その翌朝、主だった面々が二課に出勤して来ると、何故か美幸と理彩が課長席の横で花束と箱を抱えてしゃがみ込み、額を突き合わせる様にして何やらブツブツと呟いていた。
「……ですよね」
「……そうよね」
「おい、藤宮君と仲原君は、さっきから二人で顔を突き合わせて何を小声で言ってるんだ?」
「さあ……、でもあまり追及しない方が良いと思います」
「……それもそうだな」
清瀬と林の間でそんなやり取りをしているうちに、披露宴翌日も休みを入れていた真澄が、いつも通り出社してきた。
「おはようございます。昨日は休みを取らせて頂いて、ご迷惑おかけしました」
「おはようございます、課長」
「迷惑だなんてとんでもない。祝い事なんですから」
「ちゃんとゆっくり有休を取っても良かったんですよ? 新婚旅行にも行かれていませんし」
口々に言われた内容に、真澄は苦笑しながら告げる。
「そうは言っても、産休取得まであまり余裕も無いし、新婚旅行は諦めて、出産後体調が落ち着いたらどこかに行く事にしましたから」
「その方が良いかもしれませんね。安定期と言っても課長は妊婦ですし」
そこでいつの間にか真澄の側までやってきた美幸と理彩が、手にしていた花束と箱を上司に向かって差し出しつつ、祝いの言葉を述べた。
「あの、課長。ご結婚おめでとうございます。披露宴には出席できませんでしたので、係長以外のニ課全員からの気持ちです。受け取って下さい」
「あら、ありがとう。嬉しいわ」
「それから、こちらはありきたりですが、フォトフレームにしてみました。宜しかったら思い入れのある写真を入れて、お使い下さい」
「ありがとう。早速、家で結婚式のデータとかを入れて使わせて貰うわね」
「そうですね……」
「結婚しちゃったんですよね……」
プレゼントを受け取ったものの、二人が微妙に引き攣った笑顔を浮かべている事に、真澄は遅ればせながら気が付いた。
「藤宮さん、仲原さん、どうかしたの? 私の顔に何か付いている?」
思わず二人に向かって声をかけると、美幸が声を絞り出す様にして答える。
「課長……、私、課長の事は、完全に勝ち組だと思っていました。思っていたのに……、人生って怖過ぎる。どこに落とし穴が有るか、分かったものじゃないわ」
「え?」
「藤宮……、課長は立派に勝ち組よ。旦那は取り敢えず、顔良し稼ぎ良しだし。課長と身長差が殆ど無い事位些細な事だし、性格が悪いのは黙って立っていれば分からないもの。そうでも考えないと、やってられないわ」
「あの……、仲原さん?」
さすがに真澄の顔が強張ってきたが、ここで美幸が勢い良く叫んだ。
「課長!」
「なっ、何? 藤宮さん」
「俗に『女三界に家なし』なんて言いますけど、負けちゃ駄目ですよ? 旦那の言いなりになんかなっちゃ駄目ですから!」
ガシッと腕を掴まれつつ迫られたが、花束と箱を抱えた真澄はその手を振りほどく事も退く事もできず、わけが分からないまま相手を宥めようとした。
「言いなりって……、そんな事は無いから。朝から何をそんなに険しい顔をして」
「これですっ! これを読んで、課長の結婚生活に一抹の不安も感じない人間が居たら、もの凄い馬鹿か超無神経な人間かのどちらかです!」
どこからともなく美幸が取り上げ、自分の眼前に掲げて見せた本を認めた真澄は驚愕のあまり目を見開いてから、恨みがましい目を室内に向けた。
「……部長? 広瀬課長? 上原課長? 城崎さん?」
半眼の真澄から視線を逸らしながら、昨日の披露宴に出席していた企画推進部の管理職達は、控え目に弁解した。
「私達はここに持参して無いから」
「披露宴の内容も、一言も漏らしてないしな」
「下手に口外すると、柏木産業のイメージにダメージを与えそうで」
「それは藤宮さんの義兄が新郎側の招待客で、そちらから漏れました。冷たい様ですが潔く諦めて下さい、課長。それは来週には日本全国、津々浦々の書店の店頭に並ぶんですから」
「…………」
そこで固い表情の城崎にとどめを刺された格好になった真澄は、がっくりと肩を落とした。
「藤宮。ストーカーとかなんとか昨日から騒いでるけど、それ、どんな話なんだ?」
如何にも興味津々といった感じで高須が口を挟んでくると、真澄が止める間も無く、美幸と理彩が口々に内容を語り始める。
「一組の男女の出会いから纏まるまでの、紆余曲折の話です。何も先入観が無ければ、問題は無いんですが」
「主人公の描写が、どこからどう見ても課長でね。他にも見覚えのある人の描写や似過ぎてる名前の登場人物がボロボロ出てるのよ。これ殆ど実話よね」
「主人公を密かに好きになった男が、立場的に支障が有って打ち明けられないまま、年月が過ぎて行くんですけど」
「この間主人公に近付く男を徹底的に排除したり、陰ながら仕事の手助けしていくのよ。そのやり方がえげつないのなんのって」
「最後は何とか纏まるんですけどね」
「後はこれを読んで。藤宮、良いわよね?」
「どうぞ」
「……じゃあ、読ませて貰おうかな」
半ば美幸と理彩に押し付けられた格好の高須は、些か情けない表情になっている真澄の方を見ない様にしながら本を受け取った。そこで多少強引に話を変える様に、谷山が口を開いた。
「ああ、柏木課長。そう言えば、ちょっと話しておきたい事があったんだが」
「はい、部長。何でしょうか?」
落ち込みモードから、瞬時に仕事上の顔に切り替えた真澄が上司に顔を向けると、谷山は多少困惑気味の表情で告げた。
「今、初任者研修に入っている新人の中で、ニ課配属希望の人間が居るらしくてな。人事部から研修終了後はニ課配属になりそうだと、内々に話があった」
谷山がそう告げた途端、部内での教育が行き届いている為誰も声は上げなかったが驚愕で空気がざわりと動き、流石に真澄も僅かに驚いた表情で確認を入れた。
「一課や三課ではなく二課に、ですか?」
「ああ、そのつもりでいてくれ」
「分かりました」
冷静に頭を下げた真澄だったが、流石に部下たちは動揺を隠せなかった。
「おい、何で二年続けて二課に新人が配置になるんだ?」
「特に増員要請なんて出してないよな?」
「希望を出しても、これまではなかなか配置して貰えなかっただろうが」
「去年はな……、藤宮さんが問答無用でここしか希望しなかったから……」
誰かがそう言った所で、期せずして全員が美幸に視線を向けると、彼女は喜色満面で谷山に駆け寄っている所だった。
「嬉しい! 新人なんて二課に来るわけ無いって思ってたのに、私、早速先輩になれるんですね? 正直、十年位は無理かと思ってました!!」
「まあ……、そう言う事だから、宜しく面倒を見てやってくれ、藤宮君」
「はい、お任せ下さいっ!! あ、課長、花束は業務中は水につけておいて、お帰りになる時にラッピングし直してお渡ししますね!!」
「……ありがとう、お願い」
若干引き気味の谷山の前で自信満々で胸を叩いた美幸を見て、思わずといった感じの城崎の呟きを、その場全員が耳にした。
「……不安だ。課長が六月から産休に入るのに、大丈夫なんだろうか」
その城崎の懸念を誰も払拭してやることができず、業務を開始するまでその場には重い空気が立ち込めていた。
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