「本当にとんでもない勘違いをして、申し訳ありませんでした」
注文した飲み物が来てから(穴が有ったら入りたい……)という心境の美幸が改めて頭を下げると、清香は明るく笑って宥めた。
「あの、本当に気にしなくて良いですよ? 藤宮さん。私とお兄ちゃんは年が十歳以上離れてるし、顔立ちが全然似てないから、初対面の人に兄妹って見られる事の方が少ないんです。一番多いのが叔父と姪あたりで。流石に愛人って言うのは初めてで、ちょっと驚きましたけど」
「本当にごめんなさい。でも随分仲が良いんですね? 成人してからも手を繋いで歩いてるなんて」
そう殊勝に口にしたものの、内心では(手なんか繋いで無かったら、そうそう変な誤解をしないで、様子を見てから追及したのに)と恨みがましく思っていたが、ここで清香が重い溜め息を吐いた。
「私は恥ずかしいから止めて欲しいと思ってるんですけど……、お兄ちゃんは《真澄さん大好き人間》であると同時に《筋金入りのシスコン》なので。この二十何年で諦めています」
「そうなんだ。大変そうね……」
そこで清香と美幸は揃って清人に何とも言えない視線を送ったが、本人は清香の隣で、そ知らぬふりでコーヒーを飲んでいた。すると何を思ったか、清香がクスリと笑って話を続ける。
「二人で暮らしていた頃はもっと酷くて、正直ウザいと思っていたんですけど、お兄ちゃんの結婚を期に知り合いのお宅に下宿させて貰って、お兄ちゃんと会う機会も少なくなったので、偶に会った時位纏わりつかれてもしょうがないなと思う様になりました」
それを聞いた美幸は、納得した様に力強く頷く。
「あぁ~、分かる分かる! それってあれでしょ? 所謂『亭主元気で留守がいい』って奴」
「そう! それです! まあ、偶にしか会えないから、その時位優しくしてあげようかな~って奴ですね。今は私の代わりに、真澄さんが纏わりつかれてるんだろうし」
「そうか~、清香さんが構われてる時、課長が『鬼の居ぬ間に命の洗濯』とかで羽根を延ばしてるのね。課長は産休に入って環境が変わって何気にストレスを溜めてるかもしれないから、土日にウザい旦那に纏わりつかれて鬱陶しい思いをしない様に、時々課長代理を呼び出して相手してあげてくれない?」
「はい、真澄さんの為に頑張りますね!」
年が近く、妙に意気投合した清香と美幸が真澄や二課の話題で盛り上がっている横で、僅かに身を乗り出した清人が、向かいの席に座っている城崎に低い声で囁いた。
「……城崎」
「はい」
「俺は二ヶ月ぶりの妹とのデートを、堪能していた所だったんだが?」
薄笑いを浮かべた清人に、冷え切った声音でそんな事を囁かれた城崎は、全身から冷や汗を流した。
「重ね重ねすみません。ですがこれは不可抗力で」
「後で覚えてろよ?」
「…………」
もうそれ以上弁解する気力など無かった城崎は、表面上は平然としてコーヒーを飲み続けている清人共々、彼女達の話が一区切り付くのを、無言で見守った。
そして表面上は無事にカフェを出て、笑顔で二手に分かれてから、美幸はしみじみと清香についての感想を述べた。
「さすが課長の従妹さんなだけあって、可愛いかったですね~、清香さん。あの得体の知れない課長代理と血が繋がってるとは、とても思えません」
「確かに一見、似てないよな」
「…………」
苦笑するしかない城崎がそう応じると、何故か美幸は無言で城崎を見上げた。その視線を感じた城崎が不思議そうに足を止め、美幸を見下ろしながら尋ねる。
「何か俺の顔に付いているか?」
その問いかけに、美幸は軽く首を傾げながら言い出した。
「何も付いていませんけど……。私と係長って身長差が三十センチ近く有りますし、年も八歳離れているじゃないですか」
「それが?」
「課長代理と清香さんみたいに、並んで歩いてたら叔父と姪に間違われたりとか、手を繋いでたら愛人に見られたりするかな? と思いまして」
「…………」
真顔でそんな事を言われた城崎は無言でよろめき、すぐ近くのビルの壁面に左手を付いて項垂れた。それを見た美幸が慌てて歩み寄り、城崎の顔を覗き込みながら声をかける。
「え? あの、係長。どうかしましたか? 何か急に気分でも悪くなりました!?」
「いや、精神的に色々きただけだ。正直、今のはちょっときつかった」
「え? 叔父と姪とかって、そんなにショックでした!? すみません! そんなに気にされると思わなくて! そう言えば係長って確かに三十過ぎてますけど、まだそんな微妙な年齢じゃ無いですよね!?」
「……何か今、とどめを刺された気分だ」
城崎が空いていた右手で胸を押さえつつ、暗い声でそんな事を言った為、美幸は益々狼狽した。
「ええぇ!? すみません! これから気をつけます! 謝りますからお気を確かに!」
美幸が両手で城崎の肩を掴み、揺すぶっていると、何か吹っ切れたらしい城崎が真剣な表情で言い出す。
「……よし、じゃあ二人で手を繋いだらどう見えるか、試してみようじゃないか」
「え? あああのちょっと、係長?」
いきなり宣言したかと思ったら、城崎は問答無用で美幸の手を握り締め、歩道を歩き出した。
「さあ、早速あのご夫婦に聞いてみよう」
「聞いてみようって……、ちょっ、ちょっと係長、目が本気で怖いです! 正気に戻って下さい!」
(今日は映画を見て食事をするだけだった筈なのに、どうしてこうなるわけ!?)
涙目の美幸を半ば強引に引き摺って行く様は、客観的に見れば誘拐事件の現場かと誤解されそうだったが、城崎が醸し出す物騒な雰囲気に咎めだてする者など皆無だった。
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