猪娘の躍動人生

篠原皐月
篠原皐月

番外編 美幸の探偵日記~調査の心得

公開日時: 2021年8月5日(木) 21:10
文字数:4,163

「おはようございます、高須さん。今度の土日、どちらか空いてませんか?」

 出社してくるなり愛想良くそんな事を言い出した美幸に、高須は隣の席から胡乱気な視線を向けた。


「……どうしてだ、藤宮?」

「日頃、高須さんにはお世話になってますので、費用こちらもちで二人で食事にでも行こうかなと。あ、どうせなら丸一日、アミューズメント施設巡りとかでも構いませんが」

「…………」

 笑顔を崩さずに美幸がそう口にした瞬間、列の向こうの机から城崎がゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐ高須に向かって殺気の籠もった視線を向けてきた。それと察した周囲は城崎から視線を逸らして見なかったふりを貫き、不幸にも横目で見てしまった高須は、生命の危機すら覚える。


「……お前、俺を殺す気か?」

「はい?」

 高須に視線を合わせていた美幸は、当然城崎のそんな視線に気づく事無く不思議そうに首を傾げたが、これ以上係わり合っていられるかと高須はあっさり断りを入れた。


「いや、何でもないが……、どのみち断る。二日とも予定があるからな」

「はぁ……、午前だけとか午後だけとかじゃなくて、終日ですか?」

「終日だ」

「ご近所で買い物とかですか?」

「都心まで出て来る。……それがどうかしたか?」

 しつこく問いを重ねてくる美幸に、流石に高須が怪訝な顔をすると、美幸は漸くここで引き下がった。


「いえ、何でもありません。残念ですが、食事はまたの機会に」

「お前に奢って貰って二人で食事に出かけたりしたら、漏れなく悪運が付いて来そうで嫌だ。その手の類の事は金輪際口にするな」

「ちょっと高須さん! 何気に失礼なんですけど? いつもお世話になってる感謝の気持ちを、現してみただけなのに!!」

「俺は命が惜しいし、本当の事だからな。さっさと仕事しろ」

 心底嫌そうに顔を歪めてから、その日のスケジュール確認を始めた高須を横目で見た美幸は、こっそり満足そうに笑みを浮かべた。


(よし、取り敢えず土日どちらも高須さんが自宅近辺に居ない事は確認できたわ。ばったり出くわす訳にはいかないものね。良かった~)

 しかしそんな美幸の様子を、少し離れた自分の机から城崎が観察していた事など、美幸は夢にも思っていなかった。


 その週の土曜日。美幸は一人外出し、電車を乗り継いで高須の家の最寄駅に降り立った。外出予定と言っていた高須と鉢合わせしない様に、念の為昼近くの時間帯だったが、昼食の事は考えずにまっすぐ高須の家へと向かう。


「さて、と。去年年賀状を書く為に、ニ課全員の住所を確認しておいて助かったわ。個別に聞いたら怪しまれるものね」

 携帯電話のナビシステムに高須の住所を打ち込んだ美幸は、迷う事無く街路をどんどん進んだ。


「美野姉さんにさり気なく予定を聞いたら、姉さんも今日と明日どちらも予定があるって言ってたし。きっと高須さんとデートよね~。真面目に帰って来ないで、外泊してくれば良いのに」

 そんな独り言を漏らしながら、美幸は決意も新たに呟いた。

「まあ、取り敢えず丸一日戻らないって事は確実だし、じっくり調べてみましょうか」

 それからは黙って表示されている地図を確認しながら進み、それ程時間を要さずに目的地へと辿り着いた。


「地図だとこの辺なんだけど……、あ、あった」

 高目の塀で囲まれてはいたが、開け放っている広い門から敷地内が十分見渡せ、そこに事務所棟や倉庫らしき物があり、大小のトラックが何台か停められていた。そして事務所の上層が個人の住宅になっているらしい所まで確認して、道路を挟んだ斜め向かいの曲がり角の陰で、美幸が真剣に考え込む。


「さて、どうしようかな?」

「何をどうする気だ? 藤宮」

「うひゃあっ!!」

 いきなり背後から低い声で問いかけられ、同時に右肩を掴まれた美幸は反射的に悲鳴を上げた。そして慌てて背後を振り返ったが、そこに見慣れた人物が眉間に皺を寄せて立っていた為、盛大に噛みついた。


「ちょっ……、驚かせないで下さい、係長! 第一、何でこんな所に居るんですか!?」

「それはこっちの台詞だ。高須と待ち合わせかと思いきや、どうして高須の家まで来てコソコソ様子を窺ってるんだ?」

「高須さんと待ち合わせなんかしませんよ。そんな事をしたら、高須さんが居ない所でじっくり調べたいのに、台無しじゃ無いですか」

「……なんだそれは。全然意味が分からん」

 全く噛みあっていない会話に、城崎の表情が益々渋面になった。しかしそんな事には構わず、美幸が勢い込んで尋ねる。


「それより、私の質問に答えてませんよ? 係長はどうしてここに居るんですか? まさか私の後を付けてきたわけじゃ無いですよね?」

「家を出る所から付けてきたが、それがどうした」

 堂々と城崎が言い切った内容に、美幸は思わず目が点になった。


「は? あの、係長。何つまらない冗談を言ってるんですか」

「本当の事だからな」

(ストーカー紛いと言われても仕方ないがな。職場で聞いても『ちょっと高須さんの予定を確認しただけで、他意はありません』としか言わないし。気になって仕方がない)

 城崎の結構切実な心境が完全に分かっていないらしい美幸は、物凄く疑わしそうに問いを重ねた。


「家から、ですか?」

「ああ」

「ここまで、ですか?」

「それがどうかしたか?」

 もう完全に開き直った城崎が黙って美幸の反応を窺っていると、何故か美幸は勢い良く両手を打ち合わせて、城崎を褒め称える言葉を発した。


「凄い! そんな事ができるなんて、さすが係長です!!」

「え?」

 何故こんな反応になるのかと訝しげな顔をした城崎に、美幸は喜色満面で言ってのけた。


「その無駄に大き過ぎる長身と、存在感ありありのオーラを醸し出してるのに、どうし家からここまで尾行できたんですか? 私、今の今まで全然気が付きませんでした。うわ……、ちょっとショックかも。私そんなに気配に鈍かったかしら?」

 嬉々として語った美幸だったが、後半は自分で言って落ち込んだらしく項垂れた。それを宥める様に城崎が控え目に話を続ける。


「それはまあ……、後を付けているんだから、気配を消すのは当然だし。不審がられない様に後を追うコツはそれなりにあるしな。学生時代に色々と叩き込まれた事があって……」

「是非とも気配の消し方と、尾行のコツを教えて下さい! こういうスキルも偶には必要ですよね!?」

 ここに第三者が居たら(いつ、どんなシチュエーションで使う気だ?)と突っ込みが入りそうな事を嬉々として訴えた美幸に取り敢えず頷いてから、城崎が話を元に戻した。


「分かった。それはまたの機会に、じっくり教えてやるから。取り敢えずそれは置いておいて……、さっきも聞いたが待ち合わせとかじゃないなら、今日はどうして高須の家に来たんだ? 」

「それは、美野姉さんの為に、事前に高須さんのご家族の人となりを調べる為です」

「はぁ?」

 美幸が真顔で口にした理由に、全く意味が分からなかった城崎は思わず間抜けな声を上げてしまったが、それから一通り藤宮家でのやり取りを掻い摘んで説明して貰い、漸く合点がいった様に頷いた。


「……なるほど。彼女と高須が付き合ってる事までは知らなかったな」

「付き合ってると言えるのかどうかは微妙ですけど、姉さんは今日も行き先を曖昧にして出かけましたし、間違い無いかと思います」

「確かにな。しかし藤宮、高須の家族の事をどうやって調べるつもりだ?」

 取り敢えず美幸が高須に恋愛感情を持っていないのが分かり安堵した為、ここは一つ協力してやろうかと何気なく問いかけてみたのだが、ここで急に美幸の歯切れが悪くなった。


「実は……、そこまでしっかり考えてこなかったんです。良い考えが浮かばなくて。いざとなったら急な腹痛をおこしたふりをして門の前で行き倒れて、家の中で介抱して貰おうかとか考えてましたが……」

 そのあまりにも体当たり的な発想に、城崎は思わず眩暈がした。


「……行き当たりばったりじゃなくて、もう少し計画的に考えろ」

「ごもっともです」

「とにかく、それは止めておけ。救急車を呼ばれて搬送なんかされてみろ。みっちり説教食らった上身元がバレて、下手したら社名と二課の評判に傷をつけかねない」

「……はい」

 神妙に自分の小言に頷いている美幸を見て、城崎は(今日思い切って、ストーカー紛いの事をして良かった)と心の底から安堵した。しかし萎れ気味の美幸を見て可哀相になり、どうにかできないものかと周囲を眺めまわした城崎は、視界の端に居た女性達を目に止めた。


「じゃ藤宮、まずあの人達なんかはどうだ?」

「え? 誰ですか?」

「彼女達だ」

 そう言って城崎が指差した方向を見ると、高須家の敷地と隣接している塀の前で、自立式の塵取りと箒を手にしている六十代と見られる女性と向かい合い、それぞれ五十代と七十代と思われる女性が和やかな雰囲気で立ち話しているのが目に入った。しかし美幸は城崎が意図している事が分からず怪訝な顔をすると、その表情で察したのか城崎が補足説明を始める。


「掃除道具を持ってるから、隣家の人と見て間違い無いだろう。それに他の二人も大きな荷物は手にしてないし、この近辺の女性が散歩か軽い買い物か何かで道で顔を合わせて、そのまま井戸端会議に突入って感じじゃないのか?」

「はあ、はるほど。それで?」

 まだピンと来なかった美幸が重ねて尋ねると、城崎は淡々と説明を続けた。


「高須家の人間に直に接触しなくても、周囲の人達から高須家の情報を得る事はできるだろう。他人の主観だから鵜呑みにするわけにもいかないが、取り敢えずその評価でご近所付き合いが良好かどうかは判断できると思うが?」

 そう言われた美幸は途端に目を輝かせて同意する様に力強く頷き、城崎が止める間もなく件の女性達に向かって駆け出した。


「なるほど! さすが係長です。じゃあ行ってきます!」

「あ、ちょっと待て! 藤宮!!」

「すみませ~ん! ちょっとお聞きしたい事があるんですけど~!」

 美幸がそんな事を叫びながら走り寄って行った為、女性達は揃って話を止め、何事かと怪訝そうに美幸の方に顔を向けた。その光景を目にして、城崎が思わず額に手をやって溜め息を吐き出す。


「だから突進しないで、まず計画を立てろと言ったばかりだろうが……」

 ちょっとだけ愚痴を零してから、この事態を収拾すべく城崎は美幸の後を追い、ゆっくりと角を曲がって通りに出た。


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