「あなた達三人、入社してすぐに二課に配属されたでしょう?」
「はぁ……、確かにそうですね。それが?」
「つまり、上に居るのは、課長を筆頭にバリバリ仕事のできる、有能な人間ばかりなわけ」
「はい、そうですね」
「それが何か拙いんですか?」
「拙くは無いんだけど……。だからあなた達は、他部署の人間から色々陰口を叩かれても、『無駄に年だけ食った、屁理屈だけは一人前の、ろくに仕事ができない先輩や上司』の下で働いた事が皆無だし、この先もその可能性が低いわけよ。これって実は、相当幸運な事なのよね。分かる?」
「…………」
なんとなく理彩の言いたい事を悟った三人が無言になり、彼女の横で漸く納得した様に、瀬上が呻いた。
「そうきたか……。確かにこいつらは、これまで有能過ぎる先輩が目白押し。しかも今度来るのが女性……。やりにくいと言えばやりにくいか」
過去に使えない先輩や上司に遭遇した事でもあるのか、瀬上が微妙過ぎる表情で相槌を打ったが、それとは対照的に蜂谷は目を輝かせて理彩に宣言した。
「なるほど。この人事は、ご主人様が俺達に与えて下さった試練なんですね? 俺、期待に応えられる様に頑張ります!」
ここで理彩は、傍から見ると異様な笑顔の蜂谷に、何かを思い付いた様に尋ねた。
「どうしてここで、そんなに前向きに捉える事ができるかが疑問だけど……。あ、そうだわ。その人の顔写真とかある?」
「はい。調査しながらばっちり撮ってきました。これです!」
「調査もそうだが、いつの間に写真なんか……」
「ちゃんと仕事、してたよな?」
周囲が訝しげな囁きを交わす中、蜂谷が得意満面で突き出したスマホの画面を見て、理彩は顔をしかめた。
「やっぱり……。藤宮。あんたが何日か前に、食堂で睨まれてる気がするって言ってたでしょう? その時の女よ。間違いないわ」
「え? そうなんですか?」
理沙が断言すると同時に、蜂谷が美幸に向かってスマホを差し出した為、美幸はしげしげとそれを覗き込んだ。すると理沙が重々しい声で話を続ける。
「これで分かったわ。異動後に彼女の一番の標的になるのは、間違いなくあんたよ? 藤宮」
「え? 標的って何です? それにどうしてですか?」
いきなり話をふられて当惑した美幸だったが、理彩はこれ以上は無い位、きっぱりと断言した。
「勤続八年目の立場から言わせて貰うとね、箸にも棒にもかからない要領の悪い女の真の敵は、出来の良い男の同僚でも、無理解で無神経な上司でもなくて、妙に世渡りが上手くて小器用な女と相場が決まっているからよ! 不倶戴天の関係と言っても良いわ」
「…………」
ビシッと美幸を指差しつつ断言した理彩に、その場は見事に静まり返った。そして美幸は困った様に感想を述べる。
「ええと……、確かに『女の敵は女』ってフレーズは、良く聞きますけど……。私、そんなに反感持たれるタイプですか? 年上の女性とは、割と上手くやれる方かと思ってるんですが」
「確かにそうなのよね。係長との交際疑惑が持ち上がった時に集団で締め上げたのに、あの後いつの間にか全員と仲良くなっちゃって……」
呆れ気味に言った理彩に、すかさず美幸が突っ込む。
「その筆頭は、間違い無く仲原さんだと思うんですけど?」
「ええ、もう、本当に不本意よ。何で普通に仲良くなってんのよ、私!?」
些か自棄気味に言ってビールを煽った理彩に対して、美幸は当然の如く言葉を返した。
「だって無視されてもこまめに挨拶して話しかけてヨイショして話の糸口を掴んだら、皆さんそれなりに話が分かる、それなりに仕事ができる方ばかりでしたから。仲原さんだって、仕事をちゃんとやる相手なら、個人的な感情は職場に持ち込まないタイプですよね?」
「それはまあ、そうね」
「だから皆さん、あの時は集団ヒステリー状態に陥ってただけですって! その場のノリと雰囲気に飲まれるって怖いな~と、あの時しみじみ思いましたよ」
「……全然怖がっている様に見えないのは、俺の気のせいか?」
にこにこと解説する美幸に、胡散臭そうに高須が問いかけたが、美幸はそれを半ば無視して話を続けた。
「それで、その時の結論なんですが、そんな人達を渡り歩いていた係長は、流石に女性を見る目があるな~って思って。仕事ができる人は、やっぱり他の人とはプライベートも一味違う……って、あれ? 係長、どうかしました?」
ついでに城崎も持ち上げておこうと思った美幸だったが、振り向くと城崎がさほど飲んでもいないのに座卓に突っ伏しているのを見て、怪訝な顔になった。
一応、今現在の彼女である美幸に、過去の女性遍歴を明るく語られて、色々な意味でダメージが大きかった城崎を、他の面々が気の毒そうに見やる。
「もう何も言うな。係長は放っておけ。しかしお前は本当に、年上女性の受けが良いよな。何かコツでもあるのか?」
かなり強引に高須が話題を変えると、美幸はちょっと考えて、その問いに答えた。
「コツと言うか何と言うか……。私にはお局系と女王系と腹黒系と自虐系の、タイプがバラバラな姉が四人もいますので。一緒に生活しているうちに、なんとなく色々なタイプへの対応が、身に付いたみたいです」
それを聞いた周囲は先程とは別の意味で固まり、高須は恐る恐る確認を入れた。
「……今の内容、お姉さん達に向かって言ったりして無いよな?」
「実は中学生の時に、ついポロッと口にしちゃいました」
「言ったのかよ!?」
「その時、一番上の姉にそれから一ヶ月の間、夕飯のおかずを一品少なくされました! 食べ盛り伸び盛りの時期だったのに、酷い仕打ちだと思いません!?」
そう言って同意を求めた美幸だったが、周囲の反応は予想に反して素っ気ないものだった。
「全っ然、思わないわ」
「一品、一ヶ月で済んで良かったな」
「俺……、絶対にお姉さんを怒らせない様にしよう」
「流石、魔王様の奥方様……」
全く同情して貰えなかった美幸は、幾分むくれながら城崎に顔を向けた。
「皆、酷い……。係長は皆の様な薄情な事は言いませんよね!?」
その時には体を起こしていた城崎だったが、まだ若干戸惑いながら本音を漏らした。
「あ、ああ……。その調子で、今度来る人も籠絡してくれたら助かる」
「籠絡ってなんですか? しかも既に反感持たれてるって、仲原さんに断言されちゃったんですけど?」
同情して貰えるどころか無茶振りされてしまった美幸は、完全に拗ねた顔つきになったが、周囲はそれで話を纏めにかかった。
「まあ、対策って言っても、実際目にしないとどれ位問題があるのかも分からないしね」
「そういう人間が入るって認識しておくだけでも、随分違うだろうからな」
「反感持たれてる相手と仲良くなるのはお手の物なんだろ? 気合い入れて有効関係を築け」
「藤宮先輩、頑張って下さい!」
「……分かりました。もう何も言いません」
完全にぶすっとした顔になった美幸を宥めつつ、それからは皆で楽しく会話をしながら飲み続け、それが終わる頃には美幸の機嫌もいつもの状態に戻っていた。
そして店を出て、各自がそれぞれの方向に向かって歩き出した。
「じゃあ、お疲れ様」
「私達こっちだから。それじゃあね」
「あ、俺もこっちですね」
向かって右側の方向に瀬上、理彩、高須が歩き出し、城崎と美幸は左側に向かって歩き出そうとした。
「じゃあ、俺はこっちから乗るから」
「お疲れ様でした~」
「あ、俺もそっちで、ぐえぇっ!」
何も考えずに美幸達の後ろに付いて歩き出そうとした蜂谷の襟首を、高須が素早く手を伸ばして引き寄せる。
「蜂谷、お前もうちょっと空気を読め」
「は? ……あ、ああっ! そう言えば俺も向こうの駅からでした!! 失礼します!」
高須が囁くと一瞬の間をおいて、蜂谷は一目散に右の方に駆け出して行った。それを美幸が、茫然と見送る。
「何なの? 終電にはまだ十分間があるのに、あんなに慌てて帰らなくても……」
残された者達は蜂谷と美幸の反応に苦笑いしてから、当初の予定通り二手に分かれて帰途についた。
「しかし本当に、柏木課長に代わってあの男が二課に来てから、面倒事が尽きませんよね?」
「はは……、それはもう、諦めてるから……」
(なんだか係長、疲れてるみたいだなぁ……。無理もないか。あの課長代理から、日々無茶振り独断専行されてるんだものね。何か元気づけるような事は……)
駅に向かって歩きながら、何気なく美幸が零した言葉に、城崎が疲れたように応じる。それを聞いた美幸は心底同情し、ちょっと考えてから口を開いた。
「そう言えば、もうすぐバレンタインじゃないですか?」
「ああ、もうそんな時期だったか」
「去年は係長に紹介して貰ったお店のチョコをお渡ししましたけど、今年は美野姉さんと一緒に手作りしようと思ってまして。貰って頂けますか?」
突然そんな事を言われた城崎が、本気で驚いた表情になった。
「え? 手作りをくれるのか?」
「はい。美野姉さんが『仮にも付き合ってる事になってるのに、バレンタインに何もしないなんておかしいわよ』とか言い出しまして。『今年は一緒に作りましょうね』って半ば強引に誘われたんです。あ、勿論姉さんが職場の同僚の方にあげる義理チョコは、去年同様既製品を購入するみたいですが」
「なるほど。でも姉妹でそういうのを作るって、楽しそうだな」
「でもこの数日、毎晩喧嘩してるんですよ。こういうのにしようって、お互い意見を言い合って」
ちょっと拗ねたように美幸が口にしたが、城崎はむしろ笑みを深めて確認を入れる。
「でも、それぞれ別のを作ろうっていう事にはならないんだろう?」
「はあ……、まあ、そうですね」
「本当に、喧嘩するほど、仲が良いって奴だよなぁ」
そう呟いてくすくすと笑いだした城崎を見て、美幸も(あ、少しは気持ちが上向いたかも)とちょっと嬉しくなった。
「そういう訳ですので、バレンタインは期待していて下さいね!?」
「分かった。楽しみにしてる」
普段の鋭い視線は影も形も無い位に穏やかに微笑まれ、美幸は俄然張り切った。
(よし、頑張って作るわよ? それにどんな困った先輩が来たって、上手く場を取り成して円滑な職場環境を維持して見せるんだから! 苦労が多い係長の為にも、頑張るから!)
この場に高須が居て美幸の心の声を聞いたなら、「係長の心労の原因の半分はお前だ」と容赦ない突っ込みが入りそうだったが、そんな自覚は皆無の美幸は、やる気満々で家路についたのだった。
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