「芥都様」
すぐにキースを追いかけるのかと思われたティルダだが、一度キースの背中へ視線を向けた後俺へと向き直った。
「キース様に代わり、心より謝罪させていただきます。命を救ってくださった芥都様に対し、あのように無体な仕打ちを……誠に申し訳ありませんでした」
地面に足を着けて、腰を折り、深く頭を下げる。
なんとも礼儀正しいヤツだ。
「俺たちは敵同士なんだろ? 謝るなよ」
「いえ、そういうわけには……」
「それに、毒を浴びせられたのと助けた順番が逆になってるぞ」
命を助けた俺に毒を浴びせたのではない。
毒を浴びせられた俺が助けたのだ。
「ゆいなを助けるついでみたいなもんだから、マジで気にするな」
「芥都様……」
うるっと瞳を潤ませて、ティルダが地面に両膝をついた。
神に祈るような体勢で、胸の前で手を組む。
「改めて、心からの感謝を述べさせてください。芥都様。この度は命を救っていただき、誠にありがとうございました」
「いや、だから……」
「これは、私の一方的な感謝ですので、芥都様は受け止めようとも無視しようともかまいません。ただの自己満足です」
そう言われてしまうと、無下にも出来ない。
「分かった。感謝は受け取ったから、もう立ってくれ。覗き込みやすい場所にそんなイイモン晒されたら目のやり場に困る」
そう言うと、ティルダは一度首を傾げて、自分の胸元を見下ろし、気が付いたようでばっと胸元を隠した。
……すげぇ絶景でした。
「か、芥都様は、その……素晴らしい方ですので、そういった言動はお控えになった方が……」
そそくさと立ち上がり、うっすら赤く染まった頬で俺を見る。
睨むでもなく、諭すでもなく、懇願するような目だ。
「出来たらやめてほしーなー」みたいな感じだ。
だが、残念でした!
やめませーん!
「善処しよう」
「ありがとうございます!」
「騙されちゃダメですよ、ティルダさん! これは絶対善処しない顔です!」
はて、なんのことかな、ぴゅーぴゅーぴゅい~♪
「先程は、芥都様が倒れられたことに動転して、魔獣の接近に気が付けませんでした」
「あ、わたしもです。毒の臭いがキツ過ぎて、魔獣の臭いが分からなかったんですよね」
こいつらは魔獣の接近が察知できるのか?
発言を参考にすると、ゆいなは臭いで魔獣の位置が分かるっぽいな。
……だったらなんで二回も続けてティラノサウルスに背後取られてんだよ?
機能しろよ、お前の索敵能力。
「ティラノサウルスって、無臭で爽やかなんですよねぇ」って? やかましいわ。
「どのような方法で魔獣の頭上を取ったのかは詮索いたしません。それでも、たとえついでであっても私の命が救われたのは芥都様の決断と行動のおかげです。このご恩は決して忘れません」
そう言って、もう一度俺に祈りを捧げる。
やめろ。くすぐったい。
「あの、もしよろしければこちらを。本当に気持ちばかりの品でお恥ずかしいのですが、どうぞお納めください」
言って、胸の谷間から綺麗にラッピングされた小袋を取り出し、俺に押しつけてくる。
なんでも出てくるな、その谷間。
「お二方とは、またどこかでお会い出来る気がいたします。どうか、それまでご壮健であられますことを」
ぺこりと頭を下げ、ティルダはふわりと空へ舞い上がる。
上空でもう一度こちらに笑みを向けてから、キースを追って飛んでいった。
「ナビゲーターってのは、敬語を義務づけられているのか?」
「いえ、特にそういうわけでは……でも、わたしたちは転移者のサポート役ですから」
自然と立場に差が生まれるとでも言うのだろうか。ゆいなも俺に敬語を使っている。
「ゆいなも、無理して敬語を使う必要ないぞ?」
「いえ、わたしはこれが普通ですので。……芥都さんにため口とか、緊張して無理ですよ」
えへへと、困ったような顔で笑う。
ため口で据わりが悪いってのは、まぁあるか。
「ゆいなが嫌じゃないなら、好きにすればいいけどな」
「はい。……とはいえ、彼女はちょっと丁寧過ぎる気がしますけど」
と、ティルダが飛んでいった方向を見上げるゆいな。
敵対していた俺にも様付けだったし、元からそういう性格なんだろう。
わざわざお詫びの品までくれたしな。
小奇麗にラッピングされた小袋。
触った感触では、中にクッキーでも入っていそうだ。
手のひらにはちょっと収まらないくらいの大きさなのだが……
「こんなもんまで収納出来るんだな、ナビゲーターは」
「いえ。ナビゲーターが体内に収納出来るのは【神器】だけです」
「じゃあ、これはどっから出てきたんだよ?」
「…………谷間、じゃないんですか」
ゆいながむくれながら言う。
なるほど。やっぱりナビゲーターによって差があるわけだ、収納力に。
そっかそっか。
あの谷間に大切に保管されていたクッキーか。
……夜にでもこっそりいただこう。もちろん、ゆいなには内緒で。
いやいや、深い意味はないし、心配をかけたこともちゃんと反省している。もちろんだとも。ただ、……こっそり食べよっと。
「……料理は愛情っ」
「劣情の間違いではないですか?」
料理は劣情って、なんだその卑猥な食べ物は!?
……え? 俺の抱いている感情がってこと?
あはは、バカだなぁ。おっぱいは愛の象徴だぞ。
母性愛を卑猥だと言うならば、そいつの脳内こそが卑猥なのだ。
おっぱいに罪はない。
むしろ尊い。
おっぱい、尊い。
尊っぱい。
「今、何を考えていました?」
「お前って、勘が鋭いんだな。それ、野生の勘ってヤツ?」
索敵に活用してくれたら役に立ちそうだなっと。
……ということにして誤魔化しておく。野生の勘、恐ろしい。
「けど、すごい【特技】だったんですね、『無病息災』」
キースが投げ捨てたスキルカードを拾い上げ、丁寧に泥を払ってこちらへ差し出してくれる。
俺が受け取る時にはもう汚れがついていない。
代わりにゆいなの指が汚れちまったけど。
「まさかの効果に俺自身も驚いてるよ」
スキルカードを胸に当てると、にゅるんと体内に入り込んでいく。
なんとも不気味だ。
「それに、【神器】の登録を後回しにして正解でしたね。ない物は譲れませんから」
「だな」
もし、ルードシアへ来る前に【神器】の登録をしていたら、さっきキースに奪われていたかもしれない。
登録をしていない今、俺が持っているのはヘソから生えたコントローラーだけだ。
引っ張っても抜けないコントローラーを、キースが盗んでいくとは思えない。
コードを切って持って行ったとしても、使えるとは限らないしな。
「けど、スキルを簡単に渡そうとしたのにはびっくりしました。いくら『無病息災』の有用性を知らなかったとはいえ」
「あの程度のヤツにならスキルをくれてやっても大丈夫だと思ったんだよ」
「あの程度って……手も足も出せていませんでしたけどね」
今は、な。
だが、ゆくゆくは俺がヤツを上回る。それも圧倒的にだ。
「有利になりたいからといって相手の力を欲するヤツに、ゲームを制することは出来ねぇよ」
ド素人がプロ棋士から飛車・角・金・銀をもらって勝負したとしても、絶対に勝つことは出来ない。それと一緒だ。
強い駒を手に入れれば勝てる。そんな考えを持っているうちは、ゲームには勝てない。本質が見えていないと言っても過言ではないからな。
「あいつは最初から、すでに俺に敗北していたと言える」
「物は言いよう、捉えようですね」
呆れたような顔でゆいなが肩をすくめる。
なんだよ。負け惜しみじゃないぞ?
まぁ見てろって。あのキースとかいうヤツは、そのうち俺に追いつけなくなるから。だから、今くらい先行させてやろうじゃねぇか。
そんな話をしながら、ゆいなの指先をハンカチで拭いてやる。
「へぅ……?」
奇妙な声を漏らして硬直するゆいな。
なんだよ、面白い顔して。
……気になるんだよ、指先が泥で汚れてるの。お前は、ただでさえ真っ白で綺麗な肌してんだからさ。
「芥都さんは、やっぱり……ちょっと変です」
困った顔をしながらも、ゆいなの尻尾がパタパタ揺れる。
お~、喜んどる喜んどる。
あの牢獄でゆいなは人間のことを「お偉いお方様ですよ」と言っていた。
こんなことする転移者は少ないのだろう。
ま、知ったこっちゃないよ、そんなもん。
「俺は、俺がやりたいようにやる。お前も早く慣れてくれよ」
こうするべきだとか、慣例上はとか、そんなもんを守ってやるつもりはさらさらない。
空気を読むのがどうにも苦手みたいだからな、俺は。
「俺を誰かと比較しようとしてんなら、無駄だぞ。なにせ俺は特別ゲストだからな。すべてが規格外なんだよ」
そこらの有象無象と一緒にするな。
そんな意味を込めてウィンクを飛ばしてやると、ゆいなはクシャッと破顔一笑した。
「もう。指を拭いたくらいで大袈裟ですよ」
「だろ? だから大袈裟に驚くな。普通だよ、こんなもん」
「けど、芥都さんのそういうところはとても好きです」
きゅんっ!
……あっぶねぇ、魂抜けかけた。
お前、急にやめろよ。
好きとか、そういうの、無防備な顔で言うなよ。
危うく惚れるところだったわ。
まだ惚れてないけどな。セーフ、セーフ。
「とにかく、ここを離れましょう。魔獣の死骸があると、他の魔獣が寄ってくるかもしれませんから」
俺たちの周りには、黒焦げになったティラノサウルスと、毒濡れになったティラノサウルスが転がっている。
こんなところに留まるのはよくないな、精神衛生的にも。
「現在、芥都さんは戦う術を持ち合わせていません。また他の転移者に目をつけられたり、魔獣に襲われたりしたら大変です。安全な場所に移動して早急に【神技】の登録をしてしまいましょう」
ゆいなの言うことももっともだ。
開始早々これだけ敵とエンカウントしたんだ、さっさと戦う術を手に入れた方がいいだろう。
「とりあえず森を抜けるか」
「はい。魔物のニオイがするところを避けに避けまくって森を抜けますね。ついてきてください」
鼻をひくひくさせて頼もしいんだか情けないんだか分からないことを言う。
これは親切、なんだよな? ……え、バカにされてる? 怒るところ? いやいや、親切だろう。悪意はないはずだ。
「お前弱っちぃし、逃げまくるのがお似合いよ、ぷぷぷー!」とは思っていないはずだ。
……すぐに戦う術を手に入れて、ライバルや魔獣たちを蹴散らしてやるんだからねっ!
今は丸腰だから、仕方ないだけなんだからねっ!
自分にそう言い聞かせて、ゆいなの背中を追って森を駆け抜けた。
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