翼竜をも死に至らしめる猛毒だという腐敗臭の酷いゲルを全身に浴びせかけられ、俺は……
……なぜか、な~んともなかった。
そりゃ、臭いし、気持ち悪いし、あと鼻に思いっきり入ってきて咽たし、口も鼻も塞がれて息苦しいし、目も開けられなくてふらふらするし、それらがいっぺんに俺の体に襲い掛かってきて吐き気と眩暈に思わず地面に膝をついてしまったけれど、「毒で死んじゃう~!」という感じは一切ない。
いうなれば、三週間ほど放置された生ごみの袋に顔面から突っ込まれたような、非常に不愉快で気持ち悪くて気分が最悪だけれど死にゃあしない、そんな感じだ。
そんな状態なので、すぐさま起き上がって「全然平気だぞ」とは言えない。
正直、明日バイトがあったら確実に「不愉快なので」って理由で欠勤するであろうくらいに気持ちが悪い。
「芥都さん! 目を開けてください、芥都さんっ!」
ゆいなが泣きそうな声で俺を呼ぶ。
けどな、目がしょぼしょぼしてとても開けられないんだわ。すげぇ痛い。
超至近距離で玉ねぎのみじん切りをしたみたいな痛みだ。
「芥都さんっ!」
返事をしてやりたいが、口を開ければこの腐敗臭ゲルが確実に口に入ってくる。
……それはすげぇ嫌だ。こんなもん、一滴たりとも口に入れたくない。
「キース様っ、彼には戦う力はなかったのですよ!? どうしてそのように無体な仕打ちをなさるのですか!?」
手のひらから臭いゲルを出すという人間離れした特技を披露した銀髪がティルダに叱られている。
そうだ、反省しろ。
「キモい技使ってごめんなさい」って頭を下げろ!
そんな俺の思いは届かず、キースという名前らしい銀髪は反省の色がまったく見えない声音で言う。
「邪魔な芽は早めに摘み取っておくに限る」
それのどこがおかしいんだとでも言いたげな口調だ。
それが、あいつの常識なのだろう。
なるほど。
『殺し合いすごろく』、ね。
マジで容赦なく殺しにかかってくるってわけか。
こりゃ、毒が効いていないなんて言わない方が身のためだな。
恐竜を黒焦げにするイカヅチを操り、手のひらから猛毒を放出するような危険人物だ。
俺が無事だと知れば、どんな手段を使ってでも俺を殺しに来るだろう。
今回はたまたま毒が効かなかっただけで、別の方法を取られれば俺はいとも容易く殺される。
やり過ごすのが利口と言うものだ。
……けれど、なんで毒が効かないんだ?
キースが出すゲルを間違えた、とか?
いや、そんな間抜けなことをするようなヤツには見えない。
キース的には、この技は成功していると判断しているはずだ。
その証拠に、俺が毒にやられていると信じて疑っていない。全然平気だなんて、これっぽっちも思っていないだろう。
この状況は、キース的には計算外……
つまり、原因は俺にある、のか?
俺に原因があると考えるなら、考えられるのはただ一つ。
『無病息災』
俺が最初から持っていた【特技】で、その効果は『いつでも健康、丈夫な体』と表示されていた。
もしかして『いつでも健康』というのは、病気にならないって意味だけじゃなくて、もっと広い解釈で……そう、例えば……
『どんな状態異常にもならない』という意味だとしたら、説明がつくんじゃないだろうか?
毒や麻痺や石化みたいな状態異常は、どう見繕っても『健康』とは言えない。
俺の【特技】は俺を『いつでも健康』に保っていてくれるのだ。
それが、『無病息災』の力……?
そう言われてみれば、俺はこれまで大小問わず毒に負けたことがない。
漆にかぶれたこともないし、花粉症にもならなかったし、クラゲにも刺されなかった。
蚊に刺されてかゆいと思った経験すらない。
適当に山で取ってきたキノコを鍋にして食べたことがあったけど、お腹を壊さなかった!
やっぱ俺、毒にめっちゃ強い? 毒無効!?
……そんなもんと、翼竜一匹を死に至らしめる猛毒を比較していいのかは、ちょっと分からないが……、けど、「有り得ない」って感情を取っ払って考えれば、そうとしか説明が出来ない。
なんだよ、なんだよ。
すげぇ【特技】じゃん、『無病息災』!
俺は最初から信じてたぜ、お前はやる【特技】だって!
「ふふ……」
思わず口元が緩む。
そして、口の中に腐敗臭汁が流れ込んでくる。
「ゴッホゴホ! ごっへがっはげふぅ!」
クッサっ!?
まずっ!
いや、クッサっ!
一滴で死にそうなほどの臭マズさだ。
毒では死ななくても、味で死にそうだ。
「芥都さん!? 芥都さんが、咳き込んで……、芥都さぁぁあん!」
俺が咽たせいで、ゆいなが悲鳴を上げた。
あ、悪い。
お前が心配しているような内容じゃないんだ、この咳。
全然大丈夫だから。心配すんな。
キースがいなくなったら、ちゃんと説明するからな。
「芥都さん、今助けます! 川へ行って毒を洗い流しましょう!」
「ダメです、ナビゲーターさん! 触れればあなたまで死んでしまいますよ!」
ゆいながティルダに止められているのが音と気配で分かる。
抑え込まれながらも、ゆいなが必死にもがいている。
「自分の命惜しさに芥都さんを見捨てるなんて、わたしには出来ません! 芥都さんは、わたしを必要だと言ってくださった大切な方なんですっ! 死なばもろともです!」
ぐっと、胸が詰まった。
出会ってまだ一時間と経っていない俺を、そこまで思ってくれるなんて。
こいつ、すげぇいいヤツじゃねぇか。
危機を回避するためだとはいえ、そこまで言ってくれるゆいなを悲しませて……
俺は…………っ!
そうだ。
こんなみっともない逃げ方はやめて、今すぐ起き上がり、「俺は無事だ」と伝えよう!
キースとのことは、その後でなんとかする。なんとかなるように考える。
死んだふりなんて卑怯な真似、俺には似合わねぇよな。今さら気が付いたぜ。
そうと決まりゃ、油断している銀髪野郎に、猛毒濡れの右ストレートをぶちかまして……
「分かりました! では、私が毒を吸い出します!」
……え?
行動を起こそうと、俺の体を熱くしていたアドレナリンの分泌がピタッと止まる。
ちょっと待とう。
ティルダが何かを言い出したぞ?
「触れるだけで危険な毒ですので気休めにしかならないかもしれませんが、せめて口に入ってしまった毒だけでも吸い出させていただきます! 私の口で!」
えっ!?
人工呼吸!?
あの巨大戦斧がすんなりしまえちゃうほどの巨乳美女のティルダが!?
……も、もうちょっとだけ死んだふりを…………
ん? 卑怯?
うっせぇ!
俺の初チューがかかってんだよ! 戦略的死んだふりだ! かの孔明もびっくりな知略知慮だ!
「やめろ、ティルダ!」
ティルダの言葉に、キースが焦りの滲む声を上げる。
「申し訳ありません、キース様。けれど、私にはどうしても、見殺しにすることは……!」
「阿呆が! 貴様に死なれると俺が困ると言っているんだ!」
「キース様なら、すぐに有能なナビゲーターに出会えます。脱落者になることは……」
「これを使え!」
ティルダの声を遮って、キースが何かを投げたのが分かった。
痛いのを我慢して薄眼を開けて確認する。
投げて寄越されたソレをキャッチできなかったのだろうか――ティルダの谷間に、小さな小瓶が突き刺さり挟まっていた。
瓶が落ちなぁ~い!
驚きのクッション性!
驚きの収納力!
「即効性の解毒薬だ。……死んでいなければ助けられる」
「キース様……っ! ありがとうございます!」
感激の表情で頭を下げるティルダだが、そもそも毒を俺に浴びせた犯人がキースなんだけどな……なんで人助けした風に感謝されてんだ、あいつ?
加害者がいい人ぶるとか、お前DVの気があるんじゃねーの?
ちょっとムカついて、「お前の毒なんか効いてねぇよ、バーカ」と真実をぶちまけてやりたくなった。
ついでに、このクッサいゲルをあの澄ました銀髪野郎の顔面に塗りつけてやろうかと、顔を上げて様子を窺うと……
「ガァァアアアアアアア!」
ゆいなたちの背後から、最初のヤツよりも一回り以上大きいティラノサウルスが襲い掛かってきていた。
「危ねぇっ!」
タイミングだなんだとごちゃごちゃ考えていたものを全部かなぐり捨てて、俺は飛び起きた。
完全に油断していたのか、ゆいなとティルダは強襲に気付いておらず、キースも少し離れた場所で唖然としている。
世界がスローモーションになり、焦った頭だけが高速で回転を始める。
キースの攻撃はたぶん間に合わない。
ゆいなもティルダも飛び起きた俺に目を奪われているのか背後に意識を向けていない。
とにかく、二人を突き飛ばしていったん距離を……いや、ダメだ。
俺の全身に浴びせられているのは触れるだけで翼竜を死に至らしめる猛毒だと言っていた。こんな毒塗れの手で二人には触れない。
どうする?
どうすればいい!?
くっそぉ!
悩んでいる暇なんかないってのに!
誰か、誰でもいい――
力を貸してくれっ!
「「「「はいはーい! おまかされー!」」」」
切迫した状況にまったく不釣り合いな緊張感のない声が聞こえたかと思った瞬間、ふっと目の前が黒に塗りつぶされた。
そして、「ぶつっ」っという電気的な音がして、黒い空間に鮮やかな色彩のアルファベットが浮かび上がる。
【LUDUSIA PREPARATION 2】
「続編!?」
ツッコミと同時に振り返った俺の後ろに、見慣れた四人の妖精が並んで立っていた。
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ティルダ
18歳 G 鳥族
心優しき泣き虫ナビゲーター 四次元おpp……
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