ボウリング大会終了後、家族連れの参加者や用事がある者は抜けたものの、参加者の八割程度の者は会場のビルを出て、隣のビルの最上階のビヤガーデンに向かった。殆どの者が、何となく職場ごとに固まって移動すると、貸切にしたレストランの前で、蜂谷がバインダー片手に何やらチェックを入れながら、美幸達を出迎える。
「あ、蜂谷、お疲れ様。この納涼会も仕切ってるの? マメね~」
本気で感心しながら美幸が声をかけると、蜂谷は笑顔で応じた。
「お疲れ様です。組合執行委員の先輩方の仕事ぶりを覚える、良い機会ですから。あちこちの部署の方と顔を合わせる機会があって、交友範囲も広がりましたし。すみません、皆さん。会費を千円だけ頂きます」
「分かったわ。今出すからちょっと待って」
「だけど千円で飲み放題食べ放題の企画なんて、組合も太っ腹よね。ここ、いつもだったら五千円はするわよ? ビールだけじゃなくてワインの種類も豊富だし、お料理もなかなかだもの」
美幸が声をかけている間に、既に会費分の千円を取り出していた理彩が感心した様に言いながら差し出すと、それを受け取った蜂谷が嬉しそうに答える。
「はい、今回《予算の通し方のコツその1》をご主人様に直々に伝授して頂きましたので。それを組合内で披露しましたら、執行委員の皆さんに快く賛同して頂きました」
「そう……、良い勉強になったわね」
思わず理彩は遠い目をしてしまい、他の二課の面々は心の中で(課長代理……、あんた蜂谷に何を吹き込んだですか?)と突っ込みを入れた。するとここで蜂谷が皆から会費を受け取りながら、説明を付け加える。
「実は今回は、最初のうちは参加者の世代毎にテーブルを分ける事にしたんです。自由席にすると、どうしても同じ職場で固まりがちなので」
そう言われて理彩は何となく周囲を見回し、大体部署毎に固まっている集団を眺めてから、納得した様に頷いた。
「それもそうね。偶には同期毎に顔を合わせる機会を作って欲しいとか言われたの?」
「はい。納涼会の企画を考えていた時に、そういう声を結構拾いまして。入社後1・2年は割と集まり易いですが、後は旗振り役がいないとなかなか難しいとか」
そこで黙って聞いていた瀬上が、確認を入れる。
「確かにな。こういう機会に旧交を温めるのも良いか。だが『最初のうちは』って事は、少ししたら席を変わっても良いんだろう? 人それぞれだから、寧ろ同期に囲まれたくないって人間もいるかもしれないし」
「はい、勿論です。主催者の組合青年部部長が開始の挨拶の時、そちらも軽く説明しますので」
「なるほど。するとテーブル分けはどんな風になるの?」
少し興味を引かれて美幸が確認を入れると、蜂谷は一枚の紙を取り出して、指し示した。
「参加者の人数も鑑みて、三十歳以上のグループはこちらのエリアで、四年目から七年目までの方はこちら、三年目の方はこちら、二年目の方達はこちら、今年入社の俺達はここになります。該当するマークを置いてあるテーブルの好きな所に座って貰いますか? 各グループ毎に、二つか三つはテーブルを用意してありますから」
一覧表の名前の横にそれぞれ記号が振ってあり、更にガラス張りの壁越しに見える屋上のテーブルの中央に、様々なマークが立ててあるのを見て取った美幸は、少しだけ考え込んだ。
「ふぅん……、要するに年齢別なのよね? 美野姉さん、大丈夫?」
法務部は美野以外は年配の男性ばかりの為ボウリング大会に参加する者は居らず、美野は必然的に美幸達と同行していたのだったが、この配置だと自分と離れるからどうだろうかと美幸は少し心配になった。しかし当の本人は、何でも無い事の様に告げる。
「別に構わないわよ? 保護者みたいな事を、言わないで欲しいんだけど」
「そう? なら良いんだけど……」
「法務部には同世代の人が居ないし、偶には普段交流が無い人達と、知り合える機会を持つのも良いと思うから」
何となく不安そうな美幸に、少し困った様に美野が言い聞かせると、横から理彩がガシッと美野の肩を掴みながら、笑いを堪える様な表情で言い出す。
「そうそう。枯れ切ってた法務部に咲いた一輪の花は、社内では結構噂の的なんだから」
「ええ!? あの仲原さん、何ですかそれは?」
明らかに動揺しながら美野が問い返したが、理彩は機嫌良く彼女に告げた。
「普段法務部と接する機会がある人間って社内でもそんなに居ないし、美野さんがどんな人かちょっと話してみたいなって人が、結構居るのよ? この際、同年代で親交を深めてみましょうよ。私も同じグループだし、責任持ってフォローするから」
「あ、そうですね……。すみません仲原さん、今日は宜しくお願いします」
「任せて。だから安心して良いわよ、藤宮。高須君も居るしね」
「もし居心地悪そうだったら、適当に場所を移動するから」
やはり少しは緊張していたのか、美野がホッとして頭を下げたのを見て、美幸も理彩と高須に任せる事にした。
「分かりました。お願いします。じゃあ姉さん、また後でね」
「ええ。一緒に帰りましょう」
にこやかに微笑んでから、三人で指定されたテーブルに向かって行く後姿を見て、美幸はしみじみと考え込んでしまった。
(う~ん、美野姉さん、去年までと比べると、凄い社交的になったわよね。さっきもチラッと高須さんの方を見て安心してたみたいだし、高須さんのおかげかな~)
そんな事を思いながら美幸は城崎と瀬上に会釈してその場を離れ、二年目のグループ席に向かって久々に一堂に会した面々と、笑顔で言葉を交わし合った。
そして開始時刻になり、参加者たちは主催者側からの挨拶までは大人しくしていたものの、アルコールも料理も十分揃えられている中、乾杯の音頭の後は皆めいめいに盛り上がっていた。
「藤宮さん、久しぶり。最近社員食堂でもなかなか会えないわよね」
「確かにね。職場の同僚で食べに来る事が多いから、席が空いてるからって同席するのも躊躇うし」
「偶にはこういう席で、同期毎に集まるって言うのも新鮮かもね」
「うん、情報交換とかもしたいし」
(偶にはこういうのも楽しいわね)
初期研修で一緒だった、久しぶりに顔を見る同期と女同士でわいわい固まって話していると、やはり話題が先程のボウリング大会の事になった。
「そう言えばさ、今日藤宮さんが入ってたグループ、レベルが違い過ぎる人ばかりだったよね!」
「そうそう、私2つ隣のレーンだったけど、自分達の投球の合間に凄いプレーを見せ付けられちゃって、グループ全員で愕然としちゃったわ」
「一位から同点三位まで四人で独占って、どういう事よ!?」
「どういう事と言われても……」
(う……、プレー中は殆ど何も考えて無かったけど、さすがに文句の一つも言われるかしら。特に五位までは豪華賞品だったしね)
半ば責める様に言われて密かに身構えた美幸だったが、周囲の意識は他の所に向いていた。
「恰好良過ぎるよね、あの三人! それぞれタイプの違うイケメンだし!」
「え?」
誰かが上機嫌でそんな事を言ってから、呆気に取られた美幸の前で、その場のテンションが一気に上がる。
「しかも三人とも東成大卒って何!? 一部の男連中『天は二物を与えずなんて嘘だ』ってどんより落ち込んでたわよ?」
「私の先輩は、あんな優良物件をゲットした柏木課長を、崇拝の目で見てたわ」
「誰とは言わないけどさ……、浩一課長狙いのお局様が、目の色変えてたわね。浩一課長、これに参加しないでさっさと帰って正解よ」
「うん、あれはドン引きだったよね~」
「そう言えば、城崎係長を狙ってる人達も、キャアキャアうるさかったよね?」
「藤宮さん、同じグループだったし、五月蠅くて気が散ったんじゃない?」
口々に騒ぎ始めた周囲に呆然としながらも、一人に同意を求められて、美幸は思わず反射的に答えた。
「そうなの? 全然気が付かなかった」
「美幸……、確かにボウリング場ってそれなりに五月蠅いし、勝負に集中してたって事は分かってるけどね……。現に去年、城崎係長との仲を疑われて、元カノの人達と一悶着あったでしょうが。城崎係長が社内で結構人気があるのを忘れたの?」
「すっかり忘れてたわ……」
思わず突っ込みを入れた晴香だったが、それに美幸がしみじみとしながら言い返す。それを聞いた晴香は無言で額を押さえたが、そこで周りから声が上がった。
「だけど職場でやりにくく無いの? 仲原さんと城崎さんって、以前付き合ってたのよね?」
「二人とも仕事とプライベートは分けてるわよ? それに仲原さん、はっきり聞いてはいないけど、最近瀬上さんと付き合ってるみたいだし」
何気なく美幸が言った内容に、途端に周囲が反応する。
「本当!? じゃあ仲原さんは元カレが上司で、今の恋人は同僚になるわけ?」
「うっわ! 何それ、凄い修羅場の予感!」
「ううん? だから皆、普通に仕事してるって言ったじゃない」
僅かに首を傾げながら美幸が平然とそう告げた為、周りのテンションは急速に低下した。
「普通なんだ……」
「さすがと言うか何と言うか……」
「私だったら無理だわ」
「じゃあ、今城崎さんってフリーなんだよね? 去年の藤宮さんの騒動は誤解だったんでしょう?」
「え、ええ、まあ……」
(確かにあの時点では、何も問題は無かったし……)
色々と後ろ暗い所がある美幸が曖昧に言葉を濁していると、周囲で勢い込んだ声が上がった。
「それなら、城崎さんのタイプってどんな人か知らない?」
「あ、私も聞きたい! 趣味とか分かれば誘いやすいし」
「ちょっと! 図々しいわね、抜け駆けする気!?」
「何よ、そっちこそ引っ込んでなさいよ!」
「ちょっと二人とも落ち着いて!」
美幸を挟んで急に一触即発の空気を醸し出し始めた二人を、後ろから晴香が慌てて宥める。そんなやり取りを聞きながら、美幸は一人密かに冷や汗を流した。
(言えない……、こんな場面で実は『係長からは後から改めて口説くって言われてます』なんて。どう説明すれば良いか分からない上、袋叩きに合いそうで……)
そして傍目には冷静に見えつつ狼狽していると、ここで美幸の携帯がメールを着信した事を知らせてきた。
「あ、ちょっとごめんね」
周囲に断りを入れてバッグの中から携帯を取り出し、届いたメールの内容を確認した美幸は、途端に満面の笑みになって歓喜の声を上げた。
「うわ! 良かったぁ~!」
そして会場を見回し、少し離れたテーブルで同年代の男性社員達と、何やら楽しそうに話しながら飲んでいた城崎を見つけた。その時、ちょうど城崎が美幸の方に顔を向けた為、美幸は軽く城崎に手を振って頭を下げる。城崎もそれは分かったらしく、笑顔で小さく手を振ってから同席している者達に視線を戻した。
「何? 美幸、どうしたの?」
その場全員を代表して晴香が問いかけて来た為、美幸は上機嫌で答えた。
「ついさっき、柏木課長が無事出産したって。息子さんも娘さんも元気だそうよ。課長代理から係長にメールが来たから、課の全員に係長が転送してくれたわけ」
それを聞いた周囲の面々も、一斉に表情を明るくする。
「あら、良かったじゃない! しかも双子?」
「うん、性別は生まれてからのお楽しみって、課長達も聞いていなかったみたいだけどね。でも会場で産気づかれたのには驚いたわ」
「本当にね。何事もなくて本当に良かったわ」
「やっぱり同じ職場だと、メルアドとかは分かってるのよね」
「城崎さんのメルアド教えてくれない?」
そこで再び詰め寄られた美幸は、内心たじろぎながらもきっぱりと断った。
「それは駄目。個人情報を迂闊に流出させられません。信用問題なんだから、本人に聞いて」
「ええ? 同じ社員なんだし、少し位良いじゃない。城崎さん、ちょっと怖いんだもの」
「メルアド聞くだけで怖がってて、付き合えるわけ?」
恨みがましく言った台詞に鋭く晴香が突っ込みを入れ、周囲で笑いが弾けた。
「違いないわね!」
「晴香に一票!」
「じゃあここで、柏木課長の御無事な出産をお祝いして、乾杯しましょうか」
そう言って晴香が提案すると、たちまち周りから賛同の声が上がった。
「賛成! じゃあ、柏木課長のご出産を祝して、乾杯!」
「乾杯!」
「もうあの二人の子供なら、どっちに似ても美形だよね」
「柏木課長、羨ましいな~」
そこで話題が真澄に関する事に変わった為美幸は安堵したが、何となく胸中でもやもやしたものを抱えているのを自覚していた。
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