その日の終業後。二課の若手組の面々は、社屋ビル一階のエントランスで合流した美野と共に、新年会と称して会社近くの居酒屋に繰り出した。
「明けましておめでとうございます。職場の方はどうですか?」
「今日入ったばかりですから……、でも皆さん親切な方ばかりで、ほっとしました」
「法務関係を専門にしてるから、おじさんばかりでもセクハラパワハラの心配は無さそうですしね」
「あら、皆さんに失礼ですよ? 高須さん」
「それはすみませんでした。でも同じ職場に年配者ばかりだと気詰まりじゃありませんか? 昼食の時とかは、藤宮を誘いに来たら良いですよ。もし良ければ俺もお付き合いしますし」
「そうですか? ありがとうございます」
座敷席の座卓の片隅で、美野と高須がほっこり笑顔とほのぼの会話を交わしているのとは対照的に、美幸は最初からカクテルをがぶ飲みしつつ、グラス片手に早々とやさぐれていた。
「谷山の奴……、右に左にのらりくらりと明言を避けやがってぇぇっ! 柏木課長以外の奴を、課長なんて呼んでやるもんかぁぁっ!」
そう叫んで再びグラスの中身を呷った美幸を、半ば呆れながら理彩が窘める。
「藤宮……、あんたね。部長を呼び捨てにするのは止めなさいよ。部長だってあんたに責められて、本当に困っていたでしょうが」
「部長は管理職手当を貰ってるんですよ? その分部下より苦労するのは当然です!」
「あんたに絡まれるなら、別の手当てが必要かもね」
「何ですかそれは! ちょ~っと失礼じゃないですか?」
色々諦めて酔っ払いに付き合っている理彩と、徐々に悪い酒になりつつある美幸の横で、瀬上と城崎は難しい顔付きで話し合っていた。
「でも……、実際問題どうでしょうか? 産休後、育休を出産後一年経過時まで取得となると、優に一年二ヶ月は課長職が空席になります。係長がある程度仕事を代行するにしても、色々差し障りや限界が……」
「確かにな。それは俺にも分かってる。現実的には無理だな。そうなると誰か他の人間に、二課の課長を務めて貰うしかない」
「ちょっと! それじゃあ課長が職場復帰した時、肩書きはどうなるんですか? その人がまた他の部署に移るんですか? それともやっぱり課長が平社員として戻る事になるんですか?」
憤慨した様に突然口を挟んできた美幸に、城崎が言葉を選びつつ言い聞かせた。
「そういう事にならない様に、これから部長を初め上の方で対応策を考えていくんだろう? これは下の俺達が、どうこう言う筋合いの話じゃない」
そう言われた美幸は、座卓に突っ伏しつつ如何にも悔しそうに呻く。
「うぅ……、ろくでもない奴が二課に来たら、いびって呪って叩き出してやるぅぅ……」
「呪うって……。藤宮、あんたね」
疲れた様に理彩が溜め息を吐いた所で、突然瀬上が美幸に声をかけてきた。
「じゃあ藤宮。一つ聞くが、係長が繰り上がって二課の課長に就任するって言うのはどうだ?」
「係長が?」
「おい、瀬上!?」
美幸は思わずむくりと上半身を起こし、城崎は驚いた様に瀬上を窘めようとしたが、瀬上は冷静に考えを述べた。
「可能性としては、他の部署の人間を課長職に就けるのと五分五分だと思いますが? 二課に進んで係わろうとする人間は少ない筈ですし、それを理由に、下手したら二課の人間をバラバラにさせられますよ? 二課の解散を狙ってる人間は、今でもいるでしょうし」
「確かにな」
そう言って男二人が苦々しい顔を見合わせていると、理彩が美幸をそそのかし始めた。
「ほら、藤宮。係長は『可愛い女の子』が大好きなんだから、あんたが『お願いします、係長。変なのが課長になりそうなら、身体張って二課を守って課長に就任して下さい』って可愛くお願いすれば、間違いなく変な奴を、蹴散らしてくれるわよ?」
それを耳にした城崎が(何を言っているんだか)と、本気で頭を抱える。
「……おい、仲原」
「そうなんですか?」
「そうよ?」
今一つピンと来なかったらしい美幸が、怪訝な表情で理彩に確認を入れてから、妙に納得した表情で頷いた。
「そうかぁ……、仲原さんは『可愛い女の子』じゃなくて、『とうが立ち始めた美人』になっちゃったから、係長と別れちゃったんですねぇ。時の流れって、残酷ですねぇ」
「…………」
そんな暴言を吐いてふむふむと頷いてみせた美幸に、理彩は強張った笑みでこめかみに青筋を浮かべ、それを目の当たりにした城崎と瀬上は言葉を失って固まった。そして傍観者に徹していた高須と美野が、思わず口を挟む。
「この馬鹿。酔っ払った上での暴言だとしても、もうちょっと考えろよ」
「美幸! 仲原さんに失礼でしょう! すみません、仲原さん」
美幸を叱りつけてから真顔で理彩に頭を下げてきた美野に、理彩は何とか笑顔を取り繕いつつ、鷹揚に頷いた。
「……いえ、確かに引っ掛かりが有り過ぎる台詞でしたが、一応美人と言って貰いましたし、酔っ払いの発言ですから、些細な言い回しには拘らない事にします」
そして美幸に向き直り、改めて言い聞かせる。
「さあ、藤宮。そこまで言ったんだから、係長に泣き落としをかけるのよ! 出来ないなんて言わせないから!」
「分かりました。お任せ下さい!」
そこで何やら変なテンションで自分の胸を叩いた美幸が、膝立ちで城崎の元ににじり寄った。
「係長!」
「……何だ?」
先程の美幸の暴言をしっかり耳にしていた城崎は、警戒心も露わに美幸に問い掛けると、美幸はいきなりボロボロと泣きながら、勢い良く城崎に抱き付いた。
「私、課長が居なくなった途端、変なのに二課を仕切られるのは嫌ですぅ~」
しがみつかれて咄嗟に反応出来なかった上、美幸の涙声に動揺しながら城崎は言葉を返した。
「ああ……、うん。それは俺も同じ気持ち」
「ですよね!? じゃあもし、上が変なのをねじ込んで来たら、私と一緒に嫌がらせして、呪ってくれますよね!?」
「いや、一社会人としてそれはどうかと……」
少しだけ体を離して、まだ涙ぐみながらも嬉々として同意を求めてきた美幸だったが、内容が内容だけに城崎は即答を避けた。すると美幸が忽ち不安そうな顔付きになって、念を押してくる。
「それから……、もし課長の後任として係長が昇進する事になったら、ちゃんと受けてくれますよね?」
「それは……、今の時点では何とも言えない話だし……」
「私、私……、係長以外の人の下で働くなんて、嫌ですぅぅ~。会社なんか辞めてやるうぅぅ~」
煮え切らない態度の城崎に業を煮やしたのか、美幸が両手で城崎のスーツを掴み、その胸に顔をうずめて号泣した。流石に事ここに至って、城崎は美幸の背中を軽く叩きつつ優しく宥める。
「分かった、分かったから藤宮。取り敢えず泣き止め、落ち着け。もし万が一そういう事態になったら、迷わず引き受けるから」
「……本当ですか?」
ゆっくりと顔を上げ、涙が零れ落ちそうな瞳で見上げてきた美幸と視線を合わせつつ、城崎が力強く頷いて見せる。
「ああ、ちゃんと二課の体制は課長不在の場合でも、きちんと保持する。約束する」
それを聞いた瞬間、美幸は城崎のスーツから両手を離し、勢い良く理彩の方に向き直って、これ以上は無い位の良い笑顔で報告した。
「やったー! 仲原さん、泣き落とし成功しました~!」
「あ~、よしよし。エライエライ」
「…………」
まるで「誉めて誉めて」と言わんばかりににじり寄って来た美幸の頭を、理彩は棒読み口調で労いつつ頭を撫でる。一方で放置された状態の城崎は憮然として黙り込んだが、横から瀬上がフォローを試みた。
「取り敢えず、年明け早々色々ありましたが、今年も頑張りましょう、係長」
「……そうだな。今まで以上に気合いを入れてかかるとするか」
差し出されたビール瓶に向けて城崎はグラスを差し出し、少しの間だけ現実逃避する事を選択した。
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