三月に入り、年度末と言う事もあって周囲が何となく気忙しい中、美幸は久し振りに仲の良い同期四人で昼休みに社員食堂で待ち合わせ、お祭り好きの同期から持ち上がった同期会の内容や開催場所についての意見を交わし合った。そして一通りその話を済ませてから、晴香がしみじみとした口調で述べる。
「だけど本当に早いわね~、入社したばかりだと思っていたら、もう一年近く経ったなんて」
「来月には新人も入って来るしな。俺達もうかうかしていられないって事だ」
総司が苦笑いしてそれに応じたが、美幸は余裕の笑みで焼き魚をほぐしつつ答えた。
「その点、私は気が楽だわ~。まだ暫くは新人気分でいられるわよね。そうそう二課に、好き好んで新人が入って来るわけ無いもの。それに瀬上さんと仲原さんの二人が入ったのはイレギュラーだったけど、それで随分楽になったって皆が言っているから、至急で人員が補充される用件も無いし」
そう言って魚とご飯を交互に口に運び、美味しそうに食べる美幸を見て、晴香は思わず溜め息を吐いた。
「……自分の所属先が、社内で人気が無いって公言するのはどうかと思うんだけど?」
「事実だし。別に問題は無いと思うけど?」
「新人配置はともかく……、お前の所は課長の産休突入後が問題じゃないのか?」
総司がそんな懸念を口にした途端、美幸は激しく同意した。
「あ、そうそう! それは私も気になっているのよ。谷山部長が未だにはっきりした事を言わなくて!」
「ふぅん? まだ時間はあるけど、ちょっと変よね」
「晴香もそう思うよね!? 桑原君はどう思う?」
怪訝そうな晴香から視線を移した美幸は勢い込んで尋ねたが、対する総司は少し困った顔をしてから、横に座る隆に声をかけた。
「まあ、そこは俺も解せないがな。……どっちかと言うとお前の態度の方が変だぞ、隆。さっきから黙りこくってどうした?」
「あ、ああ……、悪い」
促されて短く謝罪の言葉を口にした隆に、美幸と晴香は話を止めてキョトンとした顔を向けた。そんな中、隆が思い詰めた表情で美幸に話し掛ける。
「その……、藤宮?」
「何?」
「今度の日曜空いてるか?」
唐突に隆が口にした誘いの言葉に、晴香と総司は半ば呆れた。
(おいおい……、そう言う話は二人っきりの所でしろよ。状況判断もできない位、煮詰まっているのか?)
(最近、幾ら美幸と顔を合わせる事が少なかったにしても、どうかと思うわよ?)
そして続く美幸の返答を聞いて、三人揃って見事に固まった。
「日曜は空いてないわね。係長にスイーツを奢って貰う約束だから」
何気なくそう答えて食事を続行している美幸を見て、三人は殆ど無意識に声を発した。
「……は?」
「係長って……、あの城崎さん?」
「どうしてスイーツ?」
それらの疑問に、美幸が律儀に答える。
「バレンタインにチョコをあげたら、義理堅く『お返しをするから』って言われて。気にしないで下さいって言ったんだけど」
食べる合間に何でも無い事の様に美幸が告げたが、隆は血相を変えて椅子から腰を浮かせつつ問い質した。
「おいっ! 藤宮! お前、義理チョコは配らないって言ってたのに、どうしてあの人には渡してるんだよ!?」
「どうして怒るのよ? だって係長に渡したのは義理チョコじゃなくて感謝チョコだし。別に変じゃ無いでしょ?」
隆の咎める様な口調に、些か気分を害しながら美幸が主張すると、それを聞いた晴香と総司が揃って項垂れた。
「本命チョコじゃ無い事は分かったけど……、あんたの基準ってどうなってるの?」
「最近お前と言う人間が、益々分からなくなって来たな……」
「何よ、その言い方。失礼ね」
腹を立てながら美幸は食事を続行し、総司に小声で宥められた隆も取り敢えず椅子に座り直して再度食べ始めたが、慎重に美幸の様子を窺っていた。
そんな事があった週の次の日曜日。何となく城崎に言いくるめられた感があった美幸は、何となく釈然としない気持ちを抱えながらも午後に指定された店に出向いた。
美幸の都合を考えてか、最寄り駅が自宅から電車で二駅しか離れていないその店に入ると、先に来て待ち構えていた城崎が軽く手を上げる。そこでそのテーブルに出向き、向かい合わせの席に座ると、早速城崎が申し訳無さそうに軽く頭を下げてきた。
「すまなかったな。休日に呼び出す事になって。何でも好きな物を頼んで良いから」
「こちらこそ恐縮です。家に近い所を選んで貰ったんですよね? それに大したチョコを渡した訳じゃ無いのに、ホワイトディのお返し代わりに奢って貰う事になって。いつもお世話になってるお返しに差し上げたつもりだったので、別に見返りは期待していなかったんですが……」
差し出されたメニューを受け取りつつ美幸が恐縮気味に述べると、何故か城崎が、どことなく歯切れ悪く応じる。
「それは俺も分かってはいたがな……。ちょっと折り入って、話したい事もあったから」
「そうですか。それでは今日は遠慮無くご馳走になります」
そう言って自分自身を納得させながら美幸がメニューを開くと、城崎はあからさまにホッとした表情になった。その様子をメニュー越しにチラチラと窺いながら、美幸は密かに考え込む。
(折り入っての話って何かしら? 仕事の話だったら職場でできると思うし、部下の私に込み入った相談って言うのも、有り得ないわよねぇ?)
この場に城崎の事情を把握している二課の面々、特に日頃から美幸のフォローに回っている高須がその考えを聞いたなら(お前、少しは察しろよ!)と盛大に怒鳴りつけそうだったが、周囲に見知った人間は存在せず、二人は傍目にはデート中のカップルだった。そして注文を済ませて当たり障りの無い世間話などをしているうちに、ウエイトレスによって頼んだ品物がテーブルに並べられる。
「うふふ、美味しそう。いただきま~す」
早速長いスプーンを取り上げ、上機嫌でミルクプリンイチゴパフェ攻略に取り掛かった美幸を見て、城崎が思わずと言った感じで微笑みつつ口を開いた。
「随分食べ応えがありそうだな」
「……からかってるんですか?」
ちょっとムッとしながら見返した美幸に、城崎は苦笑いしながら軽く手を振って見せた。
「いや、そうじゃない。ちょっと羨ましくてな」
「はい?」
当惑した声を上げた美幸に、城崎は苦笑いしたままクレープシュゼットにナイフを入れつつ問いを発した。
「やっぱり大の男がパフェを頼んだら引かれるだろう?」
言われた内容を頭の中で考えた美幸は、手を止めたまま怪訝な顔で正直に思うところを述べた。
「……食べたいなら注文すれば良いかと思いますが?」
「人目が気になって、落ち着いて食べられないんだ。第三者的に見ると、男でもケーキの類なら頼んでもセーフらしいが」
淡々と述べた城崎に、美幸が釈然としない顔付きで尋ねる。
「そういう物ですか?」
「どうやらそうらしい。第一、俺には似合わないだろう? 試してみる勇気も無くてな」
そこで城崎がパフェを食べている絵を想像してみた美幸は、思わず素直な感想を漏らした。
「それは確かに、似合わないかもしれませんが……」
「正直だな」
「……すみません」
「怒っているわけでは無いから」
城崎は笑いを堪える表情でクレープを食べつつ珈琲を味わっていたが、自分の失言を悟った美幸は、心の中で誰とも分からない人間に八つ当たりした。
(そんなの人の勝手だと思うんだけど。別に大の男がパフェを食べたって、構わないじゃない。周囲にどんな迷惑をかけるって言うのよ? 誰よ、そんなくだらない事係長に吹き込んだのは?)
そんな事を考えながら黙々とスプーンを動かしていた美幸だったが、三分の一程を食べた所で、同様に静かに食べていた城崎が、ナイフとフォークを置いて徐に声をかけてきた。
「それで……、話と言うのはだな……」
「はい」
思わず美幸も手の動きを止めて城崎に視線を合わせたが、何故か城崎は再び黙り込んで俯き加減になった。そして美幸が(係長、どうしたのかしら?)と不審に思って声をかけようとした所で、城崎が声を絞り出す様にして話し出す。
「……最近、考えれば考える程、嫌な予感しかしなくてな」
「はい?」
いきなり深刻そうな口調でそう告げられ、正直美幸は面食らったが、城崎は口に出し始めたら色々吹っ切れたらしく、顔を上げてサクサクと話を進めた。
「以前話しただろう? これまで俺が課長の結婚相手に、仕事上の情報を色々流していた事を」
「ええ、確かに。その方は係長の大学時代の先輩で、仕事上で色々便宜を図って貰っていたとも聞きましたが」
「それが今年に入ってから今まで以上に頻繁、且つ広範囲に根掘り葉掘り聞いてくる様になって。今ではニ課が係わっている業務の、ほぼ全ての情報や資料を渡している状態なんだ。最近では何だかんだと、連絡を取って来る日の方が多くなっていて」
真顔でそんな事を打ち明けられ、美幸は思わず顔を引き攣らせた。
「係長……、幾ら相手が課長のご主人でも、そんな事をして良いんですか?」
「俺も正直どうかとは思うが、昔も今も、俺に拒否権は一切無い」
「はぁ、そうですか。事情は分かりませんが、何だか大変そうですね」
「何で今頃になってこんなに目に。あの人が卒業して、俺の暗黒時代は三年間で終焉を迎えたと、心の底から喜んだのに……」
相槌を打った美幸の台詞を聞いているのかいないのか、いきなりテーブルに両肘を付き、両手で頭を抱えて呻いた城崎を見て、美幸は益々疑問を深めた。
(何なのかしら? 課長の結婚相手が係長のトラウマっぽいのはもの凄く良く分かったけど……、それが私と何の関係があるのかしら?)
「あの……、係長?」
このままだと話が進まないと思った美幸が控え目に声をかけてみると、城崎はすぐに気を取り直して頭を上げた。
「ああ、すまん。それで……、さっき言った様にあの人がニ課の業務内容について事細かく尋ねてくるのは、考えれば考えるほど、課長の産休中の体制について何か企んでいる様にしか思えなくなってきたんだ」
「何ですか、それは?」
「陰で動いて社内人事に首を突っ込んで、変な人間を二課に押し込んで来る様な気が」
「何ですって!?」
最初眉を寄せただけの美幸だったが、ここで思わず声を荒げた。それを慌てて城崎が宥める。
「あ、いや、すまん。言い方が悪かった。あの人が課長の職場を引っ掻き回す筈は無いから、変な人間を押し込む事は万が一にも無いと思うが……。どちらにしても来年度は荒れそうな予感がして。それで職場で波風が立つ前、落ち着いて話をするのは今のうちかと思ったから……」
そう言って溜め息を吐いた城崎だったが、それを聞いた美幸は疑わしそうに問いを発した。
「落ち着いて話を、って。あの……、じゃあひょっとして、今の話って、まだ前振りなんですか?」
「……ああ」
(前振り段階で、充分とんでもない話なんだけど)
思わず頭を抱えたくなった美幸の前で城崎は口調を改め、落ち着き払った口調で話を続けた。
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