「藤宮さんは、大企業の社長令嬢だったんですか。地方の平凡なサラリーマン家庭の出身としては、羨ましい限りですね」
「……何が言いたいんですか?」
馬鹿にした様な笑いを浮かべながらの台詞に、美幸は発言者に鋭い視線を送ったが、由香は平然と言い返した。
「それなら有用なコネも沢山持っているでしょうし、二課に配属以来、さぞかしご家族に便宜を図って貰ったんでしょうね。電話一本で全く取引実績が無い所にも、話を通して貰える位ですし」
あたかもこれまで散々実家の力で仕事を取ってきた様に言われた美幸は、さすがに腹を立てながらも、表面上は穏やかに言い返した。
「渋谷さん、邪推は止して貰えませんか? 姉を含めた家族に便宜を図って貰えたのは、今回が初めてですが」
「口では何とでも言えるわよ。さすが柏木課長は抜け目がないわね。伝手を持ってる新入社員を引き抜いて、実績を上積みするなんて」
そのどう考えても言いがかりにしか思えない台詞に、美幸はいとも簡単に切れた。
「あなたね! うちの課長が、そんなセコい手を使う筈無いでしょう!?」
「はっ! 馬鹿じゃないの? 何不自由なく甘やかされて育ったお嬢様が、まともに仕事して他人より良い成果を上げられる筈無いじゃないの! 青田課長だってそう言ってたわよ!」
由香が負けずに怒鳴り返したが、ここですこぶる冷静な城崎の声が割り込む。
「それでは聞くが、渋谷さんは青田課長の事を優秀で仕事ができる、部下からの人望も厚い人間だと尊敬しているのか?」
「はぁ? 何であんな万年課長の小者を、尊敬しなきゃいけないのよ!?」
「そんな小者の言う事を真に受ける人間を、世間一般では愚か者と言うと思うが」
「何ですって!?」
淡々と指摘してくる城崎に向かって由香は怒りを露わにしたが、彼の追撃は止まらなかった。
「先月、君が夏木係長の話を真に受けていたらしい事を聞いた時にも思ったが、君は肩書きを持っている人間の話の内容を、真偽を確かめもせずに全て鵜呑みにするのか? それは権力を保持している人間に対して、無意識に無条件におもねっていると言うんじゃないのか?」
「それはっ……」
「俺としては、他人の行為をどうこう言う前に、まず自分の言動を顧みる事を勧めるな」
「…………」
尚も何か言いかけた由香だったが、悔しそうな表情で黙り込んだ。それを見た清人が、何事も無かったかの様に、周りの人間に声をかける。
「話は終わりましたか? それでは皆さん、業務を再開して下さい」
それを機に今度こそ二課の者達は、由香も含めて全員、中断していた業務を再開した。
その日、城崎と示し合わせてほぼ同時刻に退社した美幸は、連れ立ってカフェバーに向かった。
「全く腹が立つ! 何かにつけて突っかかる人だとは思ってましたけど、青田課長の話まで真に受けていたとは思いませんでしたよ!」
キッシュを乱暴に切り分けて口に放り込み、カクテルで流し込む合間に美幸が訴えてくる内容に、城崎はビアグラス片手に苦笑いで応じた。
「まあ、そう怒るな。取り敢えず引き下がったんだから」
「引き下がっただけですよね? 絶対、納得してませんよね!?」
「あの手の類はな……。これまで思うように成果を出せなかったのを変に拗らせて、同じ様な環境にいながらも昇進した課長を敵視しているみたいだから。言って聞かせても、そうそう納得しないだろうし……」
独り言の様に口にしてグラスを傾けた城崎に向かって、美幸は怒りをぶつけた。
「全く! 何だって課長代理は、取引先を分捕るついでにしても、あんなのを引っ張ったんですか! 本当にろくでもないったら!」
「あの人にはあの人なりの、考えがあるんだろうが……」
「分かりたくもありません!」
「ところで、美幸はプライベートでも、いつも名刺を持ち歩いてるのか?」
「え? どうしてですか?」
いきなり変わった話題に、美幸が困惑しながら問い返すと、城崎は真顔で付け加えた。
「牛島会長の事だ。自宅の年始客の前に出る時に、普通名刺入れとかを忍ばせないだろう? しかも帯とかには」
それを聞いた美幸は、当然の如く答えた。
「どこで商談と人脈作りのきっかけに遭遇するか、分かりませんから。当然プライベートでも、名刺入れは常に携帯してますよ? あの時は着物だったので、帯の内側かなって思ったので。扇子とかも差し込みますし」
「現物を見せて貰って良いか?」
「構いませんけど……」
いきなり話題がずれた様に感じた美幸だったが、何か意味があるのかと素直にポケットから名刺入れを出して差し出した。頷いてそれを受け取った城崎は、暫く手の中のそれをしげしげと眺める。
「ふぅん?」
「あの……、それが何か?」
ひっくり返し、開いて閉じてを何回か繰り返した彼に、何か拙い事があったかと美幸が恐る恐るお伺いを立てると、城崎は何でも無かった様に名刺入れを返してきた。
「いや、何でもない。ありがとう」
「……そうですか」
「大した事じゃないが……、同じシチュエーションだったとしても、彼女はそういう事はしなさそうだな」
また微妙に話がずれた様に感じた美幸だったが、言われた内容は理解できた。
「彼女って、渋谷さんの事ですよね?」
「ああ。この一ヶ月程観察していたが、彼女は積極的に自分から仕事を取りに行くタイプじゃない。営業三課で、そういう仕事の仕方をしていなかったせいだとも思うが」
「環境だけのせいだとも思えません。元々の性格が悪過ぎですよ」
ばっさりと切り捨てた美幸のコメントに苦笑いした城崎だったが、それに直接は答えずに話を続ける。
「普通、社会人一年生の小娘の、プライベートで配られた名刺なんて、その場では笑って受け取って貰っても、陰で捨てられたり放置されるのがオチだろうな。そんな物まで後生大事に取っておいたら、収拾が付かなくなる。特に牛島会長の様な、立派な社会的立場がある人なら尚更だ」
「確かに、その通りですね」
「それでも牛島会長にしっかり顔と名前を覚えて貰って、おそらく名刺も保存していて貰えたのは、美幸の着物姿でもチャンスは逃さないと言う普段からの心構えと、数多くの名刺の中から見事に青柳建設会長の肩書きのそれを選んだ引きの強さのおかげだろうな」
「はい、これは私の実力じゃなくて、偶々運が良かっただけです」
素直に幸運だっただけだと認めた美幸だったが、そんな謙虚な彼女を見て、城崎が笑みを深める。
「ああ。確かにお姉さんの繋がりで牛島会長に顔を合わせる機会に恵まれたが、会長に好印象を与える事に成功したのは、美幸が運を引き寄せたからだ。だが、運も実力のうちと言うからな。良くやった」
(うわ……、これだけの城崎さんの笑顔って、社内ではお目にかかれない。超レアだわ)
珍しく手放しで誉めてくれた城崎を見て、美幸はすっかり嬉しくなった。
「はい! ありがとうございます!」
「これからもチャンスは逃さず掴んでいけ」
「勿論です!」
それからは気分良く飲み続け、店を出る頃までには美幸の機嫌はすっかり直り、仕事に対する意欲満々で家路についた。
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