「ちょっと美子姉さん! 何で謝罪にかこつけて、美野姉さんの就職を頼むわけ? 恥ずかしいから止めてよ!」
「美幸、仕事中でしょう? 騒ぎ立てるのは止めなさい」
穏やかに姉に叱責された美幸だったが、それで収まる筈は無かった。
「冗談じゃないわよ。こんな事で美野姉さんが入ったりしたら、私までコネ入社だと思われかねないじゃない!」
「あの、ごめんなさい美幸。私、そんなつもりじゃ……」
オロオロと弁解しかけた美野だったが、美子がそれを遮って冷笑する。
「あら、美幸はこれ位でコネ入社を疑われる様な、ろくな仕事しかしていないの? 先程課長さんが戦力扱いしてくれたけど、リップサービスだった様ね」
「何ですって? 幾ら美子姉さんでも怒るわよ!?」
「もう怒っているじゃない。これ位で怒鳴りつけるなんて、美幸がまだまだ半人前の証拠ね」
「あったまきた、もう我慢出来ない!」
「あら、私に何をするつもり? 美幸」
「美幸、止めなさい! 私はともかく、姉さんに『言い過ぎました』と謝って!」
いきなり勃発した姉妹の喧嘩腰の論争を周囲は唖然として見守っていたが、ここで幾つかの訝しげな声が、城崎の周辺で発生した。
「係長、どうした。気分でも悪いのか?」
「どうかしたんですか?」
「大丈夫ですか?」
美幸達が何気なくそちらに目を向けると、机に肘を付いて両手で頭を抱えた城崎の姿を認め、一体どうしたのかと美幸が声をかける前に、美子が呆れ気味に口を開いた。
「ほら、美幸が喚き立てているから、係長さんの気分まで悪くなったんじゃない?」
「そんな訳無いでしょう!」
憤然として叫んだ美幸の言葉に続き、城崎が幾分居心地悪そうに会話に加わる。
「あの、お構いなく。気分が悪くなった訳では無くて……、その……、何となく自分が叱られている気分になりまして……」
「はい?」
「どういう事ですか? 姉は城崎さんを叱ったわけではありませんが」
変な顔をした美幸に加え、美野も疑問を呈したが、ここで城崎は幾分申し訳無さそうに、ある事を告げた。
「その……、俺の名前も義行(よしゆき)なんです」
「……え?」
一瞬の沈黙の後、間抜けな声を出した美幸に、美野は流石に驚いて非難の声を上げた。
「ちょっと美幸、『え?』ってまさか、上司の名前を知らなかったの?」
「だって、ネームプレートは所属部署と肩書きと名字だけだし! 確かに初対面の挨拶の時、フルネームを聞いた気がするけど、特に気に留めなかったし、皆『城崎さん』とか『城崎君』とか『係長』って呼んでるから、すっかり忘れてて!」
「幾ら何でも、それは迂闊過ぎるでしょう!」
「…………」
流石に言い返せず、(美野姉さんにだけは言われたく無かった)と思いつつ美幸が項垂れたが、それをチラッと確認してから城崎が話を続けた。
「加えて俺は三人姉弟の一番下で姉が二人居るんですが、下の姉と藤宮さんが。年の頃が一緒で、口調も彷彿とさせるもので……。つい自分が叱られている気分になりまして。今まで妹さんを職場で名前で呼ぶ人間は、居ませんでしたから……」
(うわぁ……、何か今の台詞、課長の姉弟間の力関係が窺えるなぁ)
(きっとビシビシ叱りつけられてたよな)
(ひょっとして、トラウマ一歩手前なのか?)
淡々と述べられた城崎の家庭環境に、周囲の者が城崎に同情していると、美子が穏やかな笑顔を振り撒きつつ妹達に言い聞かせた。
「まあ、二人とも名前が『よしゆき』だなんて、不幸な偶然でしたわね。美野、もしこちらに就職が決まっても、気にされるから係長さんの前で美幸を叱りつけたりしたら駄目よ?」
「……気を付けます」
「勿論美幸も、社内で美野から叱られる様な真似をしないようにね?」
「……分かりました」
取り敢えず神妙に頷いた妹達に満足したらしく、美子は笑って話を続けた。
「でも美幸と同じ名前の方が職場にいらっしゃるなんて、思いもしませんでした。近年『かおる』とか『かずみ』とか男女の区別が付きにくい読みの名前の方が多いので、主人が『同じ読みの名前のカップルだと、どんな風に呼び合うんだろうな。美幸ちゃんはそういう可能性が無きにしも非ずだし』と、笑っていたんですのよ?」
いきなり方向性がずれた話に城崎はピクリと顔を強張らせ、美幸はいきり立って抗議した。
「ちょっと美子姉さん! 話がずれた上に係長に失礼よ! 私と係長はれっきとした上司と部下の関係で、名前で呼び合う必要は皆無だから必然的に困る事態にはなりません!」
「それもそうね。城崎さん、でしたわね。つまらない事を申しました」
「……いえ、お構いなく」
非難された美子はあっさりと城崎に向かって頭を下げ、それに城崎は引き攣り気味の笑顔で応じた。そして二課以外の面々も含む、企画推進部内にいた殆どの者達が今のやり取りで何となく城崎の心情を察してしまい、密かに涙する。
(藤宮……、お前そこで係長にとどめを刺すな……)
(城崎君、不憫過ぎる)
(しかし、絶対あのお姉さん夫婦、係長で遊んでるよな)
(あぁ……、城崎係長の表情が暗い……)
そんな騒動に目もくれず、自席で内線でのやり取りをしていた真澄が受話器を置き、美野に声をかけた。
「藤宮さん、お待たせしました。どちらも今は手が空いているそうですので、早速出向いて簡単な面接を受けて頂きたいのですが。正式な試験は後日、日を改めて行いますので」
「分かりました。お願いします」
「それではご案内します。お姉さんは先にお帰りになりますか?」
「宜しければこちらで待たせて貰っても宜しいでしょうか? 美幸の職場での様子を、この際じっくり見させて頂きたいですし」
「分かりました。どうぞこちらでおくつろぎ下さい。それじゃあ美野さん、行きましょうか」
「はい」
そうして素早く話を纏め、真澄が美野を連れて部屋から出て行くとすぐに、室内にはいつも通りの空気が戻った。しかし美幸だけは応接スペースから自分を見ている長姉の視線を感じ、うんざりとしながら中断していた仕事に取りかかる。
(勘弁してよ、この年で父兄の職場参観なんて……)
そんな事を考えながらも、ふと先程美子が言った事が頭を掠める。
(でも確かに『よしゆき』なんて読み方だと、相手と名前が重なる可能性って有ったんだなぁ……。いえ、そうじゃなくて、係長と付き合うとか、そういうんじゃ無くてね?)
「……藤宮」
「はい! なんでしょうか?」
密かに自問自答していた時に、考えていた相手の声が至近距離から聞こえてきた為、美幸は僅かに狼狽しながら声を張り上げた。それに城崎は僅かに眉を顰めたものの、余計な事は口にせず美幸に新しい仕事を振り分ける。
「この三國興産からの仕入れ商品リスト、購入数量と販売額毎に分類しなおして、転売に支障がある傾向の物を五%拾い上げておけ。来週先方に申し入れする時の材料にするから、明日までにな」
「分かりました」
(明日までって……、並べ替えるだけならすぐに出来るけど)
素直に頷きつつリストを受け取った美幸だが、その煩雑さに少し落ち込んだ。そして能天気に自分を眺めている姉に、些か八つ当たり気味の視線を向ける。
(もう、美子姉さんったら、完全に面白がってるわよね)
そう確信しながら重い溜め息を吐いた美幸だったが、取り敢えず目の前の仕事を片付けるべく、意識を切り替えて取り組み始めた。
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