「藤宮さん、調子はどう?」
「川北さん。わざわざ来て下さったんですか? ありがとうございます」
笑顔で出迎えた美幸に、川北は安堵した表情になって持参した紙袋を差し出す。
「はい、お見舞い。中身の半分は、課長代理からだけど。あの人が『藤宮さんだったら、仕事を回せば狂喜乱舞しますから』とかサラッと言ったものだから。データ整理をお願いしたいんだが」
「お任せ下さい! 課長代理に非の打ち所が無い様にして、叩き返してやります!」
「持ってきた俺が言う筋合いじゃないが、引き受けるんだ……」
やる気満々の美幸を見て、思わず棒読み口調になった川北だったが、気を取り直して紙袋を手渡してから、鞄を開けて中を探り始めた。
「ああ、それと、年明け早々にある入札の資料、作っている最中だろう? お見舞い代わりに、良いものを持って来たんだ」
「何ですか?」
「三次元空間認知ソフト」
「何ですか? それは」
聞き慣れない単語を耳にして首を傾げた美幸に、川北が苦笑しながらディスクの入ったケースを取り出す。
「それは見てのお楽しみ。ちょっとこのノートパソコンを借りるよ?」
「はい、構いませんけど……」
怪訝な顔の美幸をよそに、川北は傍らにあったPCを膝の上に置き、手慣れた手付きでそれの電源を立ち上げつつ、ソフトのダウンロードを開始した。
「藤宮さん。納品する倉庫の内寸とか棚の寸法とかは分かるよね?」
「はい、そこの緑色のファイルに纏めてあります」
「備品の納品状態の寸法も?」
「それの後半部分に一覧があります」
時間を無駄にせず、待機時間の間にファイルを取り上げ、内容を確認した彼は、システムの立ち上げを確認すると、早速幾つかの数値を打ち込んだ。それから美幸の前にそれを置いて、横から腕を伸ばして操作する。
「よし、じゃあこれを……、こうして、っと」
するとディスプレイの中に立体的な棚の画像が描き出されたかと思ったら、次々映像化した箱状の物が、順に空間を滑る様に移動して、棚の中に収まっていく。
「え? うわ! 画像の箱が、自動で収まった!?」
「このシステムを使うと、入力したデータを元に、どのスペースに何を入れれば良いか、自動で判断してくれるんだ。ほら、サイドバーに取り敢えず入力してある数値が、毛布と断熱シートの梱包サイズだから。だが重い物は下に入れた方が良いし、消費期限や使用期限が短い物は頻繁に入れ替えし易い様に手前に入れた方が良いとか、最後はちゃんと人がチェックしないといけないが」
「それでも随分作業が捗ります、助かりました! やっぱり実際に、きちんと収納した状態の配置まで提案できないと駄目ですよね。視覚に訴えるのが一番だと思いますし」
「ああ。納入品もメーカーや品番によって、結構寸法が変わるからね」
「ふふっ……、これで今度の入札は楽勝! 確実に一つ一つ、取っていくわよ!?」
満面の笑みで、力強く宣言した美幸だったが、何故かここで川北が、恐る恐る尋ねてきた。
「あの、藤宮さん?」
「何ですか? 川北さん」
「その……、係長からこの仕事に関して、聞いてはいないんだよね?」
「何についてでしょうか?」
全く要領を得なかった美幸が問い返すと、川北は逡巡してから、自分自身を納得させる様に呟く。
「……うん、分かった。ごめん、何でも無いから」
「はぁ……」
(そう言えば、この仕事を任されてから、皆の態度が何か変だったっけ。確かに通常のニ課の仕事じゃないけど、今のところ別に問題無さそうなんだけど。接待じゃないし、単独でやってるし)
その時ノックの音がした為、美幸はそれについて考えるのを中断した。
「はい、どうぞ」
「こんにちは、藤宮さん、体調はどうかしら?」
静かに開けられたドアから真澄が顔を覗かせた途端、美幸は歓喜の叫びを上げた。
「きゃあぁぁっ! 課長!! わざわざこんな所にまで、来ていただけるなんて感激……、ああ、課長のご主人もいらしてたんですか」
台詞の前半と後半の落差の激しさに、真澄の後ろから現れた清人が、嫌らしく笑いながら憎まれ口を叩く。
「『休みの時ぐらい、顔を見たくなかった』とでも言いそうだな」
「清人」
職場では無いせいか、ぞんざいな口調で鼻で笑った清人を窘めつつ、真澄はベッドサイドに歩み寄った。
「清人から話を聞いて驚いたけど、元気そうで何よりだわ。これは少ないけど、お見舞いです」
「ありがとうございます」
女二人が微笑みながら小さめの封筒を受け渡している横で、清人が横柄に言い放つ。
「俺からは真澄が土産だ。貴重な二人のプライベートな時間をくれてやる。ありがたく思え」
その物言いに、さすがに美幸の顔が引き攣った。
「……見舞いに来たつもりなら、せめて仕事中と同レベルの気配りと、周囲に配慮した言動をして欲しいんですが」
「あいにく今は、真澄とのデートの真っ最中なんだ。真澄以外に気を遣うつもりはない」
そしてバチバチと火花が散りそうな二人の気迫に腰が引けた川北が、手早く荷物を纏めてそそくさと逃げ出す。
「え、ええと……、藤宮さん? 俺はそろそろ失礼するから」
「あ、はい、どうもありがとうございました」
そんな風に慌ただしく立ち去った川北に会釈してから、真澄は目の前に広げられたファイルを覗き込み、感心した様に言い出した。
「随分熱心ね。入院中なのに仕事をしていたの?」
「課長代理の指示で、色々回して頂きまして」
それを聞いた真澄は、傍らの夫を軽く睨む。
「……清人?」
「頭と腕は無事なんだ。錆び付かせない為の措置だ」
全く悪びれない様子の彼に、真澄は小さな溜め息を吐いてから話題を変えた。
「お見舞いに持ってきたのは、備え付けテレビ用のプリペイドカードなの。下の売店で買った物だし、味気なくてごめんなさいね?」
それを聞いた美幸は、慌てて封筒の中身を確認してから、忽ち笑顔を見せた。
「いいえ! 何よりの物です、ありがとうございます。姉に買って貰ったりしてたんですけど、気が付いたら無くなっている時もあって」
「足の怪我だと、細々した物が欲しい時に困るかと思って。私も出産の時に一時期動けなくて、不便さが身に染みたわ」
「そうですよね。売店まで行けば揃っている物も、なかなか買いに行けなくて、翌日持って来て欲しいと、通話が許可されている所まで行って姉に電話したりしてました」
「足の怪我だから、売店まで買いに行くのも一苦労かと思ってこれにしたんだけど、喜んで貰って良かったわ」
そう言って安堵した様に微笑んだ真澄を見て、美幸は上司に対する尊敬の念を深めた。
(さすが課長! 変に高額で相手に気を遣わせる事も無く、直ちに有効に使える物を選択される辺りは流石だわ! これからも付いて行きますね!!)
そんな感動しきりの美幸の耳に、含み笑いでの清人の声が届く。
「それで、俺からの見舞いはこれだ」
「…………何でしょうか?」
途端に警戒レベルを最大限に引き上げた美幸に、清人は平たい包みに封筒を乗せた物を差し出す。
「思うように動き回れなくて、退屈してるだろう。真澄から聞いたが、以前『晩秋の雲』で随分感動してくれたらしいな」
「はぁ……」
目の前の人物が書いた物と知っていたら、絶対読まなかったのにと、過去の自分を殴りたい衝動に駆られている美幸に、清人は差し出した物を押し付けつつ説明した。
「だから再来週発売の俺の新作と、プラスαを持って来た。どちらも、抱腹絶倒間違いなしの代物だ。退屈な時に目を通してくれ」
「……ありがとうございます」
(本と……、封筒の中身は何かしら? ろくでもない物の気がするけど、さすがに課長の前で突っ返すわけにはいかないし)
美幸は取り敢えず受け取りつつも密かに悩んでいると、ここで新たな客人がやってきた。
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