藤宮家では当主である藤宮昌典が、旭日食品社長であるにも関わらず元来の性分か、はたまた長年に亘って染み付いてしまった婿養子故の勤勉さか、社長の椅子を温める暇も無く視察だ商談だと日々飛び回っている為、なかなか家族全員で食卓を囲む事が少なかった。その為、数年前に妻に先立たれて以降、彼は殊更家族団欒を貴重なものと捉えており、家族も彼が在宅の可能性が高い日曜の夕食時には、各自万事予定を合わせて、全員顔を揃えるのが不文律となっていた。
そしてその騒動の発端は、そんな一家団欒の席で生じた。
「……そう言えば美野。職場で仲良くなっている人は居ないの?」
「たくさん居ますけど? 柏木産業に入社以来、周りの皆さんには良くして頂いてますし」
会話が途切れた所でさり気なく話題を変えてきた長姉である美子に、美野は変な顔をしながら何気なく答えた。すると美子は、朗らかに笑いながら付け加える。
「そうじゃなくて、お付き合いしてる方とかいないのかしらと思って」
そう言って含み笑いをして見つめてくる美子に美野は明らかに動揺し、室内中の視線が彼女に集まった。
「いっ、居ませんよ、そんな人っ!! 第一、柏木産業に入社して、まだ半年しか経って無いのよ?」
「あら、そう? だって4月頃から、毎日妙に気合いを入れてコーディネートしたりメイクしたりしてるでしょ?」
わざとらしく何回か瞬きしながら美子が再度問い掛けたが、美野はどこからどう見ても焦りまくりながら、盛大に首を振った。
「そっ、そんな事してないから! 姉さんの気のせいよ!」
「そうなの? いつも一緒に出勤してるけど、そんなに違いが有ったかな?」
横から口を挟んだ美幸は本気で首を捻ったが、美子は冷静に指摘を続けた。
「行きつけのお店への来店回数も、三月末頃からぐっと増えたわよね? 美幸だって去年の十二月以降は休みに美野と良く出かけていたけど、四月以降は随分減ったでしょう?」
「そう言えばそうかも。……デートしてたの?」
ちょっと驚いた様な顔をしてから美幸が美野に単刀直入に尋ねると、姪の美樹と甥の美久も目を輝かせて食いついてきた。
「美野ちゃん彼氏できたの!?」
「デート? ラブラブ?」
子供の為、余計に好奇心満々の表情で凝視された美野は、益々狼狽して必死に弁解した。
「だから! デートとかじゃなくて! たっ、偶々出かける先が一緒だったりとかして」
「でも男の人なのよね?」
「…………」
美子に笑顔で鋭く突っ込みを入れられて、美野は顔を引き攣らせて黙り込んだ。ここで男二人の、如何にも不機嫌そうな声が、食堂内に響き渡る。
「……美野。どういう男だ?」
「どういう男と言われても……。お父さん、だからそれは誤解だと言ってるじゃないですか」
「変な男じゃないだろうね? 柏木産業勤務の人間なら、それほど酷くは無いと思うが」
「お義兄さんまで、そんな事」
「あいつも最初はまともに見えた」
「…………」
父親がはっきりと名前を口にしなくとも、一昨年離婚し、昨年は騒動を起こしてくれた美野の元夫の事を言っているのは明白であり、美野は口を閉ざして俯いた。その途端食堂内に気まずい沈黙が満ち、一斉に非難の視線が昌典に集まる。
昌典も口を滑らせた自覚はあり、困った様に娘から視線を逸らした。当然美幸としては(それを言っちゃ駄目でしょ、お父さん!)と叱り付けたかったのは山々だったが、そんな事をしたら今度こそ美野が泣き出しそうな気がした為、慎重に姉の様子を窺う。すると面目なさ気に俯いていた美野が、何とか気持ちを切り替えたらしく顔を上げ、落ち着いた口調で弁解してきた。
「あの……、 お父さん、お義兄さん。ご心配して頂くのは大変ありがたいんですが、本当に誰かとお付き合いしている訳ではありませんから。私が年相応に見えなくてよほど信用が無いのか、面倒を見てくれているだけだと思います」
困った様にそんな事を言ってきた美野に、昌典と秀明は益々難しい顔になった。
「と言う事は、相手は相当年上なのか?」
「まさか、既婚者にちょっかいを出されているわけじゃ無いよね?」
それを聞いて美幸は(どうしてそういう発想になるのよ……)と呆れたが、美野は慌てて否定してきた。
「そんな事はありませんから! 私の方が年上ですし」
「あれ? 美野姉さんより年下? それで柏木の社員って事は、私と同じか二つ上まで? それならひょっとして、私が知ってる人かな? 散発的に若手同士で交流会とかしてるし……」
今度は美幸が顎に手を当てて、不思議そうに考え込み始めると、それを見た美野は勢い良く立ち上がりながら力一杯否定した。
「よ、美幸は全然、微塵も知らない人だから! 名前を聞いても首を捻るから! 職場に押し掛けそうだから聞かれても言わないわよ! 大体年上のバツイチ女なんて、門前払いが良い所でしょう!? もう、変な誤解した上、騒がないでよね。お休みなさい!!」
半ば支離滅裂な事を叫びつつ食堂から出て行った美野を見送った他の面々は、冷静に互いの顔を見合わせながら、口々に感想を漏らした。
「美野って、昔から嘘がつけない性格だったものね……。と言う事は、相手は美幸が良く知ってる人で、結構頻繁に出掛けてはいるけど、はっきりとお付き合いしているわけではないのね?」
「そして美野姉さんは、満更でも無いわけだ。見事に自爆しちゃったわね」
「美野ちゃん、さっさとできちゃったら良いのに~」
「できちゃうって、なにが~?」
娘と息子のやり取りに思わず笑ってしまった美子は、眉間に皺を寄せている父と夫を指差しながら、二人に注意した。
「美樹。子供は余計な事は言わずに黙っていなさい。お祖父さんとお父さんが、あなたが言った言葉のせいで、機嫌を悪くしてるわよ?」
「えぇ~? 美野ちゃんは結婚する事になっても二度目なんだから、二人とも慣れてるんじゃないの?」
納得できないという表情で疑問を呈した姪と、益々渋面になった父と義兄の顔を交互に眺めた美幸は、疲労感を覚えながら解説した。
「美樹ちゃん……、美野姉さんは一度失敗してるから、二人が余計にナーバスになってるんだから。あまり神経を逆撫でしないでね?」
「あ、それもそうか。分かった気を付けるね」
「ところで美幸、あなたなら美野の相手に心当たりはあるんでしょう?」
如何にもあって当然と言わんばかりの問い掛けに、室内中の視線を一身に浴びてしまった美幸は、多少居心地の悪い思いをしながらも思い当たる節を述べた。
「有ると言えば、有るかなぁ……、私の職場の二年先輩で、美野姉さんよりは一つ下になる高須さん。社員食堂で偶に一緒に食べてるし。時々待ち合わせて、一緒に帰ったりもしてるみたいだし」
考えながら美幸がそう口にした途端、昌典が盛大に叱りつけた。
「どうしてそれを早く言わないんだ、美幸! それに、お前が常に同行して監視しないか!!」
「無茶言わないでよ! 高須さんと仕事の上がり時間を、毎日昼も帰りも合わせるなんて、どう考えても無理だってば! それに高須さんって面倒見が良い人だし、美野姉さんが再就職する前に色々あったから、気にかけてくれてるのかなと思ってたし!」
二人が盛大に言い合っていると、比較的冷静に秀明が確認を入れてきた。
「美幸ちゃん、その高須さんって独身だよね?」
「勿論です」
「婚約者とか、交際中の女性とかの存在は? 絶対居ないって断言できる?」
「いない……、と、思いますけど……。確かに仕事の事はともかく、そんなにプライベートに踏み込んだ事を根掘り葉掘り聞いた事は無いので……」
急に自信が無くなってきた美幸の言葉を補足するように、秀明が一見柔らかい笑顔で後を引き取った。
「そうだろうね。だからひょっとしたら、職場の周囲には一々話していないれっきとした彼女が居て、本当に親切心から美野ちゃんの面倒を見てるだけかもしれないんだよね?」
「そう言われてしまうと……、そう、かも、しれませんが……」
尚も念を押してきた秀明に、曖昧な態度で美幸が応じると、申し合わせた様に他の者達から声がかけられる。
「……美幸?」
「美幸ちゃん?」
「美野ちゃんの為に、頑張ってね?」
「がんばれ~」
「分かっているだろうな。美幸」
最後に重々しい口調で念を押してきた父親に、逃げ場を失った美幸はがっくりと項垂れて溜め息を吐いてから、父親の台詞のその言外に含んでいる内容を口にしつつ頷いた。
「……分かりました。高須さんの身辺を、それとなく調べてみます」
藤宮家の家族会議はそんな経過と結果で纏まり、翌日から騒動の舞台は柏木産業へと移るのだった。
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