子兎とシープドッグ

篠原皐月
篠原皐月

第36話 黒幕発覚

公開日時: 2021年3月6日(土) 21:56
文字数:3,845

「荒川、ちょっと待て。その話、土曜日だって言ったよな?」

「はい、そうですけど、それが何か?」

「祐司、お前が綾乃ちゃんから着信拒否されたのが、土曜の夜からって言ってたよな?」

「確かにそう言ったが。だから何だ?」

「いや、俺の思い過ごしなら良いんだが……、うおっと! 悪い、ちょっと待っててくれ!!」

 何やら思わせぶりに何か言い始めたと思ったら、大慌てで突然鳴り出した着メロに反応した弘樹を、祐司と幸恵は半ば呆れ気味に見やった。そんな視線などものともせず、弘樹が上機嫌で通話を始める。


「やあ眞紀子さん、感激だなぁ。眞紀子さんの方から電話をくれるなんて。初めてだよね? 今日は俺の熱意がとうとう伝わった、記念すべき日に…………。はい、すみません。黙ります。それでご用件は?」

 どうやら叱り付けられたらしいと、祐司がビールを飲みながら内心で溜飲を下げていると、唐突に「はい?」と弘樹が上げたらしい戸惑った声が聞こえた。


「ええ……、はい。その話は本人から聞きました。と言うか、今まさに目の前で聞いていた所なので」

 それを耳にした幸恵が、祐司と同様に怪訝な視線を向ける中、弘樹はチラリと二人を横目で見やりながら、話を続ける。


「はぁ……、なるほど。そういう事でしたか。良く分かりました。取り敢えず本人には、俺から伝えておきますので。…………はい、ご連絡ありがとうございました。失礼します」

 そうして壁に向かって深々と一礼してから、弘樹は携帯電話を無言でしまいこんでから、真顔で祐司に向き直った。


「喜べ、祐司。綾乃ちゃんに着信拒否されていた理由が分かったぞ」

「それがどうして喜べるんだ!」

「最近、お前のマンションに貴子さんが来て、料理を作り置きして帰っただろう?」

 いきなり変わった話に、祐司は戸惑いつつも素直に頷いた。


「ああ、電話をかけてきた時につい愚痴を零したら、『不摂生してるから、ろくでもない思考に陥るのよ。ちゃんと食べなさい』って言われて、買い出しに付き合わされて、山ほど惣菜を作っていってくれたが。どうしてそれが分かったんだ?」

「土曜日にか?」

「土曜日だったが」

祐司から(いきなり、何を言い出すんだこいつ)的な視線を受けた弘樹は、疲れたようにたった今聞いたばかりの内容を、端的に告げた。


「買い出しから帰って来たお前達に出くわした綾乃ちゃんが、二人を恋人同士だと勘違いしたらしい」

「……はぁ!? 何だってそんな誤解をするんだ!」

 一瞬遅れて祐司は声を張り上げ、幸恵もあまりの事態に固まった。そこに弘樹の補足説明が加わる。


「眞紀子さんの話では『返事を保留にしている間に他の女性と付き合い出して、それが言い出せなくて高木さんが困っていると思ったから、自然消滅させるように携帯を着信拒否していた』そうなんだが」

「何だそれは……」

「うわぁ、凄い斜め上の発想~。それに祐司って、密かに彼女にそういう男だと思われてるんだ~。ご愁傷様~」

 思わず声を失った祐司だったが、どこか乾いた口調での幸恵のコメントに、力一杯反論した。


「誰がだっ! 第一、それは明らかな誤解だぞ!」

「分かってるから落ち着け。眞紀子さんが貴子さんの事を検索して、綾乃ちゃんに教えたそうだ。そしたら綾乃ちゃんが『あまりにも馬鹿馬鹿しい勘違いだし申し訳なくて、高木さんに合わせる顔が無いです! 穴掘って埋まりたい!!』と泣き喚きながら布団を被ってて、興奮して手が付けられなくて、取り敢えず連絡してくれたそうだ。携帯電話の拒否設定も、綾乃ちゃんが落ち着いたら解除させるって約束してくれたから」

「誤解だって分かっているなら、もう良い」

「取り敢えず、一件落着で良かったわね」

 疲労感を覚えながらも、取り敢えず問題解決と祐司と幸恵は安堵の溜め息を吐いたが、ここで再び弘樹が難しい顔になった。


「いや……、一件落着ってわけじゃない可能性もあるよな。念の為、もう一度確認してみるか」

「弘樹?」

「係長?」

 そんな事を呟いた弘樹は、不審そうに見やる二人を無視し、再び携帯電話を取り出して電話をかけ始めた。


「あ、もしもし眞紀子さん? 弘樹だけど」

 そして相手にすげなくあしらわれたのか、慌てて懇願する。

「うわ、即行で切らないで、真面目な話だから! まだ綾乃ちゃんは眞紀子さんのマンションに居るんだよね? ちょっと聞いて欲しい事があるんだけど」

 一体何事だと思いながら祐司と幸恵がその光景を見ていると、弘樹はあまり穏やかではない内容の事を口にした。


「その……、綾乃ちゃんが土曜の夜から日曜の夜にかけて、家族の人と会ったり電話で話したりしたかなと思って。…………うん? いや、大した事じゃないんだけど、お願いします」

 電話の向こうの眞紀子には分からなくても、つい先ほどまで話していた、または話を聞いていた二人には、弘樹が尋ねた内容の意味が容易に推察できた。


「ああ、ありがとう。それで? …………へえ、そうなんだ。ついでにその時、どんな話をしたのかも、聞いてくれるかな? ……まあ、ちょっとね」

 少し間が空いてから帰ってきた言葉に、弘樹は納得したように頷き、更に問いを重ねる。その間祐司と幸恵は一言も発せず、事態の推移を見守っていた。


「……ああ、なるほど。それはそれは。どうもありがとう、助かったよ。お礼に今度奢るから、一緒に食事に行」

 どうやら話は終わったとばかりに、問答無用でブチ切られたらしい弘樹は、「相変わらずつれないな」などと言いながら、再び携帯電話をポケットにしまい込んだ。すると祐司が問い質すように、そして幸恵が恐る恐ると言った感じで、弘樹に声をかける。


「おい、弘樹……」

「まさか、今の話って……」

 その声に、弘樹は困り顔になりながら、眞紀子に確認した内容を二人に告げた。


「日曜の昼、彼女の親父さんが、秘書同伴で綾乃ちゃんのマンションに飯を食いに来たそうだ。その時話した内容は、荒川と仲良くなった事を含めた世間話らしいんだがな。……何と言っても、あの綾乃ちゃんだぜ?」

「君島代議士辺りには、考えている事がだだ漏れの可能性大ですね」

「隠し事なんて、出来そうに無いしな……」

 そう言って揃って肩を落とした弘樹と幸恵の目の前で、座卓の上で握り締めた拳を振るわせつつ、祐司が低い声で呻いた。


「つまり、こういう事か? 俺は彼女を泣かせたか捨てたかと君島代議士に誤解されて、月曜からの三日間、執拗な嫌がらせを受けていたってわけか?」

 その怒りを押し殺した祐司の口調に、流石に焦った二人が口々に宥めた。


「おい、祐司。綾乃ちゃんはちょっと勘違いしただけなんだし、そう怒るなよ」

「そうよ。あの子に悪気は無かったのよ、悪気は。別に父親に言いつけたわけじゃ無いんだから」

「怒る? 誰が彼女に対して怒るって言うんだ。俺が腹を立てているのは、親父の方だ。金と権力に飽かせて、何してやがるんだ。ふざけんなよ、クソ親父」

(うわ、まずい。祐司の奴、本気で怒ってやがる)

(気持ちは分かるけど、代議士相手に腹を立てても仕方がないでしょう)

 もう目つきが尋常ではない祐司を、宥める気を無くしてしまった弘樹だったが、ここで祐司から不穏過ぎる要求が繰り出された。


「弘樹。お前、この前、彼女の下の兄貴を呼びつけたから、当然連絡先を知ってるよな?」

「そりゃあ、知ってるが……。それがどうかしたのか?」

 流石に弘樹が戸惑うと、祐司が有無を言わさず要求する。

「さっさと教えろ。今すぐだ」

「何の為に?」

「お前には関係ない」

「……分かった。ちょっと待ってろ」

 横から(ちょっと係長、そんなあっさり個人情報を教えるわけ!?)と幸恵が非難がましい視線を送っているのは分かっていたが、弘樹は目の前の脅威を回避するべく、自己保身に走った。

 そしてその数分後、連絡先を教えて貰った祐司は、早速綾乃の兄、君島和臣に連絡を取った。


「君島さんですか? 遠藤弘樹の友人の高木です。懇親会ではお世話様でした。…………いえ、こちらこそ」

 流石に営業部勤務と言うべきか、つい先ほどまで憤怒の表情をしていたと思えない程に、にこやかな笑顔を浮かべつつ社交辞令を繰り出した裕司だったが、すぐに口調を変えた。


「つきましては、無理を承知で、君島さんに是非お願いしたい事がありまして……」

 それを聞いた弘樹と幸恵に緊張が走ったが、予想通りと言うか予想以上と言おうか、二人の度肝を抜く事を祐司が口にした。


「はい、君島代議士に二人きりでお会いしたくて、席を設けて頂けないかと。お父上には『是非、この間のお礼がしたい』と申して頂ければ、話は伝わると思いますので」

 驚愕して固まっている二人を他所に、どうやら祐司と和臣の間で話が徐々に纏まっているらしく、淡々とした口調で話が進む。


「…………ああ、綾乃さんは関係ありませんので、教えなくて宜しいですよ? 彼女もこの事は知りませんし。……はい、お忙しいのは十分承知していますので、全面的にそちらの都合に合わせます。宜しくお取次ぎ下さい。……はい、それでは失礼します」

 そうして首尾良く話を終わらせたらしい祐司が携帯電話をしまい込むと同時に、弘樹と幸恵が強張った顔付きで迫った。


「ちょっと待て、祐司。お前正気か!?」

「いきなり首謀者を呼びつけて、何をする気!?」

「言いたい事を、真正面から相手に言ってやるだけだ。心配するな。じゃあ俺は帰るから、清算宜しく」

 しかし祐司は飄々とした態度を崩す事無くその店を後にし、弘樹と幸恵は微塵も想像していなかった展開に、呆然としながら祐司を見送ったのだった。


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