猪娘の躍動人生

篠原皐月
篠原皐月

2月(3)トラブル勃発

公開日時: 2021年6月30日(水) 19:03
文字数:4,114

 バレンタイン前日のその日、定時で仕事を終わらせた美幸は、同様に切り上げた城崎と高須と一緒に美野との待ち合わせ場所に向かった。既に帰り支度を済ませて一階ロビーで待っていた美野と合流し、駅ビルに向かって四人で歩き出したが、美幸から男二人が同行する旨をメールで連絡を受けていた美野が、歩きながら申し訳無さそうに軽く頭を下げる。


「すみません、城崎さん、高須さん。まさかこんなちょっとした買い物に、お付き合いして頂く事になるなんて……」

「いえ、お気遣いなく」

「俺達もこの駅は使ってますし、ついでですから気にしないで下さい」

 そう宥められてホッとした様な表情を見せた美野は、次に幾分心配そうな顔付きになって、美幸を振り返った。


「でも……、美幸。あなた職場で、そんなにトラブルを起こしているわけ? 同僚の人達に、こんなに心配されるなんて大丈夫なの?」

「…………」

 そんな事を真顔で心配され、男二人が無言を貫く中、カチンと来たらしい美幸が苛立たしげな声を上げた。


「あのね! 今回は半分以上は、美野姉さんのせいなのよ? そもそも姉さんがチョコを買うのに、私が付き合ってるんじゃない。何なの? その言い草!」

「あら、やっぱり美幸はチョコは配らない事にしたの?」

「そうだけど、今そんな話をして無いでしょ!? ほっといてよ!」

 放っておくと忽ちエスカレートしかねないやり取りに、ここで城崎が溜め息混じりに会話に割って入った。


「二人とも、ちょっと落ち着こうか。人目を引いているから」

「そうそう、せっかくだから楽しく買い物しよう」

「すみません……」

「分かりました……」

 高須にも宥められ、さすがに気まずくなったらしい姉妹が殊勝に頭を下げた。それからは気を取り直したのか、すぐに別な話題を持ち出して一見和やかに会話している二人の後ろ姿を見ながら、城崎が高須に囁きかける。


「……やっぱり付いて来て正解だったな」

「そうですね。美野さんに悪気は無いし、藤宮も面倒見は良い方だと思うんですが、どうしてこう揉めるかな」

「まあ、仲裁すればこじれないですぐに仲良くしてるし、良いんじゃないか?」

「そうですね。例の件で和解してからは、基本的にどちらも後を引きずってはいないみたいですし」

 城崎達はどちらからともなく苦笑いし、美幸達の後に付いて歩いて行った。そして駅ビルに到達し、赤やピンクの色調が溢れるフロアの一角に到着した所で、別行動をする事になった。


「さてと、じゃあ行きましょうか」

「藤宮、俺達はここで待っていても良いか? ここなら特設会場全体が見えるし、女性ばかりの中に分け入って行くのは、正直気が引ける」

 勢い込んで特設会場に足を踏み入れようとした時に、苦笑しながら言われた内容に、美幸は思わず会場を見回して納得した。


「……それもそうですね」

「申し訳ありませんが、少し待っていて頂けますか?」

 恐縮気味に美野も言葉を重ねてきた為、高須が笑って応じる。


「大丈夫ですよ。でも何か有ったらすぐに教えて下さい。押し売りとかスリとかが居るかもしれませんし」

「そんな大袈裟な」

 一笑に付した美幸だったが、万事慎重な美野は真顔で頷いた。


「でも、確かにどこでどんな危険があるか分からないわよ? 高須さん、その時は宜しくお願いしますね?」

「はい、気をつけて」

 そして美幸達を笑顔で見送り、その姿を視界に収めながら、男二人は苦笑いした。


「見る限り、平和そのものだな。理彩がこじつけた危険性とやらがアホらしいぞ。……さて、頃合いを見て、別れて食事にでも行くか?」

 随分気が緩んでいるのか、元カノの理彩の名前を呼び捨てにした城崎だったが、高須はわざわざそれを指摘してからかう様な真似はせず、幾分困った様な表情で応じた。


「俺的には、是非ともそうさせて貰いたい所ですが……。どういう風に別れますか?」

「それは俺がどうとでもするから、臨機応変に話を合わせてくれ。あと、連れて行く適当な店を考えておくんだな」

「ありがとうございます。お願いします」

 男二人でそんな風に話が纏まり、幾つかのやり取りを済ませた所で、会場を巡っていた二人が元の位置まで戻って来たのを認めた。


「一通り見終わったみたいだな」

「しかし、本当に各店、気合いを入れて色々出して来ますよね」

「そりゃあ、年間のチョコの売上の何割かをこの時期に売り上げるわけだからな」

 そんな軽口を叩きつつ彼女達の動きを目で追っていた二人だったが、なかなか戻って来ない理由を悟った高須が、困惑気味の表情を城崎に向けた。


「係長……、気に入った物を買いに戻ったのかと思ったら、二巡目みたいですね」

「あの美野さんなら、色々目移りして迷うだろうって事は、ある程度想像していたしな」

「そうですね」

 そこまでは余裕で静観していた二人だったが、更に時間が経過してから、高須が疲れた様に報告した。


「……係長、あの二人、三巡し終えたみたいです」

「しかも何やら揉めているな。行くぞ」

「はい」

 ガラスケースに挟まれた広いとまでは言えないスペースを塞ぐ様に立ち止まり、何やら言い合いをしている姉妹の元に城崎と高須は早足に近付き、声をかけた。


「こら、二人とも、こんな所で揉めるな。他のお客の迷惑だろう」

「それはそうですが、姉さんが」

「一体どうしたんですか?」

 弁解しかけた美幸の台詞を遮り、高須が気遣わしげに尋ねると、美野は恐縮気味に事情を説明した。


「その……、どれを買うか私がなかなか決められなくて迷っていたら、美幸が怒り出しまして」

「当然でしょう!? たかがチョコの一つや二つでそんなに迷うなんて馬鹿らしいわ。さっさと『向こうからここまで全部一つずつ下さい』って言いなさいよ!」

「美幸、幾ら何でも乱暴な。それにそんな事をしたら、お金の無駄使いじゃない」

「姉さんは時間と労力を浪費しているわよ! その挙げ句に買わないなんて事になったら、アホらしいでしょうが!」

「買うわよ。買うからこうやって悩んでいるんじゃない」

(確かに、二人の性格の違いからすると、こういう揉め方をする可能性はあったよな……)

 思わず遠い目をしながら言い合う姉妹を見やった城崎は、通行の邪魔になっている事と周囲の視線を集めている事に気付き、この場から離れる事にした。


「取り敢えず移動しよう。ここで揉めていると、他のお客の迷惑だ」

「分かりました」

 城崎がさり気なく周囲を見回しながら促すと、流石に周囲の状況に気が付いた二人は大人しく後に続いた。そして会場を出て駅構内に向かって歩きながら、美幸が不思議そうに問い掛ける。


「係長。これからどちらに?」

「電車で三駅移動する。美野さん、俺の知り合いの店に連れて行きますので、そこでチョコを選んで貰えますか? 味と品質は保証します。その分、少々値は張りますが」

「ええ、それは構いませんが……、何処でしょう?」

 歩きながら素直に了承した美野に、城崎が淡々と説明した。


「《ル・ショコラ・ドゥ・ソレイユ》と言う名前の、チョコレート専門店です。店長が俺の大学時代の先輩で、御主人と共にショコラティエなんです」

 その店名を聞いた美幸と美野が、怪訝な顔で考え込む。


「そのお店の名前って、どこかで……」

「聞いた事、あるわよね……」

 姉妹で顔を見合わせてから答えを求める様に揃って自分に顔を向けてきた為、城崎は微笑しながら付け加えた。


「五年ほど前に開店する時、大学時代に所属していたサークルのメンバーに先輩が案内状を送った筈だから、白鳥先輩も買った事があると思うんだが……」

 そこで義兄の旧姓を耳にした二人は、揃って記憶を呼び起こされたらしく、同時に手を打ち合わせた。


「思い出した! 通販とか一般的な宣伝とか、一切やってないお店ですよね?」

「包装とかにも店名とかロゴとかが入っていなくて、中に店名が記載されたカードだけ、入っていた記憶があります」

「凄くおいしかったから友達と一緒に買いに行こうと思ったけど、お義兄さんが店の場所を教えてくれなくて」

「私もよ。カードにも住所や電話番号とかの類が、一切書いて無かったのよね」

 話をしているうちにホームに降りていた一同が、目の前にやって来た電車に乗り込むと、城崎は苦笑しながら説明を続けた。


「実は、あそこは夫婦揃って変人で、客を選ぶと言うか何と言うか……。幾ら儲けが多くなっても、騒々しい客に来て欲しくないとかで、下手な人に紹介しない様に口止めして売っていてね。信用のある客の口コミだけで、徐々に客を増やしているんだ」

「よくそれで、経営が成り立ってますね」

 心底呆れた口調で口を挟んだ高須に、城崎は小さく肩を竦めて見せた。


「顧客を厳選している分、金に糸目を付けない人間が揃ってるみたいだな。勿論商品も洗練されているが、経営上は先輩が上手く差配しているらしい。昔から色々、抜け目がない人だったからな」

「どちらかと言うと、俺はチョコよりその店のコンセプトと経営に興味がありますね。間違っても実家の家業では、仕事や顧客を選べる様な贅沢な環境ではありませんから」

「それは俺も同感だな。今度先輩に、コツでも聞いてみるか」

 男二人が苦笑しながらそんな事を言い合っている間、黙って何やら考え込んでいた二人は、些か気分を害した様に口を開いた。


「……それって、要するにあれですか? 私達が騒々しいって事ですか?」

「だから秀明お義兄さんに、お店の場所を教えて貰えなかったんでしょうか?」

 そこで城崎は困った様に、言葉を選びながら話を続けた。


「一概にそうだとは言えないが、確かに若い女性は滅多に入っていないな。圧倒的に男性客が多い筈だ」

「え? どうしてですか?」

「チョコレート専門店ですよね? 普通だったら、女性客がターゲットだと思いますが」

「先輩達が……、金払いが良くて、それなりに社会的地位があって、隠れ甘党をターゲットにして積極的に営業をかけた結果だ。実際、店に行けば分かる」

「…………」

 そこで微妙に視線を逸らした城崎を(それってどうなんだろう?)と女二人は訝しげに見やり、高須は無難にコメントする事を避けた。

 それからは当たり障りの無い会話をしながら数分過ごし、最寄り駅に降りて構内を抜けて地上に出て、何分も歩かないうちに城崎が足を止めた。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート