「皆さん、ちょっと椅子を持って、こちらに集まって下さい」
「何事ですか?」
「さぁ?」
課長会議から戻るなり、室内に居た部下全員に呼びかけた清人に、皆が不思議な顔をしながら椅子を引いて課長席の前の空いているスペースに移動した。
「蜂谷さん、これを急いで人数分コピーして下さい」
「畏まりました!」
その間に清人は蜂谷に何やら書類を渡して、自身は課長席に落ち着き、手にしていたファイルなどを片付ける。そうこうしているうちに課員達が集まった為、前置き無しで話を切り出した。
「急な話ですが、皆の意見を聞かせて下さい。実は課長会議の後、営業七課の高倉課長に話を伺って来ましたが、建築用タイルの在庫が大量にだぶついている状態だそうです」
それを聞いた周囲から、困惑した声が上がった。
「タイルですか?」
「大量にって、尋常な話ではありませんね。具体的にはどれほど」
「約二万枚です」
「二万っ!?」
「と言っても一枚約四十センチ四方の物ですから」
「いえ、課長代理、それにしたって!」
平然と話す清人とは裏腹に、大抵の者は顔色を変えたが、ここで清人が蜂谷が戻って来たのを見て、次の指示を出した。
「その資料を見ながら、話を聞いて下さい」
その台詞と共に蜂谷が資料を配り始めたので、美幸も取り敢えずそれに目を走らせながら、清人の話に耳を傾けた。
「高倉課長の説明では、我が社が以前から提携しているイタリアの現地メーカーと、従来の製品より高級感と光沢を増加させた上、水はけも改善した、人造大理石のタイルを共同開発していたそうです」
「それが『これ』ですか……」
「確かに、従来の物と比較すると、データ的にはなかなかの代物ですが、単価も倍近くしていますね」
これまでに、この手の物を取り扱った事があるらしい村上と林が感想を述べると、清人は頷いて話を続けた。
「それは元々、数年前から高級マンション建設事業に乗り出していた鈴原建設から、『従来の物には無い高級志向の資材を調達したい』との要請を受けて、色々海外の物を紹介したものの難色を示された為、この際販路拡大も狙って新たな商品開発をしてみようという事になったらしいです」
「それがどうして、大量在庫に繋がるんですか?」
販売先が決まっているのに、どうして在庫を抱える羽目になるのかと、高須が根本的な疑問を口にすると、清人が溜め息を吐いてから付け加えた。
「製造したイタリアから船便で運んで、荷揚げしていざ引き渡そうとしたタイミングで、鈴原建設が資金調達に失敗して、マンション建設事業を抜本的に見直す事になりました」
「……うわぁ」
「まさに最悪のタイミングですね」
「まだ船便で運んでいるうちに発覚したなら、まだ傷も浅いものの」
口々に唖然とした表情と口調で述べる部下達に、清人は真顔で頷いた。
「はい。保管している倉庫のレンタル料だけでも、一日五十万かかっているそうです」
「うわ……、洒落になりませんね」
「鈴原建設は倒産や自己破産には至らなかったものの、全事業を見直す上で、該当するマンションは高級志向を徹底的に排除して価格帯を抑えて販売する事になりました。その為我が社には違約金を支払って、タイルの引き取りを断る事になったと言う次第です」
「有り得ない……」
「営業七課にとっては、とんだ災難ですね」
その顛末を聞いて、各自同情する顔になる中、清人の説明は淡々と続いた。
「それが発覚したのが先週で、それ以降営業七課では宙に浮いたタイルの販売先を手を尽くして探してみたそうですが、価格と枚数で二の足を踏まれるばかりで、いたずらに保管料を浪費している状態らしく。先程『大手ゼネコンとの取引や、そこの資材調達部署の人間への伝手は無いだろうか』と懇願されたんです」
そう話を締めくくった清人だったが、部下達は一斉に難しい顔になった。
「確かに気の毒ですが……、ここの取引相手にその手の企業はありませんね」
「比較的小規模の住宅メーカーなら、取引実績はありますが」
「林さん、そういう所に売り込んでは駄目なんですか?」
不思議そうに蜂谷が尋ねると、林は困った様に解説した。
「駄目と言うわけでは無いが……、恐らく無理だろうね。この枚数だと、延べ床面積を考えると、ざっとこの柏木物産本社ビル二棟分。タワーマンションだと一棟分に楽に敷き詰められる量だ。そういう大規模建築物を全国各地で手がけていて、品物がすぐに捌ける会社でないと、引き取ってはくれないだろうな。保管場所の問題もあるし」
「基本的に今はどこも、余計な在庫は抱えない様にしているからね。それで余計に足元を見られて、相当値切られる覚悟も要るだろうし。下手すると原価も確保できないかもしれない。幾ら値引かれても、まだ大手の方がこれから新たな取引に繋がる可能性もある分、メリットがある」
「なるほど」
林に続き村上からも説明を受けて、蜂谷は納得した顔付きで頷いた。そこで瀬上が、ちょっとした疑問を口にする。
「しかし課長代理。この課と営業七課とは、普段共同で取り組んでいる商談はありませんし、特に交流等も無い筈ですが。どうして高倉課長が、課長代理に話を持って来たんですか?」
「勿論、普段から関わりのある課には片っ端から声をかけたそうですが埒が明かず、こちらに話を持ってきたみたいです。柏木課長から伺っていましたが、課長が営業三課時代に、高倉課長に仕事の事でお世話になった事があるそうで。その関係もあって、高倉課長が藁にもすがる思いで、こちらに声をかけてきたと思われますが」
「そういう事でしたか」
「それなら、何とか力になってあげたい所ですが……」
「ちょっと良い紹介先が思い付きません」
清人の説明を聞いて、城崎以下、課員全員が難しい顔で黙り込み、美幸も眉間に皺を寄せながら考えを巡らせた。
(課長が営業三課時代にお世話に……。これは例の、冷遇されてた時の事よね? それなら恩返しに、何が何でも高倉課長の窮地を救ってあげないと。でも、どうしよう……。都合の良い知り合いなんか居たかな?)
そこでふと記憶の片隅に引っかかった人物の事を思い出した美幸は、「ちょっと失礼します」と周囲に断りを入れて立ち上がり、自分の机に戻った。そして名刺ホルダーを手にして、それをパラパラと捲りながら椅子に戻り、探していた物を見つけてから清人に声をかける。
「あの……、課長代理?」
「何ですか? 藤宮さん」
「仕事上の付き合いでは無いんですが、個人的に名刺交換をしていた方が居まして。青柳建設の方ですが、その方に口を利いて貰うのは駄目でしょうか?」
控え目に美幸がそう申し出た途端、周りは嬉々としてそれに食い付いてきた。
「青柳建設!? 大手ゼネコンでも、五指に入るじゃないか!」
「あそこなら今都心で、次々タワーマンションを建設してるし、話を持ち込むにはうってつけだよ!」
「藤宮さん、でかした! それで? その人は営業? それとも資材調達とかを担当してる部署の人かな? それだったら願ったり叶ったりなんだが」
珍しく瀬上まで勢い込んで尋ねてきた為、美幸は若干困惑しながら、ファイルから抜き出した名刺を皆に向けつつ説明する。
「いえ、青柳建設会長の牛島和雄さんです」
「…………」
途端に微妙な顔付きになって静まり返った周囲を見て、美幸は益々申し訳無さそうな顔になった。
「えっと……、やっぱり駄目でしょうか?」
その反応を見た美幸が控えめにお伺いを立てると、瀬上は慌てて弁解してきた。
「あの、ごめん。てっきり藤宮さんは合コンを仕切っているうちに、青柳建設の若手の人と知り合ったのかなって思ってたから。いきなりそんな大物の名前が出てくるとは思わなくて」
「年齢的に考えると、父親の知り合いかな? 藤宮さんのお父さんは旭日食品の社長で、旭日ホールディングスの会長だし」
城崎がその場をとりなす様に口にした内容を聞いて、周囲は納得しかけたが、美幸はあっさりと否定した。
「いえ、詳細は知りませんが、牛島さんは父ではなく姉の知り合いです。去年のお正月にご年始にいらした時、そう仰っていましたし。ですから私が直接話をする前に、まず姉から一言頼んで貰えば、話を受けて貰う確率は高くなるかと思いますが」
そこで再び周りが微妙な顔付きになって顔を見合わせる中、どこからかかすれた声が聞こえてきた。
「……姉?」
「はい。それが何か?」
普段冷静沈着な清人が、何やら顔を強張らせているのに気が付いた美幸は、(あら、珍しい)と思いながら頷いた。すると彼が問いを重ねてくる。
「因みに何番目のお姉さんですか?」
「一番上です。それが何か?」
それを聞いた途端、清人は普通の表情に戻って、あっさりと議論の終了を告げた。
「分かりました。もうこの件は良いです。皆さん、解散して下さい。ご苦労様でした」
その見事な豹変っぷりに、城崎以下全員が呆気に取られた。
「はい?」
「あの……、課長代理?」
「それではタイルの件は」
「営業七課には、力になれないと今から断りを入れます」
そう言って早速内線の受話器に清人は手を伸ばしたが、ここで駆け寄った美幸が腕を掴んで訴えた。
「ちょっと待って下さい! 可能性が無きにしも非ずなのに、どうしてあっさり諦めるんですか!?」
しかしその非難の声に、清人は何かが振り切れた様に怒鳴り返した。
「冗談じゃない! あの女性《ひと》相手に、死んでも借りなんか作るか! この話は終わりと言ったら終わりだ!」
「課長代理は、姉の事をご存知なんですか? 確かに柏木課長は、美野姉さんと一緒に美子姉さんがここに来た時に顔を合わせた事はありますが、課長代理と美子姉さんの接点はありませんよね?」
「…………」
途端に周囲から疑惑と好奇心に満ちた視線を集めた事に気付いた清人は、少しの間黙り込んだが、すぐに平常心を取り戻し、いつもの口調で再度宣言した。
「とにかく、この話はこれ以上進めるつもりはありません。各自、業務に戻って下さい」
「ちょっと待って下さい! 柏木課長の恩人が、本当に困っているんですよ!?」
「私自身には、特に恩も借りもありません」
その身も蓋もない言い方に、美幸は本気で腹を立てた。
「もう良いです! 課長代理には関係ありません! 私が高倉課長の為に、姉に個人的に頼みます。それなら文句はありませんよね!? 係長! 今から姉に電話をかけますから、課長代理を押さえておいて下さい」
「分かった、任せろ」
「おい、藤宮! ちょっと待て!!」
私用電話の為、一応部屋の隅に向かって移動し始めた美幸を、清人が焦って引き止めようとしたが、城崎がその進路を遮りつつ呆れ気味の声をかけた。
「課長代理、何を動揺してるんですか。口調が乱暴になってますよ。駄目もとで頼んでみる位、支障は無いでしょう」
しかしそんな彼に、清人が血相を変えて噛み付く。
「城崎! お前はあの人の物騒さを知らんから、そんな事が言えるんだ!」
「はぁ? 白鳥先輩の性悪さなら、嫌と言うほど知り抜いていますが?」
美幸に言われた通り相手の腕を掴んだまま城崎が要領を得ない顔付きになると、清人が苛立たしげに叫んだ。
「違う! 女房の方だ! 大体あの先輩と結婚した女が、大人しくて従順で常識的な人間だと本気で信じている程、お前は間抜けじゃあるまいな!?」
その訴えを聞いた城崎は、思わず遠い目をしてしまった。
「一体過去に、何が有ったんですか……」
「誰が言うか!」
「そんな得体のしれない人が、近い将来俺の義姉に……」
「ご主人様をここまで戦慄させるとは……。さすが魔王様の奥方様」
二課の一部で男達が戦慄し、一課と三課の面々が興味本位で見守る中、美幸は自身の携帯電話で自宅に電話をかけ始めた。
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