、それも数十年前に手入れをしたきりになっているような雰囲気だ。
「誰かが定期的にここを訪れて、墓の掃除をしていた……ってところか?」
「こんな森の中に、ですか? ……だとしたら、よほど大切な人が眠っているのでしょうね」
言いながら、ゆいながその場にしゃがみこんで、足元の雑草を抜き始めた。
「おいおい。掃除でもしようってのか?」
「あ、簡単にですよ。目についたところだけでも」
言いながら、てきぱきと雑草を抜いていく。
夜も更けた森の中だというのに。
……しょうがねぇな。
「んじゃ、俺は倒れた墓でも起こしてくるか」
「いや、芥都さんまでそんなことをしなくても」
「一緒にやった方が早く終わるだろ」
「…………はい。ふふ、ありがとうございます」
どうせ、気になって綺麗にするまでは納得しないのだろうと思ってそう言うと、ゆいなが嬉しそうに笑った。思った通りだったってわけだ。
ランタンを、門の柱に引っ掛けて、手分けをして掃除を始める。
墨汁をひっくり返したような真っ暗闇だったはずの森の中は、その付近だけうすぼんやりと明るい感じがして、不思議と作業は捗った。
RPGのダンジョンみたいに、真っ暗なはずなのに見えているって感じだ。
これなら、掃除も捗ってそんなに時間はかからないかも…………
「……なっ!?」
「え!? ど、どうしたんですか、芥都さん!?」
倒れた墓を持ち上げて、俺は思わず声を上げてしまった。
心配したゆいながすぐに駆けつけてくる。
「あ、いや、すまん。少し驚いただけなんだ」
とりあえず謝り、そして、いまだ傾いたままの墓を起こす。
種類までは分からないが、軽くて頑丈な木で作られた墓標の下に、白骨が横たわっていた。
その亡骸はとても小さく、フリルの付いたワンピースを着ていた。
「……女の子、ですね」
「あぁ。でも、なんでこんなところに」
「……掃除、していたんじゃないでしょうか?」
ゆいなの言葉に、鳥肌が立った。
村の中には誰の遺体もなかった。
それは、流行り病を恐れて村人が逃げ出したからだと思っていた。
けれど、もし、村人が全員その病に倒れ、誰かがこの墓地にすべての遺体を埋葬していたのだとしたら。
そして、最後の最後までこの墓地の世話をし続けていたのだとしたら……
もしそうなのだとしたら……
この少女は、誰もいなくなった村でたった一人、ここを守っていたってことか?
一人で、こんな寂しい森の中で、ずっと……
墓標の下敷きになったのか、病を発症したのかは定かではないが、こんな場所で寂しく息を引き取るまで、ずっと…………
「…………」
知らず、俺の手は少女の頭を撫でていた。
小さくて丸い頭を。
そして、やせ細った頬を。
不快感なんて微塵もない。
恐怖なんて欠片も感じない。
俺の胸に広がっていた感情は、どこまでも純粋な感心。称賛の嵐だ。
「よく頑張ったな。途中で投げ出さず、最後までやり遂げられたんだな。偉いよ。君は、この村で一番のいい子だ。俺が保証するし、俺が一生覚えておくよ」
この幼い聖女の記憶を胸に刻み込んで、一生忘れることはない。
誓うぜ、君のそのつぶらな瞳にな。
「埋葬してあげましょう。この墓地で一番いい場所に」
「そうだな。出来れば家族のそばにしてやりたいんだが……」
そんな俺の呟きに呼応するように、ぼんやりと一つの墓標が輝いた。
有り得ないような、日本でなら怪奇現象だと騒がれるような出来事を目の当たりにしても、俺たちは恐怖心を抱かなかった。
それは当たり前の出来事のように思えて、少し温かい気持ちにすらなった。
そっか、そこが君の家族の墓なのか。
「芥都さん。あたしスコップ探してきます」
「あぁ。たぶん、すぐ見つかると思うぞ」
俺の予想通り、ゆいなは物の数秒で戻ってきた。
二人で、慎重に墓標のそばに穴を掘る。
墓標の下には、三体の白骨が埋まっていた。
大人が二人に、赤ん坊が一人。
そこへ、頑張り屋のお姉ちゃんを並べて寝かせる。
「これで、ようやく家族が一緒になれましたね」
「だな」
少しの間、その光景を眺めてから、俺たちは手で少しずつ、優しく土をかけていった。
『…………ありがとう』
不意に声がして、振り返ると『鬼』がいた。
しかし、俺たちは驚くことはなく、ただ笑って頷いた。
ずっと待ってたんだな。
自分を見つけてくれる人を。
かくれんぼの『鬼』になってくれる誰かを。
じゃあ、お決まりのあのセリフを言ってやらなきゃな。
隣を見ると、ゆいなも同じことを考えていたようで、俺たちは『鬼』に背を向けて、墓標に向かって言った。声を揃えて。
「「みーつけた」」
『うふふ』
嬉しそうな笑い声が聞こえて振り返ると、そこには愛くるしい笑みを浮かべる少女が立っていた。
それも、すぐに光の粒子となって消えてしまったが。
「……あの子、この村で唯一ウィルスに耐性があったんですね」
「みたいだな。それが幸運なのか不幸なのか、俺には分からないけどな」
「でも、嬉しそうでしたよ、あの娘」
「…………だな」
少女が消える時、俺たちの脳内にちょっとした風景が流れ込んできた。
流行り病で村人がいなくなった村で、あの少女だけが生き残ったこと。
幼いながらも懸命に墓地の世話をしていたが、ある時倒れてきた墓標に押し潰されてしまったこと。
そして、それ以降は自分の遺体を見つけてくれる人を求めてさ迷い歩いていたこと。
『鬼』の姿になっても、この墓地の世話はたまにしていたこと。
「よかったですね、見つけてあげられて」
「んじゃ、残りの掃除をちゃちゃっとやってやるか」
「はい! 敏腕ナビゲーターは掃除も手際よくやっちゃうってことろ、お見せしますよ!」
その後、張り切ったゆいなのおかげで、あっという間に墓地は綺麗に掃除され尽くした。
空を見上げれば、うっすらと白みがかっていた。
もうすぐ夜が明ける。
シャルたちは、無事だろうか?
「芥都さん、これ」
少し汚れた手で、ゆいなが干し芋を取り出す。
疲れた体に甘いもの――かと思ったら、どうやらそれはお供え物らしい。
「いいんじゃないか。子供は甘いもの好きだしな」
「はい。お姉さんからのお裾分けです」
胸を張って恩着せがましく言って、照れたように舌を覗かせる。
そんなゆいなの笑顔を、「あぁ、悪くないな」と、疲れた体のだるさとともに感じていた。
頑張り屋の少女の墓前に干し芋と干し柿とドライフルーツを添えて、ゆいなと二人で手を合わせる。
……そこで、俺の意識は途切れた。
「……ぃと。芥都よ。こりゃ、芥都! さっさと起きぬか、芥都!」
「んぉわ!?」
頬をぺちぺち叩かれて目を覚ますと、目の前にシャルがいた。
その後ろにはタイタスがいる。
「おぉ、お前ら。無事だったか?」
「無事だったかではおじゃらぬ! 麻呂たちがどれほど其方らを心配したか!」
向こうは向こうで心配していたらしい。
けどまぁ、全員無事なようだし、結果オーライだろう。
「それを、こ~んな原っぱの真ん中で寝コケおって」
原っぱ?
辺りを見渡すと、そこには森など存在せず、見渡す限りの草原だった。
……どうなってんだ?
「しかも、ようやっと見つけたと思ったら、二人でイチャイチャしおってからに!」
「イチャイチャって……」
言われて隣を見ると、俺に寄り添うようにゆいなが眠っていた。
しかも、俺とゆいなの手はしっかりと握られていた。
「ふぉう!?」
慌てて手を離した。
俺、ゆいなと手をつないで寝てたのか?
え? 全然記憶にないんだけど?
つか、あの墓地での出来事は?
「……あ」
開いた自分の手を見て見ると、指先に少し湿った土が付着していた。
ゆいなと一緒に掘った、墓地の土だ。
うん。
不思議だけど、あの娘が成仏できたなら、それでいっかな。
隣でこれだけ騒いでも起きないナビゲーターをどうしたものかと考え、まぁ、昨夜はよく頑張っていたから寝坊は不問にしてやろうと寝顔を覗き込む。
「むにゃむにゃ……」
幸せそうに眠るゆいなの口がむずむずと動き、寝言が漏れ出してくる。
「芥都さん……怖いならお手洗い、ついて行ってあげてもいいですよぉ~……むにゃむにゃ」
……怖がってたのはお前だろうが。
勝手な夢を見ている罰はささやかなもので済ませてやろう。
俺は、指先についた湿った土で、アホ面を晒して眠るゆいなの額に『犬』という字を書いてやった。
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