翌日、昼食を食べ終えて席に戻った美幸は、同様に昼休みの残りを自席でのんびりと過ごしていた理彩を捕まえてチョコについて尋ねてみたが、案の定難しい顔になった。
「チョコ、ねぇ……。ここで配るのは微妙過ぎるわ。総務に居た頃は、皆でお金を集めて人数分配るのがお約束だったけど」
「ですよね? 課長が無視しているものを、部下の私達で義理チョコですって配りにくいですし。そもそもチョコって貰ってばかりであげた事が無いので、どんな物をどれ位用意すれば良いのか皆目見当が」
「藤宮、ちょっと待って」
「何ですか?」
自分の台詞を鋭く遮ってきた理彩に、美幸が不思議そうな顔を向けると、理彩は真顔で尋ねてきた。
「どうしてチョコを貰ってばかりで、あげた事が無いわけ?」
「どうしてって……、『並みの男の子より頼りになるし、格好良いから』と、周りの皆がくれましたので。それで貰ったチョコの中から、良い物を選んでお父さんやお義兄さん達、甥姪におすそ分けしていました。美野姉さんは、家族向けに手作りしていましたけど」
平然とそんな事を言われた理彩は、額を押さえて思わず呻いた。
「……本当に、情緒もへったくれも無い女ね」
「は? どうしてたかがチョコで、そこまで言われなくちゃならないんですか!?」
さすがに腹を立てた美幸だったが、負けじと理彩が言い返した。
「少しはときめきなさいよ! これまで綺麗なラッピングとか艶やかなコーティングとか、心躍らせた事がただの一度も無かったわけ?」
「皆無でしたし、お菓子業界の陰謀で踊らされるのは甚だ不本意ですが、職場を円滑に回す為の潤滑油なら、社会人として敢えて乗ってみようかなと、今回思った次第です」
そう真顔で言われた理彩は、これ以上言うのを諦めて溜め息を吐いた。
「そういう考えなら、別に仰々しく個人的に義理チョコを配らなくても良いんじゃない? 二課だけじゃなくて企画推進部全体の女性で、季節のイベントの一環として、お徳用チョコみたいな物をお茶請けに食べて貰うつもりで準備しましょうか。それなら男性陣も、ホワイトデーにそれ程気を遣わないでしょうし」
「それもそうですね」
「だから私も、きちんと準備するのは本命チョコだけにするわ」
「それなら私も、今日、美野姉さんのチョコを買いに行くのに付き合うだけにしようっと」
「ちょっと待って、藤宮」
「何ですか?」
再び鋭く問い掛けてきた理彩に、美幸はまた不思議そうな顔を向けた。
「今、美野さんと買いに行くって言った?」
「言いましたけど」
「因みにどういう経緯で?」
「ええと……」
そこで美幸が前夜のやり取りを掻い摘んで説明すると、理沙は渋面になりながら確認を入れた。
「それで? 全くチョコを準備した事の無いあんたと、限られた手作り品しか渡した事の無い美野さんで、買いに行く事にしたと?」
「はい。何か拙いですか?」
「因みにどこで?」
「会社帰りに、駅ビルの特設会場で。色々な店舗から出店してるみたいですから」
一通り話を聞いた理彩は、そこで顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。
「超初心者だけで、あの中に? ちょっと無謀かもしれないわね……」
「どうしてですか? たかがチョコを買うだけですよ?」
「あの騙されやすい美野さんと、突っ走りやすいあんたの組合せで、変な物を掴まされたらどうするの。それ以前に、売り場の熱気に当てられて倒れそうだわ」
語気強く言い切った理彩に、今度は美幸が渋面になる。
「……何気に失礼ですね、仲原さん。それにデパートの特設売り場なんですから、そうそう変な物があるとも思えないんですが」
「四の五の言わないで、ここは引率を頼むわよ。ほら、来なさい」
「は? たかが買い物に引率? 子供じゃ無いんですから」
「いいから、さっさと付いて来なさい!」
そう言うなり美幸の手首を掴んで立ち上がった理彩に半ば引きずられ、美幸は戸惑いながら歩き出した。そして城崎の机にやって来た理彩は、城崎と傍らに立って何やら話し込んでいた高須に声をかける。
「係長、ちょっと宜しいですか? 高須さんも聞いて欲しいんですけど」
「ああ、構わないが?」
「何ですか?」
男二人が怪訝な顔を向けると、理彩は前置き無しで本題に入った。
「今日の帰り、藤宮と美野さんの買い物に付き合って貰えません?」
「買い物?」
「何ですか?」
「バレンタインのチョコです。二人とも今の今まで、買った事が無いそうなんですよ」
そう言って理彩が小さく肩を竦めて見せると、男二人が無言で微妙な視線を交わし合う。
(どうしてそういう微妙な物の買い物に、俺達が付き合う事に……)
勿論、そんな内心などはお見通しの理彩は、淡々と理由を説明した。
「ただでさえ妙なテンションになっている、一種独特な雰囲気の売り場で、二人が何かやらかしそうで心配なんです。私が付き添えれば良いんですが、生憎今日はデートなもので、お二人に面倒を見て貰いたいんですが」
(確かに、この組み合わせなら、何かやらかしそうな気がする……)
そんな心配はしなくても大丈夫だろうと言い切れなかった男二人に、ここで理彩が一歩踏み出し、ギリギリ二人に聞こえる位の小声で囁いた。
「それに……、最初は四人で行って、頃合いを見て示し合わせて、二手に別れれば良いじゃないですか。貸し一つにしておきます」
そこでニコニコと愛想良く笑った理彩に、城崎は呆れ気味に溜め息を吐き、高須は真顔で頷いた。
「……何を唆している」
「分かりました。後から倍返しでお返しします」
「宜しく」
そして理彩は機嫌良く背後を振り返り、軽く手招きしつつ美幸を促す。
「ほら、藤宮。あんたからもお願いしなさい?」
「大丈夫ですって、言ってるのに……」
未だに納得しかねる顔付きながらも、理彩が話を出してしまった事と、城崎達がそれを積極的に否定してくれなかった事でちょっと自信が無くなってきた美幸は、一応神妙に頭を下げた。
「えっと、お二人ともご迷惑で無ければ、退社後に私達の買い物に付き合って頂けないでしょうか?」
そう述べた美幸に、男二人が鷹揚に頷く。
「分かった。今日は取り急ぎの仕事もないし、定時上がりできるだろうから付き合うよ」
「特に予定は無いから、付き合うのに支障はないし気にするな」
「ありがとうございます」
そんな様々な思惑含みで、美幸達はチョコ売り場へと乗り込む事になった。
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