「おはようございます」
四月に入って初めての月曜日。いつも通り出勤してきた城崎を、既に出勤していた企画推進部の面々が待ち構えていた。
「おはようございます、係長。昨日の課長の披露宴はどうでしたか?」
「やっぱり豪華絢爛な披露宴だったんでしょうね」
「社長の付き合いもあるだろうしな」
「……それなりでした」
二課からは城崎、その他に企画推進部からは部長の谷山と一課長の広瀬、三課長の上原が出席しており、他の者達は興味津々で城崎に声をかけたのだが、何故か彼は視線を逸らしながらぼそりと第一声を放った。それを聞いた周囲は、不思議そうに城崎に視線を向ける。
「どうした城崎君。顔色が悪いぞ?」
「いえ、大丈夫です。それより頼まれていた課長の写真ですが、始業前に見ますか?」
「勿論です! 見せて下さい!」
真っ先に理彩が食い付き、城崎の机に駆け寄って来た為、城崎は鞄から取り出したデジカメを机上のPCに接続し、画像を読み込ませて表示させた。すると忽ち理彩の歓声が上がる。
「きゃあぁぁっ! やっぱり課長素敵、綺麗! 体型の事もあって全部レンタルで済ませたって仰っていたけど、どの衣装も誂えた様にぴったり似合っているし!」
「本当よね。柏木さん位美人で上背があると、何を着ても似合うわ」
「私の時は、ドレスに着られてるって感じだったもの。羨ましいわね」
「田辺さんも大岡さんも、そんな事ありませんよ」
城崎の椅子に座って次々画像を見ていく理彩の後ろに、やはり女性の方がこの手の話題には食いつきが良いらしく、一課の田辺と三課の大岡がいつの間にか陣取っていた。そして羨望の眼差しを画面に向けながら、しみじみと感想を述べる。
「新郎も良い男よね~。しかもあの人気作家の、東野薫なんでしょう?」
「やっぱりできる女は違うわね。顔良し稼ぎ良し年下男をゲットするなんて。婿養子にまでなってくれたそうだし」
「本当ですよ。柏木課長の事を社内で嫁き遅れ云々って貶してた連中、課長の結婚の話を聞いて、すっかり顔色を無くしていましたからね。……あら? そう言えば、誰よりも大騒ぎすると思ってた藤宮が、まだ来ていないわね」
ふと気が付いた理彩が首を巡らせて周囲を確認すると、目が合った瀬上も不思議そうに応じた。
「そうだな。いつも早めに来ているし、『披露宴の翌日は誰よりも早く来て、課長の華麗なお姿を拝見します』と豪語していたのに。もう始業時間ギリギリなんだが……」
そこで何やら廊下の方から騒々しい物音がしたかと思ったら、勢い良くドアが開け放たれ、話題の主が憤怒の形相で登場した。
「係長!! 広瀬課長!! 何なんですか、これはっ!?」
そう叫びながら美幸が鞄から一冊の本を取り出し、目の前に掲げて見せると、それを見た城崎はホワイトボードに予定などを書き込んでいたマジックを取り落とし、広瀬は思わず椅子から立ち上がった。
「いや、藤宮、それには深い訳が……」
「藤宮さん、一応弁解させて欲しいんだが」
「それを読んだのか……」
「どうしてそれを……。一般発売は来週だろう?」
谷山と上原も思わず呻くと、美幸は如何にも腹立たしげに説明した。
「昨日の披露宴に、同居している義兄が新郎側の招待客として出席して、引き出物としてこれを持って帰って来たんです。係長が仕事の情報を課長の結婚相手に垂れ流してたのは知っていましたが、そいつが実はストーカー紛いの危ない男だっただけでも衝撃だったのに、係長と広瀬課長がこれまで課長の交際を、陰で悉く潰していただなんて! あり得ません! って言うか、最低ぇぇっ!!」
「だからちょっと待て!」
「いや、俺は課長の交際に関しては無関係で」
「この本の主人公の、大学時代からの友人で同僚の『白瀬』の記述はどう読んでも広瀬課長の事ですし、後輩の直属の部下の『野崎』は城崎係長の事ですよね!?」
「本当に……、もっと設定変えろよな。そのまんまじゃねえか」
「殆ど嫌がらせだ……」
弁解できずにがっくりと項垂れた広瀬と城崎に、尚も美幸が吠える。
「あまりと言えばあまりの内容に、軽く熱を出して寝込んで、今朝危うく寝過ごすところでした! 冗談じゃありませんよ!」
「広瀬課長……、何ですか、今の話は?」
「城崎係長? 部外者に垂れ流しって、どういう事ですか?」
「すまなかった」
「申し訳ない」
周囲から訝しげな視線を集めながら、広瀬と城崎は美幸に向かって軽く頭を下げた。そこで理彩が割って入る。
「まあまあ、藤宮。そう怒らないで。その本がどんな内容なのかは知らないけど、あの課長がそうそう変な人と結婚する筈無いじゃない」
「そうよ。少しは自分の上司を信用なさい。それにちょっと邪魔が入った位で壊れる様な関係なら、元々大した事無いわよ」
「そうよね。結婚しても長続きするとは思えないわ。寧ろストーカー紛いに執着されているなら、柏木課長が多少の無茶を言っても、旦那さんは二つ返事で何でも頷いてくれるわよ。物は考えようよ?」
田辺と大岡が理彩の援護射撃をし、美幸を三人がかりで宥めにかかる。さすがにベテラン相手に声を荒げる真似もできず、美幸は不満げながらも一応相槌を打った。
「はぁ……、そんなものでしょうか?」
「そんなものよ。それより披露宴の写真を見ないの?」
「城崎係長が、沢山撮ってきてくれたわよ?」
「柏木課長、凄く素敵に写っているけど?」
「あ、見ます! 見せて下さい! 昨晩は本を読みふけっていて、義兄に写真を見せて貰うのを忘れてしまって!」
「ほら、こっちよ」
先程までの怒りを綺麗に消し去り、食い付いてきた美幸に苦笑しながら理彩が城崎の席を指し示すと、美幸は早速そこに陣取って画像を見始めた。
「あ、本当だ。綺麗~、やっぱり課長は何を着ても似合いますよねぇ~」
そう言いつつ感嘆の溜め息を漏らした美幸だったが、何枚か見たところで眉を寄せて考え込んだ。
「う~ん、やっぱり思い出せないなぁ……」
「課長の写真見ながら、何唸ってるのよ」
不思議そうに理彩が背後から覗き込むと、美幸は怪訝な顔で画面を見ながら首を傾げていた。
「それが……、何だかこの新郎の顔、どこかで見た覚えが有るような無いような……」
「だって新郎は、あの作家の東野薫なんでしょう? 良くカバーの折り返しとかに掲載されている、著者近影とかで見た覚えがあるんじゃないの?」
あっさりと指摘した理紗だったが、美幸の反応はいま一つだった。
「そんな気もするんですが、何だかどこかで会った様な気がするんですよね」
「どこで? 接点なんか無いわよね? ご主人はこれまで会社に出向いてきた事は無いし」
「ですよね。どうしてそう思うんだろう? 不思議だわ」
「どうでも良いけど、昼休みにその本を貸してくれない? ちょっと読んでみたいわ、東野薫の新作」
「分かりました。お貸しします。昼休みと言わず明日まで良いですよ? 義兄から暫く貸して貰いましたし」
「ありがとう。明日返すわね」
そんなやり取りをしてから、再びうっとりとパソコンの画面に見入り始めた美幸を無視して、谷山が軽く手を叩きつつ他の部下達に声をかけた。
「ほら、解散解散。もう始業時間過ぎてるんだ。仕事を始めろ」
それを合図に皆ぞろぞろと自席に向かって移動を開始したが、美幸は全く聞こえていないらしく、城崎の席から動く気配を見せなかった。
「あの係長……、藤宮は?」
そんな彼女を横目に見ながら高須が尋ねたが、城崎は溜め息を吐いてそれに応じる。
「……彼女が落ち着くまで、好きなだけ画像を見せておいてくれ。悪いが俺はちょっと、海外事業部まで行ってくる」
「ご苦労様です」
思わず深々と頭を下げた高須に見送られ、城崎はその場から抜け出る事に成功した。
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