その時、入社直後の初期研修を終えた高須は、配属先を決定する最終面接を受けていたが、担当の人事部の男性の言動が、段々不穏な物になってきた。
「最終的な君の希望が営業部もしくは企画推進部、と。了解した。それでは高須君、次に君の家庭環境について少し尋ねたいんだが」
「はい、何でしょうか?」
「君はお父親が早く亡くなって、お母上が女手一つで育られたそうだが……」
「はい、その通りです」
ピクリと片眉を動かしながらも、高須はいつもの通りの口調で返した。すると何が目的なのか、相手が更に突っ込んだ内容を聞いてくる。
「何でも小さな運送会社を切り盛りしている女傑らしいね。並み居る男性従業員を使いこなし、率先してトラックの運転もされているとか」
呆れとも感心とも取れる微妙な声音での台詞にも、高須は冷静に言い返した。
「……確かに大型免許保持者ですが。それが何か?」
「周囲からの信頼も厚い地域密着型の会社で、保護司から紹介を受けた軽犯罪の仮釈放者や執行猶予中者の受け入れ先にもなっているとか。いや、なかなかどうしてできる事では」
ここでとうとう高須の堪忍袋の緒が切れた。
「さきほどから、一体何を仰りたいんですか!? 確かに母は女手一つで姉や俺を育ててくれましたが、赤の他人に揶揄されたり、後ろ指を指されたりする様な事は一度だってした事が無い自慢の母です! 第一実家の会社で引き受けた人達も、保護司さんが自信を持って推薦した人達ばかりで、皆自分の行為をきちんと反省して真面目に働いてくれていますし、俺が知る限り一度も問題を起こした事は有りません!!」
勢い良くテーブルを叩きながら立ち上がり大声で怒鳴った高須に、相手は目を白黒させてから高鷲から目線を逸らしつつ、もごもごと弁解してくる。
「あ、その、気に障ったのなら申し訳ない。そういう家庭環境なら、ちょっとやそっとの事で動じないだろうと思って、事実確認をしようとしただけなんだ。君のご家族や実家の家業について誹謗中傷するつもりでは無かったから、勘弁してくれたまえ」
「はぁ……」
「それでは面接はこれで終了だ。週明けに配属が決定するので、楽しみにしていてくれたまえ」
「……分かりました。失礼します」
色々言いたい事をグッと堪えつつ、高須は一礼して歩き出した。しかし廊下を歩きながら、心の中で悪態を吐く。
(一体何なんだ? 単なる好奇心か? 幾らこちらが新入社員でも、失礼にも程が有るだろうが!)
そうして憤懣やるかたない表情で高須はその場から歩き去ったが、この時のやり取りの理由をその直後から身をもって知る事になったのだった。
そして約半年後。
(うん、確かに管理者が女性とか、脛に傷持つ人間がゴロゴロって環境には慣れてたがな……。あの時の面接の意味が、今では良く分かる。確かに並の神経の人間なら、保たないかもしれないな。ここまで鬼の巣窟だと……)
そんな事を漠然と考え、どこか遠い目をしながら高須は日常業務に勤しんでいた。
「高須君、売り込み予定先のリストアップが甘いぞ。この商品なら欲しがってる会社が私の知っている会社でも数社ある。再度見直して五割増しの社数を見込んでおきなさい」
(顧客管理の鬼、村上さん)
「あぁ!? 製造時の不良品発生率0パーセントだと? そんな与太話真に受けて帰って来る馬鹿がどこにいる! どんな物でも不良品は発生するし、その発生率をいかに下げるかで現場はコスト下げてんだろうが! そんな数字操作する不誠実な会社とは即刻取引中止だ!」
(品質管理の鬼、清瀬さん)
「高須君……、実際の取引は二か月は先だよ? それなのにこの相場で予算を組んだら赤字確定だ。今は輸入先の天候が不順な上為替相場も怪しいから、先物取引はもう少し長期予想ができるようになったら手を出そうか」
(相場の鬼、林さん)
「こんな予算が経費で落ちるか! しかもそれを組み込んでももっと安く単価が出せるぞ。さっさと無駄な所を絞り直せ!」
(予算編成の鬼、枝野さん)
「着眼点は良いんだけどね、高須君。この個人ネットワークPRシステムは、個人情報保護法にギリギリ抵触する内容だね。無理に商品化する価値はないから、今回はご苦労様という事で」
(情報管理の鬼、川北さん)
「こら、売り込むポイントを最大限にアピールできなくてどうする? 他社と条件がほぼ同じなら、後は担当者の話術と根性だ。目一杯はったりかませ!」
(プレゼンの鬼、加山さん)
「高須、これターゲット世代がどこら辺かちゃんと分かってるのか? 無差別に売り込んだって仕方ないだろ? これはどうみても高齢者向けだから、ちゃんと街中で該当者の動きや溜り場押さえて、そこを狙って売り込むんだ」
(販路拡充の鬼、土岐田さん)
「高須、これは船便輸送だろう。こんなギリギリの日程を組んでどうする。もう少し余裕を取って最初から納品先に交渉しておけ。それから保険関係の書類提出も忘れてるぞ?」
(スケジュール管理の鬼、城崎係長)
「……これと、このデータを纏めて一覧表を作成して下さい。それから、付箋が付けてある所が誤字脱字箇所です。訂正の上、すぐに再提出を。常用漢字はきちんと頭に入れておくように」
「申し訳ありません」
(そして最大の仕事の鬼、柏木課長……。怒鳴られたりするよりも、笑顔でバッサリザックリ切られた方が精神的ダメージが大きい事に、俺は社会人になってから気づきました……)
そんな事を考えながら書類を受け取って自分の席に戻った高須は、チラッと真澄の机を眺めてから小さく溜め息を零した。
(本当に、うちの母親なんかとは比べ物にならない位若くて美人なのに、母さん以上に大の男を顎でこき使ってるのが凄いんだよな……。使ってる面子が面子だし)
そして社内で色々噂されている二課の噂や評判の類を思い出し、無意識に眉を顰めた高須は、それでも取り急ぎの書類を作成し終え、再び真澄の所へ足を向けた。そしてチェックを受けて了承の返事をもらった高須は、軽く会釈してからこの数日密かに考えていた事を思い切って口にしてみる。
「柏木課長、今夜業務後にお時間空いてますか? ちょっと折り入ってお尋ねしたい事があるんですが」
それを聞いた真澄は、ちょっと驚いた顔をしつつも、即座に答えを返した。
「今日は無理だけど、明日なら良いわよ? 何かしら? 仕事上での話?」
「仕事上と言えば仕事上ですが、プライベートと言えばプライベートでしょうか?」
「あら、複雑そうね。良いわよ? じゃあ夕食を付き合って」
「分かりました」
軽く首を傾げた高須に、真澄が小さく笑いながら頷き、それでその話は終わりになった。それからは普通に仕事をこなしていたが、三十分程して高須がトイレに行こうと席を立ち、廊下に出たところで、後を追って来たらしい城崎に捕まる。
「……おいっ、高須! さっきのは何だ!?」
「さっきのと言われますと?」
狼狽気味に問い掛けてきた城崎に、高須が怪訝な顔で振り向いた。それに噛み付く様に城崎がたたみかける。
「とぼけるな! 課長を夕食に誘っていただろうがっ!」
「別に俺が誘ったわけでは……。話があると言ったら夕飯を一緒にと言う事になっただけで……」
「同じ事だろうが! 一体何の話をするつもりだ!?」
「それは、まあ……、ちょっとした仕事上の好奇心ですので。係長には関係ありませんから」
(係長以外には関係あるから、人目のあるこの場で迂闊な事は言えないしな)
何故城崎が血相を変えているのか分からないまま、自分達に不思議そうな視線を向けつつ社員が次々と通り過ぎて行くのを、高須は横目で見やった。すると城崎が諦めた様に溜め息を吐く。
「……分かった、もう何も言わん。明日課長と食事に言って来い」
「はい、そうします」
そこで本来の目的地であるトイレに向かおうとした高須の両肩を、城崎がガシッと両手で掴んで再度引き留めた。
「すまん、高須」
「何がです?」
いきなり真剣そのものの顔付きで謝罪してきた城崎に高須は面食らったが、城崎は問いに対する返答はせず、唐突に忠告らしき事を口にする。
「悪い事は言わん。明日は前後左右上下に最大限の注意を払え。俺に言える事はこれだけだ」
「……はぁ」
(係長、一体どうしたんだ?)
そうして何事かをブツブツ言いながら部屋に戻って行く城崎を、高須は怪訝な表情で見送ったのだった。
そして翌日、残業を短時間で切り上げた真澄は、立ち上がりながら高須に声をかけた。
「お待たせ。じゃあ行きましょうか?」
「はい」
時間潰しで提出期限まで余裕の書類を作っていた高須はすぐさま立ち上がり、同じく残業をしていた城崎に挨拶をして真澄と連れ立って部屋を出た。そして恐縮気味に真澄に声をかける。
「課長。どこで食べましょうか」
「行きたい所があるから、そこで良い?」
「はい、構いません。お付き合いして貰っているんですから、課長のお好きなところで」
笑顔で応じ、世間話をしながら歩き出した高須は、この時密かに後悔した。
(とは言ったものの……、高級フレンチとかだったらどうするかな。この場合俺が奢らないと拙いだろうし、先に決めておけば良かったかも……)
しかし真澄の行きたい店のチョイスは、完全に高須の予想の斜め上を突いた。
「あ、着いたわ。ここで良いわよね?」
社屋ビルから十五分程歩き、真澄が指差した自動ドアの向こうには、所謂セルフサービス式の大衆食堂が存在し、そこでは仕事帰りらしいサラリーマンがチラホラとテーブルに着いて夕飯を食べていた。しかし華美では無いが間違っても既製品のスーツでは有り得ない出で立ちの真澄を連れて、入って良いものかどうか判断に迷った高須は、途方に暮れてしまう。
「……あの、本当にここ、ですか?」
「一度入ってみたかったのよ。商談の帰りに前を通って気が付いたんだけど、昼休みに一駅分歩くと下手したら戻るのにギリギリだし、帰りは大抵車が迎えに来るから一緒に入ってくれる人もいないし」
「はぁ……、まあ、そうでしょうね……」
にっこり笑った真澄だが、高須の迷いは消える事が無かった。
(良いんだろうか? 車で送迎されている、れっきとした大企業の社長令嬢を、こんな所に連れてきて)
高須のそんな戸惑いなど気にも留めない風情で、真澄は悠然とドアに向かって足を踏み出した。
「えっと、どうやって注文するの? 食券とか買うのかしら?」
迷わず店内に入り、キョロキョロと周囲を見回しつつ足を踏み出した真澄に、高須は取り敢えず前方を指差しつつ説明する。
「あのですね、あの人達の様に、あそこからトレーを持って、レーンに沿って食べたい物だけ取って行くんです。最後にあそこで会計しますから」
一通り高須がシステムを説明すると、納得した様に真澄は重なったトレーを一つ取り上げ、高須と一緒に小分けされている料理の前に移動した。
「ああ、なるほどね。でも凄いわ、結構種類が有って迷うわね」
「課長、小皿や小鉢を取り過ぎない様に注意して下さい。それから蛋白質と野菜類のバランスも考えて下さいね?」
「分かったわ。高須さん、お母さんみたいね」
(いや、課長があんまり物珍しそうにしてるので、つい面倒をみなくちゃいけない気分になっただけです)
クスクスと真澄は小さく笑い、高須も苦笑いしながらおかずを選び、ご飯とお味噌汁をよそって貰って二人で空いているテーブルに着いた。そして挨拶をしてから早速食べ始め、真澄は満足そうに頷いた。
「うん、結構美味しいわね」
「値段の割にはそうですね。しっかり食べられますし」
「そうなのよね……、これって原価はどれ位で作っているのかしら? 光熱費や人件費を考えてもなかなか……。ちゃんとそういうシステムが構築されているんでしょうけど……」
なにやらブツブツ言いながら仕事モードに突入したらしい真澄に小さく失笑してから、高須は真顔になって恐縮気味に問いかけた。
「課長、……ひょっとして俺の懐具合を気にして、ここを選んで貰ったんでしょうか?」
その質問に、真澄は我に返った様に顔を上げて言い返した。
「あら、元々今日の支払いは私が持つつもりだったんだけど。だって部下から相談を持ちかけられたんだし、それ位当然じゃない?」
「……恐縮です。相談と言うか、好奇心からの質問なので」
「ふぅん? じゃあ取り敢えず言ってみて貰える?」
不思議そうに小首を傾げた真澄に、高須はトレーに箸を置いて真顔で尋ねた。
「その……、課長はどうして全国から村上さん達を引き抜いて、自分の下に集めたんですか? 社内で二課の評判が最悪なのはご存知ですよね? 課長は社長令嬢なんですから、わざわざ社内から白眼視される事をする必要は無いでしょう」
それを聞いた真澄も箸を置き、微笑しながら静かに言い出す。
「うちに入って貰ったせいで、高須さんには色々と肩身の狭い思いをさせてるみたいね」
「いえ、俺の事はともかく」
「社長令嬢だから、かしら?」
「はい? どういう事ですか?」
唐突に自分の問いかけの答えが返された事に高須が戸惑うと、真澄は自分の頬に片手を当てて、一瞬考え込んでから再度話し出した。
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