「……タンポポたちが大丈夫か、心配なのです」
コンペキア王国を出発した直後、エビフライが馬車の後方を見つめながら呟いた。
いや、お前が「大丈夫」って言ったんだよな!?
「また、エビフライのネガティブが出ましたね。彼女はいつも最悪の事態を想定して、考え過ぎてしまうのですよ」
ハラハラしているエビフライを見て、ヒルマ姫が微かに笑みをこぼす。
心配するという雰囲気ではない。きっと、エビフライはいつもこのような感じなのだろう。
「また始まった」という、一種ほのぼのした雰囲気だ。
シャルがさらわれ、ずっと張り詰めた表情をしていたヒルマ姫の顔に、微かにだが笑みが戻ったことはよい傾向だと思う。
ずっと張り詰めたままでは精神が持たない。
こういうところで、信頼できる人間関係が救いになるんだな。
ヒルマ姫に慰められ落ち着いたのか、エビフライは「失礼したなのです」と丸い眼鏡を押し上げ取り繕う。
「では、話を戻すなのです」
咳ばらいを挟み、エビフライが話し始める。
「連中、レスカンディの谷の方へ向かったのです」
馬車の中で広げた地図の上を指でなぞるエビフライ。
それは、ナヤ王国とは真逆の方角にある渓谷だった。
「ナヤ王国へ向かったんじゃないのか?」
「こちらは、ワシルアン王国のある方角ですね」
ヒルマ姫が地図を指して説明してくれる。
「ワシルアン王国は、古くからコンペキア王国とは友好な関係を築いてきた同盟国です。ですが、現在はユーロルア帝国の侵攻を受け、国土の大半を占領されている状況です」
帝国に占領されている同盟国へ、か。
その国がこちらの味方か、敵の駒なのか、それによってシャルの安否が大きく変わるだろうな。
「もしかしたら、ワシルアン王国も帝国に寝返っているかもしれないですね」
「それはありませんわ」
ゆいなの言葉を、ヒルマ姫は強い口調で否定する。
そして、「……すみません。大きな声を出してしまって」と謝罪する。
「ですが、ワシルアン王国がコンペキア王国を裏切ることはあり得ません」
「その根拠は?」
甘い考えに聞こえたのだろう、タイタスが問う声は冷たい。
「ワシルアンの王弟、ライデン殿下は義勇の騎士と名高い方なのです。武力に屈するような方ではありません」
そうムキになって反論するヒルマ姫の頬は、うっすらと朱色に染まっていた。
おやおや~?
「どうやら、随分と昔から『友好な関係』を築いていたようだな」
「そ、そのようなことは!? ……も、もう、芥都様。イジワルはやめてくださいませっ」
どうやら、ヒルマ姫はワシルアンの王弟殿下にご執心なようだ。
そりゃ、帝国の求婚を突っぱねたくなるわな。
「でも、家族や仲間を人質に取られていれば、逆らえなくなるわよね。ヒルマ姫はともかく、私たちに刃を向けないとは限らないわ」
ボムの魔導書を抱きかかえ、アイリーンが険しい表情を見せる。
アイリーンの魔法は、あの魔導書を使用して発動している。魔導書が盗まれたらアイリーンは攻撃手段を失うことになるため、警戒しているのだろう。
「ライデン殿下は弱者に刃を向けるようなことはされません……ですが、国民を盾に取られれば、ご自分の心を殺して望まぬ選択をされるかもしれません。戦えない弱き者を救うのが我が生きる意味であると、以前おっしゃっていましたから」
「まさに、義勇の騎士だな」
「……はい」
誇らしいような、少し困ったような、どっちつかずな笑みを浮かべるヒルマ姫。
そういう優しいところに惹かれてはいるが、それが原因で敵対してしまう可能性がある。
そんな複雑な心境の表れだろうか。
「仲間になってくれるでしょうか、王弟殿下さん」
「これがゲームなら、何かしら手段はあるんだろうが……、どうなんだろうな」
この試練は、どこまでが試練なのか分からなくなってきている。
ゲームのように『必ずクリア出来る』という確証はない。どうあがこうが手に入らないものも、覆らないことも、どうしようもない事象も、すべてないとは言い切れないのだ。
楽観的に、「これはゲームだから」と考えるのはやめるべきだろう。
「芥都様」
馬車と並走しているティルダが、窓から顔を覗かせる。
この馬車は、サクラとコンペキア王国へ向かう時に乗せてもらった大きな馬車で、今はサクラとシャクヤクが御者をしてくれている。
シャクヤクのペガサスと、ソシアル騎士だというエビフライの馬を見るためにティルダが自分の馬で並走しているのだ。
シャクヤクのペガサスの『マルちゃん』と、エビフライの馬『タルタル』は非常に頭がよく、人が乗っていなくてもきちんと馬車と並走してくれている。
……頭がいいなら、飼い主の付けた名前にクレームとか入れてもいいと思うぞ。『タルタル』って……どんだけ気に入ってんだよエビフライって名前。
「渓谷が見えてきました。サクラさんとシャクヤクさんが『警戒しておくように』と」
「分かった。ありがとう。お前も十分気を付けろよ」
「はい。ご心配ありがとうございます」
にこりと笑って、ティルダは馬車から離れていく。
このまま馬車は谷底を進むことになる。
ごつごつとした岩肌は身を隠すのにうってつけだし、崖の上から岩でも落とされたらそれだけで脅威だ。
警戒は十二分にしておく必要がある。
「この先にあるのはワシルアン王国のみです。……やはり、シャルっぺはワシルアンに連れ去られたようですね」
「そこでユーロルア帝国の者に引き渡すつもりかもしれないのです」
「ってことは、ナヤ王国の重装騎士団はデコイか」
わざと目立つ連中を用意して、その正体をこちらに察知させる。
そして、「姫はナヤ王国に連れ去られた」と思い込ませて、その真逆にあるワシルアン王国で姫の引き渡しを行う。
なるほど。エビフライが見ていてくれなければ、俺たちはまんまと連中の思惑に乗せられるところだったわけだ。
「くそ……、『らっしゃい』があれば、全員すぐにでも見つけ出してやれるのに」
「じゃあ、またストーンゴーレムを狩って『緋色核』でも集めるのね」
「……あぁ、あれクッソ時間かかるんだよなぁ」
とにかく、今すぐ調達できる物ではない。
地道に探していくしかないだろう。
「……テッドウッドさま」
馬車の中で膝を抱えるプルメ。
離れ離れになるのは不安だろう。プルメはまだ子供と言ったっていい年齢だからな。
「…………他所の女にちょっかいをかけられていなければいいのですが…………血の雨は降らないに越したことはありませんし」
うん……お前が自重すれば血の雨は降らないんだぞ。
この子、年齢は子供と言ってもいい頃合いなのに、発想がアダルティなんだよなぁ。
「レスカンディの谷を抜ければすぐにワシルアン王国領に入ります。うまくライデン殿下派の者に出会えれば、領内の移動はしやすくなるでしょう」
「なにせ今回は訪問の先触れをお出ししていませんから」と、ヒルマ姫は苦笑を浮かべる。
一国の姫が隣国へなんの告知もなく訪れるのは非常識に当たるようだ。
何か行動を起こすたびに噂が先走るものらしい。
周りへの根回しもなく、いきなり姫が王弟殿下に会いに行けば、『ただならぬ事情がある』と噂されかねない。
婚約者のいないヒルマ姫にとって、最もあってはならない噂が立ってしまうわけだ。
……うわぁ、王族って面倒くさい。
「ですが、今は非常事態です。なんとか、話の分かる方に、なるべく早く出会えればいいのですが……」
「それより、『ライデン殿下派』ということは、そうではない派閥の人もいるんですよね?」
ヒルマ姫の気になる表現に、ゆいなが難しい顔をする。
「……はい。ライデン殿下の兄君カーマイン殿下は、帝国側について力を得るべきだと強く訴えておられる方で……」
「王様はどうなんだ?」
「ワシルアン王は、ライデン様と近しいお考えをお持ちの方です。帝国は危険な存在だという認識をされています」
王様とライデン殿下は反帝国。
その間のカーマイン殿下は帝国につくべきだと考えている。
三兄弟で長男と三男の意見が一致しているのか。
それで、次男であるカーマイン殿下は大きな行動を起こせず、国内でくすぶっている感じか。
現在のワシルアン王国は反帝国を掲げているため、帝国からの侵略を受けている。
……ちょっときな臭いな。
次男坊、何か仕出かしてないか?
「間違っても、カーマイン殿下派の人間に見つかるのは避けないとな」
ヒルマ姫と間違って連れ去られたシャルが、ワシルアン王国へ連れていかれたのは、きっとヒルマ姫を帝国への貢物とするためだ。
その功績をもって、カーマイン殿下は帝国に取り入ろうと協力している――可能性がある。
だからこそ、俺たちは見つかるわけにはいかない。
「俺たちがここで見つかれば、連れ去られたのがヒルマ姫ではないと発覚してしまう」
「そうなると、シャル姫の身が危険ですね。急ぎましょう」
タイタスが先を急かす。
焦るのはよくないが、だが急いだ方がいいのは事実だ。
シャルを連れ去ったのは山賊で、姫の顔なんか知りもしないバカの集まりなのだろう。
だが、隣国の王族であれば確実にヒルマ姫の顔を知っている。
ここでカーマイン派に見つかると厄介だ。
……なんて思うから、それがフラグになるんだろうな。
揺れる馬車の中、突然俺たちの目の前にウィンドウが飛び出してきた。
そこに、陰湿そうな瞳をしたオールバックの悪人面が映し出された。
「カーマイン殿下!?」
ヒルマの驚きの声と共に、ステージ3が開始したようだ。
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