「……係長、明日の予定は?」
「え? いや、日曜だが特に予定は無い。今日がボウリング大会だったから、少しのんびりしようかと」
「じゃあ家に泊まっていって下さい! 客間もお客様用のお布団や寝間着も、すぐ用意できますし!」
「は?」
いきなりの申し出に城崎が固まったが、それにはまったく構わずに美幸が話を進める。
「あ、勿論朝食もお出しします。洋食和食、どちらが良いですか?」
「俺はいつも和食、じゃなくて! 何で家に自分一人の時に、俺を泊めるんだ!」
「一人じゃなかったら、係長に泊まって下さいなんてお願いしませんよ!」
双方本気で怒鳴り合ってから、その場に沈黙が漂った。それを城崎の押し殺した声が破る。
「藤宮……、お前、本気で言ってるよな?」
「当たり前です。どうしてこんな事、冗談で言わなくちゃいけないんですか」
「……何の拷問だよ」
「係長、どうしても駄目ですか?」
片手で顔を覆って本気で呻いた城崎を見て、美幸は心配そうにお伺いを立ててきた。それを横目で見下ろした城崎は、諦めた様に溜め息を吐いて小声で告げる。
「……分かった。一晩お世話になるから」
「良かった! じゃあ遠慮なくどうぞ、家にいらして下さい」
「ああ……」
城崎の返事を聞いた美幸は明らかに安堵した表情になり、手を引かんばかりにうきうきと城崎を促して自宅へと戻った。そして手早く玄関の鍵を開け、放り出しておいたキャリーバッグを玄関の中に入れると、真っ暗な室内の照明を次々点けて回りながら、靴を脱いで上がり込んだ城崎を居間に案内する。
「それじゃあ、客間の準備をして来ますので、少し待っていて下さい」
「ああ、慌てなくて良いから」
手早くお茶を淹れてきた美幸が、自分の前にそれを置いて再び姿を消してから、城崎は座布団に座ったまま深い溜め息を吐いた。
(全くどうしてこんな事に……。しかし母親がもう亡くなっていると聞いていたが、大家族で賑やかな中で育ったんだな。しかしこっちの事情を、全然考えていないよな?)
頭痛を覚えながらそんな事を考えた城崎が、思わず独り言を漏らす。
「だが強盗とか、そんな物騒な話がそうそう有るわけ無いだろう……、え?」
そこで静まり返った家の中で、物音が聞こえてきた為、城崎は瞬時に真顔になった。
(今、向こうの方から物音が……。藤宮はあっちの方に行ったよな? 音がしたのは玄関の方か? 言われてみれば、静かに玄関の引き戸を開ける様な感じの音だったが……)
そこまで考えた城崎は無言で立ち上がり、足音など立てずに襖の方に移動した。
(誰か来る? この家には彼女しか居ないし……、まさか本当に強盗か!?)
静かに歩く気配を襖越しに察知した城崎は、顔付きを険しくしてタイミングを計り始める。
(足音は一人分……、単独犯なら何とかなるか。通報している暇は無いし、先手必勝!)
そして近付いて来た足音に、相手が至近距離まで来た事が分かった城崎は、勢い良く襖を引き開けて廊下に飛び出した。そして「は?」と目を見開いて間抜けな顔をさらした相手の胸元と腕を、迷わず掴んで廊下に引き倒す。
「ぐわぁっ!」
「動くな!」
そして不審者の背中に馬乗りになりつつ、片方の腕を逆手に捻り上げた所で、城崎は冷静に自分が引き倒した相手の姿を見下ろして困惑した。
「……え? どうして強盗がこんな格好を?」
その呟きを耳にした、還暦前後と思われる仕立ての良いスーツ姿の男性は、未だ押さえ込まれたまま憤慨した叫びを上げた。
「強盗だと!? 私はこの家の主だ! 貴様こそ誰だ!? 玄関にあった靴はお前の物か?」
「主……。あのまさか……、藤宮さん、ですか?」
「当たり前だ! 貴様は何者だ!?」
「大変、申し訳ありませんでした!!」
そこで城崎は相手の背中から焦りまくって離れ、廊下で美幸の父である藤宮昌典に向かって、勢い良く土下座しながら非礼を詫びる羽目になった。
「係長! 布団とお風呂の支度ができましたのでどうぞ! 寝間着はこれを」
「美幸、帰ったぞ」
「お父さん!? どうして? 今日は大阪に泊まりじゃ無かったの!?」
綺麗に折り畳まれている寝間着を抱えながら上機嫌で居間に戻って来た美幸は、城崎用に出していた座布団に本来ここに居る筈の無い父親が座っているのを見て心底驚いた。そんな娘を眺めながら、昌典は皮肉っぽい笑いを漏らす。
「つまらん社交辞令のパーティーなど飽き飽きしてな。早めに切り上げて、ホテルもキャンセルして帰って来たんだ。そうしたら美野は居ないわ得体の知れない男が入り込んでいるわ美幸はいそいそと男の泊まり支度をしているわ、本当に人生、何が起こるか分からんな」
「え、ええと……」
「誠に申し訳ありません!」
美幸は咄嗟に何と言って良いか分からずに言葉を濁し、座布団を昌典に譲って畳に直に座っていた城崎が、再度勢い良く土下座する。そんな城崎に再度視線を合わせた昌典は、上辺だけは丁寧な物腰で軽く頭を下げた。
「いやいや謝って頂く必要はありませんぞ、城崎さん。いつもお噂を聞いていた、美幸が大変お世話になっている上司の方にお目にかかれて光栄です」
「それは……、私としては、もう少し別な形でお会いしたかったのですが」
引き攣り気味の表情で応じた城崎に、昌典が尤もらしく頷く。
「奇遇ですね、私もです。ところで……、そろそろお引き取り願えませんかな? 私がいれば、美幸も不安は無いでしょう」
「ごもっともです。それでは失礼致します」
「今後とも、“職場”で娘の事を宜しくお願いします」
「……はい、承知しました」
最後に軽く睨みつけられながら盛大に釘を刺された城崎は、辛うじていつもの顔を保ちつつ、じりじりと後退して居間から出て行った。そして美幸が見送ろうと玄関に行きかけたのを察して、昌典が語気強く美幸に指示を出す。
「さて……、美幸? ちょっとそこに座りなさい」
「……はい」
常には無い父親の迫力に美幸は逆らう事などできず、大人しく目の前に座った。すると昌典は、比較的冷静に話を進める。
「城崎さんから今日の説明を簡単にして貰ったが、美野と、高須という男とは、まだ連絡がつかんのか?」
「……はい」
(何てタイミングが悪い……、他の日だったらどうとでもごまかせたのに。係長、洗いざらい喋っちゃったんですね?)
見た目とは裏腹に、父親が怒りを内包している事を見て取った美幸は、体良く追い返された城崎に心の中で恨み言を漏らした。そんな中、昌典が問いを重ねてくる。
「それで? お前が帰宅した時、この家に朝まで一人で居る事に怖じ気づいているのを見て、送ってきてくれた城崎さんが心配して、泊まっていくからと申し出たのか?」
「え? それはちょっと違うけど?」
「どこがどう違うんだ?」
「だって私の方から『怖いから一晩泊まって下さい』って、係長に無理にお願いしたんだし」
率直に間違いを正した美幸の言葉を聞いて、何故か昌典は表情を緩めて感心した様に言い出した。
「……ほう? そうかそうか。城崎さんはなかなか紳士的な方らしいな。お前が怒られると思ったのか、彼はお前が頼んだ風には言わなかったぞ?」
「そうなのよね。係長って一見、見た目が怖くて融通が利かなさそうだけど、仕事はできるし意外に気配りの人で紳士だから」
城崎が褒められたと思った美幸は、嬉しくなりながら相槌を打ったが、ここで昌典が盛大に雷を落とした。
「誉めとらん! この大馬鹿者がっ!! 大体家に一人の時に、自分から男を家に上げるとは何事だ! 俺が帰って来なかったらどうするつもりだったんだ!?」
「どうもこうも、これから普通に休むつもりだったし!」
思わず真顔で言い返した美幸だったが、昌典は深々と溜め息を吐いてから、底光りのする目で末娘を睨み付ける。
「お前はもう少し、しっかりしていると思ったんだがな……。今夜は朝まで説教だ。覚悟しろ、美幸」
「えぇぇ!? ちょっと待って! 何でそうなるの!?」
「分かっていない所が、一番問題だと言っとるんだ!!」
そうして再び怒鳴りつけられた美幸は昌典の宣言通り、この場に居ない美野の分まで、殆ど徹夜で説教を受け続ける羽目になった。
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