「戻りましたっ!!」
「おい、大声出してどう、うわっ!」
「どうしたの血相変え、きゃあっ!」
ドアをぶち破る勢いで開けて現れた為、理彩と高須が突進してくる彼女に声をかけたが、そこで返事代わりに飛んできた鞄を慌ててよけた。その鞄が彼女の机に落下して周囲の者が唖然とする中、美幸は課長席の前に辿り着いた。
「ご苦労様でした、藤宮さん。入札の感触はどうでしたか?」
笑顔で感想を求めた清人だったが、美幸は怒りも露わに両手で目の前の机を叩きつつ、糾弾の声を上げる。
「課長代理は、あの入札が各務商事で請け負う事になっていたのを、知っていましたよね!?」
「やれやれ、公になったら拙いのに、どこの馬鹿が不用意に口にしたのやら」
「良くそんな事を平然と……。他の皆さんも薄々察してましたよね!?」
「本当ですか?」
「それ、参加企業での談合って事ですよね!?」
(やっぱり仲原さんと高須さん以外は、全員グルって事よね)
部屋中に響き渡ったその声に一課と三課の者は驚いた顔を向けたが、二課は高須と理彩以外の席に着いていた面々が、気まずそうに課長席付近から視線を逸らした。さり気なく周囲を見回してそれを確認した美幸は、更に頭に血を上らせたが、そこで落ち着き払った声がかけられる。
「談合だったから、何だと? まさかそれを理由に書類提出をボイコットしたり、他の企業と揉めて柏木産業の名前に泥を塗ってきたとの報告ですか?」
淡々と確認を入れてきた清人に、美幸は歯軋りして答える。
「きちんと入札に参加して、書類を提出してきました。恐らくあの中身は、課長代理が用意してすり替えた物だと思いますが」
「その通りです。因みにこれが藤宮さんが準備した資料です。良かったら、記念に差し上げます」
清人が机の引き出しから、それなりに厚みのある封筒を平然と取り出したのを見て、美幸は激昂した。
「人を馬鹿にするのも、いい加減にしなさいよ!?」
「馬鹿になどしていません。ろくでもない資料なら即刻ゴミ箱行きですが、一応見るに価する物だったので、ちゃんと保管しておきました」
「冗談じゃないわよ! 絶対に取れないと分かってるカス仕事、人に任せて素知らぬふりを決め込むなんて、良心が痛まないわけ!?」
怒り心頭に発した美幸だったが、ここで清人が嘲笑う様に告げた。
「勘違いをしている様だな」
「何がよ!」
「入って二年目のお前に任せられる仕事なんて、そんなカス仕事がせいぜいだ。自分を何様だと思ってる。思い上がるのもいい加減にしろ」
「なんですって!?」
益々眦を上げた美幸だったが、清人はぞんざいな口調で言い放った。
「一度で分からないなら、もう一度だけ言ってやる。今のお前に任せられる仕事なんて、お前が言うところのカス仕事だけだ」
「ざけんじゃないわよ、このっ!!」
「藤宮!」
「……っ!?」
周囲の者が真っ青になって事態の推移を見守る中、ここで外回りから戻った城崎が一瞬で状況を把握した。そして課長席に駆け寄って鞄を放り出し、背後から美幸の振り上げた右手を捕らえる。と同時にかなり手加減しながら美幸の頬を叩き、鋭く叱責した。
「業務内容について適切な指摘をしてきた上司に向かって、暴力をふるうとは何事だ! 藤宮、直ちに課長代理に謝罪しろ!」
「つっ……」
「係長、幾らなんでも!」
「ちょっと言い過ぎです!」
「そんな、いきなり叩かなくても」
理不尽に責められた上問答無用で叩かれた衝撃で、忽ち美幸の両眼に涙が盛り上がった。さすがに周りの者達も、城崎に対して非難の声を上げる。
そんな中、美幸は力尽くで城崎の手を振り払うと、泣き叫びつつ勢い良く廊下に向かって駆け出した。
「じょ、女装癖持ちの、オヤジスキーな係長なんて、大っ嫌いっ!! さ、さいてぇぇぇぇ――っ!!」
「あ、藤宮、待ちなさい!」
「こら、どこに行く気だ!?」
慌てて理彩と高須が後を追ったが、暫し呆然として出遅れてしまい、偶々そのフロアに止まっていた下りエレベーターに美幸が飛び乗った為、諦めて部屋に戻った。そして美幸が出た後の室内で、気まず過ぎる空気が漂う。
「……何か今、藤宮君、変な事を口走らなかったか?」
「女装癖とか、オヤジスキーとか……」
「何の事だ?」
ひそひそと囁き声が漏れる中、清人が笑いを堪える口調で、目の前に立つ城崎に小声で話しかけた。
「女装……。お前もしかして、彼女にあの事を教えたとか?」
「人の勝手です。それよりも課長代理」
「なんだ?」
そこでいきなり城崎が清人の顔を殴りつけ、清人は物も言わずに椅子ごと床に倒れ込んだ。そんな光景を目の当たりにして顔色を変えた皆が、二人の元に駆け寄る。
「ひっ……!」
「課長代理、大丈夫ですか!?」
「係長! あんたいきなり、何をするんですか!?」
「手をはらったら当たっただけだ」
そんな事を平然と言い放った城崎に、清人がゆっくり立ち上がりながら、剣呑な目つきで凄む。
「……良い度胸だ、城崎。一度死にたいらしいな」
「棺桶に片足突っ込んだ、妄想作家が何をほざく」
「こら、二人とも止めないか!」
「良い大人が何をやってる!」
忽ち一触即発の状態になった為、二手に別れて二人を押さえにかかったが、そこで甲高い声が響いた。
「お二人とも、止めて下さい!!」
「五月蠅いぞ、蜂谷」
「下っ端が喚くな」
二人にぶった切られた蜂谷だったが、手に持ったスマホをかざしながら、精一杯声を張り上げて二人に訴えた。
「これ以上ここで暴れる気なら、即刻柏木課長に通報して、ご主人様にはお仕置きを、係長にはありとあらゆるネタでいびって貰いますよ!?」
蒼白な顔で、スマホを持った手がブルブルと震えている様子は、その手首に鈴を下げたらさぞかしチリンチリンと良い音がするだろうと思われる程だったが、そんな彼を清人は如何にも不快気に見やった。
「蜂谷。お前のご主人様は俺だよな?」
「た、確かにそうですがっ! 女神様から『社内では課長は私で、清人は代理に過ぎません。業務に関する報告先と判断は、私のそれを優先するように』との薫陶を受けました! で、ですから二課内での揉め事を、傍観するわけにはまいりません!!」
「……馬鹿は馬鹿なだけに、融通が利かなくて困る」
蜂谷の悲壮な顔付きに清人は盛大に舌打ちし、今度は城崎が地を這う様な声で凄んだ。
「蜂谷。おれは課長に、いびられるネタを掴まれている覚えはない」
「女神様は、『どんな有能な人間でも魔が刺す事はあるし、暴走する事はあるわ。もしもの時の為に全課員を脅すネタの一つや二つ掴んであるから、いざとなったらそう言いなさい』との指示を受けました! 内容は存じ上げませんが、この機会にお知りになりたいのなら、止めはしませんので!」
「……確かに課長なら、それ位はやりかねないか」
上司の意外な狡猾さとしぶとさを、これまでの付き合いで熟知している城崎は、さもありなんと溜め息を吐いた。そんな二人に、蜂谷が顔色を更に悪くしながら問いかける。
「さ、さあ……、どうされますか?」
それに対し、二人は無表情で顔を見合わせてから、不愉快そうに顔を背けた。
「偶々、払った手が、顔に当たっただけだな」
「その通りです」
そして清人は何事も無かったかのように椅子を戻して座り、城崎は鞄を拾って自分の机に戻った。そして緊張の糸が切れた蜂谷は、涙目でその場にズルズルとへたり込む。
「腰が、抜けたっ……」
「偉い、蜂谷! 良く頑張った!!」
「本当、あれだけの事が言えるなんて!」
「見直したぞ。やるじゃないか」
二人を気にしつつ、他の者達は蜂谷を取り囲んで小声で褒め称え、取り敢えず二課は最悪の事態を回避したのだった。
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