猪娘の躍動人生

篠原皐月
篠原皐月

7月(3)頓挫

公開日時: 2021年7月31日(土) 12:46
文字数:3,277

 二課の、特に年長者を中心とした面々が懸念した接待だったが、当初は彼等の予想に反して、極めて友好的だった。


「本日はお忙しい中ご足労頂き、ありがとうございます」

「いやいやこちらこそ、こんな席を設けて頂いて恐縮です」

 双方が料亭の一室に顔を揃え、料理も座卓に運ばれて、取り敢えずビールで乾杯をしてから、まず川北が結構ザルらしい宮部のグラスにビールを継ぎ足しながら話の口火を切った為、美幸も笑顔で鎌田に話し掛けた。


「今回は、是非宮崎ダイオードさんの新規商品や事業計画などについても、お話を伺わせて下さい」

 それを聞いた鎌田は、怪訝な顔になった。

「おや、藤宮さん、だったかな? 女性には珍しく工学部出身かい?」

(出た。思考がステレオタイプの、ガッチガチ親父)

 しかしそんな考えはおくびにも出さず、美幸は笑顔のまま答えた。


「いえ、桜花女学院出身です」

「あの名門女子大の? それは凄いな」

「だが、そういうお嬢様学校出身で、うちの商品の事が分かるのかな?」

「部長、幾ら何でも失礼ですよ」

 宮部は率直に感心したが、鎌田は揶揄する口調になった。それを聞いた宮部が慌てて窘めようとしたが、美幸は余裕の笑みを浮かべながら言い返した。


「いえ、構いません。現在でも工学部に入学する女性比率が低い事は周知の事実ですし、出身が女子大なのも事実ですから。でも、それで得している面もありますので」

「へえ? どんな面で?」

 思わず興味をそそられた様に宮部が尋ねてきた為、美幸は笑みを深くしながら答えた。


「女子大出身だと工学関係分野に疎いと思われがちですから、そういう分野の話をしていると、『良く分かっているね』とすぐに感心して頂けるんです。工学部出身の男性なら、どこまでも突っ込まれると思いますが。なまじ知識が有る分、商品云々よりも、すぐ技術的な話になってしまうのではありませんか?」

 その主張に、向かい側に座る男二人は、思わず苦笑いする。


「なるほど、それはそうかもしれないな」

「確かに、開発室でしそうな会話を、商談の場でしてしまう場合もあるな」

「勿論、貴社の商品を扱う訳ですから、最低限のデータは頭に入れておりますが。そちらで今現在力を入れて開発されているのが、LED回路用の定電流ダイオードですよね? あれは千景製作所の物が現時点では最小ですが、それより小型化できれば応用範囲は一気に広がりますから、我が社としても期待しています」

 そう美幸が告げると、鎌田と宮部が揃って頷く。


「ああ、あれは社運をかけて開発中でね」

「しかし後発メーカーは作っても販路が確保できないから、柏木産業さんの力が必要なんだよ」

「お任せ下さい。時代はエコですし、白熱電球と違って電気エネルギーを直接光に変える効率が良いLEDは、それを実現する照明部品としても重要性が増してます。光通信用のフォトダイオードも汎用性が認められる商品ですので、こちらとしても売り込みのし甲斐がありますから」

「これは頼もしいな。宜しく頼むよ」

 力強く申し出た美幸に、宮部は表情を緩めた。それに軽く頷いて見せてから、美幸は鎌田に視線を合わせる。


「去年そちらで発売を開始したダイオードブリッジのRT-09、独特の形と大きさの為に、独立ラインを作られたんですよね? でも結構な売れ行きで、十分元が取れそうだと伺いました。開発費用が膨大になると尻込みする技術者を叱咤激励して、技術部長と二人三脚で鎌田部長が開発を推し進めたとお伺いしましたが、やはり上に長期的な展望をお持ちの方がいる組織は、最後に生き残ると思います」

 さり気なく相手を持ち上げる発言をすると、鎌田が嬉しそうに相好を崩した。


「いやあ、若いのに実に良く分かっているね、藤宮君。今時の若いのは、実にチャレンジ精神が無くて困りものだ。開発部長と一緒に、何度あいつらを怒鳴り倒した事か」

「開発と営業は、車輪の両輪です。どちらにもホープがいらっしゃる宮崎ダイオードは、どこからどう見ても優良企業です。これからも末永くお付き合い頂きたいですわ」

「いや、それはこちらの台詞だよ。今後とも宜しく頼む」

 そして向かい側の二人が会話している隙を突いて、川北が感心した様に美幸に囁いてきた。


「……流石だね、藤宮さん。この調子で宜しく頼むよ」

「お任せ下さい。頑張って各種データを、頭に叩き込みましたから」

(ふふっ、楽勝楽勝。相手をヨイショしつつ好感度をアピールすれば良いんだし。変な意味で火花が散っている、合コンを取り仕切るより楽だわ~)

 しかし、美幸のそんな余裕は、その後一時間程しか保たなかった。


 年長者達から今回『手出し口出し無用』と釘を刺された城崎だったが、どうにも不安を拭えず、結局接待を始める時間帯にはその料亭の最寄り駅近くの喫茶店に陣取り、会社から持ち出した資料に目を通していた。

 最初は集中出来なかったものの、一時間程して大体の内容を把握し、一息入れていたところで、携帯電話の着信音が鳴る。発信者名を確認すると美幸の名前が表示されており、咄嗟に時間を確認して接待を終わらせるには早い時間であった為に、嫌な予感を覚えながら通話ボタンを押した。


「もしもし? 藤宮? どうかしたのか?」

「ふ、ふぇぇっ……、か、かかりちょうぅ~」

 いきなり電話越しに美幸の泣き声が聞こえてきた為、城崎は周囲の目を気にする事無く、勢い良くその場で立ち上がった。


「どうした藤宮!? まだ接待中の時間だろう? 何が有った? 川北さんはどうした?」

「ひ、ひとりですっ……。か、川北さんは、用事が……、あって」

 矢継ぎ早の質問に、美幸が何とか答えていると、その間も城崎は手荷物を纏めて移動を開始した。


「今どこだ? 使った料亭の近くか?」

「はい。入口を出て前の道路で」

「一歩たりともそこを動くな! 五分で行くから、ちょっとだけ待ってろ!!」

「……え? 係長?」

 さすがに美幸が怪訝な声で問い返してきたが、城崎はこれ以上の会話は時間の無駄だとばかりに通話を終わらせ、素早く会計を済ませて店の外へと出た。


「川北の野郎……、彼女をほったらかしにしてどこに行きやがった! 明日、出勤して来たら、袋叩きにしてやる」

 普段は年長者として敬っている川北を口汚く罵りながら城崎は幹線道路を駆け抜け、和食処や料亭が軒を連ねる、趣のある緩やかな坂道を駆け上がった。するとすぐにハンカチを目に当ててグスグス泣いている美幸を発見する。


「大丈夫か? 藤宮」

 慌てて駆け寄りながら声をかけると、その声で顔を上げた美幸が、鞄とハンカチを取り落とし、城崎に抱き付いてより一層盛大に泣き始めた。


「か、係長ぅぅぅっ!!」

「どうした、何をされたんだ!?」

(全く、話に聞いていた以上に、ろくでもないセクハラ親父だったらしいな。絶対、今度闇討ちしてやるぞ!!)

 腸が煮えくり返る思いをしながら美幸の背中を撫でた城崎だったが、ここで美幸が顔を上げて言ってきた。


「さっ、されたのは事実なんですけど……、私もしちゃってぇぇっ!」

「したって……、何を?」

 思わず眉を寄せて美幸を見下ろした城崎だったが、続く彼女の台詞を聞いて固まった。


「あのセクハラ親父を殴り倒して、意識不明にして、病院送りにしちゃったんです!」

「……え?」

「それでっ、宮部課長が救急車に同乗して付き添う事になって、川北さんがタクシーで同行する事になって、『藤宮さんはもう良いから帰って』と置いて行かれまして……。か、会社、首になりますぅぅ~っ」

 そう言って再びえぐえぐと泣き出した美幸を見て、城崎は取り敢えず自分が今最優先ですべき事を判断した。そして一度美幸の身体を離し、歩道に落ちていた彼女の鞄とハンカチを拾い、自分のハンカチを渡しながら幹線道路の方に誘導する。


「とにかく、家まで送る。ほら、ハンカチがグシャグシャだから、これを使って」

「はい……」

「タクシーを拾って、車内で詳細を聞くから。取り敢えず落ち着こうな」

(取り敢えず、明日の川北さんの袋叩きは止めておくか……)

 今頃、気苦労しっぱなしであろう年上の部下に対する報復計画を白紙に戻しながら、城崎は美幸を藤宮邸まで送り届けた。


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