猪娘の躍動人生

篠原皐月
篠原皐月

9月(1)謎のお仕事

公開日時: 2021年8月25日(水) 20:21
文字数:2,695

 課長代理である柏木清人に呼ばれた美幸は、その時、既視感を感じた。


「藤宮さんに、お願いしたい仕事があります。初めてでしょうが、今の藤宮さんでしたら、やり遂げる力量は十分に持ち合わせていると思いますので」

「……光栄です」

(何、この嘘臭い笑顔。あの接待の話を持ち出した時の笑顔と、全くの同じ代物じゃない。今度は一体、何をさせる気よ?)

 頭の中で警戒警報が最大限に鳴り響く中、美幸は何を言われても動揺しない様に、気合を入れ直して上司の次の言葉を待った。そんな美幸の緊張とは裏腹に、清人は手元にあったクリアファイルを美幸に差し出しながら、淡々と告げてくる。


「それでお願いしたいのは、ある区役所業務の共同入札への応募です」

「……はぁ?」

 思わず間抜けな声を上げてしまった美幸に、清人が不思議そうに声をかける。


「どうかしましたか?」

「すみません。何でもありませんので、話を続けて下さい」

(どんな無理難題をふっかけられるかと思えば、どう考えてもまともな仕事じゃない。身構え過ぎだったわね……)

 一安心した美幸だったが、それを見て清人は密かに笑った。しかしそんな事は他の人間には微塵も見せず、真顔で説明を続ける。


「近年の防災意識の高まりから、各自治体でも昨今では防災に関する業務が増大しています。非常時を想定した訓練然り、避難経路の確定やハザードマップの作成などが顕著ですが」

「確かに、色々騒がれていますよね」

「しかし公務員の人員は限られていますし、いつ発生するか分からない災害に、常に過剰な人数を振り分けておく事は不可能です。それで民間に任せていける所は、どんどん外部委託していこうという考えが出ています」

「外注……、アウトソーシング、ですか。因みにどの様な業務ですか?」

 咄嗟にイメージが掴めなかった美幸が思わず問いかけると、清人は怒ったりはせず美幸の手元を指差した。


「今渡した書類を確認して下さい。区内に点在している備蓄倉庫の、災害対策用備蓄用品の管理と、定期的な補充に関する業務です」

 言われて美幸はバサバサと音を立てながら書類をファイルから取り出し、ざっと必要と思われる箇所を眺めた。そしてすぐに納得して言葉を返す。


「……ああ、なるほど。それでしたら防災担当の職員の方が、何年か毎に発注を出したり搬入業者を選定したり、使用期限が切れた物のチェックとかの些末な業務に煩わされる事が無くなるわけですね?」

「はい。その分、本来の防災業務に専念できるというわけです。どうでしょう? やってみませんか?」

「はい、是非」

「課長代理! ひょっとしてその入札は!」

 変な仕事ではないし、面白そうだと思った美幸が勢い込んで承諾の返事をしようとしたが、ここで何故か二人のやり取りを聞いていたらしい城崎が、顔付きを険しくして立ち上がりつつ声を荒げた。しかし清人が最後まで言わせず、冷ややかな眼差しを向けて黙らせる。


「いきなり大声で、何ですか? 城崎係長」

「……いえ、失礼しました」

(え? 何?)

 城崎が理由も無く騒ぎ立てる人間などではないと分かっている美幸は、城崎の行動に不審な物を感じたが、目の前の清人が再び口を開いた為、そちらに意識を集中した。


「それでは来年度の予算編成前に入札するスケジュールですので、十二月中に納入可能な業者の選定と見積もりをして、五年間の計画作成まで済ませて下さい。年明けに入札の流れになります。分からない事は早めに周囲に聞いて、滞りの無い様に」

「はい、分かりました。精一杯やらせて頂きます!」

「お願いします」

 やる気に満ち溢れた笑顔で応じた美幸に、清人も穏やかな笑みで会話を終わらせた。しかし彼女が一礼して自分の机に戻ると、入れ替わる様に城崎が清人の元にやって来る。


「……課長代理」

「はい、何でしょうか?」

 そうして自分に背中を向けたまま、城崎が清人と何やらボソボソと小声で話し込んでいるのを見て、美幸は本気で首を捻った。


(何だか係長の様子が変……。でもこれってどこからどう見てもまともな仕事なのに、どうしてかしら?)

 改めて渡された資料を読み始めた美幸だったが、何度読み返してみても細かい条件等だけが記載されているだけの内容であり、(後から課長代理が居ない所で、係長に聞いてみよう)と考え、それ以上悩む事は止める事にした。それは予めその日予定されていた会議の時間が迫って来た為、清人から移動を促す声をかけられたせいでもあった。


「それでは時間になりますので、行きましょうか?」

「はい」

「分かりました」

 営業一課との合同プロジェクトの定期会議だったが、隣の席で立ち上がった高須が如何にも気が重そうな表情をしている為、美幸も手早く必要なファイルを持って他の三人の後を追った。


「高須さん、あの納涼会以降初めての合同会議ですけど、あれからまだ美野姉さんの事で、山崎さんに絡まれたりしてるんですか?」

 前を歩く清人と城崎に聞こえない様にコソコソと尋ねると、高須は頭痛を堪える様な表情で返してくる。


「いや、特にそんな事はない。だがどうせまた、因縁を付けてくるだろう。分かってても気が重いから渋い顔をしているが、会議が始まったらそこら辺は取り繕うから気にするな」

 納涼会で美野を馬鹿にされたと思い、ブチ切れて山崎を殴り倒してから彼女と二人で行方をくらました後、美野を口説き落として藤宮家公認の彼女の婚約者に収まってしまった高須は、内心(このはねっ返りが義妹になるのか……)と少々気が重くなりながら宥めた。しかしそんな心情など全く理解できなかった美幸は、真顔で決意を告げてくる。


「分かりました。高須さんが大人しくしてる分、私が纏めて二人分」

「いいから余計な真似をするな! 頼むから揉めるなよ!?」

「一応未来の義妹として、義兄の名誉を守りたいんですけど」

「お前の場合……、何もしてくれない方が、俺の名誉が保たれる気がする」

「酷い! なんですかそれはっ!!」

 そして場所を弁えずにぎゃいぎゃい言い合い始めた二人のやり取りを、聞くともなしに聞いてしまった城崎は無言で額を押さえ、清人は笑いを堪えながら指定された会議室に向かった。


「お待たせしました」

「いえ、こちらもつい先程来たばかりです。それでは早速始めましょうか」

「そうですね」

 責任者二人が笑顔で挨拶し、美幸達が揃って席に着こうとしたところで、いきなり山崎が口を開いた。


「すみません課長、柏木課長代理。少しお時間を頂きたいのですが」

「山崎さん?」

「構いません。何でしょうか?」

 課長と課長代理の二人は何か業務に係わる事かと、怪訝な顔をしながら控え目に了承したが、山崎が口にした事は完全に個人的な事だった。


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