「やあ、大変だったね、美野ちゃん、美幸ちゃん。迎えに来たよ。家に帰ろうか」
「秀明義兄さん? どうしてここに?」
驚いて問い返した美幸に、横から美野が説明する。
「タクシーでここに駆け付ける途中、私から事情を聞いた城崎さんが連絡してくれたの。でも……、後ろの方達はどちらさまですか?」
そこで義兄の背後に佇む四人の人物を認めた美野は、流石に怪訝な表情で問い掛けた。揃いも揃って帽子を目深にかぶったり、サングラスやマスクをしたり、マフラーで口元を覆ったりして容姿が分かり難い出で立ちをしており、一見怪しげな姿ではあったが、秀明はチラリと背後の男達に目を向けてから、薄く笑ってみせる。
「二人とも安心してくれ。こいつらは城崎同様、俺の後輩でね。俺の義妹を二度も泣かせたろくでなしに、相応しい制裁を加える為に集まって貰ったんだ。平日だから四人しか集まらなかったが」
「これだけ集まれば十分です。前回穏便に済ませてやった分、今まで生き延びてきた事を、骨の髄から後悔させてやります」
そう言い放った城崎は、続いてやって来た男達に向かって凄絶な笑みを浮かべてみせた。
「先輩方も最近はご大層な肩書きを背負ったり、顔が売れて下手に羽目が外せなくてつまらないでしょう。今回のゴミ野郎は、精神的肉体的に廃人一歩手前までやってしまって構いませんから。俺が許可します」
城崎の身も蓋も無い言い方に、美幸達は互いの顔を見合わせて顔色を変えたが、とんでもない事を言われた方は楽しげに応じてみせた。
「それはそれは……、願ってもないな」
「お前がそこまでキレるとは珍しいな、城崎」
「一月に一人位は、そういうのを引き渡してくれて良いぞ?」
「それじゃあ、存分に楽しませて貰おうか」
そんな事を言いながら城崎を含む五人が浴室に消えると、まるで何事も無かったかの様に、秀明が朗らかな笑顔で促した。
「さあ、それじゃあ後は城崎達に任せて、俺達は帰ろうか」
「……あの、お義兄さん?」
「良いんでしょうか?」
美野と美幸が毒気を抜かれた様に、このままあの男を放置して帰って良いか尋ねたが、秀明の答えは変わらなかった。
「大丈夫だよ。仮に死体ができても、連中ならどうとでも処理できるから。実は警視庁のキャリアと敏腕弁護士と精神科医と代議士だからね」
「はぁ……、そうですか」
もはや反論する気も失せて美幸が力無く相槌を打つと、秀明が高須達に声をかけた。
「君達も長居は無用だよ。明日も仕事だろう? 巻き込んだ上、引き止めてしまってすまなかったね。お詫びとお礼を兼ねてタクシー券を渡すから、使ってくれたまえ」
「いえ、当然の事をしたまでですからお構いなく」
「私達も偶々居合わせただけですから。それじゃあ、失礼しましょうか」
「そうだな」
そんな事を言い合いながら一同が腰を上げ、ドアに向かおうとした時、美幸が何気なく瀬上と理彩に問いかけた。
「そう言えば……、姉さんと高須さんは、瀬上さんから連絡を受けた係長と一緒にここに来たって聞きましたけど、瀬上さんと仲原さんはどうしてここでタイミング良く、私を見付けてくれたんですか?」
それを聞いた一同は反射的に足を止め、瀬上と理彩が深い溜め息を吐いて片手で顔を覆う。
「……藤宮、あんたね」
「このタイミングでそれを聞くのか? お前は」
二人にそんな風に呻かれた美幸は、所謂ラブホ街を男女で単に散策するという可能性は通常では有り得ない事に思い至り、真顔で謝罪した。
「……すみません、愚問でした。やっぱり本調子では無いみたいです」
それを見た秀明がクスクスと笑いながら再度促す。
「そうだね。皆、今日は早く帰ってゆっくり休んだ方が良いと思うよ?」
「俺達も帰ります。失礼します」
「お疲れ様でした」
そうして揃って部屋を出る時、浴室から響いてきた断末魔の叫びを聞かなかった事にして、ホテルの入口で別れた面々は異なる方向に散って行った。
美野と美幸は秀明に連れられて近くのコインパーキングに向かい、停めてあった秀明の車に乗り込んだ。その間何となく無言だったが、走り出してから少しして秀明が、運転しながら穏やかな声で、後部座席の義妹達に声をかける。
「城崎から連絡を貰って家を出る時に、お義父さんと美子には軽く事情説明をしてきたから、帰ったら心配かけて申し訳無かったと、一応頭を下げるんだよ?」
「はい」
「分かりました」
二人が素直に頷いたのをバックミラーで確認した秀明は、満足そうに頷いたが、ここで美幸はまだ義兄に礼を言って無かった事を思い出し、慌てて頭を下げた。
「あの、お義兄さん。今回迎えに来て頂いたのもそうですが、以前美野姉さんが気付いた段階で、私の写真がそれ以上流出しない様に手を尽くして頂いたそうで、知らなかった事とは言え、ありがとうございました」
「それは俺が、美野ちゃんと美幸ちゃんが大切だからした事だから、改めてお礼とか言わなくて大丈夫だよ。寧ろ前回の時、あのゴミに温情をかけずに息の根を止めておくべきだったと、申し訳無く思っている位だ」
淡々とした口調に美幸達は秀明が本気で言っているのを悟ったが、二人で顔を見合わせてから、美野が恐る恐る切り出した。
「前々から思っていたんですが……、お義兄さんはどうして私達に優しい、と言うか甘いんですか?」
「そんなに甘いかな?」
「甘いですよ」
即座に断言した美幸に、秀明は笑いを含んだ声で話し出した。
「俺が美子と結婚する前に、白鳥家から籍を抜いて母方の姓を名乗った時期があるのは知っているだろう?」
「ええと、はい」
「俺は所謂、非嫡出子って奴で、長年母子二人暮らしだったが、母の死亡を機に、父方に引き取られた事は?」
「一応、小耳に挟んではいますが……」
「そこの白鳥家の人間が、父、母、義兄、兄嫁全員揃って可愛げのない、ろくでも無い人間揃いでね、美子と結婚する為に白鳥の家を出て経済産業省も辞めて旭日食品に入社した時、色々な嫌がらせをされたんだ。そこら辺は、美子から聞いていないかな?」
「……いえ、それは一向に」
(一体何があったのよ、美子姉さん?)
美幸達は心の中で長姉に問いただしたが、当然答えが返ってくる筈も無く、上機嫌な声での秀明の話が続いた。
「だから色々あった末に、漸く美子と結婚できた時、奥さんだけじゃなくて義父と可愛い義妹が一気に四人もできて、凄く嬉しかったんだよ。だからそれまでできなかった分、家族を構って大事にしているだけだ。大丈夫、甘やかしているのは美子だけで、美野ちゃん達は可愛がっているだけだから」
「はぁ……」
「ありがとうございます……」
本音を言えば(甘やかすのと可愛がるのと、どう違うんだろう)と思ったものの、美野と美幸は何となくそれ以上突っ込めず、一応秀明に礼を述べた。するとここで美幸の携帯電話が、メールが着信した事を知らせる。
「何かしら?」
不思議そうにバッグから携帯電話を取り出した美幸は、受信した内容を確認して、憮然とした表情になった。
「…………」
「美幸、どうしたの?」
その反応を不思議に思った美野が何気なく尋ねると、美幸が渋々と言った感じで答える。
「……係長からメール」
「城崎さんから? 何て?」
「これ」
ムスッとしたまま美幸が携帯の画面を美野が見易い様に向けると、美野は「あらまあ」と小さく呟き、クスッと笑った。そのやり取りを耳にした秀明が、運転席から楽しげに声をかけてくる。
「どうした? 城崎が何て言って来たんだ?」
それに美幸は未だ黙ったままで答えず、代わりに美野が事情を説明した。
「それが……、城崎さんはお義兄さん達が来る直前、美幸を迂闊すぎるとか考え無しとか言って、盛大に叱りつけたんです。頭に血が上っていたんでしょうね。それで今、多少冷静になって『さっきは少し言い過ぎた。悪かった』と謝罪の言葉を送ってきたんです。電話で直接謝ると、引導を渡されるとでも思ったかもしれません」
そう言って再び美野が小さく笑うと、秀明も堪えきれずに小さく噴き出した。
「なるほど。でも確かにあいつは見た目はキツいが、俺達の中では一・二を争う程の穏健派で普段滅多な事では暴れないし、結構繊細な奴なんだよ。あまり笑わないでやってくれるかい?」
「そうなんですか?」
「ああ。それで? 美幸ちゃんは何て返信したんだい?」
楽しそうに秀明が問い掛けてきても美幸は面白く無さそうに眉間に皺を寄せ、それを横目に見ながら美野が告げ口した。
「…………」
「拗ねちゃって、返信する気が皆無みたいなんですが。困りましたね。城崎さんが可哀想。きっと気にしてますよ?」
「姉さんは黙っててよ!」
からかう様に言われて美幸はムキになって叫んだが、秀明が笑って言い聞かせてくる。
「それは確かに、ちょっと可哀想だな。美幸ちゃん。ここは一つ俺に免じて、奴にちゃんと返信してやってくれないかい?」
「でも……」
まだ不満げな美幸に、秀明は重ねて言い聞かせた。
「明日も仕事だし、朝から職場で気まずい思いをしたくは無いだろう? 美幸ちゃんより年を取ってる分、分別臭い事を言わせて貰うよ。ここら辺で折れて、後からチクチク責める材料にしておきなさい」
そう言われた美幸は、少し考えて納得した様に頷いた。
「分かりました。もう気にしていない事と、お礼の言葉を一緒に送信します」
「そうだな。直接電話するのはお互いにちょっと気まずいだろうし。だが明日会社で顔を合わせたら、きちんと直にお礼を言うこと」
「はい、分かりました」
真顔で告げた秀明に美幸も素直に了承を告げ、そのやり取りを見守っていた美野は思わず安堵の溜め息を吐いた。
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