それから暫くの間、楽しく飲んで食べていた美幸だったが、少し離れた場所で何か派手に倒れる音と怒声が聞こえて来た為、反射的に目を向けた。すると立ち上がって周囲に何やら言っている美野の姿が目に入り、美幸は何事かと慌てて立ち上がって彼女の元に駆け寄ろうとした。しかしその寸前で、美野とはテーブルを挟んで向かい側にいたらしい高須が美野の手を取り、彼女を引っ張って行く様にして会場を出て行ってしまう。
「え? 何事? まさか帰っちゃったわけじゃないわよね?」
全く訳が分からずに、取り敢えず立ち上がって自分を出迎えた理彩に尋ねてみる。
「仲原さん、美野姉さんはどうかしたんですか?」
その問いかけに、理彩は美幸に向かって両手を合わせ、軽く頭を下げながら謝罪してきた。
「ごめん、藤宮。ちょっと揉めちゃって」
「何かあったのは分かりましたが、揉めたって一体何が」
「ってぇ。全くこれだからレベルが低い奴は……」
そこで呻き声がしたため、美幸がそちらに顔を向けると、テーブルの向かい側の床に倒れ込んでいたらしい山崎が顔を押さえながらゆっくりと立ち上がる所だった。山崎と揉めた記憶も新しい美幸は無意識に眉を寄せたが、その場の女性達も揃って彼に険しい視線を向ける中、理紗が忌々しげに声を潜めて事情を説明し始める。
「あの営業一課の山崎ったら、ボウリング大会の最中から美野さんに目を付けたらしくて、少し離れたレーンだったのに、ちょくちょく美野さんの所に顔を出しててね」
「そうだったんですか? 気が付きませんでした」
「ウザかったからここも最初は女同士で親睦を深めたいからって締め出して、女だけで和気あいあいと盛り上がってたんだけど、ちょっと前から強引に割り込んできて」
「何をぶつくさ言ってるんだ。席も空いてたし、どこに座っても構わないだろうが!?」
理彩の台詞を耳にしたらしく、山崎は苛立たしげに反論してきた。しかし忽ち周囲の女性達の猛反撃を受ける。
「そこの席は、早川さんがあちこちに挨拶を済ませてから、戻って来るって言ったでしょう?」
「大体失礼じゃないの? いきなり人のプライベートを根掘り葉掘り聞くなんて」
「挙句に『若いけどバツイチって噂本当? 浮気でもされた? 見る目ないな』ってヘラヘラ笑いながら言う事じゃないんじゃない?」
「本当……、デリカシー皆無よね」
「そんな事を言ったんですか!?」
周囲から軽蔑する様な眼差しを受け、美幸が思わず怒りの声を上げた為、山崎は顔を赤くして反論した。
「あれはっ! 彼女の様な人間をぞんざいに扱うなんて、その男は見る目がないなと言おうとしたんだ! それなのにあの野蛮人、いきなり殴り倒しやがって!」
八つ当たりじみた叫びを上げた上、高須に責任転嫁する様な台詞を口にした山崎に、美幸は両眼を細めて言い放った。
「生憎と、こっちにはあんたの胸糞悪いご高説を、黙って最後まで聞かなきゃいけない義理は無いのよ。第一、バツイチって分かってるなら、離婚話はNGワードでしょ。常識も無ければ空気も読めない残念っぷりね」
「何だと!?」
「それでそいつが暴言吐いた瞬間、高須君が少し離れた所から駆け寄って、物も言わずにこいつを殴り倒して、『こんなのをまともに相手する必要は無い! 行くぞ美野!』と叫んで、美野さんを連れて出て行っちゃったのよ……」
美幸がバッサリ切り捨てた為山崎が気色ばんだが、それを無視して理彩が説明を続けた。それを聞いた美幸は、僅かに驚いた様に目を見張ってから、パチパチと些か気の抜けた感じの拍手をしながら、率直な感想を述べる。
「……うおぅ、高須さんもやりますね。なかなかのナイトぶりじゃないですか」
「妹として、その感想で良いの?」
「取り敢えず、こんなのとじゃなくて、高須さんと一緒に居るのが分かってますから良いです」
「まあ、それもそうね」
チラッと女二人に侮蔑的な視線を向けられ、山崎は苛立たしげに吐き捨てた。
「はっ、あんな男を見る目が皆無の女なんて、こっちから願い下げだ。どうせろくな大学を出ていないんだろ!」
その暴言を耳にした周囲の人間は揃って顔を顰めたが、美幸は落ち着き払って尋ねた。
「山崎さんって、確か東成大の工学部ご出身でしたよね?」
「それがどうした」
「美野姉さんは東成大の法学部、現役入学なんです。同窓生ですね」
「……え?」
出身大学を言われて得意そうな顔になったのも束の間、美幸の話を聞いて山崎は呆然とした顔付きになった。と同時に、周りの者達も騒ぎ出す。
「それ、本当?」
「法学部って言ったら、東成大の中でも最難関じゃない!」
「さっき美野さん、そんな事一言も言ってなかったけど!?」
「姉は自分の最終学歴を、声高に吹聴するタイプの人間じゃ無いんですよ。自分の事を知識一辺倒の頭でっかちな人間だと思ってるので、周囲の方から反感を持たれない様に、常日頃から気を配っていますから」
真面目くさって美幸がそう説明すると、先程まで美野を囲んで談笑していたらしい面々は、納得した様に頷き合う。
「ああ、分かるわね、そういうの」
「彼女、万事控え目だし」
「もう少し、厚かましくなっても良い位よね?」
そこで美幸はチラッと山崎に視線を向けてから、理彩にわざとらしく意見を求めた。
「先程の山崎さんのお話だと、東成大の出身者は揃って人を見る目が無いって事でしょうか? 柏木課長も東成大出身ですけど」
それを受けた理彩は、心得た様に真顔で応じる。
「それは、やっぱり人それぞれなんじゃない? 柏木課長の他にも課長代理や係長や、営業一課の浩一課長だって東成大出身なのよ?」
「そうですよね~、人を見る目が無い傍若無人な人間と、皆さんが一括りって失礼ですよね~」
「お前ら……、いい加減にしろよ!」
「あら、山崎さん何か御用ですか?」
目の前で好き勝手言われて堪忍袋の緒が切れたらしい山崎が、大きなテーブルを回り込んで美幸達に詰め寄ったが、ここで美幸の背後から声がかけられた。
「どうかしたのか? 何か揉めているみたいだが」
「……いえ、何でもありません」
顔を顰めて周囲を見回しながら歩み寄って来た城崎に、山崎は一部始終を語る気にはなれなかったのか、視線を逸らしながらごまかした。しかし美幸はしっかり嫌味を口にする。
「ええ、単に山崎さんが一人でよろけて転んだだけなんです。ろくな大学を出ていない後輩に、問答無用で殴り倒されるなんて失態、天下の東成大出身者でいらっしゃる山崎さんがされる筈ありませんもの」
そう言って楽しげにコロコロと笑ってみせた美幸に、さすがに山崎は顔色を変えた。
「…………っ!」
「二人とも、それ位にしておけ。周囲の迷惑だ」
「はい」
「……失礼します」
怒りを内包した山崎と受けて立つ気満々の美幸の双方を軽く睨み付け、城崎はやや強引にその場を収めた。そして山崎が無言で立ち去るのを眺めてから、美幸をテーブルに戻る様に促す。
そして元の席に戻った美幸は、早速周囲に詮索される羽目になった。
「何か揉めていたみたいだけど、どうしたの?」
「う~んと、要は姉を巡って、ちょっとした乱闘未遂?」
美幸は慎重に言葉を選んでみたが、途端に周囲が目の色を変えて口々に言い出した。
「なにそれ?」
「あの人、営業一課の山崎さんよね?」
「怖い顔をして何か叫んでいたから、何事かと思ったわ」
「でも城崎係長に一睨みされて引き下がったから、害は無かったわよ?」
宥める様に美幸が説明すると、感心した様な声が上がる。
「やっぱり城崎係長って、迫力が違うよね~」
「山崎さんって普段横柄な感じがするけど、城崎さんには太刀打ちできないんだ」
「城崎係長がもう少し打ち解けやすいタイプだったら、アタックしてみるんだけどな~」
そんな好き勝手に城崎を評する声を聞きながら、(やっぱり係長って結構人気有るのね)などと漠然と考えた美幸は、それから無意識に眉を寄せつつ、グラスを傾ける事になった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!