ネフガは死んだ。
俺たちは何もしていない。
飢餓感に耐え切れず、皇帝の情報を話し始めたネフガは黒い炎に包まれ、そして灰になった。
突然のことに、俺たちは何も出来なかった。
そうだな、俺たちは何もしていないんじゃない、何も出来なかったんだ。
それから一時間ほど、俺たちは無人となった砦の中で時間を過ごした。
「ん~……ダメね。使えないわ」
ネフガから取り上げた『ヒプノシス』の魔導書を閉じて、アイリーンがため息を漏らす。
ボムの魔導書は手に持つだけで『使える!』と直感したらしいのだが、『ヒプノシス』は持とうが開こうが読み込もうが、一切使える気がしないようだ。
「暗黒魔法っちゅうとったさかい、ネフガみたいな腹の黒い魔法使いにしか使えへんのちゃうやろか?」
「え、だとしたらアイリーンさん使えるんじゃ……?」
「うるさいわよ、ゆいな!?」
属性に問題があるのかもしれない。
「テッドウッドはどうだ?」
「我にも、使い方が分からぬな。随分と古い魔導書のようであるし、これを使えるのはごく一部の魔法使いだけなのであろう」
「シャルは?」
「麻呂は他者を操るような狡い魔法は使いとぅおじゃらぬ」
ウチの魔法使い連中には使用できないようだ。
「じゃあ、燃やすか。敵に渡ると厄介だし」
「あのっ、芥都さま!」
さっさと燃やしてしまおうと思った魔導書を、プルメが奪い抱きかかえる。
「一ヶ月、いえ、一週間だけ時間をいただけませんか? 必ず使いこなしてみせますので!」
「いや、プルメはシスターだから魔導書は使えないし……」
「クラスチェンジしてみせます!」
シスターは上位職である司祭にクラスチェンジすることで回復系の杖に加えて、攻撃系の魔導書を使用できるようになる。
「必ずや使いこなして、そして……でゅふふ」
「あからさまによからぬことを考えているようだけれど、いいの? ねぇ、芥都」
「まぁ……被害者は特定の個人だし……」
他人を洗脳する魔法を使ってテッドウッドに何をさせるつもりなのか……怖くて聞けない。
まぁ、試してみたいというのなら持っていればいい。
プルメならきっと、魔導書を守り切ってくれるさ。……奪おうとした者を血祭りにあげてでも。
テッドウッドが絡むと、あの娘凶暴だから……
「それで、芥都。どうする?」
キースが俺の前まで来て難しい顔をする。
「ネフガの言っていたことを信じるのか?」
「まぁ、あの状況で嘘は吐けないだろう」
極限の飢餓状態は、人の心を狂わせる。
あの壮絶な状況でこちらを罠に嵌めるための嘘は吐けないと思うが……
「大司祭ミラ。そいつが持っている『ムーンライト』って魔法があれば、皇帝の使う『魔封』って厄介な魔法を封じられる――だったか」
ネフガが炎に包まれる直前に語ったのはそのような話だった。
おそらく、皇帝の秘密をしゃべると発動する呪いのようなものに飲み込まれたのだろう。
『魔封』とは、ネフガが使用した『ヒプノシス』よりもさらに上位の暗黒魔法で、相手の攻撃を封じ、防御力を一切無視して魂へ侵食し、肉体を内側から攻撃する恐ろしい魔法らしい。
攻撃を封じられたうえに防御力無視とか、絶対勝てないじゃねぇか。
それを打ち破れるのは、暗黒魔法と対極にある神聖魔法の中でも最上位に位置する『ムーンライト』のみだという。
「その大司祭がいるのは、帝国の中なんだろ?」
「あぁ。カダルコって名前の魔法都市らしいな」
かつて、大賢者と呼ばれたザッハという魔法使いが興した魔法国家。
現在は帝国に飲み込まれ、帝国の一地方都市という扱いになっている。
大司祭ミラは、そのザッハに師事していた魔法使いで、ザッハのもとで魔法を究め大司祭にまで上り詰めた人物なのだという。
大賢者ザッハは、今から数十年前に天寿を全うしこの世を去ったらしい。
現在、そのカダルコを治めているのが大司祭ミラだ。
「カダルコにはミラ様の神殿がございます。伺ったことはありませんが、荘厳でとても美しい神殿だと聞き及んでいますよ」
ヒルマ姫が言う。
帝国領内なのでおいそれとは出向けなかったようだ。
自身の血を狙い、嫁に来いとやかましい皇帝のいる国だ、観光なんて出来ないよな、そりゃ。
「帝国に入るとなると、ますます戦闘が増えそうですね」
「まぁ、まかしとき。そうなったら、ウチのブレスで一掃したるさかいに」
ゆいなの危惧をクリュティアが笑い飛ばす。
龍石を取り出し、ころころと指先で弄ぶ。
「なぁ、クリュティア。それは龍石なのか?」
「ん? そーみたいやね。まぁ、ウチはこれを使ぅてるふりして、自分で変身しとったけどな。これで龍化すると、なんや弱体化してまうねん」
テッドウッドの魔導書と同じか。
元から持っている魔法の方が高威力だと、そういうことも起こり得るのだ。
シャルやキース、クリュティアなんかはもともとの戦闘能力が高いからなぁ。
「じゃあ、オカンは【特技】が使えるようになってることに気が付いていたのね」
「へ? …………あ、ホンマや! そーゆーたら、最初全っ然龍化でけへんかったわ。あ~、せやせや、せやったわ」
「忘れてたの?」
「忘れてたっちゅうか……別に気にしてへんかった、かな? ほら、龍化ってウチの中でお尻拭くくらい普通なことやさかいに」
「喩えはそれしかなかったのかしら!? 呼吸するとか歩くとかでもよかったんじゃないかしら!?」
なんにせよ、クリュティアは龍石を使用しない龍化の方が力を出せると、ずっとそうしていたらしい。
深く考えないヤツの方が、すんなり正解ルートに行ったりするんだよなぁ。
「とにかく、国境を越えるぞ。敵が出てきたら全部ぶちのめせばいいだけだ」
どこで手に入れてきたのか、両刃のゴツい斧を肩に担ぎキースがすました顔で言う。
「どっから盗んできた? さっきまで持ってなかったろ、そんなの」
「試練開始直後に手に入れた手斧は威力がイマイチだったんでな。砦の中に落ちていた武器を拝借してきた」
キースの職業は戦士のはずだが、やってることは盗賊だ。
俺も、何かいい武器がないか見てこようかな?
「砦の中を見てきたよ~」
「しかし、めぼしい武器は見当たらなかったであります」
「帝国もそこまで裕福ではないのです。武器のランクは似たり寄ったりになるのは当然なのです」
知らぬ間に、コンペキア三人娘が砦の中を散策してきたらしい。
制圧した砦の物は押収するのは当然のことらしい。
「私はお菓子を補充してきました」
「ワタシは荒縄を★」
各々必要そうな物を手に入れたようだ。
これで、この砦にはもう用はないだろう。さっさと越えて帝国へと殴り込む。
最悪、砦の前で待ち構えているなんてこともないとは言い切れないな――なんて思っていたのだが、そのようなこともなく、俺たちはあっけないくらいにすんなりと帝国へと入った。
まぁ、ダッドノムトを従えた大魔導士とやらが守っていたのだ。そこまでガッチガチに警戒していないのも頷ける。
ダッドノムトが負けるなんて想定外なんだろう、敵さんも。
「なんや、張り合いないなぁ。折角破れてもえぇ服着とんのに」
「え、なに、クリュティア? その服破いていいの?」
「『破れてもいい服』ですよ、芥都さん!?」
「『見えてもいいパンツ』は『見てもいいパンツ』だろ!?」
「違いますよ!? 見えてもいいけれども、極力見ないのが紳士です!」
「じゃあ、淑女は見放題か!?」
「淑女はそもそも見ません!」
「あはは、なんや久しぶりやなぁ、この賑やかな感じ」
からからと笑うクリュティア。
龍化の度に服が破れてしまうのは困るので、『世話焼き鳥のお召し物』で服を作っているらしい。
なるほどね。だから破れてもいい服なのか。
だが、破るとあっという間に『世話焼き鳥のお召し物』の効力が消えてすっぽんぽんに……確かに、破れてもいいけれど破いちゃダメな服だ。
日本語って、奥が深いな。
そんな話をしながらも、一応は警戒をしつつ帝国領内を馬車で移動した。
皇帝がいるという帝都とは違う方向、大神官ミラのいる神殿を目指して。
皇帝の使う『魔封』を封じる神聖魔法がある場所だから、きっと厳重に警戒しているのだろう――と、思っていたのだが、俺たちはすんなりとミラの神殿までたどり着いた。
帝国の騎士たちとの戦闘はもちろん、ここまで人っ子一人見かけなかった。
「聖域ですので、皇帝もこの地を荒らすことを嫌ったのかもしれませんね」
ヒルマ姫がそんな憶測を口にするが、他国の自然を破壊して龍石を掘り返そうとするヤツが、そんな殊勝なことを考えるか?
それとも、他国は荒らしてもいいけど自国は嫌だとか?
とんだわがままヤロウだな、皇帝。
「なんにせよ、無事にたどり着けてよかったわ。早く大神官に会ってその神聖魔法という物をいただいていきましょう」
魔法使いになってから少々魔法に興味を持ち始めたアイリーン。
神聖魔法に興味があるようだ。
「ですが、ここまで問題がなかったということは、この後問題が発生する危険があるとも言えるなのです」
「また、エビフライはネガティブなこと言って~」
「私は、常に最悪を想定して行動しているだけなのです」
シャクヤクがエビフライの慎重さをからかう。
「砦の戦いでも、思いがけないラッキーがあったじゃない。あたしたちって、きっと超ラッキーなんだよ。きっと、今度もすんなり魔法がもらえるって」
「シャクヤクはいささか楽天的過ぎなのです……」
今度は逆に、エビフライがシャクヤクの適当さにため息を漏らす。
そしてサクラはというと――
「自分は、どうなろうと対応できるよう注意を払っているであります」
一番現実主義なようだ。
ネガティブ、ポジティブ、マイペース。
それぞれの意見を聞きながら、俺たちはミラの神殿を目指し、魔法都市カダルコへと足を踏み入れた。
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