〇ティルダ〇
一本橋を抜け、険しい山間の道を進んでいた私たちは、突然の豪雨に見舞われました。
「向こうにたぶん小屋があります! そこまで急いでください!」
山の中、微かに人が生活していた匂いがすると言うゆいなさんの誘導に従い、私たちは1メートル先も見えない土砂降りの中を進みました。
「そちらへ行っては危険ですよ☆ もっとこちらへ寄ってください」
土砂降りの中でもはっきりと景色が見えるというタイタスさんが、道を外れそうになる私たちの軌道修正をしてくださいました。
……ダメですね。私だけ、なんのお役にも立てていません。
「見えたのじゃ、小屋でおじゃる!」
シャル様が叫び、私は目的地へたどり着いたことを知りました。
ゆいなさんのおっしゃったとおり、そこには、かつて人が生活していたのであろう古ぼけた山小屋がありました。
「とにかく中に入ろう」
芥都様がドアを開け、ゆいなさんたちを先に中へと誘導されています。
ご自身がずぶ濡れになりながらも、仲間を優先させるその優しさ、感服いたします。
「ティルダ、何をしている! さっさと入れ!」
「は、はい! 申し訳ありません、キース様!」
背後から、キース様に声を掛けられ、私は恐縮して小屋へと入りかけ――微かに動く影を見つけました。
「あれは……?」
「何かいるのか?」
「はい……ですが、邪悪なものではないようです」
鳥族は視力に優れています。
このような土砂降りの中でも、動くものなら捉えることが出来ます。
「念のため、見てまいります」
「一人で行くな! 俺も行く!」
駆け出した私に、キース様が付いてきてくださいます。
なんとも心強いです。
私が動く人影を目撃したのは、この大樹の根元でした。
そこにいたのは……
「……みゅう……みゅう……」
影、でした。
おぼろげな輪郭をした、黒い影が、大樹の根元にうずくまって鳴いていました。
「あなたは……誰、ですか?」
「……みゅう…………」
「魔獣か……?」
「いえ、邪悪な気配は感じません。おそらく、このような外見の種族なのだと思います」
とはいえ、輪郭がおぼろげな種族など、心当たりもありません。
近しいもので言えば……霊魂――ゴースト、でしょうか?
「生きているのか?」
「はい、おそらく」
おぼろげな影に手を触れると、ほのかにぬくもりを感じました。
生き物の、体温です。
「……みゅい」
「あ……」
おぼろげな影が、私の指をかぷっとかじりました。
そして、そのまま「あむあむ」と甘噛みしてきます。
「はぁ……かわいい、です」
「どこがだ。こんな得体の知れないもん」
「お腹が空いているのかもしれませんね。何か食べ物を……」
「バカか、貴様は」
道具袋を探ろうとした私の手を、キース様が掴み阻止しました。
「ここは【神々の遊技台】だ。こいつも、どこかの神が仕掛けたトラップかもしれん。無暗に干渉するな」
「ですが、このまま放っておけば、この子は……」
「死ぬなら、それがそいつの運命だ。『神ではない者たち』を救済してもなんの意味もないことは、お前も理解しているだろう」
この【神々の遊技台】において、神でも転移者でもない者は、その存在に価値がありません。
ですから、キース様のおっしゃっていることの方がもっともであり、私の葛藤こそが間違っているのです。
ですが……
「おい、何やってんだよ、お前ら?」
「……芥都、様」
「ドアと真逆に走り出しやがって。方向音痴を極めし者たちか、お前らは?」
豪雨に顔をしかめつつ、芥都様は大樹の根元にうずくまるおぼろげな影に視線を向けられました。
「生きてんのか?」
「はい。そのようです」
「指食われてるぞ、ティルダ」
「ふふ、お腹が空いているようです。でも、全然痛くはないんですよ?」
「んじゃ、とりあえず連れてこい。いつまでもこんなところにいたらお前らが風邪を引いちまう」
芥都様は、なんの迷いもなくこのおぼろげな影に救いの手を差し伸べられました。
敵対していた私にまで心を砕き、巨大な魔獣からお救いくださった時のように。
「バカか、貴様は。『神ではない者たち』を救っても意味はない」
「救うことに意味がなくても、救わないことでティルダが気に病むだろうが。だったら、救ってやりゃあいいじゃねぇか、どうせついでなんだし」
「神のトラップかもしれんのだぞ? 無暗な干渉は――」
「とか言ってる間もティルダが濡れてんだよ! お前も転移者なら、自分んとこのナビゲーターの体調管理ぐらいしろよ! 風邪を引かせる気か?」
「…………チッ!」
キース様が舌を打ち、「行くぞ」と短く呟かれました。
「……へ?」
「さっさと来い! ……その不気味な生き物を連れてな」
「……はいっ!」
キース様のお許しが出て、私はおぼろげな影を連れて小屋へと向かいました。
芥都様への感謝は、小屋に戻ってから丁寧にお伝えしました。
☆キース☆
「ぁぐぁぐ……」
「ほわぁぁあ……めっちゃ可愛いです……」
ティルダが出したカロリーメイトという食い物を頬張る不気味な影を、芥都のところのアホ犬が緩みきった顔で眺めている。
……なぜそこまで無防備になれる? 警戒心をどこに捨ててきたんだ、あいつは?
「それにしても不思議な生き物でおじゃるのぅ。輪郭がおぼろげでおじゃるのに、きちんと触れることが出来るとはのぅ」
「みゅぃ」
チビ姫が不気味な影を撫で、不気味な影が甘ったれた声を漏らす。
……なんだ、この光景は?
小さいから可愛いとでもいうのか?
「貴様ら、いい加減にしろよ」
この場にいる誰もが警戒をしていない。
不本意ながらパーティを組むことになったわけだから、俺が苦言を呈しておいてやる。
パーティ全滅などという憂き目には遭いたくないからな。
「その不気味な影をさっさと叩き出せ」
「なんてこと言うんですか、この銀髪は!? 毟り尽くしますよ!?」
「いたいけな女子になんという仕打ちじゃ……鼻の穴を四倍に広げるでおじゃるぞ、性悪銀頭」
このクソ女ども……言いたい放題言いやがって。
「こちらの油断を誘うために見た目をひ弱に見せる魔獣など、枚挙にいとまがない。そいつだって、いつ巨大化して邪悪な牙を剥き出すか分かったものじゃない。理解したなら、さっさとそいつを――」
「なんじゃ。其方は斯様な小さな女子が怖いと申すのか?」
「はぁ!?」
誰が怖いだなどと言った!?
「銀髪っつぁん、負け癖が付いちゃったんですかねぇ」
「では、銀髪さんがこの幼女に襲われそうになったら、ワタシが身代わりになりましょう。こんな愛くるしい幼女に襲われるなんてご褒美以外の何物でもありませんから★」
「よぉし、みんな手伝ってくれ。タイタスを簀巻きにして外に放り出すから」
ギャーギャーと騒がしく、どいつもこいつも笑ってやがる。
なんだ? 危機感を持つ方がまともだろうが。
ここは、【神々の遊技台】なんだぞ!?
「貴様ら、……神がどんな存在か理解しているのか? ヤツらは人間を下等な生き物と定義付け、虐げ、苦しめて嘲笑ってやがるんだぞ。そんな神が作った世界にいるヤツが、まともなワケねぇだろうが!」
音が止む。
危機感の薄い連中がこちらを見て、……憐れむような目を向けやがる。
「キース様は、神に裏切られた方なのです……ですから」
「ティルダ、余計なことは――」
「余計なことではおじゃらぬであろうが」
チビ姫がぴしゃりと言う。
……チッ。
「確かに、崇高な神にとって、人間とは矮小で取るに足らぬ存在なのやもしれぬ」
一定の理解は示しつつも、チビ姫は持論を曲げない。
揺らがない意志のこもった瞳で、俺を見つめる。
「しかしの、銀髪よ。人がそれぞれなように、神もそれぞれでおじゃる。もしかしたら、芥都のようなお人好しで世話焼きの神だっておるやもしれぬでおじゃろう」
そう言って、くつくつと笑う。
「じゃからの、自分が見たものだけがすべてだなどと決めつけるのではおじゃらぬ。其方の苦労は否定せぬ。じゃから其方も他人の信仰を否定するものではおじゃらぬ。神を好く者とてどこかにはおじゃるであろうしの」
俺が神を憎むように、神を好む者もいる……
……チッ。
「もう知らん。好きにしろ」
立ち上がり、小屋の隅へと移動する。
俺はもう寝る。
「あ、銀髪っつぁん。毛布ありますよ。アイリーンさんとクリュティアさんの分だったんですけど、ちょうど六人分あるので、貸してあげます」
「いらん」
まぶたを閉じたまま拒絶する。
必要ない借りを作る気はない。
野宿が当たり前の生き方をしてきたのだ。
小屋の中で風が凌げるだけマシ……
「お前がよくても、こっちが気になるんだよ」
ばさりと、頭から毛布を掛けられた。
「協調性を学べ、拗らせボーイが」
「…………芥都、貴様」
「眠れないなら、タイタスに添い寝させるぞ?」
「あの気持ちの悪い男だけは絶対に近付けるな!」
「んふ★ 大して親しくもないのにあの言われよう。パーティって楽しいですね☆」
何が楽しいのか、くねくねと身悶えるナビゲーター。
……あいつだけは、どうにも性に合わない。
これ以上、こいつらに何を言っても始まらない。
俺はまぶたを閉じて、少し睡眠を取ることにした。
夜中にふと目が覚めた。
……誰かが、闇の中で動いている。
目に気を集中して闇を眺める。
蠢いていたのは、不気味な影だった。
ティルダの布団を剥いで、何かをしている。
「……何をしている?」
「みゅっ!?」
声をかけると、不気味な影が驚いたように揺らめいた。
ロウソクの炎のような揺らめき方だ。
「みゅ…………みゅう……」
俺とティルダを交互に見て、何かを言いたそうにか細く鳴く。
得体は知れないが……邪悪さは、感じないか。
「眠れないのか?」
「…………きゅう」
「……? 腹でも減ったか?」
「みゅ…………みゅう」
「飯を食ったんじゃないのか?」
俺が眠った後、連中は飯を食っていた。
眠っていても、周りで起こったことくらいは把握できる。
芥都が作った『おにぎり』とかいう飯を、ティルダが眠る俺のところまで持ってきて、置いていったはずだ。
視線を向ければ、笹に包まった『おにぎり』があった。
「これでも食ってろ」
『おにぎり』を放って渡すと、不気味な影はわたわたと右往左往して、取り落とした。
……どんくさいヤツ。
「みゅ、みゅう」
「礼なら作った芥都と、残しておいたティルダに言え」
「みゅう……」
「食ったら、お前も寝ろよ」
毛布に顔をうずめ、深く息を吸う。
言うつもりもなかった言葉が、一言余計に零れていった。
「寝坊したら、置いていっちまうからな」
……ふん。
どうせ、こいつを連れて行くと、あの中の誰かが言うに決まっているのだ。
俺の意志には関係なくな。
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