「藤宮。調子はどうだ?」
「もう起き上がってて良いの? 今回は災難だったわね」
午前中の面会時間になるなり、ノックと共に瀬上と理彩が顔を見せた為、美幸はさっそくリモコンを操作してリクライニングベッドの上半身部分をゆっくりと起こし、二人を出迎えた。
「お二人とも、来て下さってありがとうございます。念の為朝一でまた検査をしましたけど、骨折と打撲の他は異常ありませんでしたし、大丈夫ですよ? 昼食は間に合いませんでしたが、夕食からは普通食にして貰えますし」
予想以上に元気な様子の美幸に、二人は揃って安堵した表情になった。
「何にせよ、それ位で済んで良かったな」
「本当に強運よね。あんたはなんとなく怪我をしてても普通に食べる気がしたから、ラルクのミニコロネとクレムシドのティーバッグを持って来たわ。好きでしょ?」
「うわぁい! ありがとうございます! 朝はお粥だけで、全然物足りなかったんです! 昼も軽めって聞いて、夕飯まで我慢できないって思ってたところで」
途端に目を輝かせた美幸に、二人は思わず顔を見合わせて笑う。
「食べても良いなら、早速出すわよ? ここに来る途中で、給湯室の場所は確認してきたし」
「お願いします。是非!」
「はいはい。あったら人数分、カップを借りたいんだけど」
「はい、そこの収納棚に、昨日美野姉さんが取り敢えず紙コップや紙皿の他、フォークやスプーンも置いて行った筈ですから」
説明を受けた理彩が扉を開け、必要な物を取り出して廊下に出て行ってから、瀬上がテーブルの上に箱を置き、中身を紙皿に移しつつ美幸に問いかけてきた。
「藤宮。昨日の話は聞いたか?」
「山崎さんの事で係長が営業一課に怒鳴り込んだ事は、美野姉さんと高須さんから。本人の知らない所で、私と係長が付き合ってる話になってる事は、係長から聞きましたが」
「それだけか?」
「……他にも何かあるんでしょうか?」
不思議そうに確認を入れてきた瀬上に、美幸も怪訝な顔になる。その表情を見た瀬上は、若干言い難そうに話を続けた。
「連絡を受けた美野さんが営業一課に駆け付けた時、ちょうど戻って来た山崎を捕まえて詳しい事情を聞こうとしていた浩一課長や柏木課長代理に突進して、火事場の馬鹿力で山崎を横取りしたんだ。挙句、こちらに引き渡せと迫った係長を『うるせえぞ、ウドの大木は引っ込んでろ!』と一喝してから、引き倒した山崎に馬乗りになって、そのまま般若の形相で罵倒しまくった事は?」
瀬上がそこで美幸の反応を待つと、病室内に静寂が満ちた。そして少ししてから、美幸が顔を引き攣らせながら口を開く。
「…………初耳です。本人も高須さんも、そんな事一言も言っていませんでしたが」
「本人が自分から言うとは思えんし、高須も口を噤んだな。一課の人間に後から聞いたら、相当凄かったらしいぞ? いつ息継ぎしてるんだって周りが疑問に思う位悪口雑言を垂れ流し、日本語で語彙が尽きたら英語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語に切り替えて、小一時間続けたそうだ。去年、藤宮が元旦那にホテルに連れ込まれた時に遭遇した折、切れると突拍子も無い事をする、怖い人だとは思っていたが……」
「居合わせた営業一課の皆さん、きっとドン引きしてましたよね……」
(美野姉さん……、どうしてそんなにオンとオフが極端なの? それにそれを目の当たりにしても、昨日の態度は変じゃなかったよね、高須さん。本当に寛容だわ)
内心で呻いた美幸だったが、瀬上は冷静に説明を続けた。
「それからその事件の時、ちらっと顔を合わせたお前のお義兄さんが、仕事帰りに二課にやって来たんだ。課長代理も係長も営業一課に出向いたきり戻って来ないし、俺が案内したら……」
そこで何とも言い難い顔付きで黙り込んだ瀬上を見やった美幸は、話の先を促した。
「どうかしたんですか? 秀明義兄さんが顔を出して、文句を言った事は聞きましたが」
「その藤宮さんが、『この度は、義妹がお世話になりました』と無表情で挨拶した後、『浩一、そんなに全国津々浦々武者修行に出たいなら遠慮するな。清人、お前早くも嫁に愛想が尽きたと見えるな。城崎、そんなに俺の義妹が気に入らないなら、無理に同じ職場で働かなくても良いぞ? そうだ。三人が後腐れ無く再出発できる様に、ここは一つ柏木産業を潰すか』なんて物騒な事を口走った途端、『誠に申し訳ありませんでした!』と異口同音に叫んだ浩一課長と課長代理と係長が、一斉に土下座したんだ」
「はぁ? どうしてあの三人が、お義兄さんの冗談を真に受けてそんな事をするんですか? 殴られたり蹴られたりしたわけじゃありませんよね? お義兄さんは紳士なのに……。皆誤解してるわ」
呆れ顔で評した美幸に対し、瀬上は唖然とした顔付きになって言い返した。
「紳士って、お前……。確かに表面的には控え目に抗議しただけだが、何と言っても、あの蜂谷を見事に矯正してのけた人だぞ?」
「確かに指示は出したかもしれませんけど、実際に手を下したわけじゃありませんし。単に再教育に長けた後輩さんが揃っていただけですよ」
「本当に、そう思っているのか?」
「はい。だってお義兄さん位思慮深くて思いやりがあって、気配りのできる頭が切れる人なんて、そうそういませんよ。私が怪我したって聞いて、さすがにちょっと嫌味を言いたくなっただけなのに、何を真に受けているんですか、三人とも大袈裟な」
どこまでも真顔で告げる美幸に、瀬上は少しだけ呆然としてから、憐憫の表情をその顔に浮かべた。
「藤宮……」
「何ですか? 瀬上さん」
「今の台詞をその三人、特に係長には言わないように。あんなに有形無形に脅されたのに、不憫過ぎる……」
「はぁ……」
(何か納得いかないんだけど。それにどうしてその流れで、私と係長が付き合ってるって噂を流す羽目に。なんだか理不尽だわ)
反論したかったものの、沈鬱な表情で目頭を押さえた瀬上を見て、美幸は言葉を飲み込んだ。そこでタイミング良く、片手でトレーを抱えた理彩が、ドアを開けて入ってくる。
「お待たせ。ちょっと給湯室が混んでて遅くなっちゃったわ」
「あ、ありがとうございます」
「悪い。そういえば、まだコロネを皿に出し終えてなかった」
「何をやってたのよ?」
そして話は一時中断し、テーブルを出して皿やコップを揃えていた所に、新たな見舞い客が現れた。
「おはようございます、藤宮先輩! お加減はいかがでしょうか!?」
「ああ、悪かったわね。蜂谷まで来てくれるなん……」
「ちょっ……、入院患者に何て物を!」
「何か久々に、お前の非常識さを再確認できたな……」
「あれ? 皆さん、どうかしましたか?」
元気な挨拶の言葉と共に入って来た蜂谷だったが、彼が持参した物を目にしてしまった三人は、揃ってうんざりした顔付きになって深い溜め息を吐いた。しかしその理由が分からずにキョトンとした顔になった蜂谷に、美幸が疲労感を漂わせながら解説する。
「蜂谷……。その花、花屋で用途は言わずに『一番高くて見栄えがして良い物を下さい』とか言わなかった?」
「はい! 店員の方が、一押しで勧めてくれました!」
そう言って抱えてきた立派過ぎる三本立ちの胡蝶蘭の鉢植えを、笑顔で軽く持ち上げてみせた彼に、三人は再度溜め息を吐いた。
「……そうでしょうね。確かに立派よ。気合い入れて大枚叩いて来たわね」
「『入院患者の見舞い用』に欲しいとか言ったら、間違っても店員は勧めないよな」
ボソボソと囁き合う先輩達に、蜂谷はさすがに何か異常を感じたが、見当違いの問いを発した。
「あの、これが何か? ひょっとして、藤宮先輩は胡蝶蘭がお嫌いでしたか?」
「あのね、好きとか嫌いとか言う以前に、病人の見舞いに鉢植えって御法度だから」
「…………え?」
蜂谷が口を半開きにして絶句し、美幸はそれを見て脱力しながらも、気合いを振り絞って説明を続けた。
「鉢植えって、根が付いてるじゃない? それが転じて『寝付く』、つまりなかなか退院できないとか、症状が長引くけば良いって悪意の意味に取られ」
「ちちち違いますっ!! 誓ってその様な不埒考えは、これっぽっちもありません!」
途端に涙目になって勢い良く首を振り始めた蜂谷を見て、美幸は半ばどうでも良いように片手を振った。
「はいはい、分かったから。あんただったら、これ位のポカはするわよね。最近は随分マシになったからすっかり油断していたけど、元が元だし、これから気を付けなさいね? ほら、取り敢えず、そこの窓際の棚の上に鉢を置いて。落とすわよ?」
美幸がそう口にした途端、蜂谷は両眼からだらだらと涙を溢れさせた。
「藤宮先輩! 何と寛大なお言葉! 不肖蜂谷隼斗、課長の次に藤宮先輩に一生付いて行きます!」
「……鬱陶しいから、付いて来ないで」
「そんな! 俺は誠心誠意、お二方にお仕えします!」
「取り敢えず涙を拭きなさいよ。私が泣かせてるみたいじゃない」
そして指示された所に鉢を置いた蜂谷が、皆に宥められながら涙を拭いていると、廊下から女性の声が響いた。
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