「シャルが攫われた!?」
泣きじゃくるヒルマ姫が懸命に首を縦に振る。
閉じこもっている間中、ずっと声を押し殺していた反動か今は涙が止まらなくなっているようだ。
気持ちは分かるが、今はそれがもどかしい。
「ヒルマ姫! シャルさんは芥都さんたちにとって大切な仲間であります! 今は泣いている時ではありません! 姫として、しっかりと話を聞かしてください!」
サクラのキツイ口調にヒルマ姫が肩を震わせ、そしてゆっくりと頷いた。
身内に厳しくできるサクラは大したものだ。
幼馴染という関係だからこそ、かもしれない。
なんにせよ助かる。
「私たちは、二人でベッドに入っておしゃべりをしていました」
二人で話し、意気投合し、一緒に寝ようとベッドに入ったらしい。
姫同士分かり合えることも多く、シンパシーを感じることも多々あったようだ。
「そうして、部屋の明かりを消した時、外で大きな爆発音が響きました」
奇襲が開始された時、二人はベッドに潜り込んでおしゃべりをしていたようだ。
お泊まり会のようで楽しかったのだろう、きっと。
シャルにも、そういう時間が必要だとは思っていた。
気心の知れない友達と何気ない話で笑い合うような時間が。
その時間をぶち壊すように、連中は王宮へとなだれ込んできたのだ。
「複数の足音が聞こえ、シャルっぺが私に身を隠すようにと……」
王宮騎士団、テンプルナイツに守られて日々を過ごす姫君には、その突然の出来事は恐怖でしかなかっただろう。
荒事に触れる機会すらなかったかもしれない。
一方、幾度となく死線をくぐり抜けてきたシャルだ。
緊急時の対応に差が出るのは当然。
ヒルマ姫には、とても頼もしく見えただろう。それこそ、シャルの言うことならなんだって素直に従うほどに。
「身を隠せと言われ、私は姿見の裏に隠れたのです。……シャルっぺには、ベッドの下の隠し部屋へ身を隠すように言ったのですが……」
「部屋に誰もいなければ、賊は徹底的に家捜しするでしょうからねぇ……シャル姫はそう思って自ら身代わりになったのでしょうね」
タイタスがその時のシャルの心境を推理する。
静かな口調に、はっきりとした怒りを感じた。
シャルを連れ去った賊に対してはもちろん、何も出来ずに涙を浮かべているヒルマ姫に対しても。
「室内の状況を見る限り、抵抗はしなかったようですね、シャルさん」
ゆいなが言う。
ヒルマ姫の部屋には争った形跡は見受けられない。
シャルは言われるがままに連れ去られたようだ。
「もしかして、シャル様も何か魔法の力で動きを封じられて?」
「いや、おそらくシャルの意思でそうしたんだろう」
ティルダの懸念を否定する。
おそらく、シャルは自ら進んで身代わりになったのだ。
「ここで争えば、自分がヒルマ姫ではないと悟られ兼ねない」
そうなれば、山賊どもは本物のヒルマ姫を探せと室内を荒らし、ゆくゆく本人を発見しただろう。
そうさせないために、シャルは敢えて大人しく捕まったのだ。
「時間が経てば、芥都さまが必ず駆けつけてくれると、信じていたんだと思いますよ。私なら、そう信じて行動すると思いますので」
プルメが俺を見てそんなことを言う。
「芥都さまが動けば、ヒルマ姫さまを守ってくれる。その後で、バーンと敵を蹴散らして逃げ出してやろうって。……なんて、私にはそんな力はありませんけれど」
可愛らしく舌を見せて肩を竦めるプルメ。
その仕草は、室内に立ちこめる重苦しい雰囲気を少しでも晴らそうとしているようだった。
「……まぁ、シャル姫ならそのようなお考えになるのでしょうね」
いつもは飄々としているタイタスが眉間にくっきりとシワを刻む。
「まったく……こちらの気持ちなどお構いなしなのですから、あの方は」
微かに覗く苛立ち。
ただし、そこに憎悪は含まれない。
困りながらも、狂おしいほどに大切にしている。そんな複雑な感情が見て取れる。
こいつのこういう顔は、アルケア以来だな。
病の少年を放っておけずにはじまりの町で足踏みをしていたシャルに対し、「理解できない」と言っていた時に似た表情だ。
ただ、あの頃よりも瞳に宿る感情は柔らかく、優しい。
思春期の娘を持つ父親みたいな顔だな、今のこいつの表情は。
「芥都さん!」
ヒルマ姫が両目いっぱいに溜めていた涙を拭い、俺の真正面に立つ。
「お願いします。シャルっぺの救出に、私も同行させてください」
「足手まといです★」
俺が何かを言う前に、タイタスが割って入ってくる。
有無を言わさぬ迫力のある笑顔で。
いや、言い方よ。
「あなたが今、どのような認識でいるのかは知りませんが、おそらくは理解しきれていないのでしょう」
「認識、ですか?」
「えぇ。ことは、山賊が王宮を襲い、姫君を誘拐したという小さな事件には収まらない規模なのですよ」
「……どういう、ことでしょうか?」
ずっとこの部屋に身を隠していたヒルマ姫は知らない。
今の状況がどういったものか。
俺たちの敵が誰かということを。
確かに、はっきりと言っておかないといけないだろう。
「ヒルマ姫。俺たちは王宮の前でナヤ王国の騎士団と交戦した」
「ナヤ王国の騎士団とですか!?」
ヒルマ姫は目を見開き驚愕の表情を見せる。
同盟国が山賊を王宮へ手引きしたのだ。
しかも、狙いはこの国の姫である自分自身だ。
「ナヤ王国は、このコンペキア王国と隣接する同盟国であり、ナヤ王国があるからこそ帝国はコンペキア王国へ侵攻できずにいる――とういう話だったよな?」
それは、ヒルマ姫が自ら語ったことだ。
そして、この国が平和を維持できていた理由でもある。
それが覆った。
「つまり……今回の騒動の裏には帝国がいると、そういうことなのですね?」
「おそらくな」
どのような経緯でそうなったのかまでは分からんが、現状はっきりしているのは、ナヤ王国はコンペキア王国を裏切りユーロルア帝国側に寝返ったということだ。
戦況はひっくり返った。
守りの要と言われる、守備に特化したナヤ王国が帝国側についたということは、コンペキア王国側から帝国への攻撃がナヤ王国によって阻まれるという状況を生み出す。
「シャルの救出にヒルマ姫が同行するというのは、コンペキア王国が帝国に対し抵抗の意思を見せるということになる」
ヒルマ姫にはもうひとつ選択肢がある。
強大な帝国に阿ってその庇護下へ入り、国民の平和を守る選択だ。
植民地支配をされようが、最低限の平和は守られるだろう。
少なくとも蹂躙されることはない……と、思う。
だが、ここでヒルマ姫自らがシャルの救出――帝国の意思に反する行動に同行すれば、事実はどうあれヒルマ姫が反撃の音頭を取ったと受け取られる。
そうなれば、帝国は全力を持ってコンペキア王国を潰しに来るだろう。
帝国という強大なものを相手に、俺たちはあまりに戦力が少ない。
この決断には、大きな覚悟が必要だ。
「私は、この国の民たちが何よりも大切です」
それは、偽らざるヒルマ姫の本音。
「ですが――」
そして。
「我が身を案じて身代わりになってくれるような、優しい友人を見捨てることなど出来るはずがありません」
それもまた、彼女の本心だ。
「帝国の傍若無人を見過ごせば、悲劇はますます大きくなります。そんなこと、お父様が健在であれば許すはずがありませんわ」
拳を握り、しっかりと両の足で立ち、ヒルマ姫は決意に燃える瞳で叫ぶ。
「私は、コンペキアの姫として、この地に住まうすべての民の恒久的な平和と安寧のために此度の帝国の非道を見過ごすわけにはいきません! 私には、敵軍を粉砕するような力はありません。ですが、私には卑劣な者に屈することのない強い心があります。私の言葉は王国の言葉ですわ。私は、この国の代表者としてここに宣言致します。帝国の侵略主義に徹底して抗うことを!」
すっかりと涙の引いた瞳が俺を見る。
「芥都さん……いえ、芥都様。どうか、貴殿らのお力を、我が騎士団にお貸しください。この国の民と、あなた方の大切な方を救うために」
姫の顔で言い、そして頭を下げる。
その背後で、サクラとシャクヤクが騎士団の敬礼を行う。
「あぁ。こちらこそよろしく頼む」
今ここに、俺たちとコンペキア王国の同盟軍が正式に誕生した。
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