猪娘の躍動人生

篠原皐月
篠原皐月

12月(3)離婚の真相

公開日時: 2021年6月21日(月) 22:50
文字数:6,229

「ここですね」

「取り敢えず俺が相手を確保しますから、美野さんは下がっていて下さい」

「分かりました。お任せします」

 城崎がキーを差し込んで静かにロックを解除しながら言い聞かせると、美野は静かに頷いて了承した。それに頷き返してから城崎が乱暴にドアを押し開けつつ、室内に踏み込む。


「藤宮、居るか!?」

 怒鳴ったのはどういう状態で居るのか分からない美幸に、自分達の存在を気付かせる為だったのだが、予想に反してと言おうか予想通りと言おうか美幸からの返答は無かった。その代わりにデジカメを掴んでいた男の、狼狽した声が上がる。


「なっ、何だ貴様!? どうやって入って来た!!」

その男の向こう側、壁に一方を接する形でキングサイズのベッドが設置されており、そこに目を閉じて下着姿で横たわっている美幸の姿を認めた城崎は、あっという間に上坂の至近距離に到達し、問答無用で殴り倒した。


「それはこっちの台詞だ! 何をしてる、貴様!!」

「ぐわぁっ!」

「ここに来る途中、美野さんから話は聞いたぞ! てめぇ、どこまで腐った野郎だ!!」

「ぐほっ……」

 これ以上ベッドに近寄るなと言わんばかりに、城崎は殴り倒した上坂の腹に強烈な蹴りをお見舞いし、容赦なく転がした。そんな元夫の姿になど目もくれず、美野が真っ青になってベッド上の美幸に駆け寄る。


「美幸! ちょっと大丈夫!? しっかりして!」

「げっ! 係長!」

「藤宮、何て格好だよ……」

 涙声で両手で美幸を揺さぶる美野に、城崎の暴れっぷりとブラとショーツ姿の美幸に動揺する高須と瀬上。そんな中、理彩は美幸と同性であり、実は城崎と付き合っていた時に、今と同様に城崎がキレまくったのを目にした事があった為、比較的冷静に対処できた。


「瀬上さん、ドアを閉めて! 高須さん、藤宮とそいつの荷物を確認して! 美野さん、取り敢えず藤宮の身体にこれを掛けてかけて下さい。……服はこれですよね。良かった破れたりしてないわ」

 指示を出しながら素早く自分のコートを脱ぎ、美野がやっと思い至った様にそれを受け取り、美幸の身体にかける。そして高須と瀬上が慌てて動く中、床に落ちていた美幸の服を、理彩は素早くチェックした。その間も部屋の隅で上坂に一方的に制裁を加えていた城崎が、一番浴室のドアに近い所にいた高須に向かって吠える。


「高須! 浴室のドア開けろ!」

「は、はいっ!」

 高須によって素早くドアが開けられると、城崎が上坂の首を掴んで身体を持ち上げ、半ば引き摺る様にして浴室内にその体を放り込んだ。


「ほら、手間かけさせんな。とっとと入れ!」

「うわぁっ!」

 そしてドアの向こう側からは何やらぶつかり合う様な物音が響いてきたが、高須と瀬上は深く考える事を止めて、ベッドの方に歩み寄った。


「美幸、大丈夫!? しっかりしなさいっ!」

「美野さん、落ち着いて!」

「救急車を呼びますか!?」

 未だ意識が無いらしい美幸に、流石に周囲が焦りの色を濃くすると、美幸が理彩のコートの下で僅かに身じろぎし、目を閉じたまま小さく呻いた。


「うん~、頭痛いぃ~、気持ち悪ぅ~」

「美幸、気が付いたの?」

 パアッと表情を明るくした美野が勢い込んで声をかけたが、美幸は全く現状を理解していない台詞を口にした。


「……美野姉さん? ここ、家? 模様替えしたっけ?」

 寝ぼけ顔でそんな事を言われた美野は盛大に顔を引き攣らせ、危機感が全く感じられない妹に向かって、容赦なく往復ビンタを食らわせる。


「あんたって子はぁぁぁっ!! いつまで何を寝ぼけているのよ、この馬鹿ぁぁっ!」

「いたたたっ! ちょっと何するのよっ! 止めてったら!」

「美野さん、取り敢えずもう落ち着きましょう!」

「ほら、藤宮も大丈夫みたいですし」

 美野の怒りっぷりに恐れをなしながらも、理彩と高須が美野の腕を押さえて宥めにかかったが、ここでまだ完全に状況を把握しきれていない美幸が、頬をさすりつつベッドの上で起き上がった。


「いった~。これ、絶対腫れたわよ。あれ? どうして皆さんが家に?」

「……藤宮、取り敢えず、服を着てくれ」

 頭痛と疲労感を覚えながら瀬上がそう懇願すると、それを受けた美幸がキョトンとした顔で自分の身体を見下ろした。そして身体に掛けられていたコートが滑り落ち、自分が今身に着けている物がブラとショーツだけという状態を認識して、狼狽しきった声を上げる。


「服? って…………、えぇぇっ!? 何これっ! 何でこんな事になってるわけ!?」

「美幸があんなろくでなしに、あっさり騙されるからでしょうがっ!」

 すかさず突っ込んできた美野に、美幸はこの事態の元凶であろう男の事を思い出し、コートを胸元まで引っ張り上げながら、喧嘩腰で言い返す。


「あのろくでなしって……。そんなろくでなしと結婚してた姉さんにだけは、言われる筋合いは無いと思うんだけど!?」

「分かってるわよ、そんな事! 取り敢えずさっさと服を着なさい!」

 涙混じりの美野の絶叫に、その背後に佇む同僚達からの(同感だ)との眼差しを受けた美幸は、釈然としないながらも取り敢えず自分の服に手を伸ばした。


 揉めているうちに、それなりに意識がはっきりしてきた美幸は、急いで理彩から手渡された自分の服を身に着けた。そしてそのまま床に座り込んで、向き合う形で座った美野から、思ってもいなかった話を聞かされる。

 流石に予想だにしていなかった内容の上、美野の声が段々涙混じりになってきた為、辛抱強く黙って聞き役に徹していたが、何とか一通り聞き終わった美幸が、まだ半信半疑の表情で確認を入れた。


「……えっと、つまり? あのろくでなしは、美野姉さんとは社内でのコネと財産狙いで結婚していた上、盗撮マニアで姉さんの実家であるうちにも、盗撮用のカメラを幾つか仕掛けていたわけ? それを偶々姉さんが、奴のパソコン内の保存データの中に、私の画像を含めた大勢の女性を隠し撮りした画像を見つけて、発覚したと……」

 無言で頷いた姉に、美幸は嫌悪感で一杯の表情をしたものの、ほんの少し好奇心が疼いた。


「因みに、どんな画像だったの?」

 その何気ない問い掛けに、美野はびくりと肩を震わせてから、律儀に途切れがちになりながらも答えた。


「それが……。撮影した画像そのものだけじゃ無くて……、その……、色々編集したり、修正して、楽しんでて……」

「だから、どんな物?」

「…………」

 尚も問い掛けた美幸だったが、その途端美野は声を詰まらせ、目から勢い良く涙を溢れさせた。それを見て周囲が慌てて宥める。


「美野さん! これ以上、無理に言わなくても良いですから!」

「ちょっと藤宮! そこまでにしておきなさいよ」

「お前だって、不愉快な思いはしたくないだろう。少しは察しろ」

 同僚三人に口々に窘められ、美幸は憮然となると同時に、相当趣味が悪いものだったらしいと見当を付け、怒りを露わにして先程城崎が引きずり込んだ浴室を睨み付けた。そこで今度は理彩が、話題を変えるべく、話の続きを促した。


「それで? それを発見した美野さんは、どうしたんですか?」

 タクシーで駆け付ける途中、城崎と共にその内容を聞いていた高須は思わず遠い目をしてしまったが、美野は律儀に美幸、瀬上、理彩の三人に向かって改めて説明を始めた。


「びっくりして、咄嗟にどうして良いか分からなかったんですが、取り敢えず何事も無かった様にパソコンを閉じて、すぐに実家の義兄に相談したんです。そうしたら義兄が、すぐに色々手を尽くしてくれて」

「秀明義兄さんが?」

 そこで驚いて口を挟んだ美幸に、美野がまだ涙目のまま頷く。


「ええ。その画像を発見した時に閲覧履歴も確認してみたら、あいつがそれらのデータを、盗撮専門サイトに投稿してた事も分かったの」

「何ですって!?」

 そこではっきりと顔色を変えた美幸に、美野は強張った顔付きのまま説明を続けた。


「取り敢えず身元がすぐ判明しない様に、顔を不鮮明に加工処理してあったけど、それを放置できないもの。でも単に画像を削除しただけだと、すぐに新しい画像をアップするかもしれないし。だから偶然を装ってPCのデータを破壊しつつ、投稿サイトのサーバーのダウンさせるのを、同時進行でやったのよ」

「どうやって?」

 素朴な疑問を口にした美幸だったが、美野は腹立たしげに答えた。


「あの時、難産だった美子姉さんの体調が、まだ本調子ではなかったから、暫く実家の手伝いをしたいからと言って、暫く帰っていたでしょう? その間にお義兄さんの知り合いの女性にあの男を誘惑して貰って、住んでいたマンションに押し掛けて貰ったの。あとはタイミングを合わせて、偶々帰宅した風情を装って寝室に踏み込んで、逆上したふりをしてオイルポット内の天ぷら油を奴と机のノートパソコンにぶちまけて、火を付けたのよ。予めスプリンクラーを止めておいたし、良く燃えたわ。どさくさに紛れて、その女の人が携帯電話も取り上げて隠してくれたし」

「それ……、本当にやったの?」

 普段の姉の振る舞いとは一線を画した内容に、流石に美幸は顔を引き攣らせたが、美野は冷静に話を続けた。


「やったわよ。お義兄さんはその手の事に詳しいお友達に頼んで、ほぼ同時に複数のサイトのサーバーをダウンさせたし。その後慎重に様子を見ていたけど、他に隠してあるデータは無かったみたいで、再度アップされる事は無かったわ。あとは浮気の糾弾と、社内での横領のでっち上げで、『藤宮』と『旭日食品』から、後腐れ無く放逐できたと思っていたのに……」

(横領のでっち上げって……)

(そりゃあ本人にすれば、そっちは身に覚えが無いわけだ……)

(放逐……、流石藤宮の家族。容赦ないわね)

 再びぐずぐずと泣き始めた美野を眺めながら、高須達は思わず溜め息を吐いたが、美幸は真顔になって問い掛けた。


「どうしてそんなまだるっこい事をしたの? ちゃんとあいつを盗撮犯として糾弾すれば良かったじゃない。お義兄さんは何を考えて」

「だって、そうしたら美幸の写真も証拠として公に出る事になるのよ? そんな写真がネット上に流れてたって知れただけでもショックを受けると思ったから、私が内密に処理して下さいとお願いしたの」

「姉さん?」

 義兄に対して文句を言いかけた美幸の言葉を遮る様に美野が弁解し、それに美幸は怪訝な視線を向けたが、美野はそのまま続けた。


「だって、そもそもそんな男だって分からなくて結婚したの、私の落ち度だし。そのせいで妹に嫌な思いをさせる事になるなんて、夢にも思っていなかったから……。だから実家に戻っても、美幸に合わせる顔が無くてっ……」

「えっと……、一応、庇ってくれたわけ? それで気まずくて、引きこもりがちになってたとか?」

 俯いて言葉を途切れさせた美野に、美幸は微妙に疑わしげな表情で声をかけた。すると美野が弾かれた様に顔を上げて、妹を叱りつける。


「庇うのは当たり前でしょう! 確かに美幸は自己主張が強くて我が儘で、思い込みが激しい所はあるけど、私にとってはたった一人の妹なのよ!? あの男にホテルに連れ込まれたと聞いて、脅迫のネタに変な写真を取られたり、下手したら乱暴されるんじゃないかと思って、心配したんだからぁぁっ!! 馬鹿ぁぁっ!!」

 そこで我慢できなくなったらしい美野が、美幸の肩を掴んで盛大に揺さぶりつつ泣き叫ぶと、美幸はその手を振り解くように勢い良く美野に抱き付き、負けじと泣き声を張り上げた。


「ごっ、ごめんねぇぇ、美野姉さん! 今まで何考えてるか分からない、暗くて協調性が無い頭でっかち女だと思ってて!!」

「それ位分かってるわよ。お互い様でしょう」

「本当にごめんなさい。助けに来てくれてありがとう」

「大した事はしてないわよ」

 互いにぐすぐすと泣きながらの抱擁に(やっぱりこの二人、似た者姉妹だ)と他の三人が認識を新たにしていると、いつの間にか静まり返っていた浴室のドアが開いて、上着を脱いだ城崎が無表情で美幸達の所に一人で戻ってきた。それに気が付いた高須と瀬上が、恐る恐る声をかける。


「……係長、お疲れ様です」

「あの……、あいつは……」

 その問いかけに、城崎は手首を曲げ延ばししつつ、素っ気なく言い放った。


「ああ、あのゴミか? 取り敢えず動けなくしておいた。様子を見て来たかったら、見てきて構わないぞ?」

「いえ……」

「遠慮します……」

 ただならぬ物騒な気配を醸し出している城崎に、思わず美野と美幸は抱き合ったまま泣くのを止めたが、城崎はそんな二人を仁王立ちのまま冷たく見下ろした。


「それで? この超絶馬鹿間抜け迂闊娘に、事情説明は済んだのか?」

「ちょっと係長! 何なんですかそれはっ! ひょっとしてそれって私の事ですか!?」

「美幸、落ち着いて! 城崎さんには助けて貰ったのよ!?」

「だって!」

 誰かが何か言う前に美幸が憤然として食ってかかり、立ち上がろうとした彼女を美野が慌てて引き止める。しかし城崎は呆れ果てたと言った口調で続けた。


「他に誰が居る。あんな怪しげな奴の言いなりになってのこのこ指定の場所に出向くなんて、考え無しにもほどがある。確かにその店がグルだったのも見過ごせないから、後から制裁しておくがな」

「確かに迂闊だったかもしれませんけど、私は被害者ですよ? もうちょっと言い方があるんじゃありません?」

「あの腐れ野郎が吐いたが、商談先で顔を合わせていたそうだな。自慢していた危機察知能力はどうした?」

 冷たく見下ろされ、形勢不利を悟った美幸は、それでもボソボソと弁解の言葉を口にした。


「確かにそうですが……。最近色々有り過ぎて、勘が鈍ったと言いますか、あんな人目のあるカフェで変な物を飲まされるとは、夢にも思わず」

「言い訳にもならんな。それに気になる事があれば些細な事でも報告する様に、言ってた筈だよな?」

 そう確認を入れてきた城崎に、美幸は慌てて反論する。


「いえ、ですが今回の事は、明らかにプライベートの範疇だと思いますし」

「俺は公私の区別を付けろと言ったか?」

「……言ってませんでしたが」

 美幸が釈然としない表情で黙り込み、その他の者達は(係長……、それって立派な公私混同で、プライベートに関して何でも教えろと強要してませんか?)と頭痛を覚えたが、下手に口を挟めずに黙り込んだ。しかしここで瀬上が自分も当事者の一人である事を思い出し、一応詫びを入れてみる。


「あの……、すみませんでした、係長。藤宮と一緒に俺も奴に遭遇していましたが、大した問題ではないかと放置していました」

「瀬上は不審に思って連絡してくれたから、それに関しては不問にする。もし通報していなかったら、ゲス野郎と同じ目に合わせていたがな」

「……今後は気を付けます」

「そうしろ」

 冷え切った声に心底肝を冷やしながら瀬上が頭を下げた時、ドアチャイムの音が響いた。それに理彩が怪訝な顔で応じる。


「あら? 従業員かしら?」

「いや、おそらく俺が呼んだ人が到着したんだ。俺が開ける」

 腰を浮かせかけた理彩を制し、城崎が無表情のままドアへと向かった。その背中を見送ってから、美野が小声で美幸を叱る。


「もう、美幸ったら! あの状態の城崎さんを煽る様な言い方をしなくても良いでしょう!」

「だって! あんなに頭ごなしに怒らなくても良いんじゃない!? もう少し言い方があるでしょう?」

「それだけ心配したって事よ。私だって美幸を殴って叱りつけたいわ」

「確かに、迂闊だったとは思うけど……」

 憮然として黙り込んだ美幸だったが、戻ってきた城崎の背後にいる人物を見て、軽く目を見張った。


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