猪娘の躍動人生

篠原皐月
篠原皐月

8月(1)新たな騒動の種

公開日時: 2021年8月13日(金) 22:39
文字数:4,123

 課長席の前に呼びつけられてその話を聞かされた時、美幸は本気で首を傾げた。


「エコエネルギー推進合同プロジェクト?」

「はい。化石燃料に頼らないエネルギーの使用比率の増加、エコエネルギー獲得の効率化を目的として、官民合同で研究会議が設立されました。それに柏木産業も参加します」

「はぁ、そうですか」

「他の総合商社が太陽光、水力、地熱等を担当し、柏木産業は風力発電の分野を担当します。そして社内では、営業一課とうちが携わる事になりました」

 相槌を打ちながら目の前の課長代理から資料一式を受け取った美幸だったが、ここで素朴な疑問を呈した。


「資源、エネルギー関連が専門の営業一課が関わるのは分かりますが、どうしてうちが絡んでくるんですか?」

 その疑問に、清人が事もなげに答える。


「柏木課長がプロジェクトの議長に、ちょっとした伝手がありまして。産休に入る前の話ですが、他の総合商社の幾つかを押しのけてうちが参加するのに、少々便宜を図って頂いたそうです。国内の風力発電用の機器を開発している企業とも、幾つかの別な商品に関して取引が有りましたし」

「なるほど。さすがは課長、顔が広くていらっしゃいます!」

「そういう事ですね」

(一体、どういう伝手なんだか……)

 美幸は素直に感激し、清人もにこやかに応じていたが、真澄の背後で彼が何やら動いていたのではと穿った見方をした他の面々は、そ知らぬふりで無言を貫いた。


「それで、この二つの部署でプロジェクトチームを編成します。これに若手の世代からも担当者を出す事になりました。数ヶ月で完結する話では無いですし、数年単位で進行する仕事をきちんと継続させ、同時に若手も育てようという事です」

 そう聞かされた美幸は、やる気に満ち溢れた返答をした。


「分かりました! きっちり仕事はしてみせます。お任せ下さい」

 それに清人は、如何にも胡散臭い笑みで応じた。

「期待しています。因みに、うちからは他に私、城崎係長、高須さんが参加します」

「……宜しくお願いします」

(何か今一つ……、どころか、二つ三つ納得できないし、不安を感じるんだけど……)

 反射的に顔を引き攣らせた美幸が、辛うじて笑顔を保ちつつ席に戻って来ると、隣の席から少し身を乗り出す様にして、高須が囁いてきた。


「その……、藤宮。ちょっといいか?」

「構いませんけど」

「今プロジェクトの話をされてたから、一応話しておくが……」

「はい、何でしょう?」

 改まって何事かと思いながら応じた美幸に、高須がどこか言い難そうに話し始めた。


「営業一課側の参加メンバーの話は有ったか?」

「いえ、無かったです」

「浩一課長と鶴田係長と、今年五年目の山崎さんと、二年目の田村だそうだ」

「あ、田村君も入ってるんだ。それなら気が楽だな~」

 思わずのほほんと感想を述べた美幸だったが、高須は何故か微妙に顔付きを強張らせた。


「同期なのは知っていたが、割と仲が良い方なのか?」

「はい。同期の中でも、良く男女四人で集まって食べたり飲んだりしてます」

「そうか。益々面倒だな……。まあ、係長が仕事に私情を挟む筈は無いが……」

「何をボソボソ言ってるんです?」

 俯いて何やら自分に言い聞かせる様に呟いている高須を、美幸は不思議そうに見やった。その声で我に返ったらしく、高須が真顔になって話を再開する。


「それで、そのプロジェクトの構成メンバーだと、浩一課長と課長代理は昔からの友人で、今は義兄弟の関係だし、係長二人は営業三課所属時に先輩後輩の間柄だったから、関係が良好なのが知られているんだ」

「そうなんですか。良かったですね」

「だが……、山崎さんと俺は、ちょっとした因縁がある」

「因縁?」

 心底嫌そうに顔を歪めた高須に、美幸も思わず眉を寄せた。そして一瞬口を閉ざしてから、高須が溜め息を吐いて話し出す。


「総務部に俺の同期の佐川美郷って奴がいるんだが、以前山崎さんが佐川に告った時『他に好きな人がいるのでお付き合いできません』と断ったんだ。その時佐川の奴、よりにもよって俺の名前を出しやがって……」

「え? 高須さん、その人と付き合ってたんですか?」

「そんなわけあるかよ!? 佐川の奴『だって正直に春日君の名前を出したら、あの粘着質タイプの男ならあらゆる手を使って彼に嫌がらせしそうで。高須君の企画推進部ニ課なら、元々営業一課と仲が悪いし、大して影響無いよね? 今度奢るから許して?』と、にっこり笑いながらほざきやがったんだ!」

 如何にも忌々しげに吐き捨てた高須を見て、美幸は思わず同情した。


「……高須さん、女運悪そうですね」

「ったく! それから山崎さんから何かと目の敵にされて、顔を合わせると嫌味を言われるわ、根も葉もない噂を流されるわ。その後佐川が同じく同期の春日と付き合い出してから、佐川の行為を春日に話して、二人には色々便宜を図って貰ってるんだ」

「せめてそれ位して貰わないと、本当に割に合いませんよ。しっかし、そんな器が小さい男、振られて当然です!」

 どう聞いてもとばっちりに加えて逆恨みとしか思えない状況に、美幸は本気で憤慨した。しかし当の高須は、既にそんな事は割り切っているのか、淡々と話を続ける。


「俺もそう思うが……。実はお前が配属直後に社員食堂で絡まれた直前に、そういう事があったから気になっていて」

「うっわ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってノリで新入社員に嫌がらせ? 益々幻滅ですね」

「いや、まさかさっきの事の腹いせに絡んだとは……。だが、これから顔を合わせる機会も増えるから、もし嫌味を言われても適当に聞き流し」

「お任せ下さい。ばっちりぐうの音も出ない位、完璧に言い負かしてやります!」

「だから、そういう事をするなと、今、釘を刺してるんだ俺はっ!!」

 満面の笑みで胸を叩いてみせた美幸に、高須は泣きそうな表情で訴えたが、ここで唐突に能天気な声が割り込んだ。


「高須先輩、藤宮先輩、ボウリング大会に参加しませんか?」

「……何だいきなり。しかも業務中だぞ?」

「何、それ?」

 思わず当惑した顔を向けた二人に、蜂谷がファイルからチラシを取り出して渡しながら笑顔を振りまいた。


「組合の青年部主催で、再来週に企画したんです。その後に会費千円で、ビアガーデンでの飲み放題納涼会も企画してますが。片方だけの参加でも結構ですよ? 因みに、ボウリング大会のゲーム代は無料です」

「ああ、そういえば、うちの部署の組合の執行委員に、立候補してたっけ」

「へえ? 随分太っ腹な企画を立てたもんだな」

 半ば感心しながら高須がチラシに目を落とした所で、少し離れた所からどこか楽しげな声が響いて来た。


「蜂谷さん、今、ボウリング大会がどうのこうの言ってましたか? 今は業務中ですが」

「はっ、はいぃぃっ!! 業務時間中の私語、誠に申し訳ありませんっ!!」

(だったら最初から、休憩時間に話をしろよ……)

 清人のやんわりと窘める台詞に、瞬時に米つきバッタと化した蜂谷を見て、室内の全員が蜂谷に生温かい視線を送ったが、清人はそれ以上煩い事は言わずに問いを発した。


「確かに私語は慎むべきですが、今回は大目に見ましょう。管理職でも参加は可能ですよね?」

「はい、組合主催ですが、非組合員でも組合員の家族も参加できます」

「それなら私も参加しますので、手続きをお願いします」

「課長代理が参加されるんですか!?」

 蜂谷の驚愕した叫び声が響き渡り、完全に室内の視線を一身に浴びてしまった清人だったが、全く悪びれなく言ってのけた。


「ええ。真澄が『休みに入って早々会社に押し掛けるのは気が引けるけど、偶には皆の顔を見たい』と言いまして。加えて私の勇姿も見たいと言うものですから」

「……勇姿、だぁ?」

 ひくっと頬を引くつかせた美幸だったが、その横で嬉しそうに理彩が声を上げる。


「え? 課長も顔を出されるんですか?」

「そうしたいと言っていました」

「そうですか。それなら私も出ようかな? 産休に入られてから二ヶ月経ってないのに、もう随分お会いしてない気分だし」

「参加者が多ければ、真澄も喜ぶと思いますよ?」

 にこやかに会話する二人を見て、蜂谷がファイルの用紙に何かを書き込みながら、笑顔で声をかけた。


「分かりました。課長代理の申し込みをしておきますので。仲原さんも気が向いたらいつでも言って下さい」

「蜂谷!」

「はっ、はい!」

 そこでいきなり立ち上がった美幸が、蜂谷の胸倉を掴みながら、押し殺した声で言い聞かせた。


「私も申し込むわ。まかり間違っても『申し込み忘れてました』なんて、ほざくんじゃ無いわよっ!?」

「わ、分かりましたっ!!」

 真っ青になって慌てて美幸の名前を書き込み、慌てて自分の席へと蜂谷が戻って行くと、再び自分の椅子に座った美幸が、不気味な笑みを浮かべた。


「ふ、ふふ……。よりにもよってボウリング……」

「藤宮? ひょっとしてボウリングが苦手とか?」

 ボソボソと呟いた内容に、理彩が不思議そうに尋ねたが、美幸は声を潜めたまま不敵に笑った。


「逆です。大得意です。マイボールとマイシューズだって持ってますから」

「マイボールって……」

「どれだけだよ……」

 半ば呆れて呟いた両隣の理彩と高須だったが、美幸の変なテンションは留まるところを知らなかった。


「ふふふ、仕事ではまだまだ敵わないけど、ボウリングだったら自信があるわ。課長の目の前で課長代理をギッタンギッタンに叩きのめして、無様な姿を曝させてやる」

「……ちゃんと仕事で見返しなさいよ」

「仕事で敵わないと認識してる所は、ある意味謙虚だけどな」

 もう何を言っても無駄だと先輩二人に呆れられた美幸だったが、そんな密やかなやり取りの気配を察知したのか、これまで美幸の机の辺りを黙って見ていた城崎が、蜂谷を手招きして告げた。


「蜂谷、俺も例のボウリング大会、参加したいんだが……」

「はい、係長もですね。受付を済ませておきます」

「出るんですか?」

 思わず口を挟んだ瀬上に、城崎は重い溜め息を吐きながら愚痴っぽく零す。


「あの二人を野放しにできない。どうにも、無事に終わる気がしなくてな」

「……同感ですね。蜂谷、俺も参加にしておいてくれ」

 清人と美幸を交互に眺めた瀬上は、相手の懸念を完全に理解した様に頷き、自らも参加する事を告げた。


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